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「愛子さま」の学校制度破壊テロ(笑)

ちょっと面白い話である。
愛子親王(というのか? 皇族の女性をそう呼んだと思うが、「愛子さま」という言い方の方が私には不自然に思える。「親王」ならただの称号だが、「さま」には尊敬の強制を感じる。)にはこのまま中学校中退していただいて、日本の教育のあり方や意義について一石を投じてもらいたいものである。
つまり、「中学校中退で何が悪い?」ということだ。そもそも、結婚して家庭の主婦にでも収まるなら、小学校卒で十分だ。社会についての実際的知識など、公教育では何一つ得られないのだから、小学校で読み書き算術を覚えればそれだけでいい。いや、家庭の主婦に限らずたいていの人間はだいたい小学校までの知識だけで生きるのには十分ではないのか。
一番悪いのは、愛子親王がこういう学業状態であるのに、学校側がそのまま進級させ、「中学卒」の資格を与えるという特別待遇をすることだろう。それは嫉妬と批判の元になる。いや、既になっている。下の記事自体がそれである。
とかく世間は他人の粗探しをしたがるものだが、「他人を批判する」ことの公正な利点が無い場合にまで他人を批判するのは感心しない。下記記事で言うなら、愛子親王がどうであろうと、それが他の生徒にどんな不利益を及ぼしているかと言えば、それは何一つ無いのである。ただ、「自分は苦しんで勉強し、真面目に無遅刻無欠席で登校しているのに、そうでない人と同じ扱いを受けるのは嫌だ」ということである。つまり、「本当なら勉強などしたくない。学校など来たくない」というのが彼女たちの本音であり、そうは言えないから「不平等な扱い」に文句を言っているのである。彼女らにとって学校がそういう存在であるところに、現在の「学校」という制度の無意味さや有害さの一端が表れている。


愛子親王は知的障碍者(とは言っても、幅広くあるはずだが)だという話もあるようだが、仮にそうだとしても、それも問題ではないだろう。皇族と言っても普通の人々と同じ確率でそういう人は生まれるというだけであり、公的活動はできないだろうが、私的生活だけで生きていかれればいいだけだ。





(以下引用)

愛子さま 二学期の期末テストの3日間8教科分を欠席された


 冬晴れの空が広がった12月22日、学習院女子中等科は二学期の終業式を迎えた。8時25分頃、お車で登校されたマスク姿の愛子さまは、ポニーテールを揺らしながら、全力ダッシュで校門をくぐられた。


 終業式は8時30分スタートで、この日はギリギリではあるが、他の生徒たちと同じように定刻通りに登校された。


 だが、この二学期、愛子さまはさまざまな問題を抱えながらの学校生活をお過ごしになった──。


 一学期後半から始まった愛子さまの“不規則登校”問題。二学期の始業式こそ、定刻前に元気に登校されたものの、その後は再び逆戻り。遅刻や欠席の回数が増え始め、9月末頃からは午後に登校されることもあった。


 12月1日の誕生日は、学校をお休みになったが、夕方には天皇皇后両陛下に誕生日のご挨拶をされるために皇居を訪ねられている。


「沿道に駆けつけた人々に、車から元気に手を振られる愛子さまの姿を拝見して、少なからず違和感を覚えました。やはり、この日学校を欠席されている以上、公の場に出てこられるのは不自然ですよ。愛子さまは今、学校で誰からも叱られることなく、自由な振る舞いをされているように思え、実に心配でなりません」(学習院関係者)


 この関係者が指摘する通り、学習院女子中等科では、愛子さまは過剰なまでの“特別扱い”を受けていて、遅刻、欠席を繰り返しても学校側が愛子さまを叱ったり、母親である雅子さまを呼び出して注意することは、一切ないという。


 こんな状況に、すでに本誌がお伝えした通り、一部の生徒たちから不満の声が出てきている。


「私たちは遅刻しないようにまじめに登校しているのに、なぜ愛子さまだけが自由な時間に登校しても許されるのでしょうか?」


 しかし、学校側は明確な答えを出すことはできなかった。そして12月5日から4日間にわたり、二学期の期末テストが行われたが、愛子さまは5日、6日、9日の3日間、計8教科分の試験を欠席された。


