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嵐の前、嵐の後

「播州武侯祠遍照院」ブログから転載。
忠武飛龍さんが立てる易は、その時の状況を見事に説明し、その成り行きについて教訓的な示唆を与えることが多いので、非常に興味深い。私もたまに自分で易占いをするが、これがまったく当たらない。(笑)おそらく、霊能力がゼロなのだろう。
さて、総選挙についての卦が「沢雷隋」で、意味するところは


随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、咎(とが)无(な)し、

およそ天下万般のことは、人に随い従って行うときには、その事業は容易であり、容易であればこそ、成し遂げることができるものである。
だから、随うということを念頭に行えば、物事は元いに亨るのである。
そもそも人に随うときには、一にも二にも、正しくすることが大事であり、そのようであれば、咎められることはない。
これが、悪に随い、邪に随うようであれば、言わずもがな、大いに咎められるものである。
だから、貞しきに利ろし、咎无し、という。

これを選挙に当てはめて解釈するのは難しいが、「本来上の立場の者が、下の立場の者に従う」ことになる、という「沢(少女)」の下に「雷(長男)」が付き従う、というところがヒントになりそうだ。今のところは、それが何を意味するかはよく分からない。

面白いのは、変卦が「沢火革」で、これは選挙の後に日本社会に大変動が起こることを意味するものだろう。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。

本物の革命かもしれないし、あるいは「遷都」ではないか、という気もする。そして、遷都と同時にこれまでの政治システムにも大きなメスが入れられる、そういう可能性もゼロでは無いだろう。つまり、真の「正気」を持った正義派官僚による日本の改革である。(残念ながら、政治家にはこの改革は不可能であり、官僚自身の内部改革しか、日本の変わる道は無いような気がする。)3.11以降滅びに向かうこの国の行方を憂える者は、官僚の中にもたくさんいるはずなのである。


(以下引用)

この2014の総選挙を聞いてみた。 

Updated   
2014.11.19 (Wed)
まあ暇つぶしに、11月21日解散の、今回の総選挙。

易に聞きました。


沢雷随 の3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-22.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・
17 沢雷随(たくらいずい)

随 震下兌上(しんか だじょう)

八卦の震(しん)の上に、兌(だ)を重ねた形。

随は、したがう、という意。
易位生卦法によれば、元は雷沢帰妹である。
雷沢帰妹のときは、震の長男が兌の少女の上に位置していたが、今、この沢雷随の卦は、震の長男が兌の少女の下に下り随っている様子となる。
だから、随と名付けられた。
そもそも天地の定理では、男は尊く女は卑しい、長は尊く少は卑しい、である。
しかしこの卦は、男が女の下に下り、長が少の下に下っている。
これは、本来随わせるべき者に随っていることであって、随い難き道である。
だから、その随い難きを随うことの重要性を鑑みて、随と名付けられた。
これは、天沢履の履み行い難きをもって卦名としたのと同じスタンスである。
また、内卦を自分とし、外卦を相手とし、震を動くとし、兌を悦ぶとすれば、自分が動いて相手を悦ばせ、自分が積極的に相手に随う様子である。
だから、随と名付けられた。
また交代生卦法によれば、元は天地否から来たものとする。
天地否の上九の爻が来たり下って初九となったのが、この沢雷随である。
これは、高く卦の極に居た一陽剛が、初九の最下の地に下って、他の五爻の下に随っている様子である。
だから、随と名付けられた。
また、上卦の兌は二陽の尊きをもって一陰の卑しきに下り随い、下卦の震は一陽の尊きをもって二陰の卑しきに下り随っている。
このように上下とも、陽をもって陰に下り随っているのがこの卦である。
だから、随と名付けられた。

卦辞
随、元亨、利貞、无咎、
随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、咎(とが)无(な)し、

およそ天下万般のことは、人に随い従って行うときには、その事業は容易であり、容易であればこそ、成し遂げることができるものである。
だから、随うということを念頭に行えば、物事は元いに亨るのである。
そもそも人に随うときには、一にも二にも、正しくすることが大事であり、そのようであれば、咎められることはない。
これが、悪に随い、邪に随うようであれば、言わずもがな、大いに咎められるものである。
だから、貞しきに利ろし、咎无し、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
随、剛来、而下柔、動而説、随、
随(ずい)は、剛(ごう)来(き)たりて、而(しこう)して柔(じゅう)に下(くだ)る、動(うご)きて而(しこう)して説(よろこ)ぶは、随(ずい)なり、

大亨以正、故无咎、而天下随之、随之時義大矣哉、
大(おお)いに亨(とお)るに正(ただ)しきを以(も)ってす、故(ゆえ)に咎(とが)无(な)し、天下(てんか)之(これ)に随(したが)う、随之時義(ずいのときのぎ)大(だい)なる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
沢中有雷、随、君子以嚮晦入宴息、
沢(さわ)の中(なか)に雷(かみなり)が有(あ)るは、随(ずい)なり、君子(くんし)以(も)って晦(くら)きに嚮(むか)って入(い)りて宴息(えんそく)すべし、

・・・・中略・・・・

六三、係丈夫、失小子、随有求得、利居貞、

六三(りくさん)、丈夫(じょうぶ)に係(かか)って、小子(しょうし)を失(うしな)えり、随(したが)えば求(もと)め得(え)ること有(あ)らん、貞(つね)に居(お)るに利(よ)ろし、

丈夫とは九四の爻を指し、小子とは初九の爻を指す。
この六三の爻は、六二とは逆に、九四と密接し、初九には遠い。
だから、丈夫に係って、小子を失えり、という。
これは、自分よりも劣っている者を捨てて、優れている者に随う様子である。
したがって今、六三は随うべき良き友の九四を得ているのであり、その九四に随順して利益を請えば、自然に彼の意を得られるときである。
だから、随えば、求め得ること有らん、という。
六三が九四に随うことは、陰を以って陽に随い、下を以って上に随うことなので、そもそも理に叶っているのである。
しかし、随順の道も、度が過ぎれば阿諛(あゆ)佞媚(ねいび)=おもねりへつらい、に流れる失も有る。
まして九四は執政権門の大臣にして、その威勢が赫々たる者である。
妄りに動き回って随うのではなく、慎戒して節度をわきまえないといけない。
だからこれを戒めて、貞に居るに利ろし、という。
貞は常恒の義、居るとは止まるの義である。
常を守り、分に止まって妄りに動かないように、という垂戒である。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


なにやら、だれか捨てられるらしい。

意外と野党のぼろ負け?

それとも意外な政権交代?

