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私の「ゴルフ考」

休日の、暇にまかせて書いた「ゴルフ考」である。ゴルフに興味の無い人は、今日の酔生夢人ブログはお休み、と考えればいい。もともと、毎日書くつもりのブログではなかったのだ。
なお、私自身のゴルフ体験は、コースに出たのが10数回程度、練習場に行ったのも同じくらいで、スコアは惨憺たるものであり、私のゴルフ理論はまったくの「机上の空論」である。




私は肉体労働者だが、運動能力はちょっとした身体障害者並みで、年齢的に、身体に無理をさせると故障を起こしがちなので、スポーツとはまったく縁が無い。しかし、スポーツを見たり、スポーツ関連の本を読んだりするのは好きである。政木和三のゴルフ教習書など、面白く読んだ。しかし、その「真理のゴルフ」は、写真や図版と文章内容の関連が今一つ分かりにくいところが欠点である。特に、クラブのスイング軌道とクラブフェースの関連が、私にはあまり理解できなかった。クラブフェースを開いたり閉じたりせず、常にスイング軌道に直角に保つ、というようなことが文章では書いてあるのだが、写真ではそれがよく分からないのである。
「真理のゴルフ」の理論を私の解釈でいい加減にまとめると、

1) 体重は、最初からインパクトまでほとんど左足にかける。(これは通常のゴルフ理論における「バックスイングは右足体重で、インパクト後は左足に体重移動をする」、という説とは正反対。)インパクト後は、ランを稼ぎたいティーアップした球の場合は球を打ち上げる感じで右足に体重が移るが、正確な距離の欲しいアイアンショットや、ボールが逆回転して止まる球が欲しい場合は、左足体重のまま。(ただし、使い分けが面倒なら、下記引用記事のように、すべて左足体重でもいいかと思う。そもそも、左足から右足に体重が移るショットは、あまり格好のいい姿ではない。いわゆる「明治の大砲」か。もっとも、すべて左足体重というのも、あまり格好良くはないと思う。)
2) 構えの姿勢はあまり前傾せず、直立より少し前にかがむ程度。
3) グリップは、左手は親指と人差し指だけ、右手は中指と薬指だけで持ち、その4本の指でほぼ「一点支持」になるようにする。当然、強い握りや締め付けは不可能だろう。要するに、クラブは振り子の支点として、「一点支持」であるわけだ。
4) つまり、クラブを腕力では振らない、ということ。軽いスイングで後ろに持ち上げ、振り子のように戻す。ティーアップしたボールは、そのスイングの最下点を少し過ぎた所で捉え、地面(芝)の上のボールはスイングの最下点(アイアンはわずかに地面に打ち込む感じもあるか)で捉えるようにする。
5) インパクトの瞬間、両脇(両腕)を締め、クラブヘッドを「走らせる」。あるいはグリップ支点(指で掴んだところ)を停止させるイメージ、あるいは、あるプロ(青木功だったか)が言うように、「閉じた扇子をパッと開く」感じか。つまり、腕によるスイングは頑健な人より遅いが、クラブのヘッドスピードは速い、という感じになるだろうか。別の言い方をすれば、「鞭を振る」イメージかと思う。(このあたりは、ほとんど私の想像だ。)
6) クラブフェースはこの間、常にスイング軌道に直角。つまり、手首の返し(外転・内転)は無い。「真理のゴルフ」では、最後までスイング軌道にクラブフェースは直角、と言っている。つまり、インパクト後も手首は返さない、ということだろうが、それが可能かどうか、私には分らない。そうすると、大昔の「パーマー・フィニッシュ」のような感じになるような気もする。あの力感溢れるスイングと、「老人、女性、障害者、非力な人」向け、と私が見ている「真理のゴルフ」がフィニッシュだけは同じであれば、それはそれで面白い。もっとも、「パーマー・フィニッシュ」がどういうものか、私は昔、写真で数回見ただけだから、これもいい加減な感想である。

以上は、かなり私の想像で補完した内容であり、元の「真理のゴルフ」からかけ離れた内容になっている可能性もあるので、真面目に読まなくていい。
もう少し補足すれば、政木氏は、ゴルフは「自分の足元1メートル四方だけ」のゲームだ、とも言っている。
飛ばそうとか、曲げないようにしようと思うあまり、スイングやインパクトの瞬間がおろそかになり、ヘッドアップなどをしたりクラブフェースが不正確に当たったりするのが、ゴルフの基本的な病状・病因であり、そもそもそれは広いゴルフコースや前方の様々なハザード、谷間などに幻惑されているのである。勝負は、ただインパクトの一瞬であり、その一瞬にきちんとクラブフェースが予定された飛行線と直角に、ボールに当たるかどうかだけでボールの方向も、そしておそらくはだいたいの飛距離も決まるのである。
などと分かったようなことを書いているが、私はほとんどゴルフをやらない人間だ。ただ、頭の中で考えるかぎりは、多分こういうことだろう、と思うだけである。
毎度言うが、私は考えることが趣味なので、こういうような「謎解き」自体が楽しいのである。しかも、世間には無数のヘボゴルファーが、「ヘボゴルファーのための究極のゴルフ理論」を探しているだろうと推測できるので、「真理のゴルフ」を足掛かりに、少し私も考えてみたわけだ。
なお、下の記事は、「左足体重」の効果についての実体験談である。ヘボゴルファーは、「政木メソッド」に限らず、いろいろと試してみると良いのではないか。
たとえば、「左手一本でスイングする」という方法もあり、サム・スニードによれば、たいていの素人は、その方が、いい打球が打てる、という。同じサム・スニードの本には「(素人は)ドライバーは、バッグから引き抜き、家に置いてゴルフ場に向かえ」とも書いてある。(笑)中部銀次郎もそれに近いことを書いており、下手なゴルファーは、ハーフセットのほうがスコアメイクには良いはずだ、とも言っている。これからゴルフを始める人は、心に留めておくと良いのではないか。フルセットを持つのは100を切るスコアが普通になってからでいいかと思う。(中部銀次郎によれば、アマチュアゴルファーの大半は、クラブの飛距離などほとんど一定していないのだから、たとえば6番と8番の間に7番アイアンがあっても、ほとんど意味はない、ということらしい。)



(以下引用)





2010年02月23日00:01

カテゴリ
ピヤポン・ゴルフ理論



嫌いと書きながらまたもやゴルフの話題ですが、3月1日にゴルフコンペを

開催する立場なので、知識と情報を身に着ける必要はあります。

こんな広告を見ました。



おいおい、俺の悩みはそれ以前に球が当たらないのだよ!