 この期末テスト欠席に関して、東宮大夫は定例会見で、風邪で発熱や咳があったためと説明している。結局、愛子さまは後日、数日に分けて追試を受けられたという。


※女性セブン2015年1月8・15日号



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神とは何か

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。
神とは何か、と言えば、私は、人間一人ひとりの中にある「神性(divinity)」のことだ、と考えている。もちろん、人間の中には「悪魔性」もある。いずれにせよ、神とは自分の外部にあるものではない。
世界の創造者としての神を信仰し、その教えとされる様々な教義に縛られ、他の宗教やその信者、他民族を「悪魔(「satan」は「敵」が原義だと言う。)」として攻撃し、殲滅しようと図るなど、それこそ、悪魔的所業である。これが旧約聖書における「神」と、その教えに従う民族の所業であった。キリストはその教えを変え、(自分は神の子だから、その資格があると称した。)「汝の敵を愛せ」と真逆の道を教えた。その結果、彼は十字架上で殺されたが、その教えは「新約」として世界に広まった。だが、ローマ教会の手でその教えは「新約聖書」の内容とは甚だしく異なるものに変えられ、再び「敵を殲滅せよ」の教えとなった。
だが、こうした話は、別の文章(「革命者キリスト」)の中で書いたことだ。
今は、「神とは誰の心の中にもある「神性」のことだ」と言っておく。
ケンシロウに救われた子供が彼を「神様」と言ったのは、正しい。


(以下引用)


”神様”とは…
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日没が”一日の終わり”であるユダヤの仕来りでは…当然のごとく…




日没が、”次の日の始まり”となる…





同様に、24日の日没から25日の日没までが”クリスマス”である。





「きよしこの夜」のイメージで、ついついこの日がイエスの誕生日のように思ってしまうが、馬小屋で生まれたわけだから、本当は夏だったとされる…




もともとあった”冬至”の祭りに、「キリストが死んでから三日後に”復活”した」という言い伝えを重ねあわせ、冬至の三日後に”キリストのミサ”を行うようになったのが、どうやら真相らしい…




また”クリスマス”といえば、”サンタクロース”だが、これを”サータン”、”クロノス”と読み替えるといずれも土星を意味するローマ神話の神様の名となる。




西洋占星術でも、冬至からの一か月は”山羊座”であり、守護星は土星であるから、ぴったり一致しているのは、おもしろい。




イエスが、ユダヤ人であったというのは、宗教改革のマルティン=ルターが、それに言及し、不快感を述べていることから、少なくともそのころから広く一般的な認識だったらしい…




ルターは、「悪魔的なユダヤ教」を嫌悪して、改宗を強要して拒否され、以来、ユダヤ教をずっと敵視していた。今日と同じような”反ユダヤ主義”が、もうこのころからあったわけである。




また一方、中東では青い目のイエスの肖像画があるという話もあってか、実は白人だったという説もあり、当ブログでも紹介したことがある。





何が本当のことかはよくわからないが、”真理”、”真実”というのは、もう少し明確なものだろうと思う。




たとえば、”神”とは何か…




何をもって”神”と呼ぶべきなのか…




”完全”…”全知全能”…”真善美”…”万物の創造主”…





そうした”属性”をもち…人々が崇拝したり、賛美したくなるもの…





少なくとも、そうしたものを人々は”神”として奉り、崇めている例が多い…





だが、そういう”神”の多くは”アイドル”…、つまり”偶像”とも呼ばれるものであり…




実はもっとも”不信心”な行為で、”御法度”なのである。





いつぞや、キリスト教をセールスしにきたおばちゃんに…




「あなたはなぜ神を信じるのか?」と尋ねたら…




「神様がこの世界をおつくりになったから」などと答えていた。





私に言わせれば、これは”偶像崇拝”の典型であり、邪教にほかならぬものだと思っている。





だいたい、「神が創造主」というのは旧約聖書の話で、キリストの教えのポイントではない。




ヨハネの福音書に「神は言葉である」という記述があるように、キリストが”神”とされるのは、彼が世界を創造したからではなく、真実の教えを述べ、人類に教えたからであろう。





