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「社会の全員、または最大公約数にとって」妥当する正義が「公正」である

「村野セリナの(以下略)」というブログから転載。
我が故郷、沖縄の琉球新報が褒められていて嬉しいが、実際、褒められていい内容の記事である。
政治の役割は国民を幸福にすることである、ということを琉球新報は良く知っている。沖縄に住んでいた頃は郷土新聞の良さはあまり感じなかったが、あいば達也氏のブログなどでも取り上げられたりして、沖縄の新聞は優秀なのだな、と知った次第だ。まあ、沖縄タイムスも同じように優秀かどうかは知らないが、少なくとも、沖縄のジャーナリズムは常に県民の立場に立って物を考え、発言しているのは確かだ。そして、これは全国紙にはまったく見られない姿勢である。
いったい、読売、産経、朝日、毎日などは、誰のために記事を書いているのだろうか。もちろん、事実は、それらが政府の御用新聞である、ということなのだが、では地方紙がすべて国民目線かというと、そうでもないようだ。であるから、琉球新報は褒められていい、ということである。
記事が長いので、日経と読売の記事は省略(蛇足だが、こういう場合は「割愛」とは言わない。割愛とは、「惜しいけど省略する」ということだ。読みたくもない記事の場合に使う言葉ではない。)しようかと思ったが、それでは比較ができないだろうから、全部掲載する。
引用したブログタイトルが不正確で申し訳ないが、人名は難しくて、「せりな」がどういう漢字か覚えきれないので、御免蒙る。読み方も間違いかもしれない。「セレナ」か?「村野セリナの」の後も覚えきれない。「社長室広報室」、だったかと思う。どうも長すぎるブログ名や難しいブログ名は、私には鬼門である。
蛇足だが、「正義」はしばしば主観である。アメリカが他国を侵略し、その国民を大量虐殺しているのもアメリカにとっては正義かもしれない。だが、他国から見れば、明らかな悪事である。我々は「正義」ではなく「公正」を社会の指標としなければならないだろう。

(以下引用)

G8サミット社説で琉球新報が使った「公正」という言葉が日経や読売にないのは偶然ではない。
• ジャンル : 政治・経済
• スレッドテーマ : 国際経済
   

ちょっと遅くなってしまいましたが、先日のG8サミットの結論として各新聞社が社説を出していました。

何紙か読んでみたのですが、現在の世界経済や金融の惨状の原因を公正に直視したうえで、今回のサミットの意義と課題を「新自由主義の自己中心性」や「緊縮財政原理主義」から脱して論じているのはほとんどただ一紙、琉球新報だけのように思われました。
●琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
G8サミット 公正で妥当な成長戦略を
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191431-storytopic-11.html
2012年5月21日

 政策軸の転換をこれほど明確に示した会合も珍しい。主要国(G8)首脳会議が採択した首脳宣言は「成長と雇用の促進が不可欠だ」と強調した。経済討議の声明では「財政健全化と成長の両方を追求」とうたったが、軸足を「成長」に移したことは明らかだ。
 債務危機脱出に向け、緊縮一辺倒で思考停止することなく、本質的な解決策を模索しなければならない。各国は協調し、その「解」を見いだす努力をしてほしい。
 経済政策見直しの流れは不可逆的と見るべきだろう。フランス大統領選とギリシャ総選挙で財政緊縮派が敗れただけではない。ドイツでも地方議会選挙で政権与党が大敗し、欧州全域で緊縮財政への反発が広がっているからだ。
 確かに、債務危機を考えると野放図な財政出動はできない。だが緊縮一辺倒では経済が萎縮し税収が上がらず、かえって財政が悪化しかねないのも事実だ。その意味で欧州の潮流にはうなずける点がある。
 そもそも欧州危機の何が問題なのか。緊縮に反発するギリシャを非難する声が多いが、ギリシャの借金は合法的商行為であり、借り手責任もあれば貸し手責任もある。貸し手もこの間、利子という名の利益を十分に得てきたはずだ。
 もともと経済が強かったドイツは「最強の通貨」マルクからユーロへの移行で通貨の価値が薄まり、極めて有利になった輸出でもうけを得てきたはずだ。ギリシャなど経済の弱い周縁国は逆に輸出が不利になった。今の通貨危機は過去の利益-不利益の裏返しである以上、「つけの支払い」にも似て、ドイツなどのリスク負担はあながち理由がないことではない。
 フランス新大統領のオランド氏は公約で企業に再投資を求めて過大な株主配当をけん制した。企業の集団解雇費用を引き上げ、株価上昇を図るための解雇を防ぐことも提案する。
 成長のため、あるいは雇用を増大させるため、資本と労働の分配の現状を改める考え方だ。弱肉強食の新自由主義から転換する可能性を秘めており、傾聴に値する。
 フランス一国でこれを実行すれば企業は他国に逃避するから、有効にするには各国で足並みをそろえる必要がある。こうした視点も含め各国は経済政策を考え直し、すり合わせの努力を続けるべきだ。
(転載ここまで)

まず、『そもそも欧州危機の何が問題なのか。緊縮に反発するギリシャを非難する声が多いが、ギリシャの借金は合法的商行為であり、借り手責任もあれば貸し手責任もある。貸し手もこの間、利子という名の利益を十分に得てきたはずだ。』という部分は、利益を得てきた勢力が自分が利益を得てきたことに口を拭って危機の原因だけをギリシャ国民に押し付ける欺瞞と非道をずばり指摘しています。これこそが世界的な金融危機の解決に向けた公正な態度というものだと思います。