でも次の変卦は、もっと面白いよ。

沢火革 3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-54.html

上記文抜粋
・・・・・・・
49 沢火革(たくかかく)
革 離下兌上(りか だじょう)

八卦の離(り)の上に、兌(だ)を重ねた形。

革は、変革、改める、という意。

この卦は兌水が上、離火が下にある。
水を入れた器の下に火があれば、火が盛んに燃えるときは、必ず水は沸騰し、ついには乾いてなくなり、水が溢れるときは、必ず火を消滅させる。
これは、水と火の性情が表裏反対にして、相互に克殺する者だからである。
火の勢いが盛んであれば水は蒸発してなくなり、水の勢いが盛んであれば火は消滅する。
これは、水火ともにその勢いが強く大きい方が、弱く小さい方に克(か)つということであって、こうして物事は変革して行くものである。
だから革と名付けられた。

しかし、このように水と火がその勢いの強弱で互いに相手を打ち消しあうことをもって革と名付けれたのであれば、水火既済も革と名付けれるべきではないか?という疑問が湧くが、これは沢水と坎水の違いによるのである。
水火既済の水は坎水であり陽卦であり、火は離火であり陰卦であり、さらに坎水と離火は表裏の関係にある。
したがって、互いに釣り合っているのである。
しかし、沢火革の水は沢水であり、沢水も離火も陰卦であり、したがって互いに釣り合っていないのである。
だから敵対して水と火が互いに害し合う様子とするのである。

また沢火革は、兌の少女が上に、離の中女が下にいる形であるが、これでは姉妹の序列が逆なので、変革する必要がある。
だから革と名付けられた。

また、兌の少女と離の中女が、共に父母の家に同居するとしても、将来嫁ぐところは異なるから、その志は同じではなく、その違いにより争い変革を求めようとする雰囲気がある。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離を明とし、外卦の兌を悦ぶとすれば、内卦の自分は明らかにして、よく物の利害に通じ、改革するべきことを改革すれば、外卦の相手は、よくこれを悦ぶ。
改革するときはこのようであって欲しいものである。
逆に、相手が不愉快になる改革はよくない。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離火をもって、外卦の兌金を熱する様子である。
火をもって金属を熱すると、金属は溶けるので、その形状を変革することができる。
だから革と名付けられた。
『書経』洪範に「金は革に従うという」とあるのは、このことである。

また、離を夏とし、兌を秋とすれば、夏から秋に季節が変革することを示している。
だから革と名付けられた。
そもそも四季の移り変わりは、春から夏、秋から冬、冬から春というのもある。
とすると、ここでことさら夏から秋への移り変わりをもって革とするのは、どういうことか?
それは、次のことからである。
季節が改まるということで言えば、どれも同じだが、陰陽の変化を考えれば、そこに違いがある。
春は少陽、夏は老陽、秋は少陰、冬は老陰である。
したがって、春と夏と分けて二つの如くなっていても、この両者は同じ陽の季節であり、要するに陽の強さが変化しただけであって、変革とまでは呼べない。
秋と冬も同様に、陰の強さが変化しただけである。
ところが、夏は陽は極まり、秋は陰の始まりである。
したがって、夏から秋への変化は陰陽変革の最も激しいときなのである。
なお、冬から春に変わるときも、老陰から少陽に変化するわけだから、陰陽変革は激しいわけだが、これは春夏秋冬一巡し、年が改まり、新たに四季が始まるときである。
だから冬から春へは変革のときとはしないのであって、夏から秋への変移こそが、四季の途中の変革なのである。

また、離を太陽とし、兌を西とすれば、太陽が西に没する様子である。
これは昼から夜への変革である。
だから革と名付けられた。
なお、太陽は、没しても、また翌朝には昇る。
そのくり返しを明らかに計算したものが暦である。

卦辞
革、*已日乃孚、元亨、利貞、悔亡、

革は、已日(いじつ)に乃(すなわ)ち孚(まこと)とせらる、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、

*已は「すでに」という意で、*已日は、改革し得て、功成り事を遂げる日のこと。
およそ改革ということは、初めはなかなか人々に受け入れられないものである。
旧習に慣れ親しんでいるからである。
したがって、その改革をした後、それが自他共に素晴しいと思えるものであれば、そのときに漸く人々はその改革を信じ、歓迎するものである。
だから、革は已日に乃ち孚とせらる、という。
そもそも改革するに当たは、古い害を除き去り、新しい利を益すことが大事である。
そうであれば、改革した後に、その改革を推進した人は人望を高め、大いに亨通する。
もちろんその改革が貞正なものであることは重要である。
貞正であれば、最初は受け入れずに、その改革を後悔する場面もあったとしても、やがて改革が成就して来れば、人々は考えを改め、その後悔は杞憂に過ぎなかったことになる。
だから、貞しきに利ろし、悔い亡ぶ、という。
しかし、その事の利害に精通せず、その事の詳細に明らかでないのに、思いつきで改革するような場合は、却って大なる災害を生じるものである。
したがって、妄りに改革するべきではないのである。
これは沢雷随の、元亨利貞无咎、とあるのと同じニュアンスだと言えよう。

なお、*已は、もともと己(き)とあったものを、それは写し間違いだとして、朱子学以降はこの*已(い)として「事成り終わる日」という意に解している。
中州も、これに従っている。
それ以前は、己(き=十干の「つちのと」)のこととして解釈されていた。
例えば、『日本書紀』の神武天皇即位年算出の根拠となったとされる辛酉革命は、この沢火革からの考え出されたもので、その説はこの*已は己として成り立っている。
辛酉革命は『易緯』『詩緯』という書物の中にある予言説で、
戊午を革運と為し、辛酉を革命と為し、甲子を革令と為す、というものである。
六十干支が戊午のときに革命の運気に入り、それを初爻とすれば、干支との関係は以下のようになる。

甲子 番外       革令 
癸亥 上爻 ━  ━
壬戌 五爻 ━━━
辛酉 四爻 ━━━ 革命 即位
庚申 三爻 ━━━
己未 二爻 ━  ━ 革明 即位予告
戊午 初爻 ━━━ 革運 橿原入り

革命の主体は金属が溶けて液状になることとすれば、離の火で熱せられた兌金が溶けて坎水となることである。
これは、四爻が陽から陰に変じることである。
『日本書紀』を開くと、神武天皇即位前三年戊午歳に橿原に入り、翌前二年己未歳に、これからここに都を造ることを宣言し、翌々年辛酉歳正月一日に即位したとある。
己未については、『易緯』や『詩緯』の記載はないが、二爻は離明の主である。
離の火で兌の金を熱して溶かすのが革命であり、その意味からすれば二爻は離の火の燃える中心である。
とすると二爻に当たる時は、これから行う革命を明らかにする時、言うなれば革明であろう。
前二年己未歳の、これからここに都を造ることの宣言は、まさにこれに当たる。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。
これ上爻の爻辞なのだが、とにかく君子豹変とは、本来そういう意味だったのである。
逆の、君子は変わり身が早いという意味で使われる場合も多いが・・・。
とにかく、この卦に沿って言えば、改革の手直しをするのは、要するに革命から四年目すなわち甲子以降にするべきなのである。
だから、甲子を革令と為す、という。