でも、ピヤポン・ゴルフ理論が世界に通用することがわかりました。

実は私は左足一本打法なのです。

測ってはいませんがアドレスでは左足に体重の70%ぐらいをかけます。

そして打つ瞬間には右足が浮いてしまいます。

この広告とまったく同じことではないのですが、体重を移動させないから軸が

ぶれにくく、力が分散されずに伝わるため飛距離が伸びるというピヤポン

理論が実証されたようです。

だから右半身の感覚がかなり麻痺しており、薬の副作用でいつもシビレがあり

多少右足を引きずって歩いている私でも、200ヤードのショートホールを

アイアンでワンオンし、10メートルのバーディーパットははずすものの、残り

20センチのOKパーがだせるのである。

ただ残念なのはゴルフに熱心でないため、練習にも行かず筋力トレーニング

もしないし、脳にエロ障害があり体力がついていかないため、思い通りの

正確なショットが出来ないのである。

この打法はもう10年以上前のゴルフコンペにて見つかったもので、その

日は調子が最悪でやる気を失くしていた時に、第一打のドライバーショットを

チョロってティーグランドを降りる時に右足を捻挫するという、まさに

"泣きっ面に蜂" 状態になってしまった。

歩くのはもちろん右足に体重をかけられないほど痛くて、あと4ホールを棄権

するか悩んだが、とりあえずそのホールだけはなんとかホールアウトする

ことにした。

刻んでいくしかないと、残り300ヤード以上はあると思っている中、8番

アイアンを持った。

左足に体重のほとんどを乗せ右足は支えている程度で、打つ瞬間は右足を

浮かせた。

何それ?

真っ直ぐ天に向ってギューンと伸びていく、生涯一というぐらいの完璧と思える

ファインショット。

その後もナイスショットは続き、キャディーからは捻挫した方がいいですね

と嫌味を言われるしまい。

だからこれをマスターしていけば80台はいけそうだと思っています。

でも、金と時間と気を使うゴルフには懲りませんよ。

アフターゴルフではなく、エロ一直線にイーグルパットです。



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伝家の宝刀は抜かれるか

「逝きし世の面影」から一部転載。
まさにその通り、

天皇の口から漏れた何気ない『一言』の方が何万倍も政治的な影響力が大きい

これこそが私の言う、「権威」の力なのである。
そして、その「権威」は、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」ところの「権力」に対する絶妙の抑止力になりうるものだ。そして、世界には(イスラム教の一部の国を除いて)「権威」がこれほどの力を持っている国は無いし、しかもそれが「抜かれない伝家の宝刀」として静かに存在している国はまったく無い。
権力の犬たちが大騒ぎして山本議員バッシングに動いているのも、その鞘の中の刀が自分たちに向けて抜かれることを恐れているからではないか。



(以下引用)



『山本太郎参議院議員の直訴の政治的影響力』

今回の直訴では共産党の志位委員長は、『国会議員が、憲法上の存在である天皇に対して、政治的対応を求める行動をとるというのは、「天皇は、国政に関する権能を有しない」としている憲法を知らない者の行動だと思います』と言う。この大馬鹿者が。
政治家の発言であるとは到底思えない。
志位委員長は自分の演説や共産党の長々として宣言文よりも、天皇の口から漏れた何気ない『一言』の方が何万倍も政治的な影響力が大きいことを知らないだろうか。
情けないが、政治の現実を知らない愚か者の発言である。
政治のイロハを知らない一憲法学者の発言なら納得するが、『政治家』それも共産党のトップの発言であると思うと、あまりの無知(政治オンチ)には戦慄さえ覚える。
そもそも共産党機関紙赤旗が、昔のようにタブーに挑戦していれば山本太郎の直訴文も生まれていない。
『原因』(赤旗を含む挙国一致の隠蔽工作)を無視して、『結果』(天皇への直訴に因るマスコミの悪事の暴露)を逆さまに描くなど、許される限度を超えている。
小児甲状腺がんの爆発的発症などの放射能汚染を産経読売など右翼マスコミと同調して、共産党や赤旗までが一般市民に対して隠蔽の大本営発表を行うから、やむにやまれぬ成り行きで山本議員の直訴が行われたのである。
山本太郎議員を除く他の721人の全国会議員は政治家として怠慢が過ぎる。恥を知れ。







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庶民生活と医療費

「長周新聞」から転載。パソコンの経年劣化か、ウィルスにかかったのか原因は不明だが、ワードの変換機能が最悪で、文章がほとんど書けない状態なので、前説は書かない。
庶民生活における医療状況はこのようなものだという実例である。


(以下引用)







 年金少く衣食住に困る

 下関市内の高齢者のなかでは、年金が引き下げられる一方で、有無をいわさず天引きされる後期高齢者医療保険料や介護保険料は上がり、食料品などの物価も高騰し、そのうえ来年4月からは消費税率が8%に引き上げられることに、「安倍さんたち政治家は、自分たちだけいい暮らしをして“景気回復”といっているが、どこにそんなことがあるのか」と憤りを語っている。そのなかで医療費の負担は大きく、医者に行かない人が増えている。
 70代後半のある婦人は、先日インフルエンザの予防接種(1260円)をし、持病の薬代とあわせて1割負担で約4000円を支払った。その前の肺炎球菌の予防接種でも数千円とられた。高齢者は一つの病院だけではなく、いろいろかけ持ちしているが、「これではとうてい病院にかかることはできない」という。
 その婦人は、「5万円程度の年金では、生活を維持するための衣食住にも困るほどだ。私などもう新しい服は買えない。市営住宅の家賃が払えない人もいる」といい、「昔、池田勇人が“貧乏人は麦を食え”とひどいことをいったが、まだ国民を生かそうとしていた。最近、麻生副総理は“(終末医療で)さっさと死ねるようにせよ”といった。それを実生活で実感している」と語った。
 71歳になる今も2つの仕事をかけもちで働いている婦人は、20年前、同じ建設会社で働いていた夫を亡くしたとき、自身は健康保険をかけておらず、そのためその後は月3万円程度の年金が出るだけ。夫の会社が倒産しても退職金もなにもなく、現在は早朝3時間、弁当屋で働いて2000円を手にし、午後には時給600円程度で建設の下働きに出ている。
 その婦人は、「今は医者に通うために働いているようなもの」という。長年の労働で痛めた足腰は、整形外科に通ってヒヤルロンサンを注射するのと、痛み止めの座薬をもらい、痛みを忘れるようにして仕事をする。咳が止まらず甲状腺が悪いということで、内科にも通っている。歯や目、耳も悪くなっており、窓口負担が1割のうちに歯だけは治したいと思っていた。
 ところが安倍政府は来年度から、70~74歳の負担を1割から2割に引き上げようとしており、「こういうのも2割になったらもう行けない。働くのもおしまいになるから病院もおしまいだ。子どもにも頼れる状況ではない。今はなんともいえない世の中だね」といっている。

 通院我慢し入院費20万

 子どもと子どもを持つ親にとっても、医療費は頭が痛い。
 小学生と中学生の子どもを持つある母親は、身体が丈夫な方ではない。あるときカゼをひいたが、パートを休むわけにはいかず、それに医者にかかれば支払いは5000円を下らないと思って我慢して、市販の風邪薬でごまかして仕事を続けていた。
 ところがカゼをこじらせて肺炎になり、入院。そのうえ小学校の子どもにもカゼをうつしてしまった。
 入院中は夫が仕事から早めに帰って、子どもたちにご飯を食べさせていたという。結局、入院費が20万円もかかってしまい、現在分割払いができるように病院側と話しあっている。

