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こうした状況を許している経営者の人間性も明白である

「ネットゲリラ」から転載。
このIT企業とは、オプチミズムみたいな名前のあの会社だと思うが、ここへ派遣された派遣社員がペシミズムに陥らないでいるのは至難だろう。まあ、ユダ金支配企業のやり口は世界的に同じである。
「異常に高給を取る一部社員」を作ることで、「頑張れば自分も社内エスタブリッシュメントになれる」という幻想を社員に抱かせ、馬車馬のように働かせ、その中のほんの数パーセントにご褒美を与える。残りは最低の待遇のままである。で、「これは公正な競争の結果であり、これに不満を言うのは無能者のやっかみだ」という社内空気があるから、誰も不満は言えない。「不満があるなら辞めてよそへ行けばいいじゃないか」というわけである。そして、辞めた人間は「自分はあの『一流企業』で使い物にならなかった負け犬だ」という劣等感を持ったまま残りの人生を送ることになる。これは正社員同士の場合だが、正社員と派遣社員の差別待遇は、そのさらに下部構造である。
もっとも、程度の差はあれ、高度資本主義社会における労働インセンティブの作り方(学校の学習インセンティブも似たようなものだが)はだいたい同じだろう。ユダ金企業ではそれが露骨なだけである。それとは逆に、最初から出世や昇給と無縁な会社で働く、というのは被雇用者には案外心の平和をもたらすものである。しかし、その場合は、会社自体が発展とは無縁になるだろう。経営者にも労働者にも、様々な意味で利益をもたらすような会社、というのは作るのが難しいだろうが、そういう困難に挑戦してこそ新しい会社を作る意義はあるのではないか。
なお、問題のこのIT企業がユダ金支配下の会社だ、というのは私の推定である。日本社会に突然生まれて異常な発展をした企業がユダ金のひも付きでないはずがないではないか。(オリックスなどもそうだろう。)


(以下引用)

某IT企業の派遣差別について

| コメント(26)

社内公用語を英語にした某IT企業というと、もうそれだけで判ると思うんだが、派遣差別が話題のようで、社員食堂でメシを食べさせて貰えず、近くのスーパーのフードコートで食べろ、と言われるそうで、みんな自分で弁当を持ち込んで、フードコートのレンジでチンして、一時間そこで動かないそうで、まぁ、イオンもいい迷惑だと思うんだが、酷い会社ですねw

この会社には、有名な社内食堂があります。グーグルに対抗して「無料」を打ち出し、晴れの日は富士山も眺められるとあって、社員の利用率は7割以上といわれています。
しかしその陰では、同じ職場で働く仲間を拒む、見えない壁がありました。この食堂は「社員しか使用できない」のだそうです。
しかたなく質問者さんは、「では、自分のデスクで食べていいのですか?」と尋ねると、社員からは「社内では食べるところはありません」「休憩室や会議室も使えません」という、つれない返事が。それでは派遣スタッフはどこで食べるのですか?と聞くと、こう言われたのだそうです。
「近くのイオンの地下にフードコートがあるので、そこで食べて下さい」
金銭的に余裕のない質問者さんは、毎回フードコートで食べると予算的に厳しいと相談すると、「自分で作ってきたお弁当を持ってきて、イオンの電子レンジで温めてみんな食べてますよ」という言葉が返ってきました。
そこで次の日、お弁当を持ってフードコートに行くと、イオンの電子レンジの上には「持ち込みは固くお断りしております」という張り紙があるではありませんか!
それでも他の派遣スタッフたちは、弁当をこっそり出して勝手にチンして、混雑するフードコートに何食わぬ顔で座って食べています。
周りを見渡すと、子どもと買物に来ている母親が座るところがなくて困っている光景がありました。




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高級官僚連中の阿呆さ

「wantonのブログ」から抜粋転載。


ちなみにダンナは「俺は原発推進派だから。キミの言っていること
(これから東京でも健康被害が顕在化するなど)は新興宗教と同じだし、
俺の優秀できわめて冷静な判断をできる同期たちの誰ひとりとして妻子を
逃がしている人なんかいない」などと、真顔で言うバカな男です。。。