・・・・・・中略・・・・


九三、征凶、貞、革言三就、有孚、

九三(きゅうさん)、征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

征くとは、改革することを指す。
九三も内卦の中の爻なので、まだ改革するべき時ではないことをいう。
時が至らないのに、妄りに改革すると、必ずその事は成らず、却って咎を生じるものである。
しかし九三は、過剛不中なので、焦って改革しようとする傾向がある。
その焦る志を改めずに固執し、時を犯して改革するのは、危険な道である。
だから、征けば凶なり、貞くればし、という。

さて、九三は、内卦が終わり、まさに外卦に移ろうとする幾(きざ)しが有る。
したがって、その事の勢いは止むを得ないものがあるが、そんな勢いだけでは、他人は賛同しない。
しかし、その終始を計算し、良し悪しを審らかに察し、なお再三にこれを質し明かし、その義が必定であることを納得できれば、誰もが賛同するものである。
だから、革言三たび就りて、孚とせらるること有らん、という。
三たびとは、何度もくり返し、ということであるが、爻について言えば、初爻にて一たび就り、二爻にて二たび就り、この三爻で三たび就り、初二三の内卦中にて三たび就りて外卦四に至って、改革の時を得るのである。



・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



革命・・・・


いずれかわからんが、この総選挙の後に、革命。


たぶん、非自民党政権なので、地震を喰らわすでしょう。逆賊は自民党が大好きなのでね。


でもこの革命は、たぶん中途途絶しない気がする。

>革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

三度目の政権交代。


これで、自公は終わりだろう。


って希望的観測を含めて。


でも地震に注意。

>征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、

革命が成功するから、悪党が必ず地震を起こすだろう。

関東・太平洋側注意。


て地震は、前の記事の出典先とかで私の妄想を含めて。


お読みくださりありがとうございます。

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エコノミストという無能な「専門家」

思わず笑ったが、経済専門家というものが無能なだけか、それとも、政府から口止めされていて、言いたいことが言えなかったのか。もし後者なら気の毒だが、まあ、もともとこういう連中は社会にとってまったく不要な寄生虫だから、どうでもいい。なお、前期比だけでもマイナスだから、昨年同期との比がどうなっているか。きっと、恐ろしい数字になるだろう。

*記事タイトルに「エモノミスト」という意味不明の字を書いていたので、今訂正した。「エモノ」を見るから「エモノミスト」、と書いたわけではない。「ミス(独身女性)」が怖いから「ミス・オソロジー(恐ろしい)」=「ミソロジー(女性恐怖症)」だ、という洒落を前に考えたのだが、ついでにここに投下しておく。(11月20日追記)


(以下引用)


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日蓮の他宗排斥の激烈さ

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
私は仏教については「般若心経」を自分で解釈した以外にはまったく無知で、各宗派の教義の違いなどは調べたこともない。(たぶん、調べても理解できないだろう。)ただ、「念仏」は仏の名を唱えることで、「お題目」はお経の名を唱えることで、それぞれ極楽往生への道だ、と考えられているのではないか、と思っている。地獄や極楽を実在のものと信じるか、それとも悟りに至るための方便的な比喩と思うかはいろいろだろう。もちろん、私は後者の考えだが、仏教信者の中には来世を信じ、来世での極楽往生を信じる人も多いのだろう。
仏教の信者が、特定の宗派をなぜ選ぶのか、はたしてそれは自分の頭で深く考えた結果選んだものなのか、そこが私には一番の疑問で、何しろ、普通の人間にはお経の意味など理解可能だとは私にはとても思えないのである。せいぜいが「般若心経」までだと思う。これは「空観」だけが焦点だから、とてもわかりやすい。
まあ、どの宗派を選んでもいいのだが、その宗派が「他宗派は敵だ。敵は殺せ」と唱えるならば、それはカルトであり、社会の害悪というものだ。下の記事の内容の全体的な妥当性については私には判断できないが、日蓮の「他宗排斥」の激烈さは、古代ユダヤ教並みであることは確かなようだ。


(以下引用)「立正安国論」中の赤字部分は夢人による強調。もちろん、批判的に、である。他の色字部分は原文のまま。





選挙も近い、創価の一般信者の皆さんへ、よくよくお考えあるべし、

当ブログ、蝦夷梅雨明けか  2013-07-08
☆http://blog.goo.ne.jp/55yasuji/e/10caddc13784c8034926153cff82f2f4

の続編です、

◆http://blog.goo.ne.jp/kim_jung_nam/e/2d71e0cc9cbad21d1ea0afe08f34de13
創価学会に悩むすべての人へ  2005年12月16日
立正安国論要約(by freeさん)


わしの書いた

立正安国論に見る日蓮のカルト性
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm


ですが、長いので、
読んでいるうちに、前の部分を忘れてしまう、
という方もいらっしゃるかも知れません。

freeさんが、御自身のブログ創価学会体験記にて、
http://blog.goo.ne.jp/free-zu
立正安国論の現代訳を、さらに要約してくださっております。

せっかくですから、こちらにも、掲載させていただきたいと思います。

───────────────────────────────

旅人が、お坊さんの庵に来て言うのです。

旅人「飢饉や 天災や 疫病で 
   この国の人や家畜がバタバタ死んでおります。どうしてでしょう」
 
坊さん「正しい法が 無くなってしまったので、神様がいなくなってしまったのだよ、
    そして悪魔が入り込んでいるのさ」

旅人「え~ この国にはこんなに仏教が盛んなのに そんなはず無いではないですか」

坊さん「仏教が盛んそうに見えるけれどね 
    悪い坊さんが一杯いて 正しい法を説いていないのだよ。
    なかでも 法然という坊さんが、選択集というのを説いてね、コレが間違いなんだよ。
    念仏さえしていれば 百人が百人とも往生できるよ なんてさ。
    念仏一門しか 救われないって言っているのだよ。
    仏教の中心である法華経に書いてある
    『もし、この経を信ぜずにそしる人は、死して無間地獄に落ちる』という 
    釈尊の戒めの言葉に 背いているのだよ。
    法然の選択集が出てから、阿弥陀堂でなければ供養もせず、
    念仏の行者でなくては布施をしなくなって、他の仏堂は荒れ果てて 
    住職も逃げ 守護の善神もいなくなってしまったのだよ。
    法華経を捨てて 浄土念仏を信じるから悪鬼が入り込んで日本が 
    禍に見舞われているのだよ、だから祈祷より 念仏を禁止を一番にする事だよ。」