それから、フランスの大統領フランソワ・オランド氏のフランス国内向けの政策公約に触れて、「資本と労働の分配の現状を改め」て、「弱肉強食の新自由主義から転換する」ことの重要性を指摘したうえで、「フランス一国でこれを実行すれば企業は他国に逃避するから、有効にするには各国で足並みをそろえる必要がある。こうした視点も含め各国は経済政策を考え直し、すり合わせの努力を続けるべきだ」と提言しています。

サミットとは、各国が自分の利益だけを正当化する場ではなくて、地球規模の問題を各国の協調で解決していこうという大枠を作る場であると考えれば、この提言は非常に本質的なものです。

地球規模の金融経済問題の解決のためには、自分だけが利益を得て問題や混乱や不幸を他者に押し付けて知らんぷりという態度はどの国にも、どの経済勢力にも許されません。そもそも、他者の問題や混乱や不幸は金融経済危機という形で必ず自分にも跳ね返ってくるように世界は出来ているのです。サミットとは、そのことを改めて多くの人に意識させる機会でなければなりません。

そういう意味で、オランド仏大統領の「公正、平等」という国内での主張は、国際的にも適用される必要があります。この社説で使われている言葉を繰り返すなら、「公正、妥当」な戦略を全世界に拡大することが絶対に必要なのです。ただの「戦略」ではありません。「公正、妥当」な戦略です。

そういう視点を持っている琉球新報は本当に貴重な報道機関と言えます。どの報道機関も「危機に協調して対処してほしい」とは言いますが、そう言うだけでは足りないのです。

さて、琉球新報を読んだうえでほかの新聞を読んでも、希望のある高揚はありません。希望も高揚もないだけではなく、特に日本経済新聞と読売新聞が最低です。なぜなら、「成長と財政再建の両立」のために「日本は消費増税関連法案の成立に全力を挙げ」などと、オランド大統領のフランスがすでに葬った消費税増税をしつこく主張しているからです。

消費税増税には問題があるということを日本の新自由主義新聞の代表格の日経と読売は理解していないか、あるいは、理解したうえで何食わぬ顔で強欲自己中心主義を押し通そうとしているのかどちらかなのでしょうか。なぜ日本の新自由主義新聞がそうするかというと、私の想像ですが、そうした方が自分たちだけの利益になるからでしょうね。

まず、うちの関連記事を二つ見てから、日本経済新聞と読売新聞の「自分勝手な」社説をごらんいただきたいと思います。

■フランス上院で右派与党の提出した社会保障目的付加価値税率上げ法案が否決された。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3218.html

■消費増税ではなくて富裕層課税強化をもっと堂々と叫ぼう、フランスのように。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3268.html

では、まず日経から。
●日本経済新聞
欧州危機と北朝鮮への行動が問われる
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE6E3E4E6E3E5E4E2E0E3E2E7E0E2E3E08297EAE2E2E2
2012/5/21付

 欧州債務危機の克服や北朝鮮の挑発行動阻止に一応の結束は確認したが、その決意を確かな行動で示せるのか。主要8カ国(G8)の首脳会議(サミット)が不安を残したまま閉幕した。
 特に注目を集めたのは欧州危機への対応だ。G8の首脳宣言は、経済成長と財政再建の両立が事態の打開に必要と訴えた。6月の再選挙を控えるギリシャには、ユーロ圏にとどまるよう求めた。
 信用不安に悩むギリシャに緊縮財政を迫るだけでは、深刻な景気後退から抜け出せない。一方で財政悪化を放置すれば、債務不履行の危険が高まる。G8が財政再建の努力だけでなく、成長への配慮も求めるのは当然である。
 ただ具体策を示さない限り、市場の動揺は収まらない。欧州連合(EU)は23日の首脳会議で、柔軟な対応を協議すべきだ。財政規律を重んじるメルケル独首相と、成長を重視するオランド仏大統領の歩み寄りが欠かせない。
 欧州危機の悪化に備えておく必要もある。万一の場合も想定し、金融機関の資本増強を急いだ方がいい。EUと国際通貨基金(IMF)の支援枠が十分かどうかも、再検証してもらいたい。
 成長と財政再建の両立は欧州だけの課題ではない。日本は消費増税関連法案の成立に全力を挙げるとともに、今夏に発表する「日本再生戦略」の肉付けを急ぐべきだ。11月の大統領選をにらんだ駆け引きが激しい米国も、必要な経済政策を滞らせるようでは困る。
 日米欧に新興国を加えた20カ国・地域(G20)は6月の首脳会議で、成長と雇用拡大の行動計画をまとめる。G8が世界経済の安定に指導力を発揮し、新興国に応分の貢献を促すのでなければ、存在意義が薄れる一方である。
 政治分野では、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射といった挑発行動に走らぬよう求める立場を確認した。北朝鮮への圧力に慎重なロシアも含め、結束を示せたのは一定の成果だ。だが中国の協力なしに、北朝鮮の暴走を抑えるのは難しい。G8が中国にも働きかけ、協力を促す必要がある。
 市民への弾圧が続くシリアとイランの核問題にも多くの討議時間が割かれた。原油の調達を中東に頼る日本も傍観者ではいられない。しかし、これらの問題に関心が奪われ、北朝鮮問題への対応が後手に回ることがないよう、米欧と緊密な連携をとってほしい。
(転載ここまで)
●YOMIURI ONLINE(読売新聞)
G8首脳宣言 ギリシャのユーロ離脱に懸念
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120520-OYT1T00950.htm
2012年5月21日付・読売社説

