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日常の中に突然侵入する暴力

尼崎の事件で世間は喧々諤々だが、この事件は「実社会というジャングル」の中で「人間の皮をかぶった野獣」に遭遇した場合に、我々は生き延びることができるか、という問題に帰着するだろう。井口博士のように、「銃刀法を破棄して、銃や刀を解禁しろ」という勇ましい意見もあるが、私は採らない。なぜなら、いくら普通人が武装していても、「不意打ちの暴力」には絶対に対処できないからである。
あなたの家に、十人ほどのヤクザ・暴力団がいきなり押し掛けてきた場合、あなたに何ができるだろう。角田という鬼婆ァがしたのはそれなのである。
つまり、「桃太郎」の話とは反対に、鬼たちの方が平和な人間世界に侵入してくるのである。しかも、相手は最初からターゲットを狙って、すべて準備して乗り込んでくるのだ。
我々が無事に毎日を生きていられるのは、「幸運な偶然」でしかないし、そういう「鬼」たちに目をつけられたら、もはや一生はお終いだ、ということだ。あなたもあなたの家族の人生も、そこで終わりである。
この世界は、そういう世界なのである。法や警察は、事件が終わってから犯人を捕まえるだけであり、あなたを事件から救うことはしない。なぜなら、それはまだ「事件」ではないからだ。「事件」になるのは、あなたやあなたの家族が死んだ後だ。
我々は暴力に対する耐性が無い。心の準備も無い。
できることは、常に、自分が暴力に遭遇する可能性があることを心に刻みつけながら生きることだけである。それによって、少しでもその確率を減らすだけだ。
暴力に暴力で対抗するのは困難だが、少なくとも、事態がはっきりした場合は、「敵」の首謀者と刺し違えるだけの覚悟は持つべきだろう。多くのいじめ事件と同様、被害者が無抵抗であることが世の中の暴力による支配を助長するのである。


山本直樹という漫画家の作品に「ありがとう」という18禁の作品がある。この尼崎の事件と同じく、平和な家庭にいきなり侵入してくる暴力を描いたものだ。エロチックな描写も多いのだが、しかし、暴力との不条理な遭遇を描いた、ある種の傑作で、確か映画化もされていたはずである。


上の話と一見無関係だが、「日常の中に突然侵入する暴力」への脳天気な反応の例として下の記事を引用しておく。自衛隊という暴力装置の高官であった人間であったにもかかわらず、暴力というものに対してこれほど無自覚であり、一般人の人権や平和な日常を守るべき政治の義務というものに対して無神経であるような人間だから、彼はその職を失ったのだろうが、そういう自分の在り方への反省がまったくない。こういう厚顔無恥さは、石原や橋下、前原などと共通のものがある。田母神の場合は、イデオロギーによって外界への反応がロボット化した例でもある。
兵士すら消耗品として扱うのが常である軍の高官にとっては、軍人以下の存在である一般人の人権など、無きに等しいのだろう。彼らが守ろうとしている日本とは、いったい何を指すのだろうか。



(以下引用)




田母神氏、ツイッターの発言に批判殺到、炎上状態に



トピックニュース
2012年10月22日17時45分

コメント 233







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田母神俊雄氏ツイッターより
軍事評論家・田母神俊雄氏は、今月19日にツイッター上で呟いた内容が、6000を超えるリツイートがなされたばかりか、「togetter」でもまとめられるなど、ネット上で批判を受けている。

田母神氏がツイートした内容は、下記の通り。
沖縄女性暴行事件でテレビが連日米兵の危険性を訴えるが、この事件が起きたのは朝の4時だそうです。平成7年の女子高生暴行事件も朝の4時だったそうです。朝の4時ごろに街中をうろうろしている女性や女子高生は何をやっていたのでしょうか。でもテレビはこの時間については全く報道しないのです。

しかし、実際、平成7年に起こった暴行事件の被害者は小学生であり、時間は午後8時だったことから、フォロワーからは「検索すればすぐ分かる事を調べもせず、セカンドレイプを行うのは人間のクズだ」「今回の女性は飲食店勤務で帰宅途中のことだったのに『深夜遊び歩くふしだらな女』ってことにしたいの?」「同胞よりアメリカ軍を擁護する人が自衛隊のトップだったとは世も末」といったコメントが殺到、炎上状態となった。