 治る前に病院追い出し

 入院した経験のある人のなかでは、入院が長引くと病院から追い出されたという話も多い。
 2カ所のガンの手術で70代の夫を入院させた婦人は、夫が1度目の手術後に肺炎になったため、2度目の手術が延期され、家に連れて帰っても世話ができないので別の病院を紹介してもらった。そして2度目の手術が終わって2週間たつと看護婦の態度がガラリと変わったという。
 「“病院を早く出てくれ”という雰囲気になった。まだ歩けもしないし、下の世話もしないといけないが、家に連れて帰っても介護できない。紹介してもらった別の病院にもう一度入院させてもらえないかと頼んだが、それもできないという。困ってあちこち探し回って、ようやく次の病院を見つけた。病気が治るまで見てくれるのが病院だと思っていたが、ベッドは空いているのに、入院が長引くともうからないから追い出される」。
 医療関係者は、こうした状況が生まれる要因に、2003年に導入されたDPC(診断群分類包括評価)制度があると指摘する。従来の出来高払い方式では、一つ一つの医療行為ごとに料金を設定し、その合計額が診療報酬として国から支払われていた。この下では、医者が1人1人の患者の状態にあわせて試行錯誤しながら、積極的な医療をおこなうこともできた。
 ところが小泉内閣が「治療費が高くなる病院はムダな治療をしている」と宣伝して導入したDPC制度は、治療の内容にかかわらず、病名などで1日当たりの診療報酬が決められており、それ以上の治療をすれば病院の持ち出しとなり、経営が困難になる。それで病院側は在院日数を短縮化し、ベッドの稼働率を高めて収益をあげることにきゅうきゅうとするようになった。
 病気を治して患者や家族に喜ばれることが医療関係者の喜びだが、もうけ第一でそれに相反する在り方になっていることに、疑問が語られている。






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政木和三という人

「大摩邇」から転載。
政木和三という人物は、自著などに言うその経歴や業績があまりに常人離れをしている上に、その言葉も神秘主義者的なところがあるので、平凡人の私などから見ると、詐欺師か誇大妄想狂ではないか、という疑いもあるのだが、彼の業績が事実ならば、まさしく天才、いや超人だろう。
下の記事は、彼の著作の序文だが、輪廻転生という、私があまり好まない思想を、彼は事実だとしている。もちろん、輪廻転生が事実でない、という証明も存在しないのだから、それはそれでいい。その部分を除けば、彼の言葉は、いろいろと面白い。
彼が科学の全能を疑い、超自然的な力の存在を信じるようになったきっかけの「スプーン曲げ」は、手品でも可能なことから、現在ではほとんどの人が、あれは手品であった、と結論しているが、仮にそれが本当に超自然的な力(と言うよりは、現在の科学では解明されていない力)によるものだとすれば、我々は現代科学の限界と、世界の真の神秘を再考する必要があるだろう。場合によっては、輪廻転生をもこの世界の真実のシステムとして認めざるを得なくなるかもしれない。となれば、道徳も政治も、ひいては社会全体が変わってくるわけだ。だが、やはり輪廻転生が証明されることはほとんど永遠にないだろう。従って、悪はこの世界の強力な要素として永遠に存在する、となりそうだ。
さて、私は政木和三が1週間に三つくらいのペースで無数の発明をしたとか、何の訓練も無しにいきなりピアノの名演奏をしたとか、ほとんど勉強無しにドイツ語が日本語として聞こえたとかいった話が真実かどうかは知らない。しかし、そうした常人離れした話とは別に、彼が下で書いていることの中には、この社会をより良く改変していくためのヒントがある、と思う。そこで、紹介しておくわけである。
なお、下記文中で彼が「生命体」と呼んでいるものは、「輪廻転生する魂」と解釈していいと思う。その「生命体」の声は、欲望を滅却することで脳波がシータ波(仏教で、一般に禅定と言われる状態だろう)という低い周波数になれば聞こえてくる、ということだ。また、脳波を下げるには、呼吸数をうんと減らし、1分間に1呼吸くらいにすると良いらしい。興味を持たれた方は試してみると良いだろう。ただし、政木氏は大阪大学であらゆる科学を学んだからこそ、その「生命体」の声に従うことで無数の発明をしたわけで、そういう「素養」無しには彼のような仕事はできないだろう。まあ、涅槃禅定の状態を本当に知るだけでも大変なことではあるのだが。
蛇足だが、彼の書いたゴルフ書「真理のゴルフ」は、もしかしたら革命的なゴルフ教習書かもしれない。老人や非力な人、ゴルフが一向に上達しない人は、彼のゴルフ理論を試してみるといい。ただし、外見的にはかなりみっともないフォームになるかと思う。私自身はゴルフはやらないが、ゴルフクラブを少し触った程度の経験で言えば、「真理のゴルフ」の理論は合理的だと思われる。特に、素人がプロの真似をしてはいけない、というのは至言だろう。素人とプロでは、クラブを振る回数が圧倒的に違うのだから、プロの技術が素人に可能なはずはない。しかし、ゴルフではそういう勘違い人間が圧倒的に多いようだ。




(以下引用)



2013年10月11日06:37
カテゴリ
mariscoさん
『この世に不可能はない』
著書『この世に不可能はない』 ~ まえがきにかえて ~
mariscoさんのサイトより
http://ameblo.jp/koji-kitano/entry-11613967137.html



<転載開始>
2013-10-10 00:00:00 テーマ:『この世に不可能はない』著者:政木和三



『この世に不可能はない』
~ The Power of Mu ~
生命体の 無限の力
政木和三

まえがきにかえて

● すべてはここから始まった

 私は、常々『この世に不可能はない』と思っている。これは私のこれまでの、八一年の人生を振り返っての実感である。

 『余の辞書に不可能という文字はない』といったのは、かのナポレオンだが、私がいっていることは、他人や他国を権力や武力で押さえつけ、その上に君臨して『不可能はない』といったナポレオンの傲岸(ごうがん)なことばとは、意味内容を異にしている。

 むしろ逆で、『この世に不可能はない』と私が感じるようになったのは、身の回りで起こったいろいろな不思議現象を私が素直に謙虚に認められるようになってからであり、決して私の思い上がりからではない。

 私が思い上がっていたのは、むしろ『不可能はない』などという非科学的なことが、この世にありうるはずがないと、かたくなに信じて疑わなかった時期のことであった。
 それは現代科学と、それに携わっている自分自身への思い上がり以外の何ものでもなかったろう。

 あるとき、その私に転機が訪れたのである。

 私は、大阪大学を拠点に昭和五十七年まで、戦前から含めてほぼ四〇年間、科学者としての生活を送っていた。その後半まで私は、神仏の存在も、超常現象や超能力もいっさい認めようとしない、かなり頑迷な科学一辺倒の人間であった。計測器で測定できるもの以外はこの世に存在しない-------そうかたく信じていたのである。

 いまから二十数年前(現在より約40年近く昔)、超能力者として話題になっていたユリ・ゲラーが来日し、日本中に『スプーン曲げ』ブームがわき起こったときのことは、まだ読者の記憶の中でも古びていないと思うが、あのときも『あんなものは単なる見せ物にすぎない』と、私はブームにむしろ冷淡であった。

 昭和四十七年三月のことである。たまたまテレビのスイッチを入れると、画面は相変わらずスプーン曲げの実演で、いいかげん苦々しく思った私は、たまりかねてテレビ局に抗議の電話を入れた。