 米国で開かれた日米など主要8か国(G8)首脳会議(サミット)は、首脳宣言を採択した。
 G8宣言が、最大の焦点となった欧州債務危機の克服に向け、「強くまとまりのあるユーロ圏が重要」と指摘し、震源地のギリシャにユーロへの残留を促した意義は大きい。
 政局が混迷するギリシャは、来月17日に再選挙を実施する。その結果によっては、経済再建に行き詰まり、ユーロからの離脱を余儀なくされる恐れがある。
 そうなると、危機拡大でユーロが急落し、世界の市場の混乱に一段と拍車がかかりかねない。
 宣言が、「世界経済は強い向かい風である」と危機感を示し、ギリシャと、独仏など欧州に自助努力を求めたのは当然だ。
 ギリシャ国民が再選挙で、賢明な選択をするよう期待したい。
 とはいえ、ギリシャでは、財政再建に向けた緊縮策への反発が根強い。仏大統領選でも、緊縮財政見直しを掲げたオランド氏が当選し、今回のG8に初参加した。
 宣言が「成長と雇用の促進が必要不可欠だ」と明記し、経済成長と財政健全化を両立させる方針を打ち出したのは、これまでの緊縮策一辺倒への反省と言える。
 各国が財政規律を守るだけでなく、景気回復を実現する成長戦略を重視することは大事だ。だが、そのバランスは難しい。
 欧州の対応がまず焦点になる。緊縮策を重視するドイツと、軌道修正に動いたフランスが協調し、欧州再生の道筋を描くべきだ。
 日本も対岸の火事ではない。消費税率引き上げ関連法案を早期に成立させ、財政再建と景気拡大をともに目指さねばならない。
 世界経済の懸念材料である原油高騰に備え、宣言が、国際的な連携の姿勢を示したのも妥当だ。
 一方、G8は北朝鮮問題について、核実験に踏み切れば国連安全保障理事会に「行動」を取るよう求めることで一致した。野田首相が「国際社会として北朝鮮の悪行に対価を与えない」と、強い姿勢で論議を主導した。
 核実験の阻止には、北朝鮮に自制を促す中国の役割が欠かせない。G8は引き続き、中国に強力に働きかけるべきだ。
 依然として緊迫するシリア情勢についてもG8が憂慮し、必要に応じ国連による措置を検討する、としたのは適切である。
 混乱が続くアフガニスタンの自立も急務だ。7月に支援会議を開く日本は、国際的な体制作りに積極的な役割を果たすべきだ。
(2012年5月21日01時52分 読売新聞)
(転載ここまで)

読売が「緊縮策一辺倒への反省」を口にしながら、「消費税率引き上げ関連法案を早期に成立させ、財政再建と景気拡大をともに目指さねばならない」などと言ってしまうのは、フランスで起こっている政治の変化の理由を理解していないことを示していると思います。

そもそも、消費税引き上げは最悪の政策であることはうちのブログでは何度も書いてきた通りで、人々の購買力を弱めるから景気拡大に悪影響が出ます。それに、消費税率を上げれば悪影響なく税収があがって財政再建だって容易になるわけもないのです。

この点について、消費税の害悪に目をつぶり続ける社論を持つ日経や読売は「わかっていない」のか、「ずるい」のか、「卑怯」なのか、「詐欺的」なのかのどれかなのだと思うしかありません。

ここで、琉球新報の社説に戻るなら、その見出し、「公正で妥当な成長戦略を」というのは平凡なことを言っていると人は思うかもしれません。しかし、単なる「成長戦略」では、一部の一方的な犠牲で一部の利己的な利益だけを追求する勢力が現在のように世界を支配続けてしまうことを私たちは学んできたはずです。実際、フランスやギリシャの選挙結果を見ると、そのことを意識することなしに全世界的な金融・経済問題は解決できないことを知るべき人類史的な段階に入ったとすら私は思います。

琉球新報はそのことを意識しているからこそ、「公正で妥当な成長戦略を」という言葉を使っているのです。決してたまたま深い考えなしにこの言葉を使ったわけではないと私は考えます。

一方、日経と読売は上の社説の中で「公正」、「妥当」という言葉を使っていません。これは決して偶然ではないはずです。日経や読売の「経済成長戦略」には「公正さ」も「妥当性」も皆無とは言えないにしても非常に乏しく、自分たちの一方的利益だけの追求であることを問わず語りに示しているさりげない証拠だと思えるのです。ちょっとした言葉遣いの中に報道機関のホンネが出ますね。

「成長戦略」も「財政再建」も必要です。しかし、そこには「公正さ」や「妥当性」がなければ有害なだけです。その有害な「成長戦略」と有害な「財政再建」に向かって世界をさらに押そうとしているのが日本経済新聞や読売新聞であるということがG8サミット社説で浮き彫りにされた、私はそう思いました。


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奪い合いの社会から分かち合いの社会へ、我々は行けるだろうか?

「壺斎閑話」(字は簡略体にした)から転載。
神野直彦という人の本は読んだことがないが、その意見にはまったく賛成である。日本の労働者の多くを地獄に落とし、庶民の生活レベルを引き下げた張本人である小泉と竹中は、八つ裂きにして殺した上に、粉々に擂り潰して便所に流しても、まだ不十分である。彼のために死んだ日本人は、おそらく数万人いるだろうからだ。死刑にしても人間は一度しか殺せない、というのが死刑制度の最大の欠点だ。冤罪可能性が存在するから死刑制度には反対だという人間でも、小泉竹中の大量殺人行為は明白なのだから、彼らを死刑にすることには賛成してくれるだろう。
しかし、「分かち合いの経済学」という持ってまわったような言い方をしなくても、「社会主義」という言葉があるのに、それを使わないところにこの著者の腰の引けたところを感じるのは、私が間違っているのだろうか。もちろん、社会主義という言葉を出した瞬間に、9割の人間が後ずさりをする、というのは知っている。しかし、個人の自由に制限をかけ、社会全体の福利を優先するのは社会主義以外の何物でもない。
もう一度、社会主義の原点に戻って、「マルキシズム」ではない社会主義を考えてみるのが、現代社会をこの行き詰まりから救うことになるのではないだろうか。