人々が、その教えに従い実践すれば、まさにキリストの述べた”神の国”が実現する。




そのとき確かにキリストは、キリスト的世界を創造した”創造神”だったことが証明されるだろう。





人は、どういうときに”神様”を認め、その姿をそこにみるのだろうか…




次のエピソードが、その問いに答えてくれる…






常に恵まれない者、絶望の中にある者のことを忘れず、その者たちとともにある…




それがイエスの人生だったし、教えであった…





イエスが、創造主かどうかなんてどうでもいい…





彼の生き様、彼の求めた真実こそが”神”そのものなのであり…




我らが、それにしたがうかどうか…のみなのである…





したがうもしたがわないも”自由”…





ただ、我らがその教えを実践し、”神の国”を実現できたなら…




先にも述べたように、キリストが”創造主”だったことが改めて証明されるのである。


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革命的非モテ同盟、クリスマス粉砕へ立ち上がる

「ネットゲリラ」から抜粋転載。
読んでいて時々ニヤリと笑ってしまった。このデモ隊のようなユーモアは大好きだ。自分で自分を笑えるのは高度なユーモアであり、余裕のある態度だ。「恋愛資本主義粉砕!」にはクククと笑ってしまう。(お前は「白馬のルンナ」か!)まさに、恋愛とは資本主義であり、資本のあるもの(言うまでもなく、顔の良さが最高の資本、本当の金がその次。話術などは、まあ努力次第だ。)によってすべてを独占される世界だ。モテない男女は、「私がモテないのはどう考えてもお前たちが悪い!」などとブツクサ言わず、この「革命的非モテ同盟」にでも入って社会を変革したらどうか。つまり「非モテ独裁」社会になるわけだ。それも怖いな。(笑)
なお、私はキリスト教徒ではないが、聖書は文学として楽しみ(西洋文学の土台でもあるし)、クリスマスはイエス・キリストと関係あろうがなかろうが、「すべての人の幸福をすべての人が願う日」「博愛の日」になっているから素晴らしいと思っている。べつにカップルがいちゃいちゃする日ではない。
であるから、クリスマス粉砕には反対である。賛成の反対、なのだ。


(以下引用)夢人注:コメント欄の発言は、せっかく面白いことを言っているのに余計な付け足しで台無しになっているのが二つほどあったので、無駄な部分はカットした。



クリスマスを目前に控えた12月21日午後、若者やカップルで賑わう東京・渋谷で「恋愛資本主義反対」を掲げる集団「革命的非モテ同盟(通称:革非同)」が「クリスマス粉砕デモ」を実施した。
今回参加したのは社会人や学生、ニートら25人。「クリスマス粉砕!」と書かれた横断幕を掲げ、警察官に誘導されながら渋谷の街中を30分かけて練り歩いた。
参加者は拡声器を使い、「我々はモテない人々の集まりです。モテない人を不幸にするようなイベントを粉砕します」と沿道に説明。全員で
「リア充は爆発しろ!」「カップルは自己批判せよ!」「恋愛資本主義粉砕!」
などとシュプレヒコールを上げた。



 

コメント(14)

 

今年からクリスマスは禁止なのだ。


国会で青島幸男が決めたのだ。


これでいいのだ。


 



僧侶だけど別にクリスマスをにがにがしく思ったりしてません。でも、ナザレのイエスが出てきたせいて、世界は戦争でいっぱいになった気がしないでもない。釈迦の方が平和だな・・・
 「リア充爆発しろ」デモだけど、楽しそうにやってたならまぁいいか。ユーモアのある行動ができるなら、彼らも「リア充」じゃないの?