 『科学的にいって、念力でスプーンが曲がるなんてことはありえないのです』

 『それならスタジオに来て、それを証明されたらいかがですか』

 私が工学博士であると知って、プロデューサーが逆に私にテレビ出演を求めてきたのである。

 そうなったら後には引けない。科学の正しさを証明するべく、自分で発明した『ストレーンメーター(金属ひずみ計)』を持って、私はテレビ局へ出かけて行った。

 ストレーンメーターは、一〇万分の一ミリのひずみでも検出できる計測器だ。その上に置かれたスプーンがほんのわずかでも曲がれば、そのひずみがたちどころに数値でモニターに表示されるしくみになっている。

 被験者には、スプーンに手を触れることなく、念を送るだけで曲げるという条件がつけられ、いよいよ本番がスタートした。念力でスプーンが曲がるなどという馬鹿げたことは絶対にありえない。そう確信して私は、念を発し続ける被験者をあざ笑うような気持ちで時間の経過を待っていた。

 ところが、『まだ曲がりません』というアナウンサーの声を聞きながら『それ見たことか』と思った、まさにそのときである。ストレーンメーターのモニターに一〇〇〇分の三ミリほどのひずみが表示され、私は一瞬、自分の目を疑った。わずか一〇〇〇分の三ミリとはいえ、スプーンはたしかに曲がったのである。

 想念の力で金属が曲がる。その信じられないような事実を見た瞬間、私は驚愕(きょうがく)し、それまで三十数年間も学んできたことのすべてが、根底からくつがえされていくような感じにとらわれてしまった。科学者としての私が、超常現象に目覚めた、これが最初の出来事であった。

 だが、長年にわたって培われてきたこれまでの科学への信念が、私の中から急激に消え去ってしまったわけではない。

 たとえば昭和四十八年一月に、私はまたしても同じテレビ局の番組に出演し、はたして想念の力で物体は動くか、という実験をしている。私が銅線でつくったヤジロベエに指を差し出し、『近づけ』と念ずるとヤジロベエは指に近づき、『回れ』と念ずると回り出すという実験であった。

 だが、超能力というものを否定したい気持ちがまだ私のどこかに残っていたのだろう。本番でヤジロベエはたしかに念じたとおりに動いたのだが、私は、それは念力によって動いたのではなく、私の体に発生した静電気の力で動いたのだと説明した。その証拠として蛍光ランプの中間をアースすると、それがほんの一瞬ほのかに光ったのである。少なくとも静電気の存在は、それで証明されたと私は思った。

 この放送のすぐ後で開催された日本薬学業会の総会で、講師として招かれていた私は、テレビ局での出来事を得々と披露した。すると、大阪大学のA教授と大阪府立大学のM教授が席を立ち、

 『政木さんの言っていることはおかしい。そんなことは静電気では起こりえない。それは明らかに念によるものである』

 と指摘されたのである。静電気でそんなことが起こりえないというのは、たしかにそうなのだ。私は壇上で答えに窮し、しどろもどろになってしまった。私が根本的に自分の考え方を改めなければならないと思うようになったのは、それからである。また、実際その後、私の身の回りに起こった超常現象の数々は、私の考え方を一八〇度転換させるに充分な出来事ばかりであった。

 私は、それらの出来事を通じて、この世の中には人間の知らないもうひとつの未知のエネルギーが確実に存在するのだということ、そしてこのエネルギーは、実は人間の肉体の内側にも潜んでいて、ある状態のもとにおかれると、それが前面に出てきてとうてい信じられないようなものすごい力を発揮できるようになるのだ、ということなどを知らされたのである(このエネルギーこそが、これから本書に頻繁に出てくる『生命体エネルギー』である)。

 『この世に不可能はない』と私が思うようになったのは、そのときからであった。

 と同時に、私にひとつの強い思いが生まれてきた。超常現象そのものはすばらしいことだが、身の回りにそれがいくら起こったからといって一般の社会の人々に何の幸福も喜びも与えない。むしろ自分の内側に潜むエネルギーを引き出し、その力によって新製品を発明して、多くの人々に喜びを与えるのが自分に課せられた仕事ではないのか。これまで長年学んできた工学や医学や力学の知識も、それによって活かされるだろう。そういう自分の内側からの声が、さながら神の啓示のごとく私の心に響いたのである。

 それ以来、私の発明は、一週間に三件平均で生まれるようになった。戦前からのものを含めてトータルすれば、私の発明は三〇〇〇件にものぼるだろう。その中には、自動炊飯器や瞬間湯沸かし器や自動ドア、あるいは医療の世界で使われているCTスキャンなど、読者に馴染みのものも多いと思う。これらを多くの人々に提供できたということは、私にとって本当に幸せなことであった。

 平成八年六月に、私の八十歳の誕生日を祝する『八十歳記念祝賀講演会』を岡山のシンフォニーホールで盛大に開催していただいたとき、私は尊敬するN和尚からご祝辞を頂戴(ちょうだい)したが、その中でN和尚は次のようなことばを述べてくださった。

「政木先生の学んでこられた工学の『工』という文字は、もとは『巫』という文字からきています。『巫』という字の上の横棒は天、下の横棒は地を表わします。その真ん中の二つの人という字は工に携わる人という意味です。つまり天のすばらしさを地上に下ろし、地に埋もれたすばらしいものを地上に持ち上げ、人々に幸せを与えるのが工に携わる人であるということです。『工』という文字は、そこからきています。政木先生は、まさに文字どおり、無欲になって天のもの地に移し、地のものを持ち上げ、宇宙にある一番すばらしいものを人々に提供してこられ、八十歳の今日を迎えられました」

 これは、私にとって身にあまる非常にありがたいおことばであった。

 一人でも多くの人々に喜びを与えられるということほどこの世に幸せなことはない、と私は思う。

 現代文明は、外面的な豊かさを求める『物質文明』にどっぷりと浸かっている。それによって、人類は地球を住みにくいものにし、自らも破滅の道に一歩踏みこんでいきつつある。その中にあって、いま必要なのは、自然への回帰であり、精神世界の再認識であろう。私たち個々人は、自分さえよければ他人はどうでもいいというエゴイズムを捨て、常に人々に幸せを与えつつ自らの人間性を向上させていくという高い精神をもたなければならない。

 本書で明らかにするように、私たちは肉体だけの存在ではない。私たちの本質は、実は『生命体』だと考えられる。私たちに、ときに信じられないような力を発揮させるのは、この生命体のエネルギーなのである。

 私たちは、これから二十一世紀に向けて、かけがえのない地球を大気汚染や環境破壊から守っていかなければならない。そしてその中で、自らの可能性を目いっぱい花開かせていかなければならない。そのためのキーワードがこの『生命体』である。

 私は、生命体の力によって起こる数々の奇跡を見てきた。また、高められた生命体のエネルギーが発揮されることで、この世に不可能がなくなるという数多くの体験もしてきている。私は本書で、それらの体験のいくつかを読者諸氏に語りたい。

 さらに、この混沌の時代を私たちはどう生きていくべきか。それを読者とともに探っていきたい。

 生命体の力が発揮されれば、この世に不可能はなくなる。それは本当である。私は、どうすればそうなれるのかを読者の皆さんに訴えたい。

 私の思いが、どれだけの強さ確かさで読者の皆さんに伝えられるかはわからないが、少なくとも、この世に不可能はないということを、本書を通じてご理解いただき、それによって読者諸氏の人生の幸福に多少なりとも役立てれば、著者としては望外の幸せというべきであろう。