(以下引用)

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神野直彦 「<分かち合い>の経済学」を読む
2012年6月 1日 20:02| コメント(0)| トラックバック(0)

神野直彦氏は、金子勝氏とともに、小泉構造改革に象徴される新自由主義的な経済思想に一貫して批判的な態度を取ってきた。批判的と言うより、敵視していると言ったほうが良い。たしかにその舌鋒は、金子氏のものよりも鋭い。そのため氏の言説はとかく異端視され、氏自身も自分の説が異端であることを認めているほどだ。
そんな神野氏が、新自由主義的な経済思想を改めて批判し、それがなぜ批判されねばならないかの理由を示した上で、人間的な経済学の立場とはどうあるべきかを考察したものが、近著「<分かち合い>の経済学」(岩波新書)である。
「政治を束ねる責任者が<格差社会のどこが悪い>、<格差のない社会などない>と鬣をふるわせながら絶叫する社会は<絶望の社会>である。そうした<絶望の社会>を世界恐慌という悲劇の荒波が襲えば、地獄絵をみるような極苦の世界を目の当たりにすることは、火を見るよりもあきらかである」
これは第一章の冒頭の部分だ。「鬣を振るわせて絶叫している政治家」とは、小泉純一郎のことをさしているのであろう。
氏が小泉構造改革のうちもっとも問題視しているのは雇用の破壊だ。派遣労働の自由化をはじめ、労働市場を極端に流動化させることで、小泉構造改革は労働者の立場を極小化し、経営者の立場を極大化した。「非正規従業員を雇用すると、企業が社会保障負担を節約できることは、低賃金と解雇容易性とともに、非正規従業員を雇用する三大メリットなのである」
その結果非正規雇用が一般化し、膨大なワーキングプアが生まれ、深刻な格差が生じた。その格差を、当たり前のようにとらえて恥じない政治家は人間ではない、と氏は言うのだ。
「宇沢弘文東京大学名誉教授の言葉を借りれば、市場原理主義の毒を飲み、悪魔に魂を売り渡した新自由主義の唱道者たちは、こうした悲劇の生じることを百も承知していた。多くの人が生活破綻に陥るような悲惨な事態が起こることを承知で、新自由主義的政策を推進したとすれば、それは未必の故意である」
宇沢弘文氏も、新自由主義的経済思想に対しては批判的である。彼はもともと、シカゴ学派の経済学者たちとは懇意だったのだが、フリードマンらの主張する政策があまりにも非人間的だと感じるに至り、袂をわかった経緯がある。そのあたりを、神野氏はこの本の中で紹介している。
チリのアジェンデ政権が倒れてピノチェットが権力を握ったとき、マネタリストのフリードマンの仲間が大量に起用されたのであるが、その際のフリードマンらの様子を端で見ていた宇沢氏は嫌悪感を覚えたというのである。
「宇沢教授は1973年9月11日、シカゴで同僚との集いに出席していたとのことである。その集いの場に、アジェンデ惨殺の知らせが届いた時に、フリードマンの仲間たちが歓声をあげて喜び合ったという。宇沢教授の脳裏からは<その時の、彼らの悪魔のような顔>が離れないという。それは市場原理主義が世界に輸出され、現在の世界的危機を生み出すことになった決定的な瞬間だったと指摘したうえで、宇沢教授自身にとって市場主義を信奉するシカゴ学派との決定的な決別の瞬間だったと悲しげに述懐している」
このように、宇沢氏をだしに使っているとはいえ、新自由主義者に対する氏の憎しみにも相当深いものがあるようだ。
それはともかく、氏が新自由主義的な経済政策に対置するのは、新古典派に対立するものとしてのケインズ派の経済学ではない。独特の経済学だ。氏はそれを「分かち合い」の経済学と呼んでいる。
今は、100年に一度の危機の時代である。20世紀初期の経済危機がケインズを登場させたように、今回の危機も、その解決にむけた壮大な規模の経済思想を要請している。古い思想に基づいた経済政策では、この未曽有の経済危機は解決できない。そのためには、現在を単なる過去の延長としてとらえるのではなく、歴史的なパースペクティブのうちに位置付けるような、歴史的な視点が必要だ、と氏はいうわけなのだ。
21世紀の初めまでがパックス・ブリタニカの時代だったとすれば、それ以降はパックス・アメリカーナの時代だったといえる。パックス・ブリタニカの時代の経済思想はアダム・スミスに始まる古典派経済学だった。それに対してパックス・アメリカーナの時代の経済思想は、前半をケインズ、後半を新古典派が席巻した。新古典派のモデルは、市場の自律性をなによりも優先させる新自由主義的経済政策につながった。それが今回の経済危機をもたらしたのだ、と氏はいう。
これからの世界は、いままでとは違った枠組で動いていくことになるだろう。そこには、パックス・アメリカーナを前提とした新自由主義的経済思想も、国民国家を前提としたケインズ経済学も通用しないはずだ。新しい時代に相応しい、新しい経済学が求められる。
こんな問題意識をもとにして、氏は「分かち合い」の経済学を展開していくわけなのだ。