というあたり、東大卒人間(学歴絶対主義人間)の馬鹿さ加減をよく表している。まあ、彼らは一種のロボット(計算機)であり、ある種のデータを迅速正確に計算して答えを出す、という能力の点では抜群だが、そのデータ自体を疑うとか、もっと高い立場から全体を見る、という能力は無い。有名大学を卒業した高級官僚であるということだけが自分のレゾンデートル(存在意義)というつまらない連中だ。そういう連中が推進してきたフクシマが大事故を起こしたのも当然だろう。要するに、大東亜戦争で阿呆な大本営参謀たちが戦争指導をすることによって日本が無駄な大量死亡者を出したのと同じことである。





(以下引用)



霞が関官僚の奥様から、私に寄せられたメッセ-ジ


私事ですが、1か月前に、3年間過ごした○○○○から帰国しました。
震災後、ずっと外から状況を見続け、日本政府の末期的状態、放射能汚染
の実態、などなど冷静に観察して相当な危機感を持って東京に戻ってきました。

食事は九州沖縄の食材、水は野菜を洗うのもクリスタルガイザー、
HEPAフィルター付きの空気清浄器も用意し、ここまで気をつけている人も
そうそういるまい!というくらいがんばっていたのですが・・・

なんと橋本病を発症してしまいました。それとは別に1センチほどの腫瘍も
みつかりました。これには大変ショックを受けています。
というのも、半年前に○○○○で甲状腺の検査をしており、そのときは異常は
認められなかったのです。ということは、この半年で橋本病も腫瘍も発生した
ことになり、わたしとしては放射能の影響か?と疑っています。

東京の汚染はきっと、かなりのものなんだと思います。
ダンナは官僚(!)のため・・・避難を許してもらえないので、
ここで3歳の娘もろとも健康被害を認識しながら生きていくしかないのか、
と絶望しています。

ちなみにダンナは「俺は原発推進派だから。キミの言っていること
(これから東京でも健康被害が顕在化するなど)は新興宗教と同じだし、
俺の優秀できわめて冷静な判断をできる同期たちの誰ひとりとして妻子を
逃がしている人なんかいない」などと、真顔で言うバカな男です。。。

初めてメッセージをお送りするのに、長々と書いてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
絶望の日々の中で、wantonさんの優しさにあふれた記事を読むのが
大きな楽しみのひとつになっております。
今後ともよろしくお願いいたします。

<引用終わり>

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障碍者専用駐車スペースのこと

「2ちゃんねる」系統のサイトから転載。
ああいう「障碍者専用スペース」というものについて、障碍者でもないらしい人間が堂々と止めたり、逆に、他にスペースが無いのに、客が遠慮して止めずにカラッポのままでいる、という状況があったりして、常々疑問に思っていたので、参考になるスレッドだと思う。
話自体は、障碍者スペースに止めた人間(投稿者)がただのDQN(阿呆、とでも言うか)であったわけだが、それに対するコメントがわりと、投稿者を批判し、注意したお爺さんを擁護する、良識的なものが多く、感心した。「2ちゃんねる」コメント特有の斜にかまえた冷笑的・嘲笑的コメントが少ない。
ところで、上の文章で、私は「障碍者」と書いているが、これはむしろ従来どおり「障害者」と書く方がいい、というのが私の意見だ。「碍」という字を見て、何かのイメージを持てる人間はあまりいないだろう。「得」という字の連想しか働かないはずだ。それでは「障り」が何か「得(とく)」になるもの、という混乱した印象になってしまうのではないか?
これは混血児が「ハーフ」という呼び方を嫌うというのとは話が違うと思う。「ハーフ」というのは「半分」であるから、人間としての存在価値が「半分」と看做されるようなニュアンスを感じるわけだろう。しかし、言葉を変えることで、差別の存在自体が社会の水面下に隠れ、差別そのものが温存される、ということもあるだろう。
まあ、差別問題は話が難しいからここでいい加減に論じないほうがいいだろうが、要するに、差別言語の言い換えは、社会に蔓延する「言葉の言い換えによる騙し」を助長しているように私には思われるのである。



(以下引用)


usa04a1

397: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 00:12:27 ID:vKjsPezv
武勇伝では無いけど、スーッとした話