平成九年六月

政木 和三


初版印刷:1997年7月20日
初版発行:1997年8月5日
著者:政木和三
発行人:枻川恵一
発行所:㈱サンマーク出版
発売元:㈱サンマーク
印刷:共同印刷㈱
製本:㈱若林製本工場
©Kazumi Masaki. 1997
ISBN4-7631-9192-6 C0030




 政木和三先生とのご縁の始まりは、昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご教授を、家族ぐるみのご近所付き合いの中で個人的に無償で賜ったそうです)、その後、御晩年には、政木先生の素晴らしいご発明品の集大成のひとつとして“世のため、人々のため”に御余生をかけ陰徳にご尽力なさいました超強力 神経波磁力線発生器(改名機器、インパルス磁力線、そして、Mリングと、すべての御販売は㈲政木研究所、㈱ケントにて)の製造に至るまで、数々のお仕事をお世話頂き、政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いを賜わり、今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。

 以前に紹介させて頂きました政木先生の御著書『未来への発想法』の約一年後にご発刊なされました御晩年の作品『この世に不可能はない』を、政木先生からのお教えである『目先の欲望を捨て去り、世のため、人々のために尽力せよ!』との仰せを引き続き継承するため、これから毎日少しずつではありますが紹介させて頂きますので、皆様には再度、暫しのお付き合いの程、何卒、宜しくお願い申し上げます。

深謝
m(__)m

<転載終了>

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真っ黒な大ミミズたち

「伊勢白山道」というブログがあって、「rockway express」氏もごひいきのブログらしいが、私には今一つピンと来るものがない。どうも神道系のスピリチュアルなブログのようだが、書かれていることは平凡な道徳論が多いようだ。簡単に言えば「善因善果」「悪因悪果」の因果応報論が大半である、と感じる。まあ、そういう思想は道徳の基本であり、社会秩序を作る上では悪いことではない。良いことをすれば悪い報いがある、と言われて良いことをする者はあまりいないだろうから、「善因善果」を人々が信じれば、この世には善行が満ちるわけである。
だが、プラトンの「国家」の中で、トラシュマコスという男が、「悪いことをやれば、その当人には大きな利益がもたらされるのだから、悪(行)こそが善(すなわち、当人の利益)だ」という理屈を言い、ソクラテスはその反論を試みる話がある。というより、「国家」の大筋は、そのソクラテスの「善(行)こそが善(当人の利益)なのだ」ということの論証なのである。(18歳くらいの頃に、大雑把に読んだ本の記憶なので、確かかどうかは分からない。)
司馬遷の「史記」の序文でも、ある義士の不幸な死の話を書き、その死を、悪の限りを尽くしながら、贅沢に暮らし、平穏に死を迎えた大盗賊などと対比して「天道是か非か」と嘆いていたと思う。
現代人なら、誰でもトラシュマコスの論の方が正しい、と思うのではないか。それを反論する場合は、「今生ではそうかもしれないが、しかし、来世では(あるいはあの世では)その悪の報いがあるのだ」とでも言うしかないだろう。これが多くの宗教の論法だ。だが、来世(生まれ変わり)もあの世(天国や地獄)も存在しなければどうなる?
私としては、悪人は現世でもすでにその悪の報いは受けている、と思っている。それは、その悪にふさわしい、精神的(人格的)に低レベルな人生しか送れない、ということである。言うまでもなく、これは頭の良さや各種の才能とは無関係な話である。
私は、巨万の金を積まれても、石原慎太郎や橋下徹としての人生などまっぴらである。同様に、ロスチャイルドやロックフェラーとしての人生もまっぴらだ。それよりは、浮浪者となってでも、高貴な精神でありたい。(私がそうだと言うのではないが、今でも少なくとも彼らよりはマシな精神だと自負している。)つまり、「天道是か非か」という答えはそこに出ているのである。
私は、ヒトラーは一種の政治的天才だったと思っているが、自分はヒトラーとして生まれたかったという人は多くはないだろう。ヒトラーのような権力を得たい、と願う小ヒトラーは無数にいるが、ヒトラーその人になりたい、とは思わないはずだ。それはその哀れな最後のためだけではない。誰でも、彼のような精神を羨むことは無い、ということだ。
そうはいいながら、現実には悪人こそが権力を手に入れ、高い地位に就き、巨万の富を手に入れ、栄耀栄華を極めた暮らしができることは多い。「天道是か非か」という問いは、そういう事実を目にしての嘆きなのである。やはり、美女をはべらし、酒池肉林の暮らしをしている人間を見ると、通常の人間なら羨望するものだ。私がよく言う「起きて半畳、寝て一畳」などという達観めいた言葉は、怠け者の自己弁護だと言われても、返す言葉は無い。
まあ、これは生得の欲望の容量の問題なのかもしれない。私は、何かが欲しいと思っても、その獲得に要するエネルギーや時間をすぐに計算し、「やらないでもいいや」と考えてしまうのである。旅行なども、それに伴う苦労や面倒がすぐに思い浮かび、ほとんどやったことがない。恋愛なども同様である。そういう人間の言う言葉だから、私の言う言葉は、偉い人(たいていは努力して、功成り、名を遂げた人だ)の道徳論の持つ重みはまったく無いと思う。
要するに、「吾は唯(ただ)、足るを知る」で、この人生は十分だし、何もしなくても無事に生きているだけで十分だ、というのが私の人生観なのである。
数冊の本と少しの音楽、生存に必要な僅かな食物と、できれば毎日少しの酒があれば、この人生には何の不満も無い。私の不満は、ただ、この社会が、もっと全員が幸福になれるのに、一部の人間の不心得のために無数の不幸な人間を作っている、ということだけである。
さて、駄弁が長くなったが、下記記事はなかなか面白い。特に、ある教団の教祖が長さ20センチメートルほどの真黒な大ミミズになって、苦しげにのたうち回っていた、という描写には不気味なリアリティがある。まあ、来世でミミズに生まれなくても、この人生ですでに「(精神的に)詰まらない人生であった」という報いは受けていただろう、と私は思うのだが。他人を騙すだけの人生にまともな満足感や生き甲斐、豊かな幸福感があったとは、私にはとても思えない。
日本から逃亡して中東で優雅な生活をしているという東電の元社長や元会長なども、真黒な大ミミズだと思えばいいのである。
日本の政界や経済界や官界はそういう大ミミズだらけなのだが、ミミズの生き方を羨むには及ばない、ということだ。もっとも、本物のミミズは土壌を豊かにする益虫(ミミズは虫ではないかw)であり、彼らをミミズにたとえたら、ミミズたちが怒るだろう。



(以下引用)


資格が無いのです
2009-03-18 10:50:11 | Weblog




昭和時代の奈良県の天理市近郊に不思議な老女が居たそうです。
近場の大峰山系で修行する祈祷師達が、自分に付く憑き物を落とせなかった場合、最後に泣きつく人物でした。
一般の人々の世情の悩み相談には一切応じず、面会もせず、金銭では無くて食べ物と交換に、有料先生達の霊的垢を落としていました。

私が接触した教祖さん達の中にも、老女に面会した経験を持つ人が2名いました。その老女曰く、
「日本のお土の上で神仏を利用して大金を得た人間が死ぬと、地獄に行く前に必ず私の庭の土中に、ミミズの容姿で21日間を過ごしてから旅立つ決まりに成っている」
と言っていました。

そのミミズは、言えば誰にでも見せて呉れたようです。
庭にひいてある御座を2枚どけますと、大小色々なミミズが動めいていたとの事です。
不思議な事にミミズの種類に統一性がなく、長さ・太さ・色もバラバラな種類が一緒くたに居り、大きいものでは30cm級の小蛇の様なミミズも居たそうです。

老女の家を訪問するちょうど10日ほど前に、X000系の教祖が内密に亡くなっていましたので、故人の名前を言わずに組織名を伝えて、その教団の関係者がこの中に居ないか?
と老女に聞きましたところ、
「ああ、X田と言う物が最近来たよ」
と一匹の大ミミズを指差したそうです。
それは真っ黒な20cmほどの不気味な姿であり、苦しそうに悶えて居たとのことです。
その亡くなった人物の名前は、正にX田だったとの事でした・・・。

私は、この老女と面会した経験がありませんが、住む場所柄としては、昔、国常立太神の御用をしていた巨大な黒龍が降臨した地域ですので、冥界(死後の世界)に関与する大きな存在が老女に関係していたと感じます。

神様とは空気の様に万人に無料で元々与えられている存在です。
人間が空気を個人の持ち物の様に主張して、空気に値段を付けて搾取しては生けないのです。
本当に神界と通じる者は、その世界が「奉仕」と「愛情」に満ちた世界である事が畏れ多いほど身に染みて分かるものです。だから、悩める個人に対しては、可哀そうに感じて無料の奉仕をせざる得ない気持ちに自然と成ります。

無料の霊的相談では生活できない有料先生は、既にその資格が無い証拠です。本当に高次元なエナジーと繋がっている人間は、悩める人々から御金を得なくても、質素な生活ができる環境に成っています。
現実界において、それぐらいの実現力が無ければ、人様を癒す事などは到底無理です。その資格も霊覚もない、真面目な勤務も出来ないただの人に過ぎません。

つまり、御金を取る時点で正しい世界とは100%繋がっていません。
御金を取るどころか、アノ手コノ手のイベントを自演して、雑巾を絞るように困り悩める弱き人々から御金を出させることが出来る本性の人です。
魔界に繋がっている物は、平気で悩める人々から御金を搾取します。御金だけでは無く、神様の名前の下で家庭崩壊をさせてでも金銭と肉体を食べて行きます。
その死後の行き先を思いますと、本当に割が合わない事をするものです。





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今こそ「攘夷」の時

「大摩邇」から転載。
筆者の「ねずさん」という人には民族差別主義者的なところがあり、やや狂信的国粋主義者のイメージが私にはある。まあ、井口博士の同類だ、と見ていたが、下に書かれていることは、まったくまともである。江戸末期の政治状況について、通常の日本史の授業ではここまで明確に教えてくれない。だから、「江戸幕府はアホ」「鎖国政策はアホ」「明治維新は日本の夜明け」「開国政策は賢い政策」という認識しか持たない。まあ、明治政府そのものが「勝てば官軍」の俚言の出所となった存在だから、勝者である明治政府の国民洗脳教育が今に至るまで効果を残したわけだ。
なお、私は司馬遼太郎は好きだが、彼の小説で歴史が理解できるとは思わないほうがいいと思う。彼が書いたのはあくまでフィクションとしての人間ドラマであり、歴史の深層や真相ではない。


ある日本通の外国の知識人が、「日本の明治維新において、倒幕派(維新の志士たち)が最初尊皇攘夷を叫びながら、いざ明治政府ができるとすぐに開国に転じたのは実に巧妙な戦略であった」と言ったのを読んだことがある。まさに、討幕が成ると同時に、「攘夷」から「開国」へと大転換が行われたのである。事情を知らない大多数の維新の志士たちにとっては狐につままれたような気分だっただろう。まるでTPP反対を叫んで政権を得た政党が、いきなりTPP賛成を言いだすようなものだ。このあたりが、明治維新は外国によって操作された革命だ、という説が出てくる所以である。私も、明治維新にはそういう側面があると思う。


話が長くなったので、前置きはこれくらいにする。下記記事は、明治維新に興味のある人は一読する価値がある。

「攘夷運動」とは、外国の侵略に対する国民的運動だったのであり、単なる「外国人フォビア(嫌悪症・恐怖症)」などではない。そして、現代はまさにその外国の侵略が、形を変えて政治的・文化的に起こっているのである。文化的侵略(洗脳)もさることながら、言うまでもなく、TPPは日本人の経済的奴隷化構想であり、今の日本が直面する最大の問題である。






(以下引用)*赤字部分は引用者(夢人)による強調。







明治の後年から昭和初期にかけての日本の強さは、まさに世界を震撼させたほどのものですが、どれだけ強くても、日本の願いは常に平和そのもの、いくさのない世の中にあり、武威を張ることを是とはしていなかったということが、そのような姿からも見て取ることができます。
そしてその伝統は、やはり徳川270年の治政にあったといえます。

その徳川幕藩体制が崩壊したのは、外圧によるものでした。
その外圧のなかで、とりわけ大きなきっかけとなる影響を持ったといわれているのが、ペリーによる黒船来航でしたが、そのペリー来航について、あたかもペリーが突然やってきたために、日本中が大慌てしたようなことを書いている教科書などがあります。
が、これは間違いです。

実際には、米国からペリー艦隊が、日本に開国を求めてやって来ることを、ペリーが米国を出発したことからはじまって、何隻の艦隊で来るのか、乗組員は何名か、大砲の数はいくつか、船名は何と言うのか、どういうルートでやってくるのか、いまどこにいるのか等、それこそ台風情報じゃないですけれど、幕府も、全国の諸藩の武士たちも、つぶさにその情報をとっていました。

問題は、そのペリーがどこに入港するかで、もちろん幕府は長崎に来させるつもりでいたのですが、それが東京湾(江戸湾)にやってきてしまった。
江戸湾にやってきたということが問題になったのでって、外国使節が来たということが問題になったのではありません。

これも以前に書かせていただいたことですが、江戸湾は、当時の江戸の町に食料を運ぶ、メイン海上ルートです。
江戸には250万人の人が住んでいます。
その250万人が、毎日、朝晩二食の食事をするわけです。
つまり1日あたり500万食です。

もしペリーが、1ヶ月江戸湾を封鎖したら、1億5000万食分の食料の供給が止まるのです。
そんな備蓄は、幕府にだってありません。
ということは、江戸市民が飢えて死ぬという結果をもたらすのです。
だから「たった四杯で夜も寝られず」というくらい、幕府は慌てました。
それだけのことです。

では、ペリーが原因でないなら、攘夷運動は何故起こったのかというと、直接の引き金は、むしろ阿片戦争にあります。
強大な東洋の大帝国であるはずの支那の清王朝が、欧米のごくひとにぎりの艦隊の軍事力の前に、あえなく敗北してしまった。
敗北した清王朝では、白人たちが支那人たちをまるで家畜のように扱ってる。
その脅威が、日本にも迫っている。
そういう事実を目の前に突きつけられて、それでも平和ボケしているのは、現代日本人くらいなもので、当時の武士たちは、ものすごい危機感を持って、「日本はどうするんだ?」となったわけです。

そういうところに、ペリーが幕府の制止をふりきって、いきなり江戸湾に侵入してきたわけです。
阿片戦争と同じ光景が、現実の課題となったのです。

これについて、「当時の武士たちは、どうして鉄の船が海に浮かぶのかと驚いた」などと、アホなことを書いている学者や小説家がいますが、悪いけれど鉄の船なら、信長が本願寺攻めのときに作っています。
日本人にとって、そんなものはさしてめずらしいものでもない。
もちろん、黒船がやってきたとき、弁当持参で物見遊山の黒船見物に出かけた庶民が多くいましたから、そうした中には「あんな真っ黒い鉄の船が、どうして海にうかぶんじゃろうか」などと、半ば驚き、半ば大喜びしていた人たちもいたことでしょう。
そうした人々と、当時の施政者たちを混同するのは、ちょっといきすぎた話です。

もっというなら、おなじく幕末に日本にやってきたロシアのフリゲート艦ディアナ号は、駿河湾で沈没していますが、これと同じ船を、またたくまに伊豆の船大工たちが作ってしまっています。
同じ船を造ったということは、それくらいの船をつくる技術も、当時の日本にはすでにあった、ということです。
技術そのものについては、なにも驚くこともなかった。
ただ、蒸気で動く船というところについては、たいへんな驚きと興味を抱いたというのが、現実の話です。

なるほど江戸時代、日本は鎖国していました。
ただ、鎖国していても、武士たちは海外の諸情報を実はつぶさにキャッチアップしていました。
その情報力は、むしろテレビや新聞といったメディアが駆使できていながら、偏向情報しか与えられずに、あきめくらになっている現代日本人よりも、はるかに鋭敏なものであったといえるかもしれないくらいです。

さて、欧米列強による植民地支配の恐怖を見せつけられた日本人は、欧米の夷敵を打ち払うためには、国内が藩ごとに独立していては、この国は守れないのではないかという強烈な問題意識を持ちました。
実際、長州、薩摩はそれぞれ独自に黒船に戦いを挑み、あっという間に粉砕されてしまっています。
ならば、このうえは幕藩体制を完全廃止し、国民総力戦が可能な統一日本政府を構築するしかない・・・というのが攘夷派となり、幕藩体制のまま、統一政府化すべきだというのが佐幕派となって戊辰戦争になりました。

そのなかで、会津藩が、どうして最後まで頑強に抵抗したのか。
それは「藩主の松平容保が、婿養子だったからそうせざるを得なかったのだ」などと、これまたアホな見解を書いている本や小説がありますが、これまた大きな間違いです。

殿様がおかしなことを言い出せば、殿様を座敷牢に押込めてしまうというのが、江戸時代の武家の習慣です。
つまり、会津藩が頑強に抵抗したのは、殿様のご意思というだけのものでなく、藩をあげての意思であったということです。
ではなぜ、会津藩士たちが、そのような見解に至ったか。

これについては、西郷頼母が、はっきりと書きのこしています。
要約すると「武家は民を守るためのものであり、民が安心して暮らせるように仕向けるのが武家の役割である。国を護るために戦うのは、まさに武士の仕事であって、そのために民をつかうなどということはもってのほか」というわけです。

要するに幕末戊辰戦争は、国民皆兵論か、あくまでも武家専従論かの違いがもとになっているとみることができます。
武士は民のために平素から腰に二本の刀を差しているわけです。
その武士が、いざ戦いとなったら、農民や町民たちに武器を持たせて闘わせ、自分たちはその裏でのうのうと生きるなどということは、武家としての一分が立たない。
そんなものは卑怯者のすることであると、これが武士の筋ですし、その意味で会津や二本松は、まさに武家としての筋道を最後まで通して戦ったわけです。

もっとも、いわゆる農民兵については、幕府もこれを用いて陸軍を編成したりしていますから、幕府内でも様々な議論はあったわけで、そのあたりが話をややこしくしています。
けれど、戊辰戦争が、単に尊王攘夷と鎖国佐幕の争いというだけの話ではなかった、そこに思想哲学の戦いがあったということは、もうすこし学校などでも教えてよいものなのではないかと思います。

ただ、国を守ると言う戦力という意味においては、結果からみれば、国民皆兵の方が、もちろん戦力的脅威となりうるわけで、その意味においては、戊辰戦争は、「筋」より「実力」が勝った戦いといえるかもしれません。

こうして新たな政治体制として構築されたのが、大日本帝国です。
ですから大日本帝国は、なによりも実力を重んじました。
戊辰戦争の敵であっても、新たな政治体制の中に、必要な人材をどんどん取り込みました。
明治政府は、実力本位の政府であったわけです。
もちろん薩長閥のような不条理も内包しています。
けれどそういうことは、人の世では、ある程度仕方のない部分でもあります。

明治政府の実力主義の考え方は、四民平等の政策となり、そして日本人としての白人種との対等意識と相俟って、世界に向けて人種の平等を高らかにうたいあげる日本の政策となりました。
そして日本は、世界の有色人種を植民地として支配する白人国家に対して、真正面から戦いを挑んで行くことになるわけです。

教育の根本にあるべきものは、人間としての品格を育てるということです。
いまは亜流とされている歴史観も、あと数年したら間違いなく日本の主流となると思うし、100年後には、世界の常識となっていくであろうと、私は思います。













(夢人補足)「植草一秀の『知られざる真実』」ブログより転載。(直接には「ライブノート」より)





自民党は総選挙の際に、TPPに参加するための前提条件を公約として主権者に提示している。


ここで提示した条件が整わなければ、TPPには参加しないことを宣言したものである。


実際、総選挙の際に自民党は、


「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。日本を耕す自民党」


という文字を大きく明記したポスターを貼り巡らせて選挙活動を展開した。


その自民党が、本年3月15日に、TPP交渉参加を決めたこと自体、ペテンというほかない。

















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天皇は日本という揺れる国の動かぬ重心である

「日本の独立をめざして」から転載。(元のブログタイトルは長いので略した)
書かれた内容のすべてに賛同してはいないが、日本の天皇制は、世界でも稀な、「奇跡のようなシステム」である、ということには賛成だ。要するに、これも下記記事に書かれているように、(私も同じことをずっと言っているが)「権力」を「権威」が制御するというシステムである。これはローマ法王庁ですらやっていないどころか、バチカンは常に現世的権力の支配構造の一部でしかなかった。もちろん、天皇制の歴史を見れば、天皇が実権力の中心であった時代も幾つかあり、それはすべて失敗に終わったと言っていい。そして、天皇が実権力を他者に譲り、ただ権威的存在になった時に、日本は平安が保たれたのである。
つまり、現在の日本国憲法における「象徴天皇制」こそが、まさに日本の政治史的伝統と最高に一致したシステムなのである。(占領軍における日本支配の打算の結果が偶然に日本の歴史的事実に合致したという可能性もあるが)
もちろん、このシステムでは「権威」は現実政治には基本的には口出しはしない。天皇が政治に「ああしろこうしろ」と言ったことはほとんど無いのである。ただ、棋士上がりの右翼的な男が園遊会で「日本中に日の丸を上げ、君が代を歌わすのが私の夢です」とか何とか言った時に「強制でないのが望ましいですね」と穏やかにたしなめたくらいだろう。この一言の日本社会への「抑止力」は強大なものがあったと私は思っている。
つまり、天皇とは日本社会の中心にある、静かなる権威、動かぬ重心なのである。日本があまりに右傾化、左傾化した時や、日本が危機に陥った時に、その権威が発動されれば日本人はおそらくそれに従うだろう。
日本の敗戦時に天皇の言葉一つで日本国民は手に持った武器を捨てて、敗戦を静かに受け入れた。(天皇の戦争責任の話はまた別問題であり、ここでは天皇という存在の力と権威を問題にしている)それには、占領軍そのものが驚いたという。敗戦後もゲリラ的な戦闘が長く続くことを彼らは覚悟していたのである。ところが、天皇の一言で、戦闘行為がぴたりと収束した。このような国民を西洋は初めて見たはずだ。
私は「尊皇攘夷」主義者であり、「社会主義者」であり、「日本国憲法」支持者である。それらには少しも矛盾は無いと思っている。もちろん、「攘夷」とは、日本に害をなすグローバリズムやグローバリストを敵とみなし、日本から追い払え、ということだ。簡単に言えば、ユダ金や外資の手先を「夷敵」だと私は言っているのである。
天皇制については私と異なる意見の持ち主は多いと思う。特に、「天皇の軍隊」によって悲惨を味わった被害者には天皇や天皇制は永遠の敵とも思われるだろう。だが、天皇制というものには無限の価値があり、それは「世界が憧れている」奇跡のようなシステムかもしれないのである。
しかしまた、そういう天皇を「玉」と見て、その錦の御旗を手に入れて利用しようという現世的権力は昔から無数にあった。明治維新は天皇という「玉」を手に入れた側が「官軍」となり、江戸幕府が「賊軍」とされたために、江戸幕府の敗北が決定づけられたとも言える。天皇も人間である以上は、そうした傀儡化の危険性は常にあるわけである。しかし、現在の天皇はまさしく「日本国憲法」の体現者であると私は思っている。願わくば、この後の天皇後継者もすべてそうであってほしいものだ。




(以下引用)




2013/10/28


「天皇制という奇跡のようなシステムに世界は憧れている」  



権力の頂点が、実権力を持たず、許されているのは民族の平安無事祈願だけである

奇妙な事に、権力の認証者に、実権力は無い。

しかし権威がある。しかしその権威は行使される事はめったに無い。民族の危機存亡の時をのぞいては。

歴史上そんなに発動されるものではない。

モンゴルの脅迫状が届いた時、打ち払い命令を出した。多分これが天皇と言う、不思議なシステムが発動した最初だ。

天皇家の政治権力を奪ったはずの鎌倉武士がこれを根拠にして戦った。


その後は、信長のときに危機があったが、天皇が何かをしたかはわからない。ただ暗殺の信長「打ち談合」には側近がからんでいた証拠がある。

その後は、ヨメを次々送り込まれて徳川家と一体化した、北朝は

江戸幕府崩壊のときに殺されたといわれる、孝明天皇の、無視された攘夷命令。。。。

その後、おそらくイギリスが発案し、乗っ取ったといわれる、南朝の末裔とも、馬の骨とも言われる人物が送り込まれ、現人神システムの明治天皇になって、発動はされなくなったが、

そのうち、元に戻った。明治天皇は戦争を非常に嫌っていたそうだ。

天皇が天皇に戻った。それが終戦のときの決断である。天皇家はニホンジンの心理収斂先そのものである。

じつは武士も元々天皇家と血がつながっている。武士のでもとは、源氏と平家、関東武士は平将門だろうが将門は、

「平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。」要するに武士は皇族なのだ。

(この2000年で、縄文お出身である武士と弥生の出身である、天皇家と血のつながりの無い人の方が少ないだろう、という事になっている。ということはニホンジンのほとんどは天皇家と血がつながっていると考えられるのだ。つまりニホンジンほとんどは皇族である、と強弁でき、ニホン民族とは天皇族のことになる! これが昭和天皇が挙国一致の太平洋戦争を指導できた理由である)

武士の出元ははっきりしないが、おそらく天武あたりからだろう。実際の殺しを下賎の、縄文人系統にさせたのだ。

(仏教で動物を殺したりする事をすると浄土に行けなくなるという事で、穢れ行為の実行を縄文系に押し付けたのだろう。穢れ行為が無いと、秩序は維持できない。それより前は天皇家は本人が弓矢、刀をつかんで殺し合いばかりしていた。世界標準の普通の王権のありようだった)

敗戦後、一切天皇家は発動をしなかった。

そして。原発事故の時、天皇の強権発動がおこった。

ただ一言、私は逃げない、静まれ、と。

そして今回は、皇后が5日市憲法に言及した。

国民の権利を大切にせよと命令したのだ。

それだけ今が、民族の存亡の危機だということである

皇后の発言なのでどういう政治的動きにつながるかわからないが。

ところで、皇后はキリスト教を信奉する家の出だ。精神の根幹は愛の思想である。

じつは大愚の考えでは、キリスト教の愛の思想と、天皇の天に祈願する概念は全く矛盾しない

バチカンの強奪と世界征服理念とは矛盾するが。

天皇という存在は共生の思想でさえあれば、なんとでも共存できる。同じ事を語彙を違えていっているだけだから。

天皇はひたすら、民族の平安を祈っているのである。平安と幸福を祈らない庶民は一人もいないから、

人類の代表となりうるのである。

それが、天皇の威力であって、血統や教義の問題ではない。

全くの偶然だろうが歴史の紆余曲折の結果、そういう事になっているのである。これは厳然たる事実性を持っている

偶然の結果形成され、願いの流れを実現すると、みんなに採用され、このシステムは、奇跡のような強制力を発揮する。

日本では天皇の祈りが収束すべき人間の基準線となっている。

だから揺れが大きくてもそこへ向かって収斂する、社会体制のホメオスタシスの基線になっている。アメリカには基線が無い。国が殺戮と強奪で形成されているからだ。

日本は弥生と縄文の共生で成立している。

これも偶然だろう。山に逃げられると当時の武力では征服不能である。日本の山は全部つながっているのが特徴。要するに追いきれない。共生するしか無いのだ。

だからアメリカはそこを破壊しようと、ネットに雑情報を流したり、共産主義(元々ネオコンはこれだ)をけしかけたり、いろいろしかけてくるが、彼らは殺し合いの勝者なのでいつも不安に苛まれており、逆に、天皇へのあこがれが嵩じて行き

DRFやシュウキンペイ、とう小平はあいに行くのだ。

まだあっていないのはプーチンくらいだろう。

プーチンが天皇とあうのは、日露の平和条約締結のときで、そのときが日本再独立のときだ。

この論理、政治思想をわかっていただけるだろうか?

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あなたもわたしも遺伝子の流れで言うと皇族なのだ。。。。。

そして、現存人類はみな、何十万年か前の出アフリカの数十人の末裔だ。

そうすると天皇は世界天皇となってしまうのだ。武力や実権力、宗教教義を離れた、人類の象徴として。

水爆時代は共存する以外にわれれにできる事は無いのだ。石器時代は武力の過少によって共生の思想ができ

現在は武力の過大によって、共生思想が可能になる

政治思想における自発的対称性の乱れが全世界的におこっている

日本の天皇システムが、世界の求心力の中心になりうる。殺し合いには、偽ユダヤでさえ、疲れきっているのだから。





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