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麻薬常習者へのサポートとは何か

「サポートする準備が多少不足していたかと反省している」

そうである。つまり、「日本では麻薬は重大犯罪ですよ」と伝えることを忘れていた、ということか。(笑)


(以下引用)

<トヨタ米国人役員逮捕>豊田章男社長が謝罪「お騒がせして申し訳ない」




[写真]会見を行う豊田章男社長(右)

写真拡大



動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=C9MthUnFhkQ
 トヨタ自動車の米国人女性常務役員が麻薬の錠剤を密輸したとして麻薬取締法違反の疑いで逮捕された事件で、同社の豊田章男社長は18日夕方、東京本社で記者会見し、「世間をお騒がせし誠に申し訳ない」と謝罪した。


 豊田社長は「(逮捕された)ジュリー・ハンプ氏はかけがいのない仲間。できることは仲間を信じて捜査に全面的に協力すること。今後の捜査を通じて、ハンプ氏に法を犯す意図がなかったことが明らかにされることを信じている」と述べた。

 ハンプ容疑者について、「彼女は(同社の)グローバル化への一歩を行動で示してくれた」と評価したが、日本国籍ではない役員が日本に常住するのは初めてのケースだったといい、「サポートする準備が多少不足していたかと反省している」とした。ただ、性別や国籍を問わず適材適所で行ったとする4月の新体制人事について「変更は考えてない」と述べた。





(追記「ネットゲリラ」より転載)「ジュリー・ハンプがヘンプを頒布した」ら、トヨタはどうなるのだろうか。


オキシコドンは鎮痛剤
この方向で電通チームが世論形成します
明日には鎮火です
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全新聞にトヨタの全面広告で口止め料ばらまきだな
てかそれがこの女の仕事だったんだが・・・
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モルヒネより強力な麻薬だぞ。
常用してるってどんな病気だよ?
アメリカだってなんとなく流通してるわけじゃ無いぞ!
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まともな理由で申請必要なことを知らなかっただけなら起訴猶予になるだろうけど、癌の疼痛とか相当きつい鈍痛にしか使わない強力な鎮痛剤だから、そんな病気の人が役員になるのかな?
仕事の疲れをとるとか適当な理由で外国で処方もされてないなら、有罪判決受けて国外追放、薬物犯なので二度と日本に来れなくなる
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これがグローバル化ってことなんやな。めんどくさい
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モルヒネの副作用軽減版だからな こんなの使ってるジャンキーさっさと首にしとけ
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ジュリー・ヘンプって名前だから
大麻の密輸だと思ったわ


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学ぶだけでは何も作れない

この動画はずっと前に見ていてかなり興味を引かれたものだが、in deepさんが書き起こしてくれたので、転載しておく。
ジェイコブ・バーネットは自分自身を天才だとは思っていない(知能が高いとは自負しているようだ。)ようだが、一般的な人から見れば目も眩むような天才だろう。そして、そうした天才に生まれついた人間を羨み、凡人として生まれた自分の運命を悲しむ、というのが普通の反応かと思う。だが、それは誤った考えだ、と彼は言うのである。何かを成し遂げる人間と、何も成し遂げない人間の違いは、「自分の頭で徹底的に考える」か、「ただ学ぶだけで、自分では考えない」かの違いだ、というのである。実際、そうだろう。
ファインマンが科学者と一般人の違いについて、同じことを言っている。両者の知能は同じだが、科学者は一般人とは違って、一つの問題について徹底的に(問題によっては一生をかけて)考える、それだけの違いだ、というのである。
科学には限らない。何か、興味を持ったことに対し、ひたすら集中する人間が、その分野で成功できないはずはない。あまりにも単純なことなので、逆に誰も実行しないのが、これなのだろう。



(以下引用)


19:23

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録

In Deepさんのサイトより
http://oka-jp.seesaa.net/article/420843488.html
<転載開始>


neuron-top.jpg
Your Neural Network


団欒中の覚醒

私は自分の人生で、好きな人はたくさんいても、「尊敬する」という人は基本的にいない、というか、そういう対象を作らないように生きてきましたが(自由が好きな人間が「自分からこの世の自由と平等性を否定してどうする」というやつです)、ちょっと尊敬したくなる人物が意外なところから出現したことに気づきました。

昨日の記事、

「私たちは何か大きなものの上にいる」:地球とすべての宇宙と接続を持つ可能性がある巨大な「プラズマの輪」の存在が証明される
 2015年06月16日

で、世界的な講演会の主催グループ TED で 2012年に講演した ジェイコブ・バーネットさんという、当時 13歳の少年の話を少し書きました。

昨日の記事を書いた時は、この講演会の動画は、パソコンでかなり適当に見ただけだったのですが、昨日の夜、もう一度見ようと、家族で食事をしている時にテレビ画面に写し、大きな画面で、今度はすべての言葉をちゃんと見ていたのですね。

そうしましたところ、彼は、私たち人類の「進化」と「未来の人類社会の理想」に関与する、きわめて重大なことを言っていることに気づいたのです。

もちろん、ジェイコブさん本人はそんなことに気づいていないかもしれません。

しかし、彼が講演会で、物理の歴史を語る際に引き合いに出した、ニュートンやアインシュタイン、そして、ジェイコブさん自身に共通してあったこと、つまり、

学ぶことをやめて、考えだし創りだしたときから、すべては新しくなった

という言葉と、その概念。

「学ぶこと」は人間を発展させない

「考えること」こそが人間の進化を進める

というふたつのこと。

最近の In Deep を読まれていた方なら少しおわかりかもしれないですが、最近の私は以前にもまして、本などで「学ぶばかり」でした。

しかし、現実には、学んでいる時は考えることが止まってしまうのです(本の内容を考えることは「考えている」状態ではないです。基本的に自由な考えではない=ゼロからの発想が止まっている状態ですので)

たとえば、私にしても「恐怖」がどうのこうの、「不安」がどうだの「対峙」がどうだの言っていますが、本を読んで学ぼうとしたりしている。そのような態度では少し困りますね、とジェイソンさんは言っているわけです。

いや、実は、この「学ぶことの弊害」と「考えることが大事」なことは、ずいぶん若い時から体感的にはわかっていたのです。学ぶことを続けていると、人間は自由に考えられなくなる。

たとえば、賢人たちはどうして悟りに辿り着いたかと・・・。

お釈迦様は本などで学び続けた?