 



キリスト教を知らない人でも戦前の中村天風などがキリスト教的発想を産業界に広めたのでキリスト教的な価値観を持ってる人は経営者などに多いよ。



革命的というと私は平井和正の超革命的中学生集団、略して「超革中」を思い出します。革命的という言葉がかっこよかったんですね。


その後、熱く物事を語る奴は避けられる風調:いわゆるしらけ世代(ブーイングならぬシーイングされた)以降は革命的なんて言葉をいう奴はいなくなった印象です。


今回の革命的非モテ同盟(通称:革非同)は一周回って革命的という言葉を面白がれる時代になったんでしょう。「革○○」なんて間違っても使わない世代にとってはある意味時代は変わったんだなと思いました。



>キリスト教的発想を産業界に広めたのでキリスト教的な価値観を持ってる人は経営者などに多いよ。


顔曲がりのタロちゃんはキリ死痰でしたかしら?



>でも、ナザレのイエスが出てきたせいて、世界は戦争でいっぱいになった気がしないでもない。釈迦の方が平和だな・・


そういうことを言うから平和でなくなるのかなw


おいらの友人のお坊さんのお寺では Xmasやってますw
その方が平和かもww



>そういうことを言うから平和でなくなるのかなw


言わなくても平和じゃないよねwww現実問題www過去2000年wwwつか進行形だしwww


オイラの友人の坊主は肉食ってスナックに行きますwww



よくあるのが、経営哲学を語ると、そこに神様が出てくるのw



『一体、恋人のいる人や小さな子供のいる家族以外の誰が
心底クリスマスを楽しめるでしょう。
約二組に一組の結婚が離婚に終わる、急速に家族崩壊が進む
イギリス。
両親が離婚した子供はたいていクリスマスを
「今年は母親と、来年は父親と」といった具合に
一年交代で過ごすようですが、
それは自分たちの家族がばらばらになってしまったことを
改めて思い出させる悲しいオケージョンでしかありません。また、
親の方も一年おきにやってくる子供のいないクリスマス
には涙また涙とか。
シングルマザー、恋人のいない人、伴侶をなくした人、
病院や施設にいる人、クリスマスにも働かなければならない人…
実はこういう人たちの方が圧倒的に多いのが世の中というもの。
かくしてクリスマスの前後には鬱状態になる人が多く、
サマリタンズなどのカウンセリング機関は
クリスマス・ヘルプラインを特設し、ラジオは
「クリスマスに独りぼっちはあなただけじゃないと
呼びかけるのです』


著者はこの後も、英国人はいかにクリスマス嫌いであるか、
様々な例を挙げておられますw


高月園子「ロンドンはやめられない」(新潮文庫)


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ピケティがわざと言わないこと

今日も「世に倦む日々」からの抜粋転載である。
「世に倦む日々」氏は経済学についての理解が深いようで、学問的素養も本格的なようだ。いろいろと勉強になる。ただし、こちらは自分にとって興味深いところだけを聞きかじりするだけだが。
「世に倦む日々」ブログの著者(管理人氏)は、他のブログやサイトのように社会主義への闇雲な嫌悪感を持たず、右も左も冷静に批評してる。やや、社会主義寄り、か。そういう点は私に似ているかもしれない。だからこそ、こうして引用することも多いのだろう。
下記記事は最近ブームのピケティの著作(「21世紀の資本」だったか?)についての(というよりは、その解説本についての)批評だが、これを読むとピケティの著作には人々を大きくミスリードするところがあるようだ。
確かに、20世紀中盤の労働者待遇の改善、福祉政策の増進は、誰が考えても「ソ連の躍進」に怯えた資本主義国家が、自国の共産主義化(赤化)を恐れた結果だろう。一方では「赤狩り」を行いつつ、一方では労働者待遇の向上によって資本主義の優位をアピールするという「アメと鞭」である。そういう基本を(わざと)無視しているところに、この本が世界的ベストセラーになることが「許された」背景があるのではないだろうか。