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ジイドの「法王庁の抜け穴」……は別の話のようだ

「るいネット」というサイトから転載。記事の所在は「スロウ忍ブログ」で知った。
私はずっと前からローマンカトリックはユダヤ教に乗っ取られた宗教だと主張しているが、それはカトリックの歴史的言行が聖書の中のキリストの教えとあまりに背馳しているのは何故か、という長年の疑問への答えがそれだったからだ。べつに誰かの著書や文章を読んでそう考えたわけではない。ネットを始めて、自分のその考えを補強する資料に多く触れるようになったが、「俺の推理力もなかなかではないか」と思うだけで、自分と似たような考えを持つ人間がこの世にたくさんいるなら、自分がこの問題について考える必要は無いな、と考えたので、この問題については棚上げにしていた。
だが、今回のバチカン騒動(スロウ忍ブログその他参照)があって、少し興味を持ったわけである。
肝心なのは、「ユダヤ」とは二種類ある、ということだ。ユダヤ支配層と被支配層だ。そのユダヤ支配層がバチカンを乗っ取り、イスラエルを作り、その目的のためにヒトラーを使ってユダヤ迫害をさせたというわけだ。つまり、ユダヤのホロコーストとは、ユダヤによるユダヤ人虐殺だったということである。
ユダヤに二種類ある、ということを考えないと、議論が混乱する上に、ユダヤ被支配層への同情がユダヤ支配層にうまく利用されることになる。
まあ、(バチカン=ユダヤ支配層=ナチス利用者)ということである。

「教皇庁の抜け穴」って何かかっこいいね。スパイ小説みたい。


(以下引用)


世界を動かす陰の支配勢力

233743 第二次大戦後のドイツとバチカン
  アリンコ ( 20代 横浜 インテリアン ) 10/06/26 AM08 【印刷用へ】

 バチカンとドイツとの関係は戦後も続いている。

 ドイツの教会税が高いのもこのような関係が基本になっている??

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msg:リンク
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●このバチカンとナチスの関係は戦後もひそかに続いていた。戦犯ナチスの逃亡をバチカン組織が助け、アメリカや南米に送った。

これを「教皇庁の抜け穴」という。
 
ナチスの南米亡命のルートは、16世紀に結成されたカトリック組織「イエズス会」が切り拓いたものだった。大航海時代、スペイン軍とともにインディアス(新世界=アメリカ大陸)にたどり着いたイエズス会士たちは、教化・洗脳による勢力浸透を実行し、原住民たちとともにキリスト教信仰を実践するためにコミューンを次々と建設していった。それはさながらキリスト教的ユートピア──神の王国を現前化する、壮大な社会実験であった。

●ナチスの幹部の1人は、カトリック教会宣教師ファン・ヘルナンデス名義のパスポートで南米に逃れたことが確認されている。パラグアイはいわばナチスの“落人部落”として知られるが、それはカトリック教会が特異な営為──「レドゥクシオン(原住民教化集落)」建設をパラグアイで進めたことによっている。

また当時のアルゼンチンのペロン政権は、ナチス支持を公式に表明していたため、ナチスの逃亡先として南米が選ばれたのはごく自然の成り行きだった。

●1947年5月のアメリカ国務省の機密情報報告によれば、ナチ残党とその協力者がバチカン教皇庁の活動から除外されていないことが示唆されている。

「教皇庁は、出国者の非合法な動きに関与する唯一最大の機関である。この非合法な通行に教会が関与したことを正当化するには、布教活動と称するだけでよい。カトリック信徒であることを示しさえすれば、国籍や政治的信条に関わりなく、いかなる人間でも助けるというのが教皇庁の希望なのだ。」

「カトリック教会が力を持っている南米諸国については、教皇庁がそれら諸国の公館に圧力をかけた結果、元ナチであれ、ファッショ的な政治団体に属していた者であれ、反共産主義者であれば喜んで入国を受け入れるようになった。実際問題として、現時点の教皇庁は、ローマ駐在の南米諸国の領事と領事館の業務を行なっている。」

>●イギリス『ガーディアン』紙のアルゼンチン通信員であるウキ・ゴーニは、ナチ残党とカトリック教会組織の関係について次のように述べている。

>「のちに教皇パウロ6世となったジョバニ・バッティスタ・モンティーニ他多くの枢機卿が、その影響力を行使してナチ残党の逃亡支援に道を開き、ときには病的なまでの反共姿勢によって、少なくともそれを道徳的に正当化した。 〈中略〉 フーダルやシリのような司教・大司教が最終的に必要な事柄を進めた。ドラゴノヴィッチ、ハイネマン、デメーテルといった神父が、パスポートの申請に署名した。

>●また、大戦中にナチスによる迫害を逃れてイスラエルで育ったユダヤ人作家のマイケル・バー=ゾウハーは、著書『復讐者たち──ナチ戦犯を追うユダヤ人たちの戦後』の中で、次のように述べている。

「バイエルンおよびイタリアの赤十字の職員の一部はナチの不法越境に手を貸したが、それ以上に驚くべき事実は、“カリタス”などの宗教団体に所属する者や、フランシスコ会やイエズス会などがナチ逃亡を支援したことである。ナチスは抜けめなく僧侶たちの慈愛の精神に訴え、教皇ピオ12世が選出されて以来勢力を拡張したバチカンの“ドイツ派閥”とナチ党の間には常に最良の関係が保たれていた。この“ドイツ派閥”の指導者の一人が大司教アロイス・フーダルだった。 〈中略〉

1947年から1953年の間、“バチカン救援ライン”もしくは“修道院ルート”が、ドイツから海外の逃亡場所へ脱出するルートの中で、最も安全、かつ、最もよく組織されたルートだった。」