スーパーの障害者用駐車場に車を停めて
運転席から降りたら、どっかの爺が文句を言って来た。
俺は(見た目も)健常者
車はセダンで車椅子マーク等は貼ってない。

しばらく爺が喚いていたが知らんぷりしていたら
爺、顔を真っ赤にして大声をだして文句を言いはじめ
回りから注目されてきた。
そうこうしている内に俺の母親(70超え、やや足を引きずって歩く)が
買い物を終えてスーパーから出てきて
「何かあったの?」って言って来たから

「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」

回りからクスクス笑い声が聞こえ、爺はふじこふじこと言いながら何処かへ行った。

401: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 02:04:21 ID:eD29xu6F
>>397
全然スーッとしない
なんかイラッときたわ
買い物付き添わずに車の中で待ってるなら
普通の場所に停めて足の悪いかーちゃんが店から出たら車で近づけばいいじゃん

402: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:24:03 ID:vKjsPezv
>>401 後だし情報スマン

スーパーに母親下ろす → 俺、給油してくる → スーパーに迎えに行く
時間的にそろそろ出てくるかな?もう終わったかな?
と思って車から降り母親を探す。 そこで爺が噛み付いてくる。

>店から出たら車で近づけばいいじゃん
駐車スペース以外の場所に車を停めると
駐車場内を走行している車の邪魔になる。

なので出入り口近くの身障者用スペースに車を停めた。

405: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:33:53 ID:BdFlL0vZ
>>402
一言説明すれば済む話なのに、知らんぷりするからいらんトラブルを招いてるんだろ。

「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」

とかアホな台詞はぽんぽん出てくるのに。

406: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:53:56 ID:fIlqcTsM
確かに。
誤解は誤解として腹が立つのはわかるけど、そういう世間の目があるからこそ、非常識な
人が好き勝手できないって側面もあると思う。ことにきちんと注意できる人間は稀だし、
正義感ゆえのことだと思えば、わざわざ恥かかすようなマネしなくてもと。
まあ少なくともスーッとはしないな。

407: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:55:44 ID:msbPf0Z5
おまえが買い物にいけよと思った
それか嫁にさせるとかさー

あ、嫁いないから無理か

408: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 04:16:48 ID:6PypeGAt
こんな親子より、その爺の方がずと偉い

410: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 04:28:33 ID:jmVDe4Tt
「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」キリッ!
厨二くさいぞ
上手い事言おうとした結果がこれw

413: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 07:13:17 ID:k/E8C1Fy
>回りからクスクス笑い声が聞こえ
お前が失笑されてるんだよw

412: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 05:26:25 ID:5IlUtiDR
>>397
どこが武勇伝なんだ?
自分で歩くこともできて、ひとりで買い物も出来る老人が障害者なのか?
そもそも障害者用スペースは、そういう奴の送り迎え用じゃないだろ。

しかもホントのことわざは、馬鹿と“はさみ”だよ・・・

414: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 07:27:44 ID:+VDiPaXb
バカと刃物wwww

418: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 08:41:45 ID:2OjKymOb
>>402
何のための後出しなのかわからんけど、障害者用のスペースにステッカー無い車止めて、
さらに車離れて母親探しに行くつもりだったんでしょ?

たまたま母親がすぐ来たってだけで、じーさんは何も誤解なんかしてないし、注意されて当然の
状況にしか思えん。

422: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 09:41:12 ID:syiJ1knG
ほんと、これは意味わからんね。
なぜ、母親のことを説明しなかったのか教えてくれんか。
なぜ知らんフリする必要がある?いきなり怒鳴ってきたじいさんに
腹が立ったから、恥をかかせてやろうとしたんだろうけど
最初に怒鳴られた時点で説明していれば、じいさんだって謝ってくれただろ。
じいさんがヒートアップするまで、そして母親が戻るまでダンマリ決め込んでまで
とか、性格悪いな。
おまけに馬鹿と刃物(正確には、はさみだし)は使いよう、の意味もわからんのだけど、
お前がじいさんを何に使う必要があるんだ?意味不明。

つーか母親に付き添えよ。

425: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 10:21:33 ID:om48QwLh
>>397
>俺は(見た目も)健常者
>車はセダンで車椅子マーク等は貼ってない。

>しばらく爺が喚いていたが

障害者用スペースに堂々とセダンを停める若い奴なんて、普通は
触らぬ神に祟りなしってことでみんな無視するか、せいぜい店員に言って
終わりだってのに、逆恨みを恐れずに堂々と注意した老人は偉いと思う。

どうせ水戸黄門の印籠出すときみたいに、カ○ワの母親が戻ってくるのを
ニヤニヤと楽しんでたんじゃないの?