達磨大師は知識を学び続けた?

中村天風さんは学び続けた?

否。

彼らが悟りに導くまでにしたことは「考えること」だけだと思われます。

ここに「私たちが大きく勘違いしている」明白な真理が見えないでしょうか。

あるいは、「勘違いさせられ続けてきた」と言い換えてもいいです。

それがまさか、偶然知ったこのアメリカの当時 13歳の少年のビデオの言葉で悟らされるとは!

そして、ジェイソンさん・・・いや、バーネット師は以下のことを講演の最後の方で強く語ります。

「ニュートンもアインシュタインも(自分も)天才ではない。天才なんていない。学ぶことをやめて、考えて、創り出してこそ成し遂げられる」




人類は飛躍的に進化することができる

実はこれに関しては、バーネット師匠の言葉で知るに至った、

人類が内在している能力に関する秘密

と、そして、未来の人類の在り方ということを絡めて、

人類が「劇的に進化」して、「劇的に能力を上げる方法」

について、いろいろなことを書きたいのですが、今回はそんなことより、このバーネット師の講演会の言葉を全部書き出すことにしました。

いいところだけを抜き出してもいいのですが、私が「いいところ」と思う場所と、他の方々や、あるいは師匠が「いいところ」と思うところは違う可能性があるからです。

20分近くの講演ですので、確かに大変ですし、相当長くなるかもしれないですので、読む方々も大変だとは思うのですが、一部のジョークなど以外は、すべてを書き写すことにしました。

私にとっては、写経みたいなものです。

くどいようですが、(あくまで私の考えでは)ここには、人類が、プレアデスの人など比較にならないほど飛躍的に進化する道が穏やかに示唆されています。

たとえば、講演の最後の3分間ほどで「まとめ」のようなことを述べていますが、この部分だけでも「人類全員が果てしない能力を獲得する方法」がさりげなくが示されていることがおわかりになるのではないでしょうか。




これは単に、自閉症から数学・物理学者になった少年の話ではなく、2歳で「切断」されて覚醒した本人からの福音と思えます。

師匠本人はそのことに気づいていないと思われますが。

少なくとも、これは私のショック体験で、師匠の講演を聞いた後に「恐怖と不安の正体」に少し近づいた自分を感じます。

ちなみに、バーネット師匠の記事を教えて下さったのは、私の講演会の打ち上げに来ていただいていた、栃木で自給自足をされている女性(農作業中、マムシに噛まれて救急搬送された経験あり)でした。この方が教えて下さらなければ、多分、知らないままだったと思います。

さかのぼれば、講演会に、あるいは打ち上げに、この方が来て下さっていなければ、私は今回のショック体験をできずに、スルーしていた可能性が高いです。ありがたいことだと思います。

これ以上、私がうだうだと何かを書いても仕方ないですので、書きたいことは今度にしまして、早速内容を書き写します。

師匠のギャグは、ややわかりにくいところもありますが、基本的にはそのまま訳して載せています。
語感や雰囲気などを出すために YouTube の訳とは微妙に違います。

ここからです。



Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen

知っていることを忘れなさい
ジェイコブ・バーネット TED 講演会



forget-whatyou-know.jpg
・ジェイコブ・バーネット師匠


ハーイ、ジェイコブ・バーネットです。
楽しんでる?

ぼくは今日、「知っていることなんて今すぐ忘れてしまえ」ということを言うためにここに来ているんです。

まず、みんながわからなければならないことは、たとえば、みんなは宿題をするよね?
宿題はやらなきゃならないことだと思ってる。

宿題をちゃんとやっていれば、良い成績がもらえ、素敵なご褒美がもらえる。

ちょっとしたお小遣いとか、いいものがもらえると思っていないかい?

それは間違いなんだ!

「みんなは間違っている」というのが、ぼくの言いたいことなんです。

うまく行かせようと思ったら、すべて自分独自の見方をしなきゃならない。

どういうことかというと、考える時には、既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけないってことなんですよ。

ものを見る時には、美術でも歴史でも音楽でも何でもいいけれど、自分にしかできない見方をする。

ここで、ぼくの数学の見方をお見せしましょう。

たとえば、これは 32 で、回転は、足し算、引き算、かけ算などを表しています。


32-001.jpg


さて、今日、ぼくがここに立っている理由は、量子力学の話をするためです。

今日やることは、シュレーディンガー方程式を、時間に対して不変な要素に分解して、それを格子と、その中の1個の粒子という、境界条件に対して解くということです。

じゃあ始めます!

講義ノートがあるので回してほしいんですが、2列にわけるので、どなたか取りに来ていただけますか?

ちょっと待って下さい。その前に、ひとつ言っておきたいことがあるので。

(と言って、その講義ノートをすべて放り投げる)


note-ted.jpg


(笑)

ぼくは皆さんを量子力学でビビらせに来たわけじゃないんです。

もっと簡単なことを考えましょう。

「円」というものがわかる人は、どのくらいいますか?

では、なぜ、円は重要なのでしょうか。

クッキーの形だからでしょうか?
スケボーの車輪の形でもありますね。
何より重要なのは、Xbox 360 に命を吹き込む形だからですよね(笑)。

学校では円についてどう習うでしょうか。

π・r 2乗とか、丸いとか・・・他にありますか?

