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ひ~らひ~ら♪

暇つぶしにネットを見ていたら、「めぞん一刻」結末部の総集編みたいな動画があって、なかなか感じがいいので、ここに取り込んでおく。
「ひ~らひ~ら♪」のあたりは、あのアニメを見ていた人なら、この真面目な動画ではなく、例のアホダンス(登場人物たちが並んで、ガニ股で横歩きする奴)を思い出すだろう。(一番の歌詞では「き~らき~ら」だが、二番では「ひ~らひ~ら」。アニメでは二番の歌詞が使われていた。)

昭和は遠くなりにけり、である。





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肉体的な美と精神的な美の一致

「文殊菩薩」に皇后様の記事が載っていたが、その一部だけ転載する。他の部分も皇后様の人柄を表すエピソードであるが、この部分に特に私は感銘を受けたからだ。中でも赤字部分が、それだ。最初の手話の件は、皇后様が、この障害者大会を参観するに際して、あらかじめ、称賛を意味する手話を覚えた上で参観なさったことを意味している。果たして、他の来賓にそれほどの心配りのできる人間はいただろうか。おそらく、ほとんどいるまい。
次の、知的障害者の子供たちに皇后様の印象を訊ねた時の彼らの答えは、相手が皇后様であることは知らなくても、「きれいな人」「やさしい人」という印象はそのまま伝わったということだ。これが人格の力である。
私は皮肉な人間だから、女性が「幾つになってもきれいでいたい」などと言うのを聞くと、「きれいな婆あがいるもんか」と憎まれ口をききたくなるのだが、ある種の人間は、人格の力が外面まで美しくするのではないか、とも思う。はっきり言って、洒落ではないが、皇后様はまさしく「皇后しい」いや「神々しい」美しさだ。女優などの、骸骨の上に肉で化粧しただけの表層的な美しさとは別種の美しさである。だから、年齢を超越した美しさなのだろう。
若いころの美智子妃も美しかったが、今の美智子妃の方が、ある意味、若いころよりも美しいのではないだろうか。




(以下引用)



10月6日、東京都文京区であった「第15回日本太鼓全国障害者大会」を訪れた時もそうでした。

 この大会には、耳が不自由な人や知的障害がある人たちが参加。熱のこもった演奏が披露され、皇后さまは身を乗り出すようにして鑑賞していました。演奏が終わると、両手を高く上げ、ステージに向かってひらひらと左右に振り続けました。関係者に聞いたところ、「称賛」を意味する手話だったそうです

 帰り際、皇后さまは、出演を終えた人たちを「立派でしたよ」とねぎらい、これから出演するメンバーには「たくさん練習なさったんでしょう。しっかりね。いつものようにたたいてくださいね」と激励。福島県郡山市から参加した太鼓チームには「被災されなかった?」「太鼓は無事でしたか」と気づかっていました。

 主催した日本太鼓財団の塩見和子理事長が話してくれたエピソードも印象的でした。皇后さまがお出ましになった際、大会に参加した知的障害のある子どもたちに「どなたかわかる?」と聞くと、皇后さまのことは知らないようでしたが、口々に「きれいな人!」「やさしい人!」などと話したといいます。「皇后さまはいつも本当に障害者福祉のことを気にかけてくださっています」と塩見さんは話していました。



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国家による大量・長期的殺人

「wantonのブログ」から転載。
凄い話である。
「将来、君たちの二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬ」と福島では小学生に教えているそうだ。そして、「癌は国民病だ」、と教えているそうだ。
つまり、福島周辺でこれから頻発することが確実な、癌の発症は、福島原発由来の放射能のせいではない、ということにしよう、ということである。明らかな洗脳行為、宣撫工作である。
これが日本政府である。これが厚生省であり、それに従う医学産業界である。
岡山博氏のツィッターの内容も凄い。首の超音波検査で結節が見つかっても、所見や写真などの記録を残すな、という通達が出ているそうだ。
国家挙げての、放射能による甲状腺異常の隠蔽工作である。
国家による大量殺人行為と言っていい。
それに従っている医療界も、国家犯罪の共犯者である。
日本史上、国家がこれほど無茶苦茶になった時代は存在しなかったのではないか。
いったい、日本国民にとって日本政府とは何なのだろうか。

いやはや、政治的な話はこのブログでは書かない方針にする予定だったが、こういう記事を見ると、つい義憤に駆られて書いてしまう。心が子供なのだ。それとも「やむにやまれぬ大和魂」か。