429: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 11:55:50 ID:bMYSUe51
ここで>>397を擁護してみるww

駐車場の障害者用スペースについて、法的な規定はないんだね
商業施設が確保しときなさいってのはあるけど、停める側についての明確な線引きはない
車椅子マークやクローバー、もみじの、法的効力はない、つまり
ステッカー貼ってなくても停めれるってこと
手帳がなくてもそういうの入手できるしね

イオンの場合は、手帳もってって登録すれば、ロック解除して初めてスペースに入れる
(逆に言うと、別の店に行く度に登録しなきゃいかんのかという面倒もある)
車椅子の人なんかは、十分な広さがあれば出入り口から多少離れてても大丈夫なケースもある
逆に下半身骨折してる人だと、ステッカー関係なく出入り口そばでないときつい

完全に利用者のモラルに依存してるわけよ、皆なんとなくだから、誤解が生まれる
あそこを警備してるおじさんも強く取り締まる根拠がないからかわいそうだよね
利用する人も、なんでここに停めるのかという説明は必要だと思うけどね

430: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 11:57:55 ID:om48QwLh
>>429
たしかに法的拘束力はないね。

言うなれば駐車場内の進行方向を示す矢印だって守るかどうかは
モラルに依存。一方通行になっててその矢印に沿って並んで順番待ち
してるのに、空いたと思ったら逆方向から入ってきた車がスッと入っちゃったり
しても、法的には何ら問題はない。

そういうのってほとんどおっさんなんだよな。注意すると逆ギレ。

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バーで首吊りする、という話

私の英語力は高校一年生の平均レベルかと思うが、本はわりとたくさん読んできた部類なので、英語の翻訳などをする時には、そうした「基礎教養」によって類推できることが多い。本職の英語教師などは案外と本を読まない人が多く、(生徒のほうはもちろんそれ以上に読まない。)少しひねりの利いた英文やユーモアを交えた表現などになると手も足も出なくなる、という例を私は職場(塾や予備校)などでよく見たものである。
で、そういう例は教育の現場だけのことではない。
昨日、市の図書館から借りた、村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」(言うまでもなく、レイモンド・チャンドラーの古典的ハードボイルド小説だが、私は未読であった。)の後書きを先に読むと、こういう一節にぶつかった。

たとえば、第36章で自殺の方法についてあれこれ例をあげるところで、
They have hanged themselves in bars and gassed themselves in garages.
という一節がある。直訳すれば「人はバーで首を吊ったり、ガレージでガスを吸ったりして自殺する」となるわけだが、これは文章としてどうも変だ。というのは、チャンドラーはここで自殺の方法について、文章が対になるかたちできれいにいくつもの例を列挙しているからだ。となると、barはbarnの誤植ではないかということになってしまう。「人は納屋で首を吊ったり、ガレージでガスを吸ったりして自殺する」、これなら話がわかる。バーで首を吊るというのは、どう考えても不自然だ。必然性がない。(中略)そのようなわけで、僕は熟考の末に「納屋説」をとることにした。ちなみに清水俊二さんも「納屋説」をとっておられる。意見が一致したわけだ。


私はこれを読んで、即座に「馬鹿な! これはhangover(二日酔い)の洒落に決まっているだろう!」と心の中で叫んだものである。
洒落である以上はもちろん直訳は不可能であり、「人はバーで飲みすぎて二日酔いになって溺死するか、ガレージで排気ガスを吸ってガス中毒死する」とでも訳するのがいいだろう。これなら、「溺死」と「ガス中毒死」、つまり、肺に死因がある死に方の並列で、「対」にもなっている。(もちろん、「二日酔い」で溺死する、は誇張表現。)
村上春樹氏や清水俊二氏がチャンドラーのこの一文を読んで、「hangover」の一語を想起しなかった(できなかった)というのは信じ難いように思われるかもしれないが、酒を飲む人間ならば、「バー」と「二日酔い」は即座に連想するのだが、あまり酒を飲まない人たちならば、こういう連想が働かなくても不思議ではない。それに、もともと日本人は翻訳をする時に、そこにユーモアが含まれているということを見逃しがちなものなのである。
要するに、学校教育とユーモア(あるいは幅広い教養)は対立する存在であり、その影響は教育が終わった後でも、日本人の頭脳を支配している、ということである。


