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ロックの本質としての暴力性と攻撃性

「in deep」から抜粋転載。
私も前々から、ロックの特徴は暴力性と攻撃性だと思っていたので、