旅人怒って「でもね 中国や日本の立派な先師が 阿弥陀仏を尊重していますよ。
      法然様も幼いときから 比叡山に登って修行をつまれ 
      智慧が明らかで徳も高いとされていますよ。
      多くの書を読み 時代背景を考えて 修行しやすさを考えた結果 
      念仏を採用されたのですよ。法然様に対して 
      そんな罵詈雑言 同席するのさえ恐ろしいです。」

と帰ろうとします。

坊さん 旅人を笑って止め

坊さん「詳しく法然の謗法を説明しましょう。釈尊の説教には方便と真実の教えがありますが、
    易しい教えから深い教えとなって 真実は法華経なのですよ。
    法然は それを無視してすべての大乗経典と仏・菩薩・神々を捨てよと、
    多くの人びとの心を迷わせているからです。」

旅人「だいたい解りましたが、そんな事を 
   朝廷・幕府に進言する事は 出過ぎた行為ですよ」

坊さん「法華経を学んでいる者として、何とかして真実の仏法を立てたいと考えるのは
    当然ではないでしょうか。それに 延暦寺と興福寺から、たびたび念仏停止の進言が
    されていますし、法然の弟子たちは 遠国に流されています、
    朝廷や幕府に 意見提出している者はいるのですよ。」

旅人「あなたが 正しいのか 法然が悪いのか 私には解りませんが、
   まずは日本の災害を除く方法を教えて下さい」

坊さん「正法を謗る人を禁じて、正法を信ずる人を重んずるならば、
    国中は安穏で天下は泰平になるであろう、と私は考えるのです。
    涅槃経大衆所問品に次のように説かれています。
    『仏が言うには 一闡提(いっせんだい)には 施しをしてはならない。
    口汚い言葉で正法をそしり、悔い改めない者のことを一闡提と言う。』
    涅槃経梵行品には
    『人を殺すのは 上中下ある、すなわち生き物の命を奪うのは下、
    人は中、父母、声聞や縁覚や菩薩 を殺す事が上、
    上が一番罪深く無間地獄に堕ちるのである。
    しかし 一闡提を殺す事はこれに含まない。
    異端の教えを説く婆羅門たちは正法をそしる一闡提であるから、
    彼らを殺しても罪にはならないのである。』
    涅槃経寿命品には
    『正法をそしる者があれば、みな力を合わせて徹底的に根絶しなければならない。』 
    涅槃軽金剛身品には 
    『正法を護る者は五戒を守らなくとも、威儀を整えなくとも、
    まず刀や弓や鉾をとるべきである。』

    このように経文に明らかです。
    蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるけれども、
    謗法の者を殺せば必ず不退転の菩薩の位に達し、仏になれるというのです
    謗法(ほうぼう)の人びとは正法を伝える人を無視し、そのうえ、
    法然の選択集にだまされて智恵の目を閉ざされてしまったのです。」

旅人「大集経の法滅尽品には
   『僧であれはすべて供養を捧げなければならない』と書かれています。
   涅槃経では謗法を禁じていますが 大集経の戒と異なりますから、
   謗法者を殺すなどと信じられないです。」

坊さん「こんなに経文をあげたのに まだ信じられないのですか? 
    昔の釈尊は命を奪ったと言いましたが、
    今は、すなわち布施を止めろと言っているのです。」

旅人、襟をだたして
   「仏の教えは 細かく別れて難しく 私には理解が及びませんが、法然の選択集に
   『一切の仏も、経も、菩薩も、神々も、「捨てよ」「閉じよ」「閣けよ」「抛てよ」』
    の言葉をもって、すべて排斥しております。
    ですから 日本の善神が去って 禍が起こっているのは 経文から理解できました。
    一刻も早く 法然一派を滅ぼさないといけません」

坊さん「あなたが 心を翻したのは 嬉しい事です。しかし 人は移ろいやすいもの。
    もしも あなたが、国の安泰を欲しているのなら 
    謗法の者たちをすみやかに滅ぼさなくてはなりません。
    なぜなら「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」が起こるからです。
    また 邪教を信じてはいけません。間違った考えがいつまでも残っているならば、
    早くこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるでありましょう。
    あなたは 今までの邪教を捨てて、法華経に帰依しなさい。」

旅人「私が弥陀一仏を信じて他の仏をなげうち、浄土三部経だけを仰いで
   他の経を捨てたのは、私の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に従ったまでであります。
   そのために現世では心労し 死んで無間地獄に落ちるなど、経文から解りました。
   この世が安寧であるために、謗法の者たちを すぐに根絶し、
   他のみんなの誤りを正しましょう。」