(以下引用)*記事の一部は写真版なので転載できない。(できるかもしれないが私には面倒。元記事参照のこと。)*赤字部分は夢人による強調。




【郡山発】~どうせ僕もみんなも、ガンで死ぬんでしょ~
テーマ:ブログ
【郡山発】
~どうせ僕もみんなも、ガンで死ぬんでしょ~





郡山発~クラスの2人に1人はガンになり、
3人に1人は死ぬ国民病だと教える小学校


niko さんの記事より

☆最大の国民病だけどさ・・・!?
http://ameblo.jp/mtkyc/entry-11677995033.html


郡山市に在住の方のツィートによると、
小学生にこうした資料を配布してるそうです。






将来クラスの二人に一人はがんになる!?がんは最大の国民病


30人クラスだったら将来がんになるひとは15人。
がんで死ぬ人は10人になることに。

がんになるのは放射能じゃないよ。
国民病だよって意図的に植えつけている。

千葉市でも311以後、早々に外部被ばくと内部被ばくは同一だ
という安全プロパガンダ資料を小学生、幼稚園に配布していた。

税金を使って安全神話振りまく前に
血液検査や尿検査をやったらどうなのか。

郡山市で起こされた集団疎開裁判こそ本来は自治体としては
住民と共に向き合うべきではないのか。

子どもの被ばくや健康問題と向き合おうとしないで、
人口流出を止めたいがための大本営発表をやめるべきだ。


転載おわり



どうせ僕もみんなも、がんで死ぬんでしょ。


ずっと忘れてた言葉を思い出してしまった。
長女と一緒によちよち歩きのころから育った男の子が震災後言った言葉。

子どもなのに、未来が見えない。
でも未来を見せたい。

福島に住んでいるからって、被曝を受け入れてるわけじゃない。
まだまだ諦めていない。

小学生に貴方たちの半分はがんになって、
その中のほとんどは死ぬのよ、
なんて絶対言えない言葉だと思う。

人としての心持っていますか。
この資料を作った人の神経を疑います。

怒りと悲しみがこみ上げてきます。


<転載終わり>


以上の記事の続編記事 ↓ 必見です。

☆bebeさんへ
http://ameblo.jp/mtkyc/entry-11679846725.html



管理人

元々、福島の人達を助ける意思が無いのは分っていました。
福島棄民政策が堂々と行なわれたことを誰も知らない
とは言わせません。
金が無いからだそうである。
しかもその挙句、復興予算は利権屋によって食い物にされた。

金はあります。
安部総理は、紙屑同然の米国債を5兆円買い、しかも更に、
米国の為に50兆円を用意すると公言しています。

そんなお金があるのなら、
何故、福島の子供たちを助けないのか!
何故、多くの福島県民の為に使おうとしないのか!
その理由は、極めて明快です。

米国は、日本のお金は自分達のものだと思っています。
日本の主だった政治家や官僚は、彼らの道具に過ぎませんし、
実は、彼らは日本国民の最大の敵なのです。
日本国民の真の敵が、実質的に今の日本を支配しています。

しかもそれだけではありません。
彼ら、売国政治屋や売国官僚どもは、人口削減を指示されており、
それを忠実に実行しているのです。
食べて応援なんてのは、その典型的な一例です。
マスコミは、最もタチの悪い共犯といえるでしょう。

放射能汚染地帯に住まわせて、線量計を子供や大人につけさせる
国が一体どこにあるというのか!
酷い、あまりにも酷過ぎる・・・
その事実が、何故、国民に理解出来ないのだろう!?

いずれ近い将来に、被爆症状が多発して来ると懸念されます。
その時の為に、国民病だと刷り込んでいる訳です。
被爆した市民が医者に行ったら、レントゲンなどの証拠を
残すなと指令が厚生省から出ています。
裁判で不利になるからです。
彼らにとって不利な判決が出ると、訴訟を起した原告に
多額の賠償を払わなければならなくなります。
彼らは、国民の為にお金を使いたくないのです。
それが真相です。

日本の血税は、米国と官僚組織が山分けって寸法です。

そして、原発利権は如何なることがあっても死守する!
国民が数百万人死のうが関係ないって腹積もりでしょう。

まことに残念ではありますが、それが真相です。

それともう一つ、保健所から出されている子供達洗脳用の
資料は大ウソばかりです。
その一つを説明します。

自然の放射線と原発からなる人工の放射線は同じだと説明して
いますが、まるで違います。
元々、自然放射能に対して耐性があるから生き残って来れた訳です。
しかも、これらは体内では蓄積されないのです。

原発からなる放射線は、超微粒子の放射能物質なんです。
それらを吸い込んだり、飲み込んだら体内に蓄積します。
それだけではありません。
プルトニュウムは、4000万分の1グラムを肺に吸うと
確実に肺ガンへと発展します。
日本国民を全滅させるのに、角砂糖6個分あれば足りると
云われているほど恐ろしいものなんです。
こんなものが、安全である訳がありません。
プルトニュウムやストロンチウムは、セシウムの数百倍も
危険な核種なのです。
こんな事は、説明すれば子供にだって分かります。

いずれ、次々と倒れていった場合を想定して
今から、洗脳をしているというのが真相です。
無論、子供たちだけではなく、寧ろ、親達が本命でしょう。
あなたたちがガンになったとしても国民病なんだから
文句は言いなさんなと・・・

これを指揮している大元は厚生省に間違いありません。
保健所は厚生省の管轄下にあります。
厚生省を実質支配しているのは、人口削減委員会です。
その事に気づかない人があまりにも多過ぎます。

子供に絶望を教えるより、希望を伝えなければいけません。
それが、国としての本来の役目なのですから。
福島の親達は、何故、目を覚まさないのか!
今なら、まだ間に合う可能性があるというのに・・・