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馬鹿梅子に愚劣な男ども

腹の立つニュースが多いので、ここではのんびりした話をしよう。
「梅ちゃん先生」の先行きが私は心配である。脚本を書いている人は、話の先の先まで考えて書いているのかもしれないが、現在進行中のドラマ内容だと、この先に不安が大きい。
第一に、登場人物がみんなアホすぎる。梅子はアホと言うより人がいいのだが、その人の良さはアホすれすれで、特に今回の「死病ノイローゼ」患者の一件は、これは笑って見ていられる内容ではない。実際にこんなおっちょこちょいの医者やインターンがいたら、患者の生命に関わるほどの暴走ぶりである。ドラマ的には「誤解が解けて無事に済みました。この失敗も梅子の成長に役立つでしょう」という結果オーライでこの一件を終わらせたが、現実ならば、このミスは患者の絶望と自殺に結びつきかねない内容である。もしもこのような安易な話の進め方でいいと脚本家が考えているなら、それは考え違いだろう。私はのどかな話、気楽なドラマが好きだが、医学を題材にしている以上、このような安易なドラマ進行は、ちょっと待ってくれ、と言いたい。話が人の生死を扱うかぎり、たとえ喜劇的ドラマとしても抑制と注意深さが必要なのである。そうでないと、「世間を誤らせる」ものになる。
第二に、梅子の周辺の人間どもの性格が悪すぎる。ドラマ作りのために付与した人間的弱点のレベルを超えた、「嫌な奴」、「馬鹿すぎる奴」を朝から見ると気分が悪くなる。具体的には梅子の隣人、安原家のオヤジと息子である。どちらも甘ったれで自分勝手な人間で、こういう人間が隣人ならば、私なら即座に引っ越すというレベルの人間だ。息子のほうは梅子と幼馴染で淡い恋愛感情もあるようだが、こいつも甘ったれの我がまま男で、くだらない劣等感とくだらない自己憐憫ばかりの男で、実にうっとうしい。
好きなドラマの話だのに、悪口や小言ばかりになったのは、私が「不機嫌モード」にでも入ったのかもしれない。
まあ、今後、「梅ちゃん先生」が楽しい内容になっていってくれることを期待したい。

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お前は俺の蜘蛛の糸を使うな

「BLOGOS」から転載。
「ブロゴス」にしてはなかなかいい記事である。比率で言えば、「ブロゴス」の記事で読むに値する記事は1割以下と私は思っているから、滅多に読まないサイトだが、時々こういう記事もあるから、馬鹿にはできない。
日本社会を動かす「空気」の半分くらいは「嫉妬」であり、自分より恵まれた人間への「憎悪」なのではないだろうか。まあ、それは自分より「下」の人間への「軽蔑」や「軽視」、「上」の人間への「媚びへつらい」と表裏をなしているわけだ。
もちろん、それらの要素は日本社会だけに限定されるものではないが、下記記事に書かれた「俺が苦しいからお前も苦しめ」という「他人を自分と同列に引きずり下ろしたい」という感情は日本人に顕著なようだ。もちろん、私にもある。私が東電幹部や政府高官を批判する気持ちの中には「庶民が苦しんでいるのにのうのうと優雅な生活をしている」連中への憎悪があるし、あるいは嫉妬もあるかもしれない。(まあ、嫉妬よりははるかに憎悪や嫌悪だが)
しかし、そういう「自分と同じレベルに他人を引きずり下ろしたい」という感情は、実は上の人間(支配層)に都合良く利用されてもいるのである。いい例が生活保護法の一件だ。あの騒ぎこそ、自分より少し上の人間を自分と同じ泥の中に引きずり下ろしたいという感情そのものではないか。
我々がやるべきことは、自分への待遇を改善せよ、という要求であるはずだのに、他人への待遇を下げよ、と要求して満足している。こういう「下の人間の足の引っ張り合い」が日本の労働条件をどんどん低水準に落とし、労働者の給与水準をどんどん引き下げている最大の原因なのではないだろうか。
それで利益を得ているのは、もちろん上の人間なのである。

「上と下」の感情は、日本人の精神の最大の問題点であり、隣国憎悪の中にも「俺は日本人だからあいつらより上なはずなのに」という理不尽な「傷ついたプライド」が存在しているように思われる。


(以下引用)




「俺が苦しいからお前も苦しめ」という奇妙な嫉妬 ~スタートトゥデイの英断~




中嶋よしふみ


2012年05月31日 01:29



ゾゾタウンでおなじみのスタートトゥデイの興味深い試みを、内藤忍さんが伝えています。
具体的には午前9時から午後3時まで、昼休み無しで6時間勤務というワークスタイルを実践しているとの事。個人的に6時間ぶっ続けはちょっときついかなあと思いますが、非常に面白いと思います。

オプションとして、昼休みを取りたい人は取れるようにするとか、6時間で8時間分の仕事を求められてもちょっとキツイという人は2時間早く来る、もしくは通常通り5時や6時終わりにする、といった選択肢もあればより良いかなとも思います。
もちろん、6時間勤務が一番効率的だと会社が判断している以上、それに沿わない働き方を選ぶ人は人事考課で評価が下がるなど、ペナルティがあっても多分問題は無いでしょう。

あるいは勤務時間に関係なく、成果で報酬を決めるといったやり方もあるはずです。これは少し前に話題になったホワイトカラーエグゼンプション(WE)と同じ発想です。WEは過労死法案とかサービス残業法案などと呼ばれ、とんでもなく評判の悪かった仕組みで自分も反対でした。


ただ、同じ仕事を能力の高い人が6時間で仕上げた場合と、普通の人が8時間で仕上げた場合、これは同じ給料でいいはず、というのは論理的に間違っていません。



漫画・ナニワ金融道で有名な青木雄二さんは「時給でアシスタントを雇っていた時、早く仕上げたヤツより、ノロノロ仕上げたヤツに沢山給料を払わないといけないのがバカらしくて、一枚いくらの出来高制度にした」といった話をしています。これがもっともシンプルな成果給の形でしょう。


自分も普段のレッスンで一回にいただける料金は同じです。それでも、お客様ごとにレッスンの準備にかかる時間はかなりバラバラで、人によって2~3倍以上は違います。当日のレッスンも延長料金を貰っていないので4時間で終わる場合もあれば6時間かかる場合もあります。