───────────────────────────────


日蓮を批判した時、
しばしばある反論として、

「日蓮の教義を、現代の仏教学の常識をもって批判するのはおかしい」

というものですが、
わしの「立正安国論に見る日蓮のカルト性」をお読みいただければ、

現代仏教学の知識を持ち出す必要もなく
鎌倉当時の仏教常識の範疇であっても、
日蓮は矛盾をおかしている
事がおわかりになるはずです。

鎌倉当時の仏教は、華厳、法相等の奈良仏教、及び、真言宗と天台宗、
並びに、天台出身の法然の浄土宗、中国から来た禅です。

このうち、法華経を最高峰と位置付けているのは、天台宗だけです。

残りの宗派は、みな、それぞれ「最高」とする経典が異なります。

たとえば、法相は三時教判で「華厳経」「解深密経」などを依経とし、
法華経はさほど重視しません。

華厳宗は五教十宗の教判で、「華厳経」を依経とします。

真言宗は十住心を教判とし、密教経典を依経とします。

五時八教の教判(教相判釈)を用いるのは、天台だけです。

どの宗派も、法華経を批判しているわけではなく、
法華経に、それなりの価値を認めていながらも、
それぞれの判断基準で、法華経に勝る経典を発見しているのです。

これは、浄土宗も同じです。

日蓮宗だって、他の経典を否定はしないものの、
法華経こそ諸経の王と考え、他の経典をかえりみないのです。

これは、浄土宗と理屈は一緒です。

日蓮は、天台の価値観で他宗を批判しているわけです。

これは、日本の法律を外国に当てはめようとするのと一緒です。

法然は天台出身であるから、法然の浄土宗に対しては、
天台の価値観で批判する事は許されるのではないか?
と考える人もいるかも知れませんが、

法然は、天台を捨てて、中国(唐僧)善導大師の浄土教に転向したのであり、

すでに転向した人間に、昔の天台のルールを押し付けようとしても無意味なのです。


創価学会では、日蓮が鎌倉幕府という国家権力に対抗し、
国家権力に迎合する坊主連中と闘ったのだ、という事を言われます。

「国家権力に対抗」といえば、格好いいですが、
日蓮は、自分の教えを国教にしようとしたのです。

それが拒絶されたという事です。

日蓮が、国家権力と闘った、と思い込んで、
身震いして、自分の参考にするのは、
創価学会独特の美学であり、
それについては他人がどうのこうの言う事はできません。

ですが、本当に権力と闘った人物は、

歴史を紐解けば、他に見出す事が可能なのですから、
わざわざ、日蓮を模範とする必要は無いかと思います。

どうしても日蓮に固執してしまうのは、

自分が創価学会から離脱できないという宿命を持っているからでしょう。

つまり、創価学会から離脱できないから、日蓮を尊敬せざるを得ない
これを認知的不協和の心理(考え方を環境に適応させる)と言います。

日蓮仏法に、微塵の価値も無い、とは申しません。

ですが、少なくとも、かつて創価学会が主張していたほどの、
日蓮の正義は、もはや見出せないでしょう。

日蓮の立正安国論の内容についても、
創価学会ではなく、
アンチのわしの書き物によって知り得たという学会員もいらっしゃるでしょう。

創価学会員も、少し、アンチに対し、謙虚に学んではいかがかと思います。

日蓮は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わると言われます。

亡くなる前まで、日蓮は立正安国論の講義を弟子にしておりました。

日蓮思想は、立正安国論に極まるのです。

立正安国論を攻撃されたら、
「立正安国論だけ読んでもわからない」という論法で、
どんどん逃げるのかも知れません。

しかし、そうやって、立正安国論を「未了義」とするのは、
命懸けで幕府に立正安国論を提出し、
死に際まで立正安国論を講義した、当の日蓮に失礼でしょう。

創価学会員は、敗北を認めるべきです


創価学会では、平左衛門尉頼綱が、
法華経の行者を迫害する第六天として受けとめられていますが、

平左衛門尉頼綱は、鎌倉幕府における、
治安維持の最高責任者という立場でありました。
現代でいう、警察庁長官のようなものです。

当時、比叡山の僧兵でさえ、鎌倉には武器を持ち込めなかったにも関らず、
日蓮は刀剣を持していた
と言います。

その日蓮が、「邪宗の坊主は殺してしまえ!
内乱が起るぞ!」 「蒙古が攻めてくるぞ!」などと絶叫して歩くわけですから、
治安上、死刑台ギリギリに連れて行くなどの、
おしおき」をする必要があった
と思われます。

これは「迫害」でも何でもありません。

念仏の宗徒からの攻撃はあっても、
幕府として、迫害があったとは考えておりません。
為政者として、仕方の無い対処だったと思います。

晩年の日蓮に、身延での寺院建立を許すところを見ると、
鎌倉幕府は寛大であったと思われます。


ちなみに、謗法の者を殺しても罪にはならない」という

日蓮の思想
を裏付ける遺文があります。

去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く
日蓮は日本国の棟梁なり 予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり
只今に自界反逆難とて どしうちして 他国侵逼難とて
此の国の人人 他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし

建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者 禅僧等が 寺塔をば
やきはらいて 彼等が頚を ゆひのはまにて切らずば
日本国必ずほろぶべし
と申し候了ぬ。(撰時抄)


現代語訳:去年、文永八年九月十二日申の刻
(午後三時~五時:龍の口での事だと思われる)に、
幕府の治安担当者であった平左衛門尉(平頼綱)に向って言った。

私(日蓮)は、日本の国の指導者である。
私を失うという事は、日本の柱を倒す事である。

そのうち、「自界反逆難」と言って、内乱が起り、
また「他国侵逼難」と言って、この国の人々が、
他国に殺され、生け捕られてしまうだろう。

建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏長楽寺等の、
一切の念仏、禅の寺塔を焼き払って、
彼等坊主達の首を由比ケ浜にて斬らねば、
日本国は必ず滅ぶであろうと、申したのである。


斬首刑に臨む日蓮が、ギリギリの精神状態で、
俺を殺すより、奴等を殺せ!という発言であり、
本気で彼等を殺害すべきだと考えていたのでは無いのかも知れません。

けれども、日蓮の思想を考える上でのヒントになるでしょう。

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エゴイズム肯定社会の行き着く先

「zeraniumのブログ」から転載。
下の対談に出ている話は、断片的にはあちこちで読んだことがあるが、こうしてまとめられると、凄い話だなあ、と思う。話半分で聞いても、社会の上位層(ここでは主に医療業界と官界の話だが、他の業界での成功者も、まあ才能が成功の大半の要素であるスポーツ業界を除き、似たようなものだろう。)はそれこそ悪魔ばかりか、という気にすらなる。
で、そういう行為をやっている人間は、最初のうちは良心の疼きもあっただろうが、やがてすっかり慣れっこになり、自分が人殺しをやっているという意識すらなくなるのだろう。欧米的な、我欲肯定社会の行き着く先は地獄だ、ということだ。


(以下引用)

病人がいなくなると病院経営は成り立たない


増川   おせんべいは今、90%以上がアメリカからのお米でつくられているそうです。
       みんなおせんべいまで国産かどうか気にしないでしょう。アメリカの農業関係者から、出荷前にすごい量の農薬を混ぜていると聞きました。化粧品会社でも食品会社でも、政治家や暴力団が絡んでいると言います。しかしこれまでのような、生命の尊厳を無視した金儲けばかりの医者の時代は終わりに向かうでしょうね。

船瀬   現代医学は完全に崩壊しましたね。どこを調べても、嘘と詐欺と人殺しだ。

増川   アメリカでももう崩壊が始まっているようで、ナース達がどんどんやめていっています。

船瀬   石川県の看護師長さんが私の本を読んで、「殺人に手を貸すのは私はもう耐え切れません。もうやめました」とメールが来ました。

増川   うちによく来る人でも、看護師長をやめた人が何人かいます。
            また病院長が薬品会社から、半強制的なノルマでどれだけの薬品を買わされているかを知っている事務長なども、辞める人が出て来ていますね。薬品会社も病院も双方がしている悪事をわかっているので暗黙の協力体制があります。

船瀬   殺人だということに気づいたら、病院業務などできませんよ。

増川   やはり長年勤めた結果、多くのことを知り、良心が残っているような人は、殺人と糾弾されるようなことに協力するのは耐えられなくなるのです。

船瀬   アメリカの死亡原因のトップは、実は医療過誤で78万人と言われている。
     2位が心臓病で70万人。それを市民団体が告発しているが、医療業界の病院の発表だけでも25万人です。