まあ、それくらいだよね(笑)。

円について、ちよっとおもしろいことをお教えしましょう。

ジョンソンの定理っていいます。

定理っていうより、数学者のものの見方です。

ジョンソンが言ったのは、3つの同じ大きさの円を重ね合わせて、6本の青い線が … 円を青で描いたとしてですが、6本の線が1点で交わるようにしたとき、円が交わる他の3点は、同じ大きさの円の上にあるということです。


johnson-theorem.jpg


これはπ・r 2乗とは違う新しいことです。

なぜなら、ジョンソンは、「円はπ・r 2乗で丸い。それで終わり」というようには考えずに、数学を作ったわけです。彼独自の見方をして、そうしたんです。

ここにいるみんながみんな数学の才能に恵まれているわけではないことは知っているので(笑)、もっとおもしろい話をしましょう。

中高生以上の皆さんなら、アイザック・ニュートンを知っていると思います。

あの、プリズムとかで、何かやった人です。

ニュートンは 1965年に、ケンブリッジ大学にいました。

歴史が得意な人は知っているでしょうが、ペストの流行のため、ケンブリッジ大学は閉鎖されました。

ニュートンは学ぶことができなくなったのです。

学ぶのをやめて、おそらく寮に閉じこもり、飼い猫と一緒にペストから逃げていたのでしょう。

学ぶことはできなくとも、考えることをやめたくはありませんでした。

それで、ニュートンは天体物理の問題を考えることにしました。

特に、地球を回る月の軌道を計算したかったんだと思います。


newton-ted.jpg


ニュートンがやったのは、この問題を解くために微積分を作り、運動の3法則を見つけ、万有引力の法則を見つけ、法則を検証するために、反射望遠鏡と光学を作り、そういったものすごいことを「学べなかった2年の間に」やったんです。

当時、ニュートンが学べなかったのは、ぼくらみんなにとって、とてもいいことだったのです。

学ぶことをやめたことで、自分で考え始め、新しい科学を作ったんです

よかったですよね。

そのおかげで、あの物理学理論があるんですから(笑)。

ニュートンは学者になったり、オールAを取ったり、成績優秀者リストに載ったり、教授のお気に入りになることもできたかもしれないですが、もし、あの時に、学ぶことを「やめなければ」何も創ることはなかったでしょう。

理論を新しく生み出すときに、ニュートンは自分で考え始め、独自の見方で物事を見る必要があったんです。


最初に自己紹介をやらなかったので、ぼくの自己紹介をきちんとしておきたいと思います。

11年前(2歳のとき)、ぼくは自閉症と診断されました。

ぼくは物事に極端に集中してしまうため、周囲からぼくは何も考えていないように見えたようです。

だから、ぼくは、「ここに光が反射しているから、光源は上。そして、ぼくの影はここだから、光はあっちから来る」と思って見上げると、その通りという感じだったんですね(笑)。

そんなことで、周囲は、ぼくは学ぶことができない子どもだと思ったんです。

じっと空を見上げ続けているだけで、ぼくが何もしていないように見えたので、みんなは、ぼくが何も学ばず、何も考えず、何も話さず、靴紐も結ばず・・・あ、それは当たっているかも。いつもサンダルだから(笑)。


sandal-ted.jpg

(バーネット師はいつもビーチサンダルのようです。この日の講演会でも)


でも、ぼくはその頃、大きな本屋に行って教科書を買い、本のデータからケプラーの法則を導いたんです。ぼくが何も学びも考えもしないと思われていた時にです。

他の人から見たら、ぼくは芳しくなくて、普通の2~4歳の子どもがするような、フィンガーペイントだとか、お話とかをやらなかったんです。

それで彼らがやったのは、僕に特殊教育をとるいうことでしたが、それはものすごく特殊でした。何しろ何も教えなかったんですから(笑)。

それで、ぼくは学ぶのをやめなければなりませんでした。

特殊教育のために、学ぶ方法がなかったんです。

そんなわけで、ぼくは何も学ぶことができませんでした。

でも、その時に、影の付き方だとか、そんなことを考えるようになり、それが今、天体物理学とか物理学とか数学が好きな理由だと思います。

学ぶのをやめたことが、今日のぼくがある理由なんです。


じゃあ、重力の話をしましょう。

ニュートンの後に何があったのかというと、ニュートンの後 200年くらいすると、物理学者がニュートンによる軌道をチェックするのに十分な実験技術が発展しました。

ニュートンの予想によれば、水星の軌道は長円です。科学者は「楕円」と言っていますけれど、しかし、望遠鏡を向けてみると、それは違うことがわかりました。

これです(左はニュートンによる水星の軌道。右が正しいらしいです)。


mercury-orbit.gif


まあ、科学者の方なら、この絵がすごい誇張だってわかるでしょうけれども。

いずれにしても、何と! ニュートンは正しくなかったのです。
史上最高の物理学者であり、最高の頭脳が間違ってたんです。

彼は間違った!(笑)

だから別の人間が必要になるわけです。
ニュートンがやったようなことをやる人間が。

知っていることを「すべて」忘れ、すべてを創り直すのです。


「再創造」です。


その人物が、アルバート・アインシュタインです。

アルバート・アインシュタインも行き詰まりました。
あまりうまくいってなかったんです。

アインシュタインはユダヤ人で、ナチスが台頭する前のドイツで大学の職を得られませんでした。それで、彼は特許事務所で働いたのです。理論物理とは関係のない仕事です。

あのアインシュタインがです!

それで、アインシュタインには突如として考える時間がたくさんできたのです。

学ぶことをやめなければなりませんでしたが、考える時間は、たっぷりとあったのです。

それで彼がやったことは・・・彼は思考実験が好きで、あらゆる違う考え方を試したんです。

アインシュタインは想像してみました。

自分が2人の友だちとトランポリンの上にいて・・・うーん・・・アインシュタインに友だち2人は多すぎますかね(笑)。

アインシュタインは1人の友だちと一緒に、トランポリンの上でテニスかなんかして遊んでいたんだと思います。

何しろ物理学者ですから、運動神経がそんなに良くなくて(笑)、テニスボールを掴み損ねて、ボールが周辺にゴロゴロ転がったとします。

これを見て、アインシュタインは叫びます。

「摩擦がなければ、これが重力だ!」と。

「これが重力なんだ!」と気づいたんです。

それで、とてもクレージーな動きを予想したんです(下の図)。


einstein-ted.jpg


そのクレージーな動きは、別のクレージーなことと一致したんです。

mercury-orbit.gif


アインシュタインは独自の見方、独自の考え方をすることによって、問題を解いたんです。

学ぶことをやめて、考えることを始め、創り始めたんです。


ぼくの昔の話に戻りましょう。

ぼくは周囲からは芳しく見えなくて、隅に放っておかれたという話でした。

3年前のことですが、サボりたい数学の授業があったので、そうできるようにするためやることにしたのは、代数と三角法と、その他、中高で習う数学と大学1年の解析を、すべて2週間で勉強してしまうということです。

そうしたら、あとはサボっていられますから。
10歳の時でした(笑)。

当時、大学への願書が受理されました。これも 10歳の時でした。
それで面接試験を受けに行かなければなりませんでした。大学に入るのに必要なんです。

面接を受けに行ったとき、駐車場に払うための硬貨をたくさん持っていたのですが、それを何と、面接官の部屋で床に全部ぶちまけてしまいました。

このことで、ぼくは常識を欠いているという印象を持たれて、入学は丸々1学期保留されることになったのです。

それで、ぼくは学ぶことをやめなければなりませんでした。

それで何をしたか。

学ぶのをやめて、テレビゲームで遊んでいたのか?