皆さん!
是非、これを目に焼き付けておいて下さい!
http://ameblo.jp/64152966/entry-11330554317.html




福島の子供を護らない代わりに送られてきた積算線量計
http://ameblo.jp/64152966/entry-11393803274.html


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長いものには巻かれろ主義の国民

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」から転載。
さすがにプロの物書きらしく、面白く、警抜な文章である。私のような素人の垂れ流す駄文とはレベルが違う。とは言っても、最近のプロの多くは素人以下だし、素人の中にも非凡な人は多いのだから、昔とは「プロの中の本物のプロ」の比率が違ってきた、ということだろう。科学者の中にも本物のプロは稀少だろうし、マスコミ人や政治家の中の本物のプロはほとんどゼロに近いことは多くの国民が今では分かっていることだ。まあ、利権政治家も、ある意味ではプロとは言えるかもしれないのだが、それはヤクザもプロだ、というレベルの話だ。だが、問題は、国民の側の話だ。
我々はこの国で行われる虚偽や悪事をすべて黙認してきたではないか。
それを今さら正義漢ぶって詰問し、些細な悪事や欺瞞を問い質すという、昨今の「食品偽装問題」の様相には、割り切れないものを感じていた人は多いはずだ。
些細な悪事や欺瞞だからいい、というわけではないが、それより巨大な国家的犯罪がこの国では明らかに進行中だというのに、マスコミは何をしているのか、という話だ。まあ、例によってスピンとかスピン・オフとかいう目くらましであろう、とは多くの人が感じているだろうが、善良なる大衆はこれまた例によって目を眩まされてしまうのである。
いや、目を眩まされているのではないかもしれない。多くの人は、分かっていて、斜めに眺めて冷笑しているのかもしれない。だが、それでいいのだろうか。それを永遠に続けるのだろうか。
「社会とはそういうものさ」という訳知りめいた「大人」が「空気を読んで行動する」社会が日本である以上、この国が変わることは非常に困難だろう。つまり、国民の自業自得、ということだ。もちろん、私もその国民の一人として、子孫にそういう社会を残してしまうことを謝罪しなければならないのだが。


(以下引用)


 わたくしたちが暮らしているのは、一票の格差が2倍を超える設定の選挙で国会議員を選出することを、もう何十年も放置している国だ。
 そういう意味で、わが国の平均的な国民の遵法意識は必ずしも厳格なものではないのであって、それらは、いまさら法が守られていないことに驚いてみせている人々のカマトトぶりと、好一対を為しているのである。
 われわれは、法が適正だからそれを守るのではない。
 処罰が厳格だから法を遵守せんとしているのでもない。
 多くの日本人は、「みんなが守っているから」という理由で法を守っている。
 であるからして、「みんなが守っていない」法律は、時に、軽視される。
 当然の展開だ。
 かかる観察を踏まえて、私は、この度の食品偽装の問題は、遵法精神や倫理の問題であるより、横並び思想の結果だというふうに考えている次第だ。

幸い、食品を偽装していた関係者は、一斉に表沙汰になることによって、是正の機会を得た。
 大変に良い機会だと思う。
 こういう展開になれば、われわれは、法を守れるようになる。
 これまで、不承不承に法を軽視していた人たちも、ようやく、正々堂々と法の内側で暮らせるようになる。
 そういう意味で、このたびのこの馬鹿げた事態は、大筋からすれば、望ましい展開なのである。
 おそらく、これから先何年か(あるいは何十年か)の間は、誤った表記を顧みない態度や、食材の生産地を偽ろうとするタイプの商売はカゲを潜めることになるはずだ。われわれは、「みんなが守っていれば」どんなにくだらない決まり事であっても、驚くほど律儀に守り通すことができる国民だからだ。
 焼香のマナーと同じだ。
 参列者は、線香の粒に畏怖の念を抱いてアタマを下げているのではない。
 単にみんながそうしているから、似た仕草をしているだけなのだ。
 同様にして、われわれが法を犯すのは、法を軽視しているからではない。国家権力に対して害意を抱いているからでもない。法の成り立ちに疑問を持っているからでもないし、その有効性を疑っているからでもない。うちの国の人間が法を守らないのは、多くの場合、「みんなが守っていないから」だ。
 国道を走ってみればすぐにわかる。
 制限速度を忠実に守っているドライバーはほぼ皆無だ。
 誰もが、10キロ程度は制限速度を超過したスピードで巡航している。
 と、こういう状況では、かたくなに制限速度を守る態度の方が、どちらかといえば忌避される。
 事実、遵法運転者は、交通の流れを阻害する混乱要因として、しばしば、周囲のクルマに無用なブレーキを踏ませる。
 だからこそ、ドライバー間で共有されている不文律の中では、道路交通法を字義通りに遵守することよりも、「周囲の運転者の円滑なドライビングを妨げない運転」を心がけることの方が重視されているのである。
 で、以下は、私個人の憶測であることをお断りした上で書くのだが、この「制限速度を10キロ程度上回る速度で走る」というわが国の運転者の間で共有されているアンリトン・ルールを、実は、交通警察の側も、ある程度は含み置いた上で交通の取り締まりをしている。