(以下引用)赤字部分は夢人による強調。



以上は、竹信三恵子の要約をさらに要約したもので、ネット等の整理でも同じ中味が書かれているに違いないのだが、説明の内容に少し首を傾げる部分がある。それは、ピケティの論述に問題があるのか、竹信三恵子の要約に欠落があるのか、よく分からないが、議論全体のポイントとなるところの、20世紀の格差縮小の原因について、社会主義の要素がクローズアップされてない点だ。戦争のため、軍備に税を徴収しなくてはならず、富裕層への課税が大きくなったとか、戦争が国民を平等な方向に持って行ったという説明がされている。これは、歴史の事実とは少し違うし、米国のニューディール政策や日本の戦後改革の意味を見誤る点だろう。この時代は、ロシア革命が各国に波及することのないよう、とにかく社会主義革命を防ごうとして、各国が社会政策を充実させ、中間層を作って行ったのであり、すなわち修正資本主義の時代なのだ。何より強調されるべきなのは、ケインズ主義に他ならない。ピケティの原著の方は不明だが、なぜか竹信三恵子の要約ではケインズの名前が上がらない。この時代がケインズの時代であった一般論が確認されず、ケインズを否定するハイエクとフリードマンという経済学史の流れが出て来ない。このことは、普通の者には奇異に感じられる。マルクスとケインズという一般的な図式ではなく、マルクスとクズネッツという図式が持ち出されていて、その意図を訝る不思議な説明になっている。

1980年代以降、世界の諸国で格差が拡大していくのは、社会主義革命の危機や脅威が消え失せたからであり、資本側が労働側に遠慮することなく、規制を取っ払って自由自在に搾取できるようになったからだ。日本では、その波は中曽根政権から始まり、小泉改革で劇的な形となって現れ、製造業での派遣労働が法律で解禁されるに至る。どれほど輸出で利益が出ても、資本側は労働側に春闘で妥協することなく、賃金は上げずに内部留保に蓄えこんで行った。それに対して、総評を潰された労働側の抵抗は弱く、労働側の利益を担った政治勢力(革新)も衰退と縮小の一途を辿り、資本主義のあり方は19世紀の原初の姿に戻って行く。今度は、いよいよ残業代がゼロにされる搾取が合法化されようとしている。労働側は、20世紀(日本では戦後)に獲得した権利を次々と失い、収入を減らされ、中間層たる地位と基盤を失い、19世紀の無一物のプロレタリアへと没落させられている。これが格差拡大の実態だ。ケインズ的な、ニューディール的な、資本主義を修正させる契機が否定されて、ハイエク・フリードマン的な世界が出現したということだ。これが、新自由主義の台頭と制圧についての基本認識というものだろう。なぜ、クズネッツがそこで注目されて特筆される必要があるのか、論理と意味がよく分からない。20世紀の修正資本主義(格差是正と中間層育成のシステム)は、ロシア革命と社会主義とケインズとニューディールで説明されるのが当然だ。




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若者の自己防衛としての政治敬遠

「世に倦む日々」記事から、「若者と政治」の部分に焦点を絞って抜粋転載。
この分析は正確無比だと思う。
政治家に欲しいのはこうした「大衆心理」への洞察力だ。それが自分に無いなら、それのできる「軍師」を身近に置くことである。安倍自民党の世耕などは、その能力があるが、残念ながら野党政治家にはまったくそうした能力が無い。それが野党が敗北し続ける根本の理由である。


(以下引用)


この国では若者ほど甚だしく右傾化している。そして、若者ほど体制に順応的な生き方を身につけている。彼らは、安倍晋三や右翼の方向性を支持しているというよりも、多数の意見や全体の意向に逆らわないのだ。異議を唱えないのである。今の政治における多数が何かはマスコミが教えている。異端が何かもテレビとネットを見れば一目瞭然だ。彼らは、生き抜くために、自身が異端の位置に属することを極端に恐れるのであり、自己防衛に過敏になるのであって、場の空気に合わせて、全体が自分に要請する配役や立場を素早く感知して、それを積極的に引き受けるのだ。その習性と態度をしっかり体得していないと、例えば、就職時の会社面接で脱落してしまう。そこで人生が決まる。われわれの頃と違って、面接は個人ではなくグループでやる。チェックされるのは、どれだけ集団での即興の振る舞いで、面接側の期待に応える役割演技ができるかだ。今はその能力を「コミュ力」と呼ぶらしい。若いときに身につける習性と態度とは、その人間の終生の生き方を意味する。