違う!

ぼくは「形」について考え始めたのです。

そのとき、ぼくは、天体物理学のある問題について考えていました。


shape-001.jpg


当時、天体物理にとても興味があったんです。
もちろん、今も興味があります。

次の2週間、いろいろな形について考え、その問題について考え、そうしたら問題が解けたのです。

天体物理の問題を解いたわけですが、それは基本的に、アインシュタインやニュートンに起きていたのと同じことです(学ぶことができなくなり、考えるようになったこと)。

まだ発表していないので、正確にどういう問題なのかは言いませんけれど、論文が出たら、それとわかるでしょう。

ぼくは、そういった問題を考えるのに、量販店で売られている 500枚組の安い紙を使っていましたが、考えているのが、多次元の話だったので、紙がすぐ足りなくなるのです。

紙を切らすと、ホワイトボードに移動しましたが、ホワイトボードなんて、すぐにいっぱいです。

それで今度は家の窓に移動しました。

それからぼくはマジックリンと戦うことになります。あの邪悪なマジックリンに、ぼくの数式が消されてしまいます。

そのうち、ぼくが公園とかに遊びに行かないで、窓に変な図系ばかり描いていることに、両親が気づきました。


space-window.jpg


ぼくがやろうとしていたことは、基本的に反証です。

ニュートンみたくはなりたくないですので。

100年も経ってから、間違いを証明されるなんてごめんです。

それで窓に行って、反証しようとしたんですが、できませんでした。

その後、両親は、ぼくが公園に行くべきだと考えて、プリンストン大学から誰か呼んできて、ぼくに対しての「反証」をしてもらうことになったのですが、ぼくのやっていることはどうやら正しそうだということになって、両親の計画はうまくいきませんでした。

公園はナシになりました(笑)。

ぼくは、学ぶことをやめなければならなかったことによって考え始め、問題を解いたんです。

その後、微積分のビデオを制作することにしたんです。微積分を学びたいというような変人も3人くらいはいるかもしれないし(笑)。

それで作ったんですが、12歳で微積分のビデオを作っているということで注目され始めました。


12-video.jpg


最初に取り上げたのは、インディアナポリス・スター紙で、一面で取り上げられました。写真が出ていますが、この時、ぼくはサンドイッチを食べていました(笑)。

おいしかったです。

それ以来、ぼくの微積分のビデオが大人気になりました。そもそも微積分のビデオが人気になるなんて誰が思ったでしょうかね(笑)。

外国語にも翻訳されました。それから、フォックステレビの人から連絡があって、その人の窓に書くことができることになりました。フォックステレビは窓がすごく広くて良かったですね(笑)。

それから、いろいろな変な人が家に訪ねてくるようになりました(笑)。
これは CBS 60 ミニッツのモーリー・セーファーです。


morley-safer.jpg


写真をよく見ると、ぼくは今と同じサンダルを履いていますね(笑)。


まとめみたいなことをしましょう。

アインシュタインやジョンソンやニュートンといった、ぼくがこの講演で取り上げてきた人たちは、みんな天才だったんでしょうか?

それが彼らを特別にしていたものなのか?

天才だったからできたのでしょうか?

それはちがう!
絶対に!

天才だからじゃないんです!

この人たちはみんな「学ぶところから考えるところ」へと、そして「創るところ」へと変化を辿っているんです。

メディアはそれを単に天才だと言っていますけれど。

まあ、彼らの IQ が比較的高かったのは確かでしょうけれど、しかし IQ が高くても、こういったことが何もできない人たちもたくさんいて、例えば、ただ円周率を 20万桁とか覚えて、それでおしまいとか。

なぜ他の数字を覚えないのか疑問です。たとえば、今ぼくが着ている黄金比(φ)などを(笑)。


fai.jpg


ぼくは、そもそも、このようなところに立つことを期待されていませんでした。

言葉を話すようにはならないと言われていましたから。

あの時のセラピストたちがどこかでこれを見たら卒倒すると思いますよ(笑)。

ぼくは、話せないと思われ、学べないと思われていましたが、今日ここに立っています。そして、何百人ものニューヨークの人を前に話しています。


今日の話から皆さんに持ち帰ってほしいことは何か?

皆さんにやっていただきたいことは、次の 24時間、まあ、土曜日で学校とか、いろいろとある人もいるでしょうが、次の 24時間は、学ばないで下さい!

これから 24時間、学ぶことを禁止します。

その代わりにやってほしいのは、何かの分野に・・・皆さんは何か好きなことがありますよね? ここで少し話しただけのぼくは、皆さんが何に興味あるのかわからないですが、みんな何か好きなことがあって、それが何かは、自分でわかっていることでしょう。

その分野について学ぶかわりに、その分野について考えてほしいのです。

その分野の学生になる代わりに、「分野そのもの」になってほしいのです。

音楽でも建築でも科学でも何でもいいです。

その分野について考えてほしい。

そうすれば、あなたは何かを創り出すことができるかもしれないのです。

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「安全な場所での後方支援」というジョーク

安倍総理が面白いジョークを言ったので、そのフリップの入った写真を貼っておく。



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一眼の人々の国では二眼の人間は奇形である

昨今の(でもないが、最近特に目に余る)「ジャスティス・ハイ」の風潮について、まず小田嶋隆師(散文の「文章」については私がもっとも尊敬する現存の人物である。)の箴言から。彼のツィートは、その多くが、ラ・ロシュフコーの箴言に匹敵する警句である。(警句は警抜な句、ということであり、警告の句ではない。だが、しばしば社会への警告の句となる。)
その後に、「播州武侯祠遍照院」所載のエンジョウ・トオルの文章を載せる。ここに見られる「ジャスティス・ハイ」(自らを「正義」の立場に置いて、他者を断罪する狂熱)の風潮への批判は耳を傾けるべきだろう。だが同時に、安倍一派の憲法破壊、憲法無視などの明白な悪への批判が、それによって及び腰になってもいけないのである。出版の権利は、法で保障されたものだ。一方、安倍一派の画策は、憲法という最高法規に明白に違反するものである。単なる「空気」や権力によって法がないがしろにされる、という点がこの国の諸悪の根源なのである。
蛇足だろうが、「狂った時代を打開できるのは……狂った人間の言葉だけだ」中の「狂った人間」と言うのは、狂った時代において、時代風潮に背く思想や発言は「狂っている」と周囲からは看做されるということであり、その「狂人」こそが実は正常であることは言うまでもない。