もちろん、これは自営業だから問題が無いわけで、雇用労働者であれば時間に応じて給料を払わなければ違法です。一般の企業では「労働時間が違っても同じ成果には同じ報酬を払う」というやり方は従業員に対しては出来ません。それを避けるために非効率であっても委託や請負といった形で業務のアウトソーシングが発達している、という経緯があります。

WEでの問題は、「10時間かかる仕事を8時間でやれと無理な指示を出して残業代を払わない」という場合です。これは本来運用や法律でコントロールできる部分のはずです(サービス残業の横行など、企業も政府も全く信用されていない事が、このような制度が導入できず、結果として仕事が終わっているのに他の人が居るから帰れないない、という訳の分からない状況を作っている原因である事を政治家や経営者はもっと理解すべきでしょう)。

こうやって考えていくと、別に1日8時間勤務にこだわる必要など全く無く、業務が効率よく進むならば、働きに見合った給料を適切に払うならば、そして企業と労働者が双方とも納得できるならば、働き方や勤務時間は大した問題ではないという結論にいきつきます。

スタートトゥデイが提案する6時間勤務制度に関して、仕事が3時で終わるメリットは非常に大きいでしょう。
家族が居れば待ち合わせをして3時から家族全員で遊びに行く事だって可能でしょう。
毎日遅くまで残業をさせられている人からすれば天国のような状況です。7時終わりの友人との待ち合わせまで買い物をして時間を潰す、スポーツジムで汗を流す、などの消費行動も発生し、景気にもプラスでしょう。

他社との連携もあり、全ての社員に適用されているわけでは無いと思いますが、シフト制もあわせれば全社員に適用する事も可能でしょう。

型にはまらない働き方としては「日本の不景気は女性差別が原因だ その3」でかなり大雑把ではあるものの自分も提案はしていますが、スタートトゥデイの凄い所は現実に実施している所です。一部上場の企業がこのようなユニークな働き方を導入する事には大変大きな意味があると思われます。

今の日本は「俺が苦しいからお前も苦しめ」という奇妙な嫉妬・怨念があるように思います。先日書いた「生活保護はもっと気楽に貰って良い」もタイムリーな話題であることを差し引いてもかなりのアクセスを頂きました。趣旨からして炎上するかもしれないと思いきや、幸い一部を除いて案外冷静な同意コメントも多数頂いています。





もちろん、生活保護を貰ってずるい!という嫉妬を感じている人も、その人の意地が悪いというより、酷い労働環境でプライドも個性も尊重してもらえないような(そして会社の利益にもつながらないような)働き方を強いられている現状があるからだろう、とも推測出来ます。

嫉妬・怨念のスパイラルを抜け出すには、ライフプランの土台となる「仕事」の部分で皆がもう少し気楽に働ける事がスタート地点になるのでは、と思っています。そういった意味で「6時間集中して働いて、さっさと帰ってプライベートを充実させろ」というスタートトゥデイのやり方は英断といっても過言では無いでしょう。



「長時間労働をするヤツは無能、長時間労働をさせるヤツはもっと無能」
・・・という常識を全ての人が持つべきです。

働き方が改善すればライフプランでもっとも重要な健康の部分が改善されます。健康を害すると、ライフプランにおける他の要素(仕事・お金・趣味・人間関係)全てに悪影響が及ぼされます。

多様な働き方に関して言えば、先日情熱大陸にも出演して話題になった安藤美冬さんは、大手出版社を辞めてノマドワーカー(フリーランス)になったといいます。大変失礼ながら、長期で考えた場合、大手出版社レベルの収入と比較すれば、辞めない方がより多くの収入を得られた可能性は高いだろうと思われます。


本人の意向は別にすれば、これは金銭的に見て会社にも本人にも損でしょう。もし自社の社員が情熱大陸で取り上げられるほどの活躍をしていたら、これは会社にとって業績的にも宣伝効果でも非常に大きいでしょう。社内に居ながらそういう活躍をさせられなかったという意味で、会社は安藤さんをうまく使えなかったとも言えます。

フリーランスの方が大手企業よりも安定して沢山稼げる可能性はごく一部の人間を除けば相当に低い事は間違いありません。個人の稼ぎは出版などを除けばレバレッジ(大量生産や規模の利益)を追求しにくいからです。最近では有料メルマガなどもありますが、これも稼げるのはごく一部でしょう。
それでもノマドや独立を選ぶ方が居るのは、勤務時間を含めた様々な制約を緩めて、ほどほどに働いてほどほどに稼ぐという手段が企業の中にほとんど無いこと、一言で言えば多様な働き方が企業内で認められないことも大きな原因の一つでしょう。




スタートトゥデイには時短勤務にとどまらず、革新的な働き方をさらに推し進めて欲しいと思います。




*追記
「長時間労働をするヤツは無能、長時間労働をさせるヤツはもっと無能」
・・・という文面に対して、「時間をかけて仕事をする人を「無能」と断じるのはいかがなものか」というコメントを頂いたので、誤解を解く意味でも追記しておきます。

自分もどちらかというと、一つの仕事に時間を掛けるタイプです。お客さんに送るメール一通に2時間とか普通にかけます。上で書いたように4時間で終わらせて良いレッスンに6時間も掛けたりします。コツコツ型を否定しているわけではありません。
成果を出すために時間を掛ける事が一番の方法ならば、それはなんら否定されるものではありません。

自分が批判したのは、長時間労働以外に利益を出す方法を知らない管理職や経営者です。
そういう人の下では長時間労働が付加価値だと勘違いした人しか生まれません。
残念ながらこれは現在の日本企業において多数派です。
そういう意味で、6時間で集中して働け、仕事の評価は時間ではなく成果だ、というスタートトゥデイの働き方は、従業員へのメッセージとしても仕事の進め方としても、非常に明確で良いやり方だ、というのが上記文面の趣旨です。

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ボブ・デイランは廃人にされたか?