増川   しかしすべてが発表されてはいない。
      示談も含めるとその10倍はいるそうで、医療関係者からは250万人くらいと聞いています。またいろいろ科学的な方程式もおかしいというのもどんどん出てきていますね。アインシュタインも本当は崩壊しているのです。最初の基本の過程では問題ないが、高度な処理をしていくと、つじつまが合わなくなっていくことが多く、実は方程式がおかしかったというのがすでにわかっていますが、発表しないんですね。

   その理由の一つに、正しいものを出すと、それを活用することで明らかになってしまう新しくてシンプルな技術が沢山あるのです。そうすると世界支配権力側が困るわけ。実際にある人が方程式の間違いを見つけて開発したものに、すごい装置がいくつかあります。さらにニュートンの方程式の見直しも始まっています。

船瀬   TPPはアメリカの奴隷になるようなもので、それこそ本当の植民地です。

増川   この間、アメリカに行った時、日本がTPPを受け入れたら大変なことになると、アメリカ人でさえがみんな心配していましたね。食材だけでなく、あらゆる物が医療費も含めて値上がりする。

船瀬   毒素条項(ISD)があるから、日本の法律も規制も全部骨抜きになってしまう。
      農薬野菜、農薬米、遺伝子組み換えもガンガン入って来る。それでなくても大手のスーパーにあるものは、今や遺伝子組み換えだらけになっている。

増川   すでにあらゆる加工食品やスプレー剤に毒がどんどん盛られているのに、これ以上食品添加物が入ってきたら大変です。現在、世界中で防腐剤の体内蓄積率が高いのは日本人だといわれています。あのインド、タイの大津波後の処理の時、「日本人は腐らないから最後でいい」と、救助隊に指令が出たとタイ在中の米ジャーナリストから聞きました。

   ぜひ読者の皆さんに読んでほしい本がありますが、33年間勤めた元裁判官の瀬木比呂志氏による『絶望の裁判所』(講談社現代新書)です。裁判所の腐敗の実態を詳細に告発しています。裁判に政府絡みの企業や権力者が絡んでいる場合、どんなに高額な弁護士費用と時間を使って裁判をしても、こちらがどんなに正しくても勝てる見込みはまずないのです。警察も法務省を通して、内閣府から命令されているのです。結局、全部命令なんです。

   オウム事件の時も、自衛隊の幹部にそういう命令が来たそうで、「手をつけるな」と命令がきたと池田整治さんは言っていました。彼は『マインドコントロール』を書いてから、退官後に決定していた顧問を全部切られたそうです。だからTPPについての反対者がほとんどいなくて、反対者の声は一切抹殺ですね。外国人参政権の問題とまったく同じです。

船瀬   原発反対者へのいやがらせは凄いんだってね。

増川   変死か行方不明かいやがらせで、近所はどこも停電じゃないのに、その反対者の家だけ停電。あれだけ原発反対デモがあって、すごい集会が全国で開かれているのに、そのことすらマスコミは取り上げない。

船瀬   だからテレビは見るな、新聞は取るなと言っている。
      もしそういうものを見るのなら”洗脳装置”だと自覚して見ろと。

増川   私は新聞もテレビももう何年も見ていません。嘘ばかりの誘導放映が多いから。

なぜダウン症が多いのか

船瀬   医療ではやばい話が限りなく出て来る。
      脳性まひで生まれた人のほとんどは、出産の時の酸欠で脳が破壊されている。陣痛促進剤と麻酔薬が元凶だ。

増川   妊婦には薬はいけないとわかっているのに、出産直前に薬剤を注射するのは極めておかしいですね。つまり、そうやって休みの日に仕事をしないで済むように調整しているそうです。打ったら薬品が胎児の脳を直撃するわけで、胎児はその麻酔が効いて酸欠になる。それに、業務提携しているらしい有名メーカーの粉ミルクを生まれたばかりの子に飲ませる。しかも特に大手の病院ではそれが強制的で、「ほかのものは何も与えないでください」と病院側から言われるという。

船瀬   砂糖が入っているから、赤ん坊はすぐ砂糖味に慣れてしまい、母乳を飲まなくなってしまう。

増川   生まれたばかりの子に看護婦さんから粉ミルクを与えられた途端に、顔が黒っぽくなってびっくりしたという話をあるお母さんから聞きました。

船瀬  はっきり言って、消費者も大衆も市民も皆バカですよ。
     怒らないし、勉強しないから。私はたとえ一食抜いてでも本を読みなさいと言っています。みんな洗脳されて騙されている。脳性麻痺の人が訴えた裁判で、1億2千数百万円の判決が出ているのです。すでに因果関係ははっきりしている。しかしテレビや新聞はまったく知らせない。だから出産では絶対に病院へ行かないことです。陣痛促進剤や麻酔で胎児の脳を破壊するのです。

増川   アメリカではメディア側に、ある程度の産婦人科医への訴訟問題が明るみに出ているので、一般市民でも知っていますね。これは人口削減の一環でしょう。日本の脳性麻痺の子が増加するようにしているらしいと、海外のジャーナリストは言っています。そうした闇の意図も知らずに、薬品を乱用した多くの産婦人科医が訴えられて怖くなり、次々と辞職していますね。

船瀬   酸欠で脳が壊死するのです。
     おまけにへその緒から、胎児は必死で胎盤から酸素をとっているのにバチッと切ってしまうから、赤ん坊は完全に酸欠で脳が壊死してしまう。

増川   だから今、日本はダウン症が多いです。
      まさに病院によってつくられたダウン症ですよ。

船瀬   まったくその通りで、ダウン症も現代医学が作り出した悲劇です。
      それと意外にも電磁波被爆がある。アメリカのマウントベノンという町には、放送タワーが林立して、その町のダウン症出生率は全米の平均の10倍も多い。それと、さらに怖ろしい衝撃事実を知りました。養護老人ホームには老人毒殺マニュアルがあるんです。私はそれを突き止めた。つまり、下の世話などで手間がかかるようになると”殺す”んです。その痕跡は明らかにあります。年寄りを”処分”するわけで、他殺のための毒殺マニュアルが存在する。

増川   結局、ホームの経営者側は、多額の入室料をもらっているだけでなく、コスト削減を考えるわけですね。老人ホームや精神病院がいかに危険かということです。アメリカでは精神病棟に入ったら自由はまったくないし、絶対に治って出られない。1回入って出て来る人はまずいないそうです。要するに薬漬けにして「ヤク中」にする。精神病院で働いていた女性によると、「ほとんどの病院が精神病棟患者の票を政治家に売っている」そうです。高く売れると。