(引用1)


小田嶋隆 @tako_ashi 13時間前

狂った時代において、空気を読んで発言する常識人の言葉は、圧力しかもたらさない。狂った時代を打開できるのは、自分のアタマで考えて発言する狂った人間の言葉だけだ。

小田嶋隆 @tako_ashi 4 時間前


安保法案が違憲であるのは、法理として高度だったり難解だったりしない、ごく基本的なお話だと思う。野球で言えばピッチャーが石投げちゃだめだよみたいな。



      
    

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藤永茂博士「Hubris」

久しぶりに藤永茂博士のブログに行き、いろいろと啓発されたので、忘れないようにその記事を転載しておく。
なぜ「久しぶりに」かと言うと、私は本来、真面目一方の文章というものが苦手なのである。どうしても、学校時代の「お勉強」を思い出して、肩が凝る。藤永茂博士の立派な人格や真摯な文章に感動はしながら、あまり度々はブログを訪問しないのは、そのためだ。劣等生が学校の職員室にうっかり入ってしまったような居心地の悪さがあるわけだ。植草一秀氏の文章なども同様である。その反対の、ふざけ散らした文章はもっと嫌いだから、文章の許容範囲が極度に狭い、ということである。まあ、私の文体的好みなど他の人にはどうでもいいことだ。
下の記事は、誰にとっても有益な記事である。特に、アメリカという国家の特質や、その世界戦略というものについて詳しくない人は、ぜひ読むべきだろう。その「hubris」な国家の単なるATMとしてだけではなく、軍事的下僕として世界でこき使われることが現在内定している日本国の住人としては、なおさらだ。


(以下引用)


Hubris(ヒューブリス)

2015-04-08 22:21:37 | 日記・エッセイ・コラム


 2011年9月7日付で『気楽に英文記事を読む習慣』という記事を掲載しました。長くないので再録させて頂きます。:
********************
 前回の終りに掲げた英文記事の翻訳紹介を怠りましたら、桜井元さんが、前回のブログへのコメントの形で、その内容をまことに的確適切にまとめて紹介して下さいました。桜井さんはその中で「英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います」と申しておられますが、これは謙遜のお言葉でしょう。しかし、ここには私たちが英文記事を気楽に読むためのコツが述べられています。あとは慣れの問題です。とにかく、うるさがらず、好奇心を持って、ネット上に溢れる英文記事に目を通してみる習慣を身につけようではありませんか。すこし努力しながら続けているうちに、頭の中の英語の語彙は殆ど増大していないのに、いつの間にか、英文記事の内容が以前より随分と楽に読み取れるようになります。言葉というものに備わっている不思議さです。
  そうなると、何でもない場所で、「この情報は多分ありのままに近いのだろうな」という感じのする情報源に行き当たることがあります。犬も歩けば棒に当たるというやつです。リビアのトリポリの風景がNATO空爆以前にどんな具合だったかを教えてくれる記事にひょいと出会いましたので、紹介します。気楽に読んで下さい。クリスチャン・サイエンス・モニター(The Christian Science Monitor)はアメリカのオンライン新聞で、その2010年7月12日号の”Libya’s Path From Desert to Modern Country-Complete With Ice Rink” by Sarah A. Topol: という記事の一部です。ice rink は屋内スケート場、sanction は制裁、alleviate は苦痛などを和らげること、sleek はカッコいい、the place to be は居るべき場所、なかなか良い所、という意味でしょう。
■ "There's now on the economic side a pretty unstoppable momentum…. It’s the place to be,” says Dalton, now an analyst at Chatham House in London.
Libya’s nominal gross domestic product (GDP) rose from 16.7 billion dinars ($12.8 billion) in 1999 to 114 billion in 2008, according to the International Monetary Fund (IMF). The year after the US lifted sanctions, the country’s economy surged 10.3 percent in 2005. Foreign direct investment increased more than 50 percent from $1.5 billion in 2000 to $2.3 billion in 2007, according to the World Bank.
In Tripoli, the capital, cement skeletons along the city’s airport road will soon be sleek luxury high-rises as Libya tackles a 500,000 unit housing shortage. Known as the Bab Tripoli complex, the government-funded plush Turkish development is valued at some $1.3 billion and is set to be completed in November 2011. It boasts 115 buildings with 2,018 apartments as well as office spaces, and a giant mall complete with a 22-lane bowling alley, a movie theater, a five-star hotel. The changes aren’t just limited to Tripoli. In Benghazi, Libya’s second-largest city, two government-funded housing projects consisting of 20,000 units, costing approximately $4.8 billion, are half way to completion. To combat income disparity and alleviate the growing pains of privatization, the Libyan government has set up social fund to provide 222,000 families approximately $377 dollars per month from investment funds financed by oil profits. ■
2010年7月といえば、ベンガジで反政府勢力が突然旗揚げをした2011年4月の僅か半年ほど前のこと、私が判断する限り、この記事はその時点でのトリポリやベンガジの様子を伝えるごく日常的なinnocentな新聞記事です。残忍悪逆な独裁者にしては、結構、一般庶民のための出費を惜しまない国内政治をしていたように見えます。
  2011年5月25日付けのブログ『Win-Winの賭け事?』で、私が表現したかったことは、リビアやハイチやコンゴの近未来についての私の暗い予想は、実は、当ってほしくないという私の気持でした。今、私は、リビアに関する多数の英文記事をインターネットのあらゆるソースから取ってきて、せっせとストアしています。この頃のコンピューター・メモリーの信じ難い(特に私のような初期の磁気コア記憶装置の時代を知る者にとって)巨大さをつくづく有難く思っているところです。いくらでも貯められるからです。何故こんなにも貯め込むのか? 現在圧倒的多数の人々が「リビアでは事がうまくいった。人道主義と民主主義が勝利した」と言祝いでいます。それも、イラクやアフガニスタンの侵略戦争に反対する多くの論客が「The Libya Model(リビア方式)」は成功だったと評価しているのには、全く驚かされます。しかし、今こうして彼らの発言とマスメディアの報道を蒐集保存しておけば、 3年も経たない内に、彼らが正しかったか、それとも、私の悲観的見方が正しかったか、がはっきり分かると思うからです。
  「それが分かって何になる」という声が聞こえてくるような気がします。その通りです。あと3年、生きているかどうかも全くあやしい私にとっては、尚更のことと言えましょう。けれども、やはり、私は真実を知りたい。生半可な絶望の中に没するよりも、絶望を確認してから死ぬほうが、日本人らしい選択だとは言えませんか?