今朝のテレビニュースでこの映像を見たが、ボブ・ディランの無表情さが異様だった。薬物でも投与されて廃人にされているのではないだろうか。オルブライトの喜色満面の表情といかにも対照的であった。
ボブ・ディランのような反権力活動の闘士が年を取って権力に協力的になれば、「反権力闘争など若気の過ち」という印象を大衆に印象付けることができるわけだから、こうした薬物投与でロボット化するという手法も可能性としてはあるだろう。
まあ、もちろんボブ・デイランの意思で日和ったという可能性もある。もしもそうならば、晩節を汚した、と言うべきだろう。
べつに権力そのものが悪いなどと言うつもりはない。権力が悪事に利用されている時に、その権力に擦り寄るのは醜い生き方だ、と言っているだけだ。

(以下引用)

【5月30日 AFP】バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領は29日、文民最高位の「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」を、ミュージシャンのボブ・ディラン(Bob Dylan)氏らに贈った。

「ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)からU2まで誰もがボブに感謝している。米国の音楽史に彼ほど偉大な人物はいない」

 このように語ったオバマ大統領は、今でも音を追い求め、真実を追究するディラン氏の姿勢をたたえた。

 ディラン氏はトレードマークの黒いサングラスをかけてホワイトハウス(White House)での式典に出席。メダルを授与される際も、そのサングラスのせいで感情表現は見て取れなかった。

 この日は、元国務長官のマドレーン・オルブライト(Madeleine Albright)氏、元宇宙飛行士のジョン・グレン(John Glenn)氏、作家のトニ・モリスン(Toni Morrison)氏、第2次世界大戦中の日系人強制収容に抵抗した故ゴードン・ヒラバヤシ(Gordon Hirabayashi)氏などにも同章が贈られた。(c)AFP

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賢い人々でも森が見えないこともある

和田秀樹のブログから転載。
毎日、というわけでもないが、いつも似たような事ばかり言うのも少々飽きてきたので、生活保護問題はもうやめにしようと思うのだが、他に面白い記事もないので、この件についての「まともな意見」を少し紹介するわけである。
和田秀樹も「物事を大きく見る」ことができる人間の一人だろう。木の一本一本、つまり一芸能人の犯罪や、受給全体の0.3%にしかすぎない不正受給の問題ではなく、森、つまりこの問題が日本経済や日本社会にとってどういう意味を持つかを見る必要があるのである。
政府の一番大事な役目というのは、所得の再分配なのである。つまり、放っておけば冨者はその力を使って貧しい階層の金を自分の懐にどんどん吸収していく。それにストップをかけ、貧しい人間、普通の人間の生活を守るのが政府の大事な役目だ。その再分配機能が働かなくなったのがこの「新自由主義の世界」なのである。すなわち「1%対99%」の世界だ。
生活保護の問題もそういう視点で見れば、何が正解かはすぐに分かることである。


(以下引用)


多少の不正がでても、それがきちんと消費に回るなら、国のためには悪いことではないし、それより貧しい人たちの命のほうが大切だ。ヨーロッパでは、GDP比でいくと、日本の3-4倍が生活保護に使われているという実情だってどこも報じない。消費税をヨーロッパ並みに増税するのなら、BIを導入すべきと声高に主張すべきなのに、自民党は消費税法案に賛成してほしいなら最低保証年金をあきらめろと野田首相につきつけ、民主党もそれを飲みそうな雰囲気だ

たまたま、昨日は、保険診療の日だったのだが、二人の患者さんのことばが印象的だった

一人は、生活保護の受給者だったが、ちゃんと年金ももらっている。年金が生保の基準より少ないので、差額を生保で受けているとのことだ。実は、ワーキングプアや安い年金の人が生保より少ない収入なのだから、生保を下げろという議論が盛んだが、そういう安い給料とか安い年金の人は生保を受ける権利がある(高齢者の場合は、貯金がなければの話だが)し、実際に申請すればもらえるはずだ。働けるはずだという言い訳を役所もしにくい。現に働いているのだから。もともと生保には最低限の健康で文化的生活を保証するという機能があるのだから、BIの機能ももっているのだ

しかし、そんなことはどこも報じない

この病弱な患者さんは、年金が少ないおかげで生保の受給資格を得て、そのため医療費の自己負担がタダですんでいる。若いころにビジネスが成功して相当額の税金を払ったから当然の権利と思っているが、今の騒ぎで、基準が下がって、年金が生保の基準より上になってしまったら、今後医療が続けられるかが不安だという

その通りだと思う

別のヨーロッパ留学経験のあるインテリの患者さんは、働いているワーキングプアの人間が、生保より収入が少ないというが、それは日本の最低賃金が安すぎるせいなのに、それに文句を言わないのは異常だという。ヨーロッパだと、働いても生保以下だと働いてもらえないので、最低賃金は当然それ以上に上がる。それで生保の基準のほうを下げろという話にならないし、それが労働者の当然の権利ということになる

実際、この20年で20%近くも労働者の平均収入が下がっているのは日本だけだ。アメリカのように経営者が強欲な国でも20%くらい上がっている

日本のアホ経営者が、国際競争というと価格競争だと勘違いしたために起こったことだが、生保というのは最低賃金を維持するための制度(あまり安いと働かなくなる)なのに、逆に給料が下がったから生保を下げろという信じられないくらい労働者に損な議論が、まかり通っているのは異常な話だ。

これでは内需がどんどん細って、それこそ中国にものを買ってもらわないとやっていけない国になるから国の独立などなくなるだろう

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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