例えば、こんな場面を想像しよう。ある若者が投票に行ったとする。仲間同士の会話の中で選挙が話題になったとき、「選挙、行った?」という質問に、正直に「言ったよ」と答えたら、残りの者たちは、「えー、行ったの!?」と驚き、「どこに投票したの?」と尋ねてくるだろう。若者は答えなくてはいけないが、「自民に投票した」と答えたら、「どうして?」と続けて訊かれ、動機や理由を説明しなくてはいけない。説明すれば、その内容が他の者たちに話題として伝わってネタにされる。「あいつ、自民に投票したんだって。安倍でいいからだって」という具合に。具体的な場面を少しでも想像すれば分かるが、若者たちの一般的態度は棄権なのだ。それがマジョリティなのだ。投票には行かないのが普通であり、行った者が特殊で、興味を持たれ、面白がられて、その行動の中味の説明を求められる。その説明は、聞いて噂にする方は軽いネタだが、説明した方は個人情報として残り、あとあと厄介でリスクのある不安になる。尾ひれが付いて回る可能性がある。さて、このとき、正直に「共産に投票した」などと言えるだろうか。言えない。口が裂けても言えない。理由を訊かれ、説明を始めたら大変なことになる。だから、仮に投票をしていても、仲間で話題になったときは、「行ってないよ」と答えるのが無難なのであり、「投票したい党がないから」と言っておけば安全に済むのだ。無用なトラブルを引き受ける必要はない。

こうした環境や関係のあり方は、若者たちに、選挙に行かないように意識を方向づける。政治に関心や知識を持たないように仕向けて行く。関心を持たない方がいいという判断と思考になる。関心を持たないことが安全だからであり、将来的に身を守るサバイバルに繋がるからだ。関心を持てば、選挙に行くという行動に必然的に導かれる。コミットの責任を持つ。投票に行けば、リスクを冒してその説明(選択の意義・正当性)を友人たちの前でするか、あるいは、「行ってない」と方便のウソを言わないといけない。友人を騙すことは多少とも苦痛が伴うものだ。だから、テレビで大人たちが言うところの、「選挙に行きなさい」という説教は、若者たちにとっては欺瞞的なタテマエ論なのであり、若者には負担の重い、大人の世界で通用する無責任な原則論なのだ。現実の社会は、就職面接がそうであるように、どこまでも漂白された人間像を求めるのであり、社会的な理念を持たない、言挙げしない、異議申立を決してしない、ただ機械のように働く無色透明な若者像を要求する。TOEICのスコアが700で、ITスキルが万全で、早慶一橋卒の学歴が履歴書にある、「コミュ力」の十分な学生を求める。就職面接の真実こそが大人のホンネ論だ。今の若者たちは、中学で、高校で、大学で、理念の重要性を教育されていない。理想を持つことを教育されていない。むしろ逆で、理念や理想を持たないことを教育されている。場に適応して生きることを教育されている。







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キューバは地獄の門を開けたのか

「大摩邇」から転載。
私もキューバと米の国交回復を単純に喜んでいた馬鹿の一人であったが、この記事を読んで、これはキューバにとっては悪い選択になったかな、と考えた。もちろん、これでおそらく実現する「体制転覆」の後でキューバは完全に資本主義(経済的自由主義)体制となり、経済的にも発展する可能性は高い。だが、キューバ国民にとってそれが本当に幸福な道かどうかは疑問なところだ。
「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」と言った古人がいたが、今の「平等に貧しい」キューバははたして「富める1%対貧しい99%の格差社会」より不幸なのかどうか。精神的な面では、もしかしたら「平等に貧しい」社会の方が、妬みと恨みと他人を蹴落とす争いの社会よりも幸福かもしれないのである。
もちろん、一番いいのは全員がほどほどに豊かになる社会である。政治がまともなら、それは容易に実現できるはずだと私は思っているのだが。



(以下引用)