藤永 茂 (2011年9月7日)

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 上の記事を書いてから3年以上になります。私は今でもリビア関係の報道や論説をチェックし続けてはいますが、大多数の賢人、専門家の論説が正しかったか、老人ホームの一老人の判断が正しかったかがはっきりするのに3年の長い年月など不必要でした。なぜ私のような者が正しい判断を下し、マスメディアに登場する大多数の賢人、専門家、現地ジャーナリストが誤った見解を披瀝してしまったのか。考えられるほぼ唯一の答えは、彼らが自分の知っていることを我々大衆に告げず、意図的に嘘をついているのだろうということです。
 恐ろしい世の中です。我々自らのsanityを保ち、この世界で起こっていることの真相を見定めるためには、マスメディア以外の情報源に正しい知識を求めなければなりません。それは難しいことではありませんが、現在の状況ではインターネットで接することのできる英文記事を可なり沢山読み漁る必要があります。それで、出来れば、『気楽に英文記事を読む習慣』をつけて頂きたいのです。分からない単語が出てくるごとに辞書を引いていては時間がかかり過ぎますから、適当に読み飛ばして全体の“空気”を読めばいいのです。場数を踏むうちに、読めてくるものです。私の経験から例を挙げましょう。今回のブログの見出しである hubris(ヒューブリス)という単語をご存知ですか?多数の文章を読み飛ばしているうちに、私が何とは無しにその意味を感得した英単語の一例です。この度、本気で調べてみて、私の会得の仕方が間違っていなかったことを確かめました。あとでまた、この言葉に戻ります。
 我々の身辺に充満している、はっきりした意図を持った、為にする偽りの報道や論説の中から、真実の含有率の高い記事を探し出すにはどうすればよいか? 実は、その気になれば、そうした記事を提供してくれているウェブサイトは、日本語のサイトでも、いくらも見つかります。その中でも最高のものは『マスコミに載らない海外記事』というブログです。このブログの主の御努力には、まったく頭が下がります。この稀有のブログを起点として、何人かの真摯な、信頼できる発言者を見つけ出すことができます。Paul Craig Roberts はその代表的人物の一人です。米国のメディアが総力を挙げてその悪魔化(demonization)に励んでいるロシアのプーチン首相に関心のある方は是非ともPaul Craig Robertsの意見に耳を傾けてください。
 hubris というという言葉に戻ります。ランダムハウス英和辞典には、:(名詞)1.過度の自負、自信過剰、;傲慢、不遜 2.(ギリシアの悲劇で)神々に対する思い上がり、挑戦、その報いとして天罰を受ける。・・・・、とあります。nemesisという言葉もついでに勉強すると良いかもしれません。
 米国はウクライナでクーデターに成功し、それに勢いづいて、ロシアの現政府のレジーム・チェンジ、つまりは、プーチンの失脚追放を懸命に試みています。プーチンの暗殺と核爆弾(もちろん水素爆弾)による先制攻撃も選択肢の中に含まれています。同時に、ベネズエラでもマドゥロ大統領の現政府に対するクーデターを試みましたが、こちらは、計画が事前に漏れて失敗しました。しかし、石油価格の操作を強力な梃子にして、ベネズエラの経済を締め上げながら、マドゥロ大統領打倒の努力を続けています。
 3月9日、オバマ大統領はベネズエラに制裁を加えるための大統領令に署名しました。具体的な内容は、マドゥロ大統領の現政府に対する反政府運動に加わったベネズエラ人に対して過酷な弾圧を行ったと米国政府が名指しする7人のマドゥロ政府の軍部と司法の官僚の資産を米国が支配する国際金融システムの力で凍結拘束し、また米国への入国を拒否するという制裁を発動するというものですが、かなり長い原文を読んでみると、その異様さに背筋が寒くなります。まず、マドゥロ大統領の極端な無能の故に経済政策が破綻したこと、そのため反政府デモが起きると、市民多数を殺害してデモを制圧し、経済破綻の理由を米国の策動であると宣伝していることを述べ、ベネズエラ政府によるベネズエラ市民の人権侵害を激しく非難してあります。