22日現在、田母神氏は、その後4件の投稿をツイッターで行ったが、本件に関する発言はない。





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大映特撮映画讃

井口博士のブログに載っていた「大魔神」の動画が面白いので、試しにこちらにもコピーしてみる。
私は子供の頃は東宝特撮映画のファンだったので、大映特撮映画など馬鹿にしていてほとんど見なかったのだが、この「大魔神」の特撮は素晴らしい。今のCGには無い「質感」と「巨大感」「迫力」がある。
CGの方が一見リアルに見えるのだが、実は本当の映画的迫力という点では昔の特撮の方が上だったのではないだろうか。初代ゴジラの、あの迫力は、CGでは不可能だろう。それに、昔の映画は「見せ方」が上手い。撮影角度を工夫することで、迫力を出し、特撮のアラを隠すことに長けていた。今は、技術が進化したために逆にそういう面での工夫がまったく無くなったのではないか。
しかし、この「大魔神」は欧米には輸出できないな。(やっても不評だろう)なぜなら、悪役の大名が最後に大魔神に殺されるのだが、それが「十字架」に磔にされる形で殺されるのである。これはキリストの磔刑への愚弄である、とされるのがオチだ。










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技術と文化の相互移転

尼崎の事件についてのニュースもあるのだが、爽やかな休日に読みたい内容でもないだろうから、今日は別の話にする。日本をいかにして再生させるか、という話だ。


「レジデント初期研修用資料」というサイトから転載。
「新しい市場の作りかた」という本の要約の一部だが、ここには重要なヒントがあると思う。現代の日本や世界の産業界の閉塞状況を解決するヒントだ。
文中の


「ある技術を必要としている文化」と、「それが必要な文化を見つけられない技術」とをつなぐ仕組みの不在


の逆の例が、たとえば日本のアニメや漫画の世界的進出である。ここでは「技術」と「コンテンツ」を同一視しておくが、日本の漫画やアニメを作ったのはまさしく日本の文化であり、世界はそれを「必要としていた」のだ。
実際、日本のアニメや漫画によって「生甲斐」を得たという、世界の若者の発言は驚くほど多いのである。彼らの日本へのあこがれは、さまざまな掲示板やツィッターなどで語られている。
極端な話になるが、仮に、イスラエルとパレスチナが和解することがあるとすれば、それはお互いの兵士が同じ日本アニメによって「生甲斐」を得ていたことを、お互いが知るような場合だろう。同じ存在への愛情は、お互いへの共感へと結びつくのは当然のことだ。
そういう意味では、アニメや漫画そのものが「世界共通文化」でもあるわけだ。
話が大きくなったが、単に商売や生産業の話に限定しても「技術」と「文化」の相互移転を考える、というのはこれからの世界にとって大事な発想だろう。
そういう意味での「グローバリズム」には、私は必ずしも不賛成ではない。今のように「安い労働力」を求める多国籍企業のためのグローバリズムは人間を不幸にするだけだから、断固として否定するのだが。


(以下引用)


• 「新しい市場の作りかた」の前半では、「技術」と「文化」との関係が物語られる。技術と文化というものは、どちらか一方で成立するものではなく、お互いに補間しあうことで、はじめて市場が回り出す
• 技術をどれだけ極めても、それが同じ文化のもとに開発されたものならば、いつかは天井にぶち当たる。枯れた技術でも、違った文化のもとに水平展開されると、技術は新たな伸びしろを得ることができる
• 「ある技術を必要としている文化」と、「それが必要な文化を見つけられない技術」とをつなぐ仕組みの不在が招く不幸はいろんな業界にあるのではないかと思う。本書では主に、産業界について、具体例で持ってそうした関係の大切さが説かれるけれど、自分たちの業界にも、似たような問題は今でも横たわる

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空を見上げること

いやあ、「純と愛」は「愛と誠」ではなく、「タッチ」だったんだねえ。しかも、逆ヴァージョン。双子の兄弟の「でがらし」の方が先に死に、何でも優れている方が生き残る。残された方は、あまりに恵まれた自分が、まるで兄弟の死に何かの責任があったかのように罪の意識を持ちながら生きていく、という話だったんだ。まあ、純の方は「南ちゃん」とは違って、この兄弟とは無関係に生きてきたわけだが、「家族の問題」を抱えている、という点では愛と同じである。ドラマの先行きは、この二人が力を合わせて家族の問題を解決していく、という方向なのかな。べつに「ホテルマン出世物語」では無さそうだ。
漫画的教養があると、「純と愛」はいっそう面白い、というのは冗談で、このドラマはただドラマとして面白いのだが、多分こういうタイプのドラマを受け付けない層は多いだろう。「梅ちゃん先生」後半の、視聴者を舐め切ったあのいい加減なドラマ作りを真面目に見るような層には、こういう「変化球」タイプのドラマは嫌われるはずである。そういう人は「女王の教室」と「家政婦の三田」でも見て、遊川和彦という脚本家がいかに優れた脚本家であるかを復習しておくことをお勧めする。特に「女王の教室」は稀に見る傑作である。