(3月18日追記)

上記の「バーで首吊り」の本文部分を読むと、ここはユーモアを入れる場面ではなさそうだから、上に書いたのは私の間違いかもしれない。もっとも、マーロウは死んだ男(ロジャー・ウェイド)にそれほど好意を持っているようでもないから、やはり、シニカルなユーモアの多いマーロウの心の中の発言として、ここを洒落だと解釈してもいいような気もする。人が死んだ時に、様々な自殺の方法について対句めいた御託を並べること自体、不謹慎とも言えるのだから。
もう一つ、気になったのは、別の部分で、ある拳銃を「モーゼルPPK」と書いてあったことだが、かつては男の子だった人間ならたいてい知っているように「PPK」はワルサーである。もしかして、「PPK」とはある種の共通の仕様で、モーゼルにもあるのかな、と思ってネットで調べると、次のような文章があった。これはチャンドラーの書き間違いらしい。そもそも、モーゼルは大型拳銃として有名であり、小型拳銃も作っていないでもないだろうが、小型拳銃としてモーゼルの名前を使うというのは、チャンドラーの気が知れない。とは言っても、この作品が稀に見る傑作であることは確かであった。何より、「推理小説」としても傑出している。事件の謎解きが終わったはずなのに、まだページ数が残っているので、どんな蛇足的エピローグを書いているのか、と思ったら、最後で背負い投げをくらってびっくりした。ただし、あまり気分の良くないどんでん返しだったが。こうした「裏切り」で終わるのがハードボイルドのお約束とは言え、探偵という連中は、いったい何が悲しくて裏切られるためにあくせく苦労しなければならないのか。

(以下引用)

蛇足ながら、前の章に続きこの章でも、テリーの妻の所有する銃、つまり殺害に使用された凶器だが、モーゼルP.P.K.7.65ミリと書かれているが、ご存知のとおり、P.P.K.はワルサー社製の拳銃で、モーゼルではない。イアン・フレミングの007シリーズにおいて、ジェイムズ・ボンド愛用の銃として知られているので、今では誰でも知っていることだが、原文にモーゼルとある以上、翻訳者が勝手に訂正することはできない相談なのだろう。チャンドラーともあろう作家が何でこんな初歩的なミスを犯したか。銃器には詳しくなかったのかもしれないが、編集者や出版社は専門家だ。気がつかなかったのだろうか。どうにも腑に落ちない。






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戒名とは誰を戒める名前なのか

世間には、詐欺的商売が多いのだが、仏教(もちろん、本物の仏教ではなく、日本製の「葬式仏教」である)の戒名というのもその一つだ。葬式そのものは、まあ、それが必要だと遺族が思えばやればいい、というだけの話だが、葬式に坊主の読経や死者への戒名が必要だ、とは私はまったく思わない。あんなのは坊主の生活維持のために作られた習慣にすぎない。
そもそも、坊主というのは「出家」であり、基本的には俗世と関わりを持つべきものではなく、その生活は「喜捨」によるのが原則だろう。喜捨が得られなければ、死ぬだけのことだ。もちろん、自分で畑を耕して生活の資を得る、ということもできるだろう。現在の仏教における風習には唾棄すべきものが多い。肉食妻帯なども、本来の仏教ではない。しかし、今の日本で肉食妻帯を固く禁じている宗派はあるのか。すべて、当事者(内部にいる者)たちに都合のいいように内容を変えられてきた、というのがあらゆる宗教の真相である。
そういう腐れ坊主たちが、いくら偉そうな、立派な言葉を言っても、すべて偽善でしかない。(もっとも、偽善そのものはこの人間社会を維持する柱だ、と私は考えているので、偽善そのものを否定はしない。しかし、世の偽善者たちが偽善で商売をするのにだけは、いい加減にしろ、といいたくなる。)
私が死んだら、(その前に、もしも重病になり、自分の判断を伝えることができなくなった場合は、絶対に延命措置は取るな、とここにあらかじめ遺言しておく。)葬式は不要である。絶対に坊主や葬儀屋とは関わるな、と遺族には言っておく。死体はゴミ捨てに捨てようが、犬の餌にしようがかまわない。法律の許す限りの範囲で、金をかけずに処理すればいい。当然、墓も不要だ。