https://caracaschronicles.files.wordpress.com/2014/12/mrw146341.pdf

しかも、この大統領令の発効にあたって、オバマ大統領は、このベネズエラの政情は“an unusual and extraordinary threat to the national security of the United States(アメリカ合州国の国家安全保障への異常かつ並外れの脅威)”だと宣言しました。
 ここで、R2P(Responsibility to Protect, 保護する責任)という標語を思い出して下さい。この忌まわしい標語を口実として、米欧はリビアという国をめちゃめちゃに壊してしまいました。どう勘定をやり直してみても、カダフィという独裁者に数十人か、数百人のリビア人を殺させておいた方が、少なくとも10万のオーダーの一般市民が殺され、数百万人が塗炭の苦しみを舐めさされるよりは遥かにましだったという結論に落ち着くでしょう。R2PのPが泣きます。現在のシリアについてもほぼ全く同じことが言えましょう。国連という組織が今の惨状にある限り、R2Pよりは古き良き「内政不干渉」の方がずっとましです。R2Pは、現実には、他の真のagendaの隠れ蓑に過ぎません。
 一つ思考実験をしてみましょう。南アフリカに本当の革命が起こって、それがジンバブエ、ザンビア、アンゴラ、コンゴ地域などにも波及し、新しく強力な黒人国家が生まれたとしましょう。可能性はゼロではありません。南中アフリカ合衆国と名付けましょう。南中アフリカ合衆国の国会が、米国国内で公然と行われている警察当局の黒人に対する暴力行為(射殺、大量投獄)を非難し、その責任者の米国政府官僚たちを名指しで制裁を加え、南中アフリカが産出するコルタン、金、ダイヤモンドなどの地下資源の持ち出し利権を関係米国人から剥奪する法案を採択して、大統領令発令に至ったとしましょう。米国はどういう反応を示すでしょうか? 想像してください。これが私の提案する思考実験です。
 米国は世界で唯一例外の特別な国であるから、自分の気に入らない外国政権は軍事力を含む内政干渉によって打倒してかまわないと考える傲慢さ、これこそ將にヒューブリスという言葉にぴったりです。途方もないバカバカしさも臭ってきますが、限りを知らぬ彼らのhubrisは、世界核戦争ももたらしかねないとあれば、馬鹿馬鹿しいと笑っているわけには参りません。
 米国国会とオバマ大統領の、ベネズエラに対する暴挙に対して、マドゥロ大統領はヒステリックでない立派な語調のレターをオバマ大統領に送りました。

https://libya360.wordpress.com/2015/03/17/letter-to-the-people-of-the-united-states-venezuela-is-not-a-threat/

その書簡は見事な言葉で結ばれています。:

“Venezuela is not a threat, but a hope.”

この一行を、あまりにも文学的、と感じる人もおいででしょう。私は、むしろ、この一行を建国の父シモン・ボリバルから借りてきたスピーチライターの文学的なセンスと余裕を讃えたいと思います。考えてみると、一昨年惜しくも癌に倒れたウゴ・チャベスが創生した新生ベネズエラに未来への希望を託す人々の数がますます増えていること、その人たちの胸に育ちつつある“ホープ” ––Another world is possible! ––こそが、帝国主義米国にとっての最大の脅威であるのかもしれません。だとすれば、チャベスの衣鉢を継ぐマドゥロのベネズエラが米国にとっての“an unusual and extraordinary threat”だと判じるオバマ大統領のセンスは全く正常で的確と言うべきでありましょう。

藤永茂 (2015年4月8日)

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「ブリタニア」占領下の日本

「wantonのブログ」から転載。
「コードギアス 反逆のルルーシュ」というアニメがあって、その設定は日本が完全にアメリカ(作中では「ブリタニア」と呼ばれている。)に植民地化され、日本人は劣等民族として差別され、ブリタニアの連中が日本内で貴族のようにふるまっている、という状況のようだ。そこで起こる日本人による革命の話のようだから、話としては面白そうなのだが、私はこのアニメのキャラクターの絵柄が大嫌いなので(クランプとか何とかいう漫画制作集団によるもので、ある時期から12頭身くらいの、異常な細身、異常な頭身の絵柄に変わってきた。アニメそのものは見ていないが、かつての「CCさくら」の頃の絵柄はまともだったと思うのだが。)、2回目くらいまで見て、投げ出してしまった。アニメや漫画の絵柄は、それが嫌いな人間にとっては絶対的な拒絶感をもたらすものだ。なお、私は「ワンピース」の絵も大嫌いなので、まったく読む気がしない。顔の下半分が口で、上半分の大半がぎょろりとした目なんて、髑髏のイメージしかない。気持ち悪い顔である。まあ、海賊の話なのだから、主人公の顔がジョリー・ロジャー(海賊旗)に似ていてもいい、というわけか。
というように嫌いな事柄について語ると、それを好きな人全員を敵に回すことになって、いいことは何一つ無いのだが、思いつきを喋り散らかすというのがブログの意義だと私は思っているから書いてみた。
で、「反逆のルルーシュ」は、今の日本の姿の戯画であり、まさにその実体を描いているという点で、勇敢なチャレンジだったと思う。「他人の心を操る超能力」のようなSF的ガジェットに逃げず、リアルな「日本独立戦争」「独立革命」を描いていたらなあ、と残念でならない。
今の日本が「占領軍」の支配下にあるということを示す一例が下の記事である。


(以下引用)


米国防総省はNHK内で情報検閲を行なっている

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/nhk-4a23.html


 


 ・・・もともと日本の大手メディアには問題が多かった。
   私は旧知のNHKの報道マンに連絡をとると、報道を担当する


知人は声を潜めながら、驚くべき発言をした。

「実は(当時2010年の)2年ぐらい前から、NHKの敷地内に


ペンタゴン(米国防総省)専属の秘密部署が作られ、


そこで『検閲』が行なわれるようになっているんだ」

彼が言うには、検閲には二通りあり、一つは反米につながるような


ニュースをクローズする(隠す)こと。そしてもう一つは、


反米的な政治家や著名人のイメージダウンを図るような情報を


積極的に「報道」することだという。

   NHKは日本人にとってもっとも重要な報道機関であり、


そのために視聴者が受信料を払って運営する公共放送である。


そのNHKを、アメリカの国防総省(ペンタゴン)の情報担当者が


「検閲」して、世論操作を行なっているのだ。





-引用終わり-


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



311からなる福島原発事故の時、ネットの多くの心ある人達が、


連日、警戒を呼び掛け身を護ることを訴え続けたのは周知の事実。


しかし、その努力の多くは徒労に終わってしまいました。


放射能の危険を知らせると基地外扱いされたと、よく聞きました。


テレビや新聞の報道を信じて疑わなかったそうです。



特に、NHKの報道には絶対の信頼を置いていたといった噂を


何度も目にした記憶があります。


地域別でいうと、秋田や岩手などよりも青森などのより地方に


行くほど、そういった傾向が顕著にみられるとの話が出ていました。



あちこちで、


被爆の危険性を訴えても、全く相手にしてもらえなかったと・・・


「NHKでは、そんな話は一切していない。おかしな話をするな」


といった具合ですが、群馬や栃木などの関東でも同様の


話が出ていたのを私もブログを通して度々聞かされました。





何十年も続けて刷り込まれ、洗脳され続けて来た人間の意識とは、


このようになるといった良い見本のような話です。


学校教育から、社員教育、テレビ・新聞による何十年にも及ぶ洗脳。


学校においては、異論を挟まず問題意識すら持たない人間が養成され、


会社では、ただひたすら従順たれと社畜教育され続けるのを


この目で数十年も見せられて来ました。





原発は必要ないといった国民の世論が、8~9割だというのに、


原発を強く推進する安部政権の支持率が70数%だと報じる


テレビ・新聞のイカサマ世論調査報道のあまりの酷さに思わず絶句!