船瀬   私のところに相談に来た人の話はひどい話で、養護老人ホームに入ったら、預金通帳と実印を理事長が預かるという。それでその老婦人が「預金通帳と実印を返して欲しい」と求めたら、病院側はこの老婦人は「モノ盗られ妄想」で「認知症」だとしてしまった。それで向精神薬を勧められたが、「自分は認知症ではない」と訴えたところ、食事のおかゆの中に向精神薬を大量に入れて食べさせられた。それで不眠症になったところで、今度は睡眠薬をいっぱい飲まされた。それで警察に届けたところ、警察がまったく動かないという。

増川   そういうケースは、警察、病院、老人ホーム理事長が繋がっていて同罪ですね。倫理観の欠如した人たち同士の行為は非常に怖い。

船瀬   それで今度は、県の方へ訴えた。
      すると、あの婆さんは認知症でうるさいからそろそろ処分しろということになり、肺炎でもないのに肺炎ということにされて、系列の病院へ放り込まれた。そこでいろんな薬を飲まされて苦悶して半日で亡くなったそうです。そういう37種類の薬物の組み合わせがあって、それらは全部併用禁止の組み合わせで、全部禁忌です。そうした組み合わせが400種類以上あったといいます。これは偶然ではあり得ないことで、必ず死ぬ(殺す)配合です。間違いなく虐殺マニュアルがあるんです。

増川   その途中経過を知っている方がいたんですか?

船瀬   市民活動家の支援者が徹底的に調べ上げて、突きとめたんです。
      それで医者に回答書を書いてくれと頼むと、医者がみな怖れて逃げてしまう。

増川   それはほんの一部が表面化しただけのことで、私たちの知らないところではその数十倍は、似たようなことが行なわれていると見ていいでしょう。

船瀬   老人は下の世話がかかるようになると、大体すぐに”処分”されてしまう。
      つまり殺すわけです。その巧妙なマニュアルを白日の下にさらしたわけです。400種類以上の薬の組み合わせが全部配合禁忌だというのだから、偶然では起こり得ない。入院時の”病名”が肺炎も嘘。酸素飽和濃度というのがあるのですが、この老婦人は98%だったから肺炎でも何でもない。これは完全な医療詐欺で医療殺人です。

病人がいなくなると病院経営は成り立たない

増川   入院する時は元気でも、1週間ぐらいして顔色が悪くなったり、頭が急にもうろくしてきて会話ができなくなる人が多いのです。それも、今多いのは検査入院してそのままやられてしまう人がいる。特にひどいのが○天○病院です。そこでは検査前は元気だった人がどんどん悪くなるのを目(ま)の当たりにしています。

船瀬   マスコミなどで有名なところは逆に最悪ですね。
      患者はまさか病院が”殺人病棟”だとは夢にも思わない。

増川   やはり病院経営は大変だから、金持ちを狙ってVIP室に入れてお得意さんにして餌食にされる。そして毎日薬を飲ませ、注射してすぐに透析患者にしてしまう。入った途端に、顔色がどんどん茶色になってしまうんですから。それで一度連れ出して他の病院で検査をしてみたら、数値を見た医者が「なぜこれで透析をされるのですか?」と。透析などまったく必要なかったのに、家族はすっかり大病院に洗脳されていてどうにもならず、歯がゆい思いをしました。

船瀬   悪魔の透析ですよ。
      1人当たり約500万円の利益だ。病院にとっては金づるですから。少なくとも3人に1人はまったく必要ない。食事制限だけで治るし、ファスティング(断食)をすれば8割の人に透析は不要です。もっとひどい医者がいる。それはわざと腎臓破壊をする薬や、副作用で腎臓障害を起こす薬をガンガン飲ませるわけ。そして、「うーん、腎臓の数値が悪化していますね。透析しかないですね」。で、透析病棟にどんどん送り込んでいる。これが現代医療の悪魔性です。でもみんな知らない。だから絶対に病院へは行ってはいけない。

増川   病院にはもう何十年も行っていないです。

船瀬   現代医療は完全に崩壊した。
      すでに悪魔と死神に乗っ取られてしまった。その頂点にロックフェラー、ロスチャイルド血族がいる。

増川   アメリカでもそう思いましたね。
      ナースがどんどんやめていて、ナチュラルな療法など、違うことを学び始めているのです。

船瀬   まず最初の現代医学の理論からして完全に間違いです。
      まず医者は自然治癒力をまったく教えられない。だから医者は自然治癒をまったく知らない。これは生理学用語でホメオスタシス(生体恒常性維持機能)といって、自からの内に宿る力です。それは単細胞生物から高等動物まで、あらゆる生命体には振り子のように正常に戻る力がある。

   大崩壊しているのは現代医療だけではありません。
   知の大崩壊も始まっています。私はこれまで200年近く続いた近代・現代文明の大崩壊が始まったと感じています。つまり現在は、文明の転換期にあるのです。石油やウランなどで栄えてきた”火の文明”から、生命・環境を大切にする”緑の文明”へのパラダイム(枠組みの)シフトが始まった。これはもう、止めようがないと思います。1人1人が希望を持って未来を見据え、創造的に生きることです。



 book 『大崩壊渦巻く[今ここ日本]で慧眼を持って生きる!』
                  増川いづみ×船瀬俊介  ヒカルランド


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分別知以前にモラルは形成される

「楽園はこちらがわ」というブログから、岡潔の『春宵十話』の中に書かれた文章を管理人の岩田氏が自分の言葉でまとめたものである。
私は「モラルの土台は(理性よりも)感情にある」と最近考えている。つまり「分別知」を持つ以前の、両親の有言無言の教えの中からモラルは身についていくものだ、ということだ。
「善行を分別知がいらないままで行える」からこそ、モラルは法律よりも社会全体のために役立つのである。そして、社会全体の「風紀」が乱れた国で、子供がまともに育つはずはない。それが現在のアメリカであり、欧米諸国である。その影響を受けて、アジア全体もモラルの退廃が進行しつつある。
私は父の晩年の子供で、父親とあまり会話した記憶は無いが、珍しく父と浜に遊びに行った時に、父が海岸に落ちていた幾つかのガラスの破片を拾い上げ、それを人が誤って踏まない場所に片付けたのが記憶に残り、道にゴミを捨てたりするなどの行為(些細に見えても他人に害を与える行為)はしてはいけないのだ、ということが心に刻みつけられ、それは私の一生を律している。親の行為が子供に与える影響は、それほど強い。