キューバにおける体制転覆

マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-3210.html
<転載開始>

Paul Craig Roberts
2014年12月19日


キューバとの国交正常化は、外交上の飛躍的進展の結果でもなければ、ワシントン側の心変わりでもない。正常化は、アメリカ大企業が、キューバにおけるブロードバンド・インターネット市場開発等、キューバで利益を上げる機会を求めた結果に過ぎない。


アメリカの左翼やキューバ政府は、正常化を幸いだと考える前に、正常化すれば、アメリカの資金とアメリカ大使館がやってくることに思いをいたすべきだ。アメリカの資金が、キューバ経済を乗っ取るだろう。大使館は、キューバ政府を転覆させる為のCIA工作員の巣窟となるだろう。大使館は、アメリカが、キエフでの様に、だまされやすい参加者達を、適切な時期に街頭抗議行動に繰り出させることが可能なNGOをたちあげるための基地となり、大使館開設で、ワシントンは新たな政治指導部の一団を育てることが可能になる。


要するに、国交正常化とは、キューバの政権転覆を意味している。まもなく、キューバは、もう一つのワシントンの属国になるだろう。






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先の選挙結果に安倍は大不満?

この記事が事実に基づいているなら、先の選挙は(一部はともかく全体として)不正選挙ではないのだろう。そして開票後の安倍総理の不機嫌な表情の理由も明確に分かる。
やはり、安部の一番の願望は(アメリカ様の指示を受けるまでもなく)「9条廃棄」にあるようだ。バカだねえ。それが実現していったい、誰得なんだよ。だから安倍は幼稚、低脳と言われるんだ。(あっ、これは国家特定秘密の暴露に相当しますか?)
なお、宮内庁は「天皇への記者質問」禁止令をマスコミ各社に出したが、これも総理官邸からの命令によるものだろう。今、この時期に天皇の憲法尊重発言が出たら、安部にとっては最悪だからだ。




(以下引用)

『ZERO×選挙』で“ブチ切れ”の安倍晋三首相、生放送後さらにヒートアップ「枝野は落ちないじゃないか!」- 日刊サイゾー(2014年12月20日11時00分)


 12月14日に投開票が行われた衆院選の選挙特番『ZERO×選挙』(日本テレビ系)で、村尾信尚キャスターに“ブチ切れ”たことが話題となっている安倍晋三首相。現役の総理が生放送で怒りをあらわにするという異例の事態に、一部では、自民党側によるテレビ放送用の演出ではないか、ともささやかれていた。


 だが、生放送への出演終了後、現場には安倍首相のこんな怒号が響きわたっていたという。


「300に届かないじゃないか。話が違っているのは、どういうことだ!」
「沖縄は2つ取れるはずじゃなかったのか!」
「枝野(埼玉5区、民主党の枝野幸男幹事長)は落ちないじゃないか! どうなっているんだ!」


 その場にいたという自民党関係者が明かす。


「選挙を取り仕切っていた茂木敏充選対委員長をはじめ、党幹部にすごい剣幕で怒鳴っていました」


 マスコミの目が届かない舞台裏でのやりとりに、周囲の人間は凍りついたという。その理由を、別の自民党関係者はこう解説する。


解散前、茂木氏は300議席超えに自信をのぞかせていたそうです。憲法改正が悲願である安倍首相は、その言葉を信じ、自民党が300議席を超えれば、次世代の党、民主党の右派、無所属議員らで3分の2を超えると皮算用していたようですそうなれば、公明党の存在は軽くなり、彼らが自民党にすり寄ってくれば“憲法改正の踏み絵”を踏ませられる。それが、終わってみれば次世代の党は崩壊寸前となり、公明党と共産党が議席を伸ばしただけ。怒りがピークに達し、当たり散らしたのです」


 とはいえ、沖縄に関していえば、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を抱える中、先の県知事選・那覇市長選の両方を落とした最重点地区であるにもかかわらず、安倍首相は一度も応援に入ることがなかった。


 自民党沖縄県連関係者の中には「結局、怖くて沖縄入りできなかったんじゃないか」と、安倍首相に厳しい視線を向ける者も決して少なくないという。与党も到底、“一枚岩”とはいかないようだ。


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それだけで人生は生きるに値します。

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