何も考えさせないようにして、毎日のようにバカ番組ばかりを


垂れ流すテレビの影響は、計り知れない。


2011年の311があった翌日、会社の喫煙室での会話は、


福島や宮城の地震と津波による大災害ではなかった。


「AKBがどうした、こうした」・・・といった話をしているのだ。


それから、数週間のあいだには、放射能のホの字も出て来ない。


これが、現実なのだ。





メディアにおいても、たまに良心的な人間が出て来ると、


即座に抹殺される。


NHKも例外ではない。





驚愕の真実!やはり9.11の真実を語り、


NHK解説委員主幹長谷川浩さんは殺された!


http://wajuntei.dtiblog.com/blog-entry-937.html


 


 


NHK人工地震番組の放送担当者、暗殺か !


http://ameblo.jp/64152966/entry-10987423965.html




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芥川龍之介の相聞歌

芥川龍之介の「相聞」と言えば、

「また立ち返る水無月の……」

が有名かと思うが、彼の「相聞」は別にもあって、これもなかなかいい。
先に、「また立ち返る」の方の全文を載せる。



  相  聞

                  



       また立ちかへる水無月の


       歎きを誰にかたるべき。


       沙羅のみに花さけば、


       かなしき人の目ゆる



私は、これの第四行を「恋しき人の」と覚えていたが、この「かなしき人」は、漢字表記すれば、おそらく「悲しき人」ではなく「愛(かな)しき人」と書かれたのではないか。だからこそ「相聞歌」(=「恋歌」)なのである。
なんで、この歌の話をするかと言えば、言うまでもなく、「水無月」となれば、この詩をいつも思い出すからである。(特に「また立ち返る水無月の」の調子の良さには惚れ惚れする。「花」と「目」の重ね合わせのイメージも素晴らしい。[注:旧暦では今年の水無月は7月16日からで、今はまだ卯月らしいが。]

さて、もう一つの芥川の「相聞」だが、


 風に舞ひたるすげ笠の
   何かは道に落ちざらん
 わが名はいかで惜しむべき
   惜しむは君が名のみとよ。


というもので、一読して「梁塵秘抄」の有名な歌の影響が感じられる。 
それはこういうものだ。

 君が愛せし綾藺笠、落ちにけり、落ちにけり
  賀茂川に、川中に、
 それを求むと尋ぬとせし程に、
  明けにけり、明けにけり、
 さらさらさやけの秋の夜は。


まあ、森村誠一の「人間の条件」で有名になった西条八十の詩などもそうだが、これまであったものが無くなったという喪失感をもっとも感じさせるのが、笠などが風に奪い取られる瞬間なのだろう。
芥川龍之介の「朱儒の言葉」(「朱儒」は「小人」の意味で、芥川が自分自身の臆病な一面を自嘲したものだろう。)の中に、「老練家」というのがあって、「彼は恋をしそうになると、叙情詩を作って、それを忘れることにしていた」とかいう風な内容だったと思うが、下の回答中の

「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。」

が、まさにそれで、面白い。恋愛についての男女の意識の違いというものもあるが、芥川個人の性格が分かる。恋愛詩を作る人間が恋愛に有能なわけではないようだ。
もっとも、創作物と作者の実人生(人格や生き方)は別物だ、というのは当然である。創作物(小説や詩)は作者のイデア(理想、アイデア)であって、彼自身の人格水準とは別問題だ。言葉は言葉として優れていれば、それでいいのである。作者の実生活など、作品の価値とは無関係なのだ。(とは言っても、私はかつていじめっ子だったと自白している人間の書く、「上手い」人情話など、嫌悪感が先立って読む気もしないのだが。人間の心には『一杯のかけそば』的な「感動のポイント」があって、それを利用すれば、泣ける話は筆達者な人間なら容易に書けるようだが、そういう「相手の手の上で踊らされる」ような感動というものは、御免蒙りたい。まあ、良寛が「嫌いなもの」に「書家の書」を挙げるようなもので、「上手いけど嫌いだ」ということはあるのである。)




(以下「教えてgoo」より引用)

   



芥川龍之介作『相聞《そうもん》』の「風に舞いたる菅笠の/なにかは路《みち》に落ちざらん。/わが名はいかで惜しむべき。/惜しむは君が名のみとよ。」
この詩の意味、背景をご存じの方おられましたら教えてください。


 

大正14年4月に発表された「澄江堂雑詠」 では

     恋人ぶり
   風に舞ひたるきぬ笠の
   なにかは道に落ちざらむ。
   わが名はいかで惜しむべき。
   惜しむは君が名のみとよ。

とあります。

しかしその前月 大正14年3月発表の「越びと」には 収録されていません。

ところが 自死後に 発見された 「或阿呆の一生」 には

三十七 越し人 
 彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。

   風に舞ひたるすげ笠の
   何かは道に落ちざらん
   わが名はいかで惜しむべき
   惜しむは君が名のみとよ。

とありますから 

越し人 は 歌人の 片山広子であり アイルランド文学翻訳家の松村みね子である となります。
芥川龍之介は 若い頃 同人誌の新思潮に 片山広子時代の歌集「翡翠」の 書評を書いている。

また、堀辰雄の「聖家族」は 芥川龍之介と片山広子(松村みね子)の および 堀辰雄のことなどを 描いたものとされている。

以上が背景など。

意味は、「叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。」で、充分でしょう。


この回答へのお礼


詳しく説明して頂き有難う御座いました。背景、意味共々良く分かりました。


お礼日時:2010/01/14 17:14

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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