「母は子に信をどう教えるかといえば、信頼を裏切らないようにすればよいのである。」


母親には限らない。父親もそうである。最初に我が子を腕に抱くとき、嬰児は「この人(存在)は自分が信頼していい人(存在)か」ということを確認しようとし、薄目をあけてじっと「観察」している。だから、嬰児が安心して眠りにつくまでは、どんなに腕が疲れても、嬰児を腕から離してはならない。それだけで、子供との深層心理の中の信頼関係は結ばれ、それは子供が成人するまで続くはずである。子供が親を信頼する限り、夜泣きなどすることもないし、粗暴な性格に育つこともないだろう。深層心理というものの重要さは、さまざまな場面に潜んでいる。



(以下引用)




(次は引用にあらず、岩田の解釈)。日本は日本的情緒の国で、それは善行を分別智がいらないままで行えることである。それを教えるのが道義教育で、それは「他を先にし自分を後にせよ」ということである。教育や政治はこれに合わせて作るしかなく、特に義務教育は重要なのである。義務教育の要諦は「道義的センス」をつけること、そのことにある。


いま、たいていの中学、高校では答案が合っているかどうか生徒にはわからない。先生が合っているといえば合っているというだけで、できた場合もできなかった場合もぼうっとしている。本当は答えが合うことよりも、自分で合っていると認めることの方が大切なのに、それがわかっていない。


グループ活動などといって、ひとところに大勢集めて勉強させるのもよくないことで、何にもならない。ボスができるばかりである。ボスができてからなら道義の入れようもない。言語道断なことをするなといいたい。


母は子に信をどう教えるかといえば、信頼を裏切らないようにすればよいのである。幼児が母の手をしっかり握っていて、向こうから知人がやってくる。そのとき挨拶のために子供の手を振り払うと、それ以後は知った人に会うたびに手を振り切られはしないかとびくびくするようになる。


人だから一つぐらい長所は必ずあるだろう。それを大きくクローズ/アップすればよい。ただ、競争意識をあおるのは害あって益のないものであろう。


しかし、また考えれば、日本は滅びる、滅びると思っていても案外滅びないかもしれない。というのは、日本民族はきわめて原始的な生活にも耐えられるというか、文明に対するセンスが全く欠けているというか、そういうところがあるので、自由貿易に失敗して、売らず買わずの自給自足となっても、結構やっていけそうにも思えるからである。先日、故障で停電したが、家中のだれも直し方をしらない。ローソクを頼りにふろにつかりながら、ああ、万事これでいけば心配することはないと思ったことだった。




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現在の政治システムの根本が問題

「ギャラリー酔いどれ」所載の「国際情勢の分析と予測」というサイト(ブログ?)の一節である。来るべき総選挙では民主党が勝つか自民党が勝つだろう、という予測は「明日の天気は晴れ時々曇り、所により雨」という天気予報くらい確実だろう(笑)が、民主主義に代わる政治システムとして「有能な少数の人間による合議制」というのは面白い。昔のローマの「元老院」のようなものか。しかしその「少数の人間」をどのようにして決めるのかが問題で、選挙で決めるのならばそれはやはり代表制民主主義の欠陥をそのまま残した寡頭強権政治になるだけではないかという気もする。と言って、官製の「元老院選定機関」が選んだりしては、財界代表とか東大総長、日銀総裁などがメンバー入りという最悪なことになるだろう。
まあ、誰が、どう選ぶのかはともかく、(あるいは2.26のように自衛隊や警察内部の有志がクーデターを起こして実力で政権を打ち立てるというのも可能だ。)安倍政権の大臣連中に代表される人間の屑を500人ほども集めたような現在の国会よりは、「有能な少数」による寡頭政治のほうが、独裁的な政治にはなっても、まだマシかもしれない。(こういう絶望感から、ヒトラー政権のような真の独裁政権というものが出現していくのだろう。)



(以下引用)


私は、来るべき総選挙では民主党が勝つか、あるいは民主党の掲げる精神を
自民党が継承する形で自民党が勝利するのではないかと想像する。

そして、その後は民主主義という愚かな政治システムから脱却して、
民間企業でも行われているような、有能な少数の人間による合議制の意思決定システムを
導入することが重要である。

かつて国際金融資本に強要された郵政民営化を争点とした総選挙で
国民の多くは郵政民営化を支持する小泉首相を熱狂的に支持した。
そして、小泉改革の支持者の多くは低所得・低学歴で
小泉改革で最も大きな打撃を受ける人々だった。

彼らは自分が支持している政策が自分に不利益である事すら理解できないのだ。
そのような愚かな人々が意思決定権を持つ民主主義というシステムは
極めて愚かなシステムである。来るべき総選挙の結果がどうなるかは別として、
近い将来に民主主義はその衆愚政治的性格から正統性を失い廃止されていくと想像する。

そもそも民主主義とは国際金融資本が敵国の民衆と支配階層を対立させて
弱体化させて乗っ取るための道具
に過ぎなかったのだから。

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年末解散総選挙が本当にあるとすれば、その理由は……

「岩下俊三のブログ」から記事後半を転載。
鋭い分析だと思う。


(以下引用)



しかしそれでも

なお任期2年を残し圧倒的多数でわが世の春を謳歌している自民党やナンミョウ党にとってなぜ解散をする「必要」があるのか。こじつければ理由はいくらでもあるものの、どれも「なぜ、今」なのかという答えになってないのです。

しかたなく

「大義なき解散」とマスコミは控えめに皮肉を言っているつもりでしょうが、なぜ堂々と「原発」が四年目には(今三年半)もう蓋をしきれない状態になるからという「本当の理由」を言わないのでしょうか。

そのわけはただ一つ、、、

原発問題の秘匿でしかありません。例の秘密保護法も強引に決めざるを得なかった理由もここにあるというしかないと思われます。


原発

とくにフクシマを隠しきれなくなる前に何とか今の政権にフリーハンドを与えて置かないと、大変なことになるというのが与党内の「暗黙の了解」事項にあるのですが、おそらくこの危機感は今や権力の狗となったマスコミ自体も共有しているものと「思われて」なりません。

原発事故の収束はおろか被害拡大や永久に帰還できない(当分避難というのは「いつか」帰還できることが前提であったはず)ことがいっそう明確になるフクシマや、勿論他の原発の再稼働すら困難になることが「これから」顕著になってくることは明らかなのです。

したがって「今」解散して政権を維持しておくしかないのです

ゆえにこの解散の実態は「大義なき」ではなく大いに原発問題という隠された「大義」があるのです。要は簡単、紛らわしい野党の群れのなかで「原発推進」か「脱原発」かというだけで区別して、あとはの政策はすべて考えずに必ず投票すべきだと思います。

もしそうしないということは、

国民自らが民主主義を放棄したことになりますから、国民納得の上で原発推進独裁政権樹立を容認したことになるのです。

そしてなんども同じことを僕は訴えます、、、

It is no use crying over spilt milk.、、、と。

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