(以下引用)



NEWSポストセブン

2014年03月14日11時00分

葬儀費用の稼ぎ頭「戒名」 正式な由来も根拠もなく寺の都合







 現在、葬儀費用約200万円、お墓代約280万円(東京都)ともいわれる高額な葬儀ビジネス。その“稼ぎ頭”とされるのが戒名だ。「終活」の費用を徹底調査した『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社刊)の著者でノンフィクションライターの大宮知信氏は、母の死に際してこんな経験をした。

「近くの寺に相談に行くと、住職がいきなりファミレスのメニューのような料金表を差し出した。最低の『信士、信女』は30万円、最高の院号つきは90万円。法外な料金もさることながら、死者を金で差別するようなランク付けに疑問を感じました。

 それで本名(俗名)のままお願いすることにし、住職もいったんは承諾しました。ところが葬儀当日になって、『戒名でなければ埋葬できない』と言われた」

 葬儀後、別の住職に相談し、結局戒名をつけてもらうことに。気になるお布施について恐る恐る尋ねたところ「お気持ちですから額はいくらでもいいんですが……」という。大宮氏はホッと胸を撫で下ろしていたのだが、次の瞬間、この住職はこう言うではないか。

「(慣例として)うちは30万円いただいております」

 結局、20万円で戒名を書いてもらったが、住職は金額に不満だったのか、お布施が入った封筒を受け取ると、遺族に慰めの言葉をかけることもなく、そそくさと帰っていったという。宗教に詳しい社会学者・橋爪大三郎氏が語る。

「戒名というのはバレンタインチョコみたいなもの。正式な由来も根拠もない。チョコがなぜ広まったかといえば、菓子メーカーの“都合”です。同様に、戒名が広まったのはお寺の都合なんです」

 橋爪氏によれば、「俗名をつけてはならない」「自分でつけてはいけない」といった戒律は、どこにも存在しないという。

※週刊ポスト2014年3月21日号


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自分で獲物が取れなくなった動物はひっそりと自ら死んでいく

「人生は冥土までの暇潰し」というブログから抜粋転載。
私の持論は、自分で自分の面倒が見られなくなった人間は、殺処分するのがいい、というものだが、もちろん、高齢者や身体障害者であっても、頭脳明晰で、頭脳労働などで金を稼げる人間は金を払って他人に自分の世話をさせて生きればよい。それも自分で自分の面倒を見ている、ということだ。また、老齢年金で生きている人間は、(単純に言えば、だが)自分で払った金の払い戻しを受けて生きているわけで、それも自分で自分の面倒を見ている、と言っていい。しかし、それも75歳くらいが限度だろう。それを越せば、「過剰払い戻し」だ、というのが私の考えだが、べつに私の考えが正しいと他人に押し付ける気はない。
社会に経済的体力があって、働く能力の無い人々を十分に養えるならば、それこそ素晴らしい社会であるし、実は現代の世界というものは、過剰な生産能力があり、社会システムを変えて「富の配分」を適切にしたら、簡単にそれはできる、と私は思っているのだが、現在の社会システムをそのままにしていながら「働けない人間」まで養うのは無理だ、という話なのである。
老いた親を施設に入れる、というのは相当な親孝行と言うべきであり、施設に入れるのにどれだけの金がかかるか。それを、普段は自分で面倒も見ていない親戚連中が非難する、などという話を聞くだけで、怒りが湧いてくる。
まあ、自分で親の面倒を見たい、という人はそうすればいいし、施設に入れるのもいい。だが、世の中には、老親を施設に入れる余裕も無い人間が、老親の面倒を見るために悲惨な生活を強いられている、という事例が無数にあるはずだ。はたして、痴呆症の老人は、子供の生活をそういう悲惨のどん底に陥れる権利があるのだろうか。
ついでに言えば、そういう高齢者を無理に生き延びさせることで利益を得ている人々も無数にいる。



(以下引用)




映画を見終わった帰り、東京新聞に載っていた週刊現代の広告に、大変興味深い記事があったのを思い出し、駅の売店で同誌を買い求めた。亀さんが関心を抱いた記事とは以下の記事である。