さて、週末なので、秋晴れの天気にふさわしい気持ちのいい文章を紹介しておく。
神秘思想家でIT技術者のKAYさんの文章だ。
私自身、空を見上げるのが大好きで、世界の名画をただでプレゼントする、と言われても、それがゴッホだろうがセザンヌだろうがレンブラントだろうが、「空を見上げる権利」とは引き換えにはできないと思っている。まったく、こういう素晴らしいものがこの世には存在しているのに、空を見上げない人間は大損をしているのである。
外に出る用事があれば、その時は、必ず空を見上げるとよい。それだけでもその一日の収穫としては十分だ。


(以下引用)


現代人は、空を見上げることが少ない。
昔は、空を見ないのは悪人と相場が決まっていたものだが、確かに、青空や星空を見上げる悪者など、あまりピンとこない。
また、人は不幸になると空を見なくなるが、本当は空を見上げないから不幸になるのである。
空に意識を向けると、高い波動の直撃を受ける。
空の向こうを見晴るかすようにずっと見ていると、不思議なことに、意識は自分の中に届くのである。そこはハートの座であり、おかしな言い方であるが、空の向こうに自分がいるのである。
空を見上げると、心は受容的になる。心が広がり、大抵のものは受け入れることが出来るようになるからだ。
せっかく空が見える場所で、ずっとスマートフォンを見ているような人が多いが、実に残念なことだ。
たびたび空を見上げ、受容性が高まると、他惑星の宇宙船や天使も姿を見せるようになるだろう。彼らを見つけるのは、ただ偶然によるのではない。心の受容性で決まるのである。
子供の頃は、授業中に空を眺め、ぼーっとしていると、心の深奥がかえって活性化し、果てしない空の向こうで、天使と話をしているのを感じることがあった。それを想像と言うのだろうが、想像は空想と違う。想像は現実よりリアルなこともあるのだ。
頭を空にして空を見上げていると、胸の中に不意に何かが浮かび、それを忘れずにいると、種子が太陽の熱を感じて、土の中から芽吹くように、あなたも宇宙の根源に向かって伸びるようになるだろう。






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洗脳地獄

「2ちゃんねるDAYS PLUS」から転載。
コメントの一つと同じ反応になるが、「なぜ洗脳されちゃうの?」と思ってしまう。
まあ、我々が考えるより洗脳というものは容易にできるのだろう、とは思うが、赤の他人に指示されて家族を殴るとか、殺す(?)とかするほどの洗脳となると、想像もしにくい。
実は、これとよく似た事件が前にもあって、まったくの他人がある家族の中に入り込んでその家族を支配し、最後にはその家族をお互いに殺し合わせたのである。
しかし、今回のこの事件は、詳細を読むのもうんざりするような話であるようだが、私としては、「人はなぜ容易に洗脳されるのか」という考察材料の一つとしたい。また、そういう作業を誰かがしなければ、この種の事件は今後も起こるだろう。
「洗脳の専門家」苫米地英人先生あたりに、この事件を分析してほしいものである。




(以下引用)





【尼崎・遺体続々】 「お父さんごめん」 心理操作された27歳女、泣きながら父殴る。他の娘は「角田さんの子になりたい」…手口発覚★4






res:1 春デブリφ ★sage2012/10/19(金) 00:52:37.10 ID:???0

 兵庫県尼崎市の民家から3遺体が見つかった事件で、一連の事件の主犯格とみられる無職、角田美代子被告(64)
 =別の傷害致死罪などで起訴=が被害者家族に食い込んでいく手口が明らかになってきた。食事や水を与えず長時間
 “監禁”し、思考能力を低下させたり、子供による親への暴力の強要などの手段で家族の秩序や関係を崩壊させ、自らを
 “妄信”させる雰囲気を作り上げていったとみられる。

 別の窃盗罪で起訴された義理の娘の瑠衣被告(27)の親族によると、約10年前、美代子被告らとみられる
 集団が高松市内の瑠衣被告の実家に押しかけて半年間居座り、瑠衣被告の両親や親族に暴力を振るったり、
 酒を飲んで暴れたりしながら現金などを要求した。食事や水さえも与えず、家族を家の中に閉じ込め、顔を腫らした
 母親が親族の家に「何か食べさせてほしい」と来たこともあったという。
 この間、呼び出した親族の目の前で、瑠衣被告に父親を殴らせたこともあった。瑠衣被告は「お父さん、ごめんね」と泣いていたという。
 こうしたことが繰り返された結果、瑠衣被告らは父親よりも美代子被告らを信頼するようになっていった。瑠衣被告が「できが悪い」と
 言いながら父親を殴る異様な光景を目撃した親族は「情けなくてつらくなり、ノイローゼになるかと思った」と振り返る。

 また、尼崎市の貸倉庫で昨年11月、ドラム缶にコンクリート詰めされた大江和子さん=当時(66)=の遺体が
 見つかった事件でも、美代子被告とともに逮捕、起訴された川村博之被告(42)の一家をめぐっても、同様のケースがあった。

 川村被告の元妻で大江さんの次女(41)=同事件の傷害致死罪などで起訴=に対し、美代子被告が「身内が手を出して
 言い聞かせろ」といったことがきっかけで、川村被告がまず暴力をふるい、その光景を見ていた2人の娘も母親である次女に手を
 出すようになった。娘たちは「(次女と)一緒には暮らしたくない」「角田さんの子供になりたい」と言うまでになったという。(抜粋)
 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121017/waf12101713390021-n1.htm

※続きに元ニュース、相関図

※前(★1:10/17(水) 18:38:26):http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1350539233/







res:2 春デブリφ ★sage2012/10/19(金) 00:52:59.13 ID:???0

※>>1の相関図:
 ttp://news-0.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_870/news-0/E8A792E794B0E7BE8EE4BBA3E5AD90E8A2ABE5918A.jpg

※元ニュース
・兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件で、主犯格とされる無職角田美代子被告(64)が暴力的言動と
 甘言を巧みに使い、周辺人物を精神的に支配していく実態が明らかになっている。
 被告の周辺では次々と行方不明者が浮上。民家では3人の遺体が見つかり、これらの
 関係者には角田被告に服従する人物もいるとされる。県警は「マインドコントロール」の影響の有無を
 慎重に調べる。

 ドラム缶遺体事件で死亡した大江和子さん(当時66歳)の次女(41)(起訴)の元夫(42)(同)が、
 角田被告のいとこの男(38)(死体遺棄罪などで実刑確定)の公判に検察側証人として出廷し、語った。

 証言によると、元夫は大手私鉄に勤務していた2009年4月、「電車のドアに挟まった」と抗議した
 角田被告に対応。話し合いにいとこの男も同席し、角田被告から「元ヤクザ。怒らせたら何するかわからん」と
 脅された。ただ対応中に角田被告から「1回も時計を見なかった。感心する」とほめられ、「少し認められた
 気がした」という。
 徐々に家族構成なども話すようになり、半年後に「喫茶店経営が夢」と語った。角田被告から店を出さないかと
 持ちかけられ、「感謝の気持ちが大きくなっていった」と振り返った。

 10年4月には角田被告の勧めで退社。同年夏頃から家庭内に介入されるようになった。自分の過去の
 浮気話を知った角田被告から次女と別居し尼崎市内のアパートに住むよう指示され、同年11月に離婚。
 11年4月からは角田被告の指示で再び家族と同居したが、睡眠や食事、トイレは角田被告の許可が
 必要で、指示を破れば、いとこの男が暴行し、公園に一日中立たされる「罰」もあった。角田被告は
 指示を守らなかった家族に別の家族が暴力を振るうようにし、同年9月、一連の暴行で大江さんが
 死亡した。
 元夫は、いとこの男から殴られることが5回あったなどと、恐怖心を植え付けられた経緯を説明し、
 「逆らえなかった」と述べた。(一部略)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121016-00000796-yom-soci


res:330 名無しさん@13周年sage2012/10/19(金) 03:49:47.30 ID:dbP1WmvQ0

>>2
分かりにくい相関図だな


res:3 名無しさん@13周年2012/10/19(金) 00:54:04.43 ID:v+l+vT450

いやー全く理解できん
なんで洗脳されちゃうん?


res:5 名無しさん@13周年2012/10/19(金) 00:56:19.64 ID:ePgSN1D50

>>3
一度味わってみれば良いんじゃね


res:6 名無しさん@13周年2012/10/19(金) 00:56:53.92 ID:5fciIcvn0

>>3
洗脳されるか
殺されるか
の二択になってしまってたのじゃね?


res:16 名無しさん@13周年sage2012/10/19(金) 00:59:07.75 ID:AkXLpwBB0

>>3
北九州の松永もそうだけど、この手のプレデター(捕食者)には、常人の理解を越した能力が具わってるもんだよ。

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批評することへの批評

私は芸術作品の批評というものには概して懐疑的である。
そもそも批評者自体に芸術に対する理解力があるかどうかが問題であり、理解力の無い人間には、もちろん批評する資格も無いはずだ。しかし「万民平等」という民主主義の誤解は批評の世界にも浸透しており、自分の独断と偏見を「批評」として言い広める人間は多い。自分の批評は自分の「独断と偏見」であることをむしろ誇り顔で言うくらいだ。
私のブログなど、独断と偏見の最たるものだが、しかし、作品を酷評する場合は、作品自体に欠陥があるのか、それとも自分が理解できていないのを一応は自分自身の中で反芻して考えてはいるつもりだ。
世の中には大胆な人間もいるもので、点数制の映画批評掲示板でフェリーニの不朽の名作、『道』に10点満点で5点とか6点とか平気で付けている人間がいるが、こういう人間は最初から映画を語る資格など無い、と私は独断で断罪する。芸術作品を理解するだけの頭も知識も無い人間が、日本語が使えるというだけで何でも語る資格はある、と思っているわけだ。こういう連中には虫酸が走る。自分が理解できないならば、黙っているがいい。
私が天上の音楽だと思っているヘンデルの「ラルゴ」のようなクラシック音楽を、退屈だ、と言う人間がいてもいいし、私のように、演歌やハードロック、ラップを聞かされるのは拷問に等しい、と思う人間がいてもいいだろう。趣味はそれぞれだ。しかし、何かを理解できない場合に、その対象が本当に無価値なものなのか、それとも自分にそれを理解できる能力や感性が無いのか、を少し立ち止まって考えるのがいい。
今の時代は、あまりに自分への反省の欠如した「傲慢な批評」が多すぎる。


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キューバについてはナリチュウ(成り行きに注目)也

「ロシアの声」から転載。
国際政治の話題はこのブログではあまり扱わないことにしているのだが、「ロシアの声」の記事は時々刻々と他の記事に代わっていくので、とりあえず転載しておく。
ダウニング街での猫の「ネズミ捕り担当」の地位をめぐる権力闘争の記事も面白かったのだが、「ロシアの声」はなかなか記事の幅が広くて、勉強にもなるし、記事の選択のセンスが良くて面白い。世界の面白い記事、ロシアの面白い記事を載せているだけで、プロパガンダ性はほとんど無いのである。
今ではロシアは共産主義国家というよりは資本主義国家で、その根底に社会主義的な「人民愛護思想」の精神的遺産があるだけに、欧米諸国よりもよほど考え方が健全なのだ。(もともと「共産主義(コミュニズム)」は実現不可能な社会体制であり、ソ連が共産主義国家であったことはない。あれは社会主義国家の一つである。)
さて、下の記事はキューバの「開放政策」が進みつつあることを示している。
この「開放政策」によってキューバという国が「悪しきグローバリズム」に毒されるのではないか、という懸念はあるが、今後「最後の社会主義国家」キューバがどうなっていくか見守りたい。(などと、まるで大手マスコミの記者でも書きそうな八方美人的文章だな。)


(以下引用)


キューバ、「鉄のカーテン」除幕か:市民に出国の自由
タグ: 北米・中南米, 国際, キューバ, 記事一覧, 政治
17.10.2012, 07:47

© Photo: SXC.hu

キューバ政府は出国ビザの完全解禁を宣言した。間もなくキューバ市民は2年までの期間であれば障害なしに外国に出かけることが出来るようになる。BBCが伝えた。もはや出国者に必要なのは有効なパスポートと受け入れ国のビザだけだ。
これまでは、キューバ出国者の大部分は、有効期限の短い、かつ高価な出国ビザしか手に入れることが出来なかった。ビザの期限は最大11か月であった。さらに外国に出かけるためには、受入国からの書類を提出しなければならなかった。それというのも全て、これまで出国を試みた人は、キューバ政府にとって裏切り者であり、革命の敵とみなされたからである。しかし現在、キューバを離れる人々は経済的な目的を持っており、資本と知識を故国に持ち帰ってくれる、との理解が生じている。
しかしながら、新しい仕組みは、全員に適用されるわけではない。政府はキューバの「人的資本」を守ることに汲々としており、そのため高度な専門的知識・職能を有する人たち、たとえば医者などは、従来通り出国に障害がある。

BBCは、今回の改革がキューバ危機50年という年に行われることに注意を促している。キューバ危機では世界は核戦争の瀬戸際にかつてないほど接近した。現在もキューバと米国は敵対的な関係であり、米国に対するキューバの経済的ブロックも存続している。

NEWSru.com


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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