であるから、10キロ以下の速度超過で違反切符を切られることはまず無い。
 憶測ついでに、もうひと押し邪推を重ねるなら、行政側は、典型的なドライバーが、ある程度の速度超過をおかすことをあらかじめ織り込んだ上で速度規制を設定している。つまり、彼らは、60キロ以下で走ることが望ましいと考えられる道路には、50キロ以下の速度制限標識を設置することにしているのである。
 私は善悪の話をしているのではない。
 速度標識を無視することを推奨しているのでもないし、軽微な速度超過を看過している警察官の怠慢をなじっているのでもない。
 ただ、「そういうふうにして世間は動いている」ということを申し上げているだけだ。
 で、われわれの社会は、「そういうふうにして世間は動いている」という世間の人々の思い込みを上書きするべく運営されることになっている。
 ある日、新米の板前が板場に入ってくる。
 たとえ話だ。
 その厨房経験半月に満たないド素人の小僧が、ある日
「板長、これ、クルマエビじゃないっスよね?」
 と、尋ねたとしたらどうだろうか。
 板場にはどんな革命が起きるのだろう。
 彼は、シャープな質問をする切れ者のルーキーとして、板場の先輩たちの賞賛を浴びるだろうか?
 浴びない。
 断じて、愛されない。
「何言ってんだタコ助」
「出すぎた真似をするんじゃねえ」
「仕入れのネタを勘ぐるなんざ十年早い」
「空気読めクソガキ」
 ぐらいなことで、彼は、黙殺されるはずだ。
 というよりも、返事すらしてもらえず、包丁の背でアタマを叩かれて終わりかもしれない。
「いいか。おやっさんが峰で叩いたのは温情だぞ」
「なあヒロイチ。オレたちが心をこめてエビのカラを剥いて背わたを取るのは何のためだと思う?」
 親切な先輩が諭してくれたら、むしろ幸運な展開といえるだろう。
「ベトナム生まれのエビ君をクルマエビに変えてあげたいからだよ」
 とか。
 ともあれ、昨日今日やってきた新人が、長年にわたって板場で守られてきた伝統を打ち破ることは、不可能に近い話だ。
 では、ベテランの板前になら、それができるのかというと、もちろん簡単ではない。
 業界全体が、クルマエビでないエビをクルマエビと呼ぶことを常態化させている中で、自分たちだけが、「ブラックタイガーの黄金焼き」なんていう間抜けな一品をメニューに載せたら、なんのことはない、正直者だけが損をするデキの悪い寓話になってしまう。
 何年か前に読んだ『みんなのプロレス』(ミシマ社)という本の中に、テリー・ファンクが著者に語った言葉として、印象的なフレーズが引用されていたのでご紹介する。
「プロレスを見る上で一番大切なのは」
 と、テリーは言ったのだそうだ。
「サスペンション・オブ・ディスビリーフだよ」
 なるほど。
 Suspension of Disbelief
 なんと味わい深い言葉ではないか。
 直訳すれば「疑念を棚上げにすること」ぐらいになるのだろうが、テリーの真意に寄り添って思い切った意訳を試みるなら
「そこ、突っ込まんといてや」
 ということだ。
 トップロープからのニードロップの時に膝と反対側の足が先に着地してるんじゃないかとか、パイルドライバーで、頭頂部はマットに当たってないんじゃないかとか、そういう野暮なツッコミは、プロレスを殺す、と、テリーは言いたかったはずだ。疑う心は、レスラーに失礼なだけじゃなくて、興行主にとって災難だし、なにより観客であるキミ自身にとって自滅の道だよ。だって、自分がプロレスを楽しめなくなるじゃないか、と。
 厨房の人間も、似たようなことを考えていた。
「エビの本名とか、野暮なこと言うなよ」
「クルマエビだと思って食った方があんたらも気持ちが良いだろ?」
 しかし、プロレスの時代は、終わった。
 われわれは、ブラックタイガーとガチで闘わなければならない。
 おそらく、偽装の慣習は今回の一連のケースのように、「業界が足並みを揃えて謝罪会見をする」流れを経ずしては、決して根絶できなかったはずだ。
 なんとなれば、われわれにとっては、法が法であることよりも、法が守られているかどうかの方が重要で、誰も守っていない法は、誰も守ろうとしないからだ。
 われわれは「法を守ること」よりも「職場の秩序を乱さないこと」や「伝統を毀損しないこと」を重視することになっている。ずっと昔からそうだ。帝国陸軍も清和源氏もみんなそんなふうな人たちだった。
 だから、うちの国の集団に秩序だった行動を求めるためには、遵法精神に訴えるよりは、同調圧力に委ねたり、前例踏襲力学に訴えた方が適切だったりするわけで、もしかしたら、われらの遠い祖先はイワシかペリカンだったのかもしれない。

つい昨日、さる大学が校内で展開している禁煙キャンペーンのコピーが、ツイッター上でちょっと話題になっていた。
 コピーは以下のようなものだ。
《「金がない」とボヤく友だちに限って、タバコを吸っている。》
《卒業までに、空気の読める大人になろう。》
《マナーも守れない学生に、内定を出せますか。》
《カッコつけて タバコを吸っていた。 カッコ悪かった。》
 特に、二番目の「卒業までに、空気の読める大人になろう」が、集中砲火を浴びた。
 これは、タバコの煙で「空気」が汚れることを、「空気を読む」という21世紀の流行語に上乗せして表現したコピーで、技巧上は、なかなか凝った作品だと思う。
 ただ、大学側が、「空気の読める大人」になることを学生に求めているように解釈できる点が、ツイッター雀の反発を買ったようで、そう思って読んでみると、たしかに、いやな圧力がある。
 私自身は、コピーの出来不出来はともかくとして、この種の学内規則に類する事柄を広告代理店の手に委ねてしまった大学の姿勢に失望を感じた。具体的言うと、校内禁煙という方針自体への賛否は措いて、「規則」よりも「空気」で学生を動かそうとした点がどうにも気持ちわるいのだ。
「長いものには巻かれろ」
 ということわざの続きを、権力者の側から言い足すと
「すべての長きものは汝らを縛る捕縄なればなり」
 ぐらいのフレーズになる。
 実にいやな感じだ。
 日本中の少なからぬ数の厨房でエビが経歴詐称を繰り返すようになったのは、おそらくバブルからこっちのこの20年のことだ。
 こういうことが起きたのは、「前例」が「踏襲」されたからであり、板場の人々が「空気」を「読んだ」からだ。
 この先、われわれの国を誤らせるものがあるのだとしたら、それは、おそらく「法」や「イデオロギー」や「悪意」ではない。
 「空気」みたいな、一見なんでもなく見えるくだらないものが、人々に虚偽の申告を促し、あるいは沈黙を強制し、抵抗力を奪い、そうすることで、この国を後戻りのできない道程に導くことになるはずだ。
 そう思うと、たかがエビと笑ってばかりもいられない。
 エビの次は死。
 あ、これ、ABCのシャレね。ショボいオチですまない。
 空気読んで笑ってください。

(文・イラスト/小田嶋 隆)




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絆があるから大丈夫!

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
私は、民主党革命や、3.11で日本人は覚醒し、日本は変わる、と期待していたのだが、現実の日本国民(一般大衆)は、下記記事のような「心優しいダニ」でいることを選んだのだろうか。

3.11の直後からマスコミで洪水のように流された「絆」という言葉の偽善性。

「同情するならカネをくれ」という昔の流行語があったが、3.11の被害者たちが得たのは、日本全国の皆さんが、温かい心で寄せた、「同情」だけであった。

そして、東電は今年は黒字を計上し、来年以降も黒字を続けるために原発再稼働を計画し、大手銀行はそれに協力して、5000億円の融資をするそうである。

これが、日本という「美しい国」の実態である。


(以下引用)


日本人とは、見棄てられた心優しいゴミクズである
ジャンル : 政治・経済 スレッドテーマ : 教育問題
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日本人とは何でしょう。この問いに答えるために、今この時期だからこそ読みたいテレビドラマのシナリオがあります。ふなぼりすたさんのブログ、「お花畑めざして」の書き起こしをお借りしましょう。


●お花畑めざして
だって絆があるから
http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120626/1340685941
2012-06-26

「リーガルハイ」(フジテレビ系・火曜21:00~)
(http://www.fujitv.co.jp/legal-high/index.html)

第9話(6/12放送分)より

・・・・・・・・・・

仙羽化学と住民との和解交渉は、住民への切り崩し工作が露呈し決裂。
 
  (仙羽化学側が帰った後のふれあいセンターにて)
 
黛   :今後もさまざまな手段でみなさまに懐柔してくると思います。
     気を引き締めてください。

     あなたを原告団から排除しようとは思いません。
     これからも、みなさんを引っ張っていってください。

村 人 : あの

黛   : はい?

村 人 : 私は和解でいいかな、って思うんだけど。ね、あなた。

黛   : は?

村 人 : うん、そうだね。

黛   : 待ってください。仙羽化学はみなさんを騙そうとしたんですよ。

村 人 : 騙すなんて言い方しちゃ、仙羽化学さんかわいそうですよ。

村 人 : 私たちも娘にね、裁判なんてやめた方がいいんじゃないかって
      言われてるのよ。

村 人 : 2000万もあれば、みんなで分けたら一人頭100万近くにはなる。
      私たちには分相応なんじゃないかな。

黛   : 公害訴訟なんですよ。もっともらって当然なんです。

村 人 : そんなにあったって、ねえ。

村 人 : 私たちの望んでいたものは、仙羽化学さんの誠意なんです。
      今回、それがよく感じられました。

村 人 : そう、絆を、再確認できたもんね。

村 人 : 金が全てじゃないんですよ。
 
  (「そうだそうだ」村人一同拍手)
 
古美門 : 素晴らしい!
      皆さんのお考えに感服いたしました!
      さすがふれあいと絆の里だ。
      それではそのように手続きしましょう。
      黛君、後は頼んだ。さようなら。
      (立ち上がり歩き出す)

黛   : (古美門を追いかけ)先生!これでいいんですか?

古美門 : 良いんだよ。

黛   : でも…

古美門 : (立ち止まり)彼らが良いと言っているんだから。
       ですよね、みなさん?

村 人 : ええ。この世には金よりも大事な物がありますから。
      (他の村人に向かって)なあ?
 
  (「そうだそうだ」うなずく村人一同。)
 
古美門 : 見給え、彼らの満足そうなこの表情を。
      ズワイガニ食べ放題ツアーの帰りのバスの中そのものじゃないか。

      黛くん、よく覚えておき給え。
      これがこの国の「馴れ合い」という文化の根深さだ。
      人間は長い年月飼いならされると、
      斯くも「ダニ」のような生き物になるのだよ。

村 人 : なにぃ、俺達のことを言ったのか?

古美門 : 他に誰かいますか?自覚すらないとは本当に羨ましい。
      コケにされてるのも気づかないまま墓に入れるなんて
      幸せな人生だ。

村 人 : あんたちょっとヒドイんじゃないか!

古美門 : 申し訳ありません。
      最初に申し上げた通り、みなさんのような惨めな老人どもが
      大っ嫌いなものでして。

村 人 : おい若造、お前なんなんだよ。
      お前そんなに偉いのか?

村 人 : そうよ、目上の人を敬うってことはないの?

村 人 : 私たちは君の倍は生きているんだ。

古美門 : 倍も生きていらっしゃるのに、
      ご自分のことも分かっていらっしゃらないようなので、
      教えて差し上げているんです。

      いいですか。みなさんは国に見棄てられた民、「棄民」なんです。
      国の発展のためには、年金を貪るだけの老人なんて無価値ですから、
      チリトリで集めて端っこに寄せて、
      羊羹を食わせて黙らせているんです。

      大企業に寄生する心優しい「ダニ」、それが皆さんだ!

黛   : 先生、もうやめてください

村 人 : テメーだってダニに寄生しているバイキンじゃねえか!

村 人 : あたしたちの何が気に入らないの?

古美門 : かつてこの地は、・・・一面に桑畑が広がっていたそうですよ。
      どの家でも蚕を飼っていたからだ。
      それはそれは美しい絹を紡いだそうです。
      それを讃えて人々は、いつしかこの地を
      「絹美」と呼ぶようになりました。

      養蚕業が衰退してからは、稲作に転じました。
      日本酒に適した素晴らしい米を作ったそうですが、
      政府の農地改革によってそれも衰退した。

      そのあとはこれといった産業もなく、過疎化の一途を辿りました。
      市町村合併を繰り返し、補助金でしのぎました。

      5年前に化学工場がやってきましたね。
      反対運動をしてみたらお小遣いがもらえた。

      多くは農業すら放棄した。

      ふれあいセンターなどという
      中身のない立派な箱モノも建ててもらえた。
      使いもしない光ファイバーも引いてもらえた。
      ありがたいですねぇ~。

      「絹美」という古臭い名前を捨てたら、
      「南モンブラン市」というファッショナブルな名前になりました。
      なんてナウでヤングでトレンディなんでしょう。

      そして、いま。
      土を汚され、水を汚され、病に冒され、
      この土地にももはや住めない可能性だってあるけれど、
      でも、商品券もくれたし、誠意も絆も感じられた。ありがたいことです。
      本当に、よかった、よかった。

      これで土地も水も蘇るんでしょう。
      病気も治るんでしょう。
      工場は汚染物質を垂れ流し続けるけれど、
      きっともう問題は起こらないんでしょう。
 
      だって絆があるから!!
  
村 人 : うわあああああ

  (↑の村人に古美門が殴られる。他の村人が制止。殴った村人が↓)

村 人 : てめえなんか、てめえなんか、ぶっ殺してくれる。

村 人 : 譲二の気持ちはもっともだ。

村 人 : そうよ、どうしてそんなひどいことが言えるの。あんたは悪魔よ。

村 人 : あんたなんかにゃ、俺たちの苦しみが分かってたまるか。
      俺達だってあんたの言ったことぐらいイヤというほど分かっている。
      みんな悔しくて悔しくて仕方ねぇんだ。
      だけど、必死で気持ちを押し殺して納得しようとしてるんじゃねえか!

古美門 : なぜ?
      ゴミ屑扱いされているのを分かっているのに、
      なぜ納得しようとしているんです?

村 人 : おれたちはもう年寄りなんだよ!

古美門 : 年寄りだからなんなんですか?

村 人 : 具合が悪いのにみんな頑張ってきた!

古美門 : だからなんだってんだー!
 
      だから労って欲しいんですか?
      だから慰めて欲しいんですか?
      だから優しくされたら
      すぐに嬉しくなってしまうんですか?
 
      先人たちに申し訳ないとは、
      子々孫々に恥ずかしいと思わないんですか?
 
      何が南モンブランだ。
      絹美村は本物のモンブランよりはるかに美しいと
      どうして思わないんですか!
 
      誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、
      みんな仲良しで暮らしていけば楽でしょう。
 
      しかし、もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、
 
      見たくない現実を見なければならない。
      深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。
      戦うということはそういうことだ。
      愚痴なら墓場で言えばいい。
 
      金がすべてではない?

      金なんですよ!

      あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せつける方法は!
      奪われたものと、踏みじられた尊厳にふさわしい
      対価を勝ち取ることだけなんだ。
      それ以外にないんだ!
 
      錦戸晴雄さん、あなたは元郵便局長だ。
      幾度となく閉鎖されそうになった村の郵便局を最後まで守り抜いた。

      森口三郎さんは小学校の校長先生。
      村にいた子どもたちはみんな、あなたの教え子だ。

      奥さんの久子さんは街のデパートの化粧品売場で
      月間売上の記録の保持者。

      合田譲二さんは実に100ヘクタールもの田畑を開墾した。

      川田聡子さんとご主人は田んぼをやりながら
      日雇いの仕事をいくつもいくつも掛け持った。

      富田安広さんは商店街の会長。
      毎年祭りを盛り上げて、あのクリスタルキングを呼んだこともある。

      板倉初恵さんは、女だてらにクレーン車を動かし、
      6人の子供を育て上げた。

      敗戦のどん底からこの国の最繁栄期を築き上げたあなた方なら、
      その魂をきっとどこかに残してる!
 
      ・・・はずだと期待した私が愚かでした。

      いいですか、二度と老後の暇つぶしに私を巻き込まないで頂きたい。
      心優しいダニ同士、お互い傷を舐め合いながら
      穏やかに健やかにどうぞくたばっていって下さい。

      それではみなさん、さようなら!
 
・・・・・・・・・・

(参考)http://news.thetv.jp/article/31085/

(転載ここまで)





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「八面六臂」対「社会的低脳」

「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・ア・警句』」から、一部転載。
夏目漱石の『こころ』の、語り手ではなく、真の主人公である「先生」が自殺した理由を、「先生」自身は「自分という人間がこれ以上生きていても結局(「ひっきょう」という漢字が出ない!)時代遅れだから」と、遺書(手紙)で語っている。昔読んだ時には、この理由にまったく納得できなかったから、一般に理解されているように、Kへの裏切りという過去の悪事に伴う心の負担を清算するため、というのが自殺の真の理由だろう、と思っていた。というより、悪を憎みながら、自分自身が悪を為したことに、「先生」は長い間悩んでいたが、「解けない問題を解決する手段は、その問題自体を消滅させることだ」という、「ゴルディアスの結び目に対するアレキサンダーの解」よろしく、自分自身を消滅させた、というのが「先生」の自殺の真相だったと思う。しかし、「先生」が表向きの理由とした「時代遅れになったから」という言葉は、けっして荒唐無稽な自殺理由でもない、と最近は私も思うようになっている。
下記記事を読んでみても、私自身、時代遅れの人間だなあ、と思う。
もともと若い頃から社会生活不適応者であり、ここまで生きてこられただけでもいわば「社会のお目こぼし」で生きられたようなものだから、いつ死んでも不満はないのである。その社会不適応とは、何よりも「頭の回転が悪い」ということである。他人との思考スピードが全然違い、相手との会話に付いていけないのだ。従って、世間話がまったくできない。相手が言った言葉の意味を考えているうちに、相手の言葉は次の段階に移るのだから、こちらは馬鹿みたいに相槌を打つしかない。相手の話の半分も理解できていないのだ。
その代わり、読書速度は速かったから、文章の読み書きには不自由はなかった。だから、こうしてネットでブログを書いているのは、私にとっては日常会話の代用みたいなものだ。日常会話なら、相手の気持ちをあれこれ気にして話すから、思うことの半分も言えないし、相手と共通の話題があることも少ないから、ネットで好き放題に書いているほうが、私にとってはマシかもしれない。それもこれも私が「思考速度が極度に遅い」人間だからだ。「社会的低脳」と言っていいだろう。
まして、下記記事にあるようなマルチタスク人間は私にとっては別世界の人間である。そういう人間と共存することは私のような人間には相当なストレスだろう。いやはや、早々と社会から降りていて正解であった。(今やっているパート労働は、いわば「隠居仕事」であり、社会の第一線の仕事ではないから、ストレスもほとんど無い。)




(以下引用)



博覧強記対八面六臂


小田嶋 隆


2013年11月8日(金)

1/5ページ



 大阪のホテルの一室でこの原稿を書いている。

 当地に滞在している理由は、昨晩(水曜日の夜)、市内のとある書店で開催されたトークイベントに登壇者として呼んでいただいたからだ。
 イベントは盛況だった。終了後の打ち上げも、終始なごやかにこなすことができた。

 ところが、ホテルに着いてみると、携帯電話が無い。
 イベント会場の書店に、上着ごと忘れてきたらしい。

 東京を離れると、かなり高い確率で、所持品を失くしたり、忘れてきたりする。
 昔からそうなのだが、旅先でのオダジマは平常心を失う設定になっている。
 ノマド適性が低いのだと思う。

 とにかく、夜が明けたら、書店の開店を待って、ブツを引き取りに行かないといけない。なのに、携帯電話がないと、携帯電話を回収するための連絡さえままならない。ダブルバインドだ。
 というよりも、大げさに言えば、世界とのつながりを絶たれた感じだ。

 電波世界のロビンソン・クルーソー。
 お手上げだ。

 で、仕方なく開店を待つ間、ホテルにとどまって原稿を書いている。
 ところが、うまく執筆のリズムに乗ることができずにいる。
 そんなに繊細至妙な文章を書いている自覚は無いのだが、どういうものなのか、調子が出ない時は筆が進まない。

 おそらく私は、自室の執筆環境に依存している。
 いつも使っているパソコンの扱い慣れたエディタや、ブラウザのブックマークや、各種の辞書や、気晴らしのためのゲームや、逃避先としての紅茶やテレビといった、固有の環境が揃っていないと、アタマが十全に機能してくれないのだ。

 とはいえ、ノマド環境に適応するべく自分を最適化すれば良いのかというと、単純にそうとばかりは言えない。
 マックブックエアでバリバリ仕事ができるようになると、今度はどうせあいつに依存するようになる。私はそういう性質(たち)の人間なのだ。

 持ち歩き用のパソコンやタブレットに依存している人々は、昨今、珍しくない。

 たとえば、昨晩のようなトークイベントに若い世代の登壇者が登場するケースでは、彼らは、まず間違いなくモバイルのパソコンを持ち込んで来て、それを目の前に開いた状態で話を始める。必ずそうするのだ。

 シンポジウムでも、単独の講演でも、公開の鼎談や座談会でも同じことだ。三十代までの若手文化人は、デジタルのガジェット込みの拡張版の自我を介して現実に対応していて、それらのモバイルなエゴのスイッチがオンになっていないと、自分の知的活性力を十全に機能させることができない。だから、彼らは生放送のスタジオにさえ自前のマシンを持ち込む。

 彼らは、場の話題に追随しながら調べ物を続行する能力を備えている。具体的に言うと、口から言葉を発しながら、同時に、手元では資料を並べ直していたりするわけで、訓練の行き届いた人になると、会場のナマの声(ツイッター経由だったりニコ生のコメントだったり)を拾いながら、パワポの資料をスクリーンに展開しつつ、絵柄に沿ったジョークをカマすことができる。おそらく、生まれた時からあのテのマシンと並走してきた彼らのアタマは、デフォルトの設定がマルチタスクになっているのだと思う。


(以下「会員ページ」なので、略)




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物言えば唇寒し 秋の風

「陽光堂主人の読書日記」から転載。
特定秘密保護法案の問題点を明確に示す、好い評論だと思う。
これを別の言葉で言えば、「何が秘密かはヒミツです」という、よく知られたフレーズ、あるいは、「アニメが全部黒塗りの『特定秘密のアッコちゃん』♪」というフレーズになるだろう。
しかし、冗談では済まない問題である。陽光堂主人の言うように、「司法制度完全崩壊」であり、その前に、安倍独裁政権により「民主主義完全崩壊」である。もっとも、後者は、先の二つの不正国政選挙で既に崩壊していたのだが。
さてさて、私のブログもそろそろやめる潮時か、とも思うが、今後は政治批判は一切しませんから、御免なさい、許してね、と言っても駄目だろうか。(笑)
それとも、今からでも右翼に転向してしまうかね。まあ、政治的発言は、今後はなるべく自粛する、という程度でとどめておこう。もっとも、頭が子供だから、何か書きたいことが出てくると、前後もわきまえず、過激な発言をすることになりそうな予感がする。
もともと何の知識も無いのに、柄にもなく政治論評みたいなことをしていたのだから、今後はなるべく風流事や趣味的な話を中心にしようかな、と考えている。



(以下引用)




【秘密保護法案】裁判所は特定秘密を扱えず、司法制度完全崩壊



 今の国会は来月6日で終了となり、残り1カ月もありません。この短時日の間に特定秘密保護法案を成立させようと、与党側はシャカリキになっています。

 野党側は、「もっと審議に時間をかけるべきだ」と反対していますが、政府・与党は余程急いでいるようで、修正協議に応じる構えを示しています。何か切迫した理由があるのでしょうか?

 法案に多少の修正を施しても代わり映えしないので廃棄すべきですが、与党が圧倒的多数を占めていますから廃案は難しいでしょう。継続協議の形で先送りできればよいのですが、野党側が変に妥協してしまっておざなりの修正でお茶を濁してしまう可能性が大です。

 この法案が通ってしまうと、この国の司法制度は名実ともに完全に死滅します。現在でも裁判所は、時の政権の顔色を窺って判決を下していますから、特定秘密保護法案が成立したら裁判自体が成り立ちません。何せ、裁判官も処罰の対象となるのですから。

 特定秘密保護法案が主に想定しているのは軍事・テロ関係の機密情報漏洩で、これを知ろうとしたら当然処罰の対象となります。例えば、2020年開催予定の東京五輪のテロ対策の詳細を入手しようとして、あちこち調べ回ったら処罰の対象となります。これは誰でも納得できます。

 しかし、TPPや原発など、我々に密接に関わる情報を集めていたら特定秘密保護法違反で逮捕され、そのまま起訴、非公開の裁判で有罪確定というまさかの展開も有り得るのです。これではネットでの情報発信も迂闊にできなくなります。

 特定秘密保護法案が今の形で施行されたとしても、こうした事件が発生する確率は低いと思われます。(少なくとも当分の間は) 強引な逮捕が続けば、奴隷のように飼い慣らされた国民も騒ぎ出します。そうなったら、政府も好き放題がやり難くなります。

 問題は、不当逮捕や暗黒裁判の情報自体が隠匿される可能性があることです。マスコミは自己検閲を得意としていますから、特定秘密保護法関係の事件の報道を忌避してしまう恐れがあります。第一、報道しようにも中身がよく判りませんから、碌な記事は書けません。「誰それが防衛関係の特定秘密に抵触した疑いで逮捕された」ぐらいしか書きようがないからです。

 特定秘密保護法案と司法の関係については未だ充分に認識されておらず、記事も殆ど見当たりません。日本共産党の「しんぶん赤旗」が11月2日付でこの問題を採り上げていますので、以下引用します。(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-11-02/2013110201_01_1.html)

   許すな!秘密保護法案 理由も秘密のまま逮捕 裁判官や弁護士も処罰の対象に

 外交・軍事情報から原発施設関連まで広範な行政情報を「特定秘密」とし、国民を処罰する「秘密保護法案」。「何が秘密かも秘密」にする同法案のもとで、捜査や起訴といった刑事手続きや裁判はどうなるのか―。10月31日、国会内で行われた超党派・市民の勉強会で議論となりました。
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 法案は、「秘密」を漏らす行為(未遂や過失を含む)や探知する行為(管理侵害行為)を処罰する仕組み。それらの「共謀、教唆、扇動」も処罰の対象です。

 しかし、「秘密」の中身は国民には知らされず、何が処罰の対象になるか国民にはわかりません。勉強会で、警察庁警備局警備企画課長の村田隆氏は、(1)告発がなされた場合(2)別件で捜査し書類などが発見された場合に「捜査を開始する」と説明。しかし、捜索令状や逮捕状に被疑事実が明記されるのかは明言しませんでした。犯罪とされた事実もわからないまま、捜査対象になったり、逮捕される場合もあるのです。

「認識」どう調べる

 政府は「特定秘密であるという“認識”がない場合は処罰対象になりません」(村田氏)ともいい訳します。しかし、その“認識”をどう調べるのか。

 日本共産党の仁比聡平参院議員が「どうやって誰がただすのか。拘束して自白を迫るしかないじゃないか」と迫ると、村田氏は「慎重に捜査するとしか言いようがありません」と否定しませんでした。自白を迫るか、盗聴などで日ごろの会話を調べる以外にあらかじめ「認識」を知ることはできません。

裁判の主題が不明

 裁判ではどうなるのか。勉強会では、内閣情報調査室の早川智之氏が「裁判でも『秘密』を開示することにはならない」「弁護人が特定秘密を入手することは考えられない」と答えました。裁判官だけに「秘密」を提示する場合があるとしましたが、その場合は裁判官も「処罰の対象となる」(早川氏)のです。

 被告人はもちろん、裁判官も弁護人も、裁判の主題が何であるかがわからない。それどころか弁護のため「秘密」を探れば弁護士も逮捕され、「秘密」を漏らせば裁判官も処罰される―異様な刑事裁判です。 (下線は引用者による)

 捜索されたり逮捕されても、何の容疑か分からないというのです。弁護士を呼んだとしても、役に立ちません。肝心の容疑の具体的内容を知り得ないからです。

 もちろん、取調べの段階で本人には知らされるでしょうが、それを弁護士に知らせたらどうなるのか? それも新たな情報漏洩となるのでしょうか?

 日本の警察は自白を強要するのが得意ですから、戦前さながらの環境で連日詰問されたら、大抵の人は音を上げ、何でも認めてしまいます。これで冤罪一丁上がりです。取調べ可視化など、特定秘密を扱っている以上、不可能です。裁判自体も、非公開とせざるを得ません。

 近代国家では有り得ない状況ですが、安倍政権は国民に考える間を与えることなく、この世紀の悪法をゴリ押ししようとしています。安倍は世界一が好きなようですが、暗黒独裁監視国家としても世界一を目指しているのでしょう。安倍自民党を支持した人たちの責任は重大で、自ら身を張って反対せねばなりません。




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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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