14031203.jpg

「老いた親の捨て方」とは何とも非情なタイトルかと思うかもしれない。しかし、同特集にじっくりと目を通せば分かることだが、至極真っ当なことを書いているのだ。殊に、実際に老親の介護を体験した人であれば、同記事の内容に心から同意できるはずだ。一方、実際に介護を体験をしたことのない人たちの場合、たとえ同記事に目を通したとしても、非人情な記事と受け止めるだけで終わる可能性が高い。このように、実際に介護をしている者、そうでない者との間に横たわる溝は途方もなく深い。

以下はそのあたりを述べている同特集の行である。小柄で虚弱体質の娘(58歳)の話なのだが、彼女には痴呆症の父親がおり、悩んだ末に父親を施設に入れたところ、以下のような事が起きたのである。

(父親を施設に入れることが)最善の選択だと、悩み抜いた末の決断だった。
「ところが父を施設に入れたと知るや、他県に嫁いでいる妹や親族から、何度も避難の電話が入るようになったんです。妹は『姉さんは非情すぎる』と言い、親戚は『姥捨て山に捨てたも同然だ』と私を責めました。そんな日々が続き、やはり自分は間違っていたのかと、父の顔を見にいくのも苦痛になってきました」
 親を捨てることに関して依然として世間の風当たりは強く、その思いを口に出すことすらままならない。

『週刊現代』3月22日号 p.174



ネットで確認したところ、同記事を取り上げているブログが数本あったのだが、なかでも亀さんが共鳴したのが以下のブログ記事だった。
親を捨てるのは親不孝?自称「親孝行」の人生はそんなに美しいのか

読者は将来の老親の介護について、どのように考えているのだろうか?











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生めよ増やせよ、か

「market hack」というサイトから転載。
私は少子化は必ずしも悪いことばかりではない、という意見の持ち主だが、経済を根底から浮上させるには人口が増えることが一番だろう、とは思う。つまり、人が多ければ多いほど消費活動は増え、それに合わせて生産も増える、というのは当然だからだ。
日本も、児童手当とかいうケチな話ではなく、このロシアの大胆な政策を真似すればいいのである。年収の1.5倍の出産手当! それなら、今すぐにでも我が家も励みます。子供の欲しい家庭があれば、出張して協力してもいい。(笑)


(以下引用)


年収の1.5倍の出産手当金でロシアにベビー・ブーム到来

モスクワ・タイムズが伝えるところによるとロシアの出生率が上昇しているのだそうです。

このニュースを読んだ時、ちょっとすぐには信じられない思いがしました。

なぜならロシアは慢性的に出生率が低い国だからです。
wbd3

ところが2つの理由でロシアの出生率が上向き始めているのだそうです。

ひとつは単純に人口動態的な理由で、1980年から1987年にかけてソ連時代に出生率が上昇した時期があり、その子供たちがいま成人して子供を作る年齢にさしかかっていることが指摘されています。

もうひとつはプーチン首相が子作り奨励策を2006年に打ち出したことがロシアの若者たちのファミリー計画の考え方に大きな影響を与えたことが指摘できます。

この奨励策ではロシア人女性が2人目の子供を産んだ場合、もしくはロシア人の赤ん坊を養子にした場合、1回限りの出産手当金34.3万ルーブル(約1.1万ドル)が支給されるというものです。これはロシア人の年収の約1.5倍に相当します。


リーマン・ショック後、ロシアではお給料の支払い遅延などいろいろな経済問題が生じました。その結果、ロシア人はいろいろな出費を切り詰めました。

しかしちょうど同じタイミングで出産手当金制度が出来たため、「この際だから子供を作ろう」と考えるカップルが増えたわけです。

このためいろいろな小売業が苦戦する中でベビー関連のグッズだけは成長しているそうです。

さて、銘柄ですが、牛乳、ヨーグルト、ジュースのメーカーであるウインビルダン(ティッカー:WBD)はロシア最大のベビーフードのメーカーでもあります。
wbd2

総売上高に占めるベビーフードの割合は未だ低いですが、マージン(46%)が他の部門の2倍近くあるため、利益への貢献度は大きいです。

また部門別成長率という点でも同社の事業部の中で最も急速に成長しています。

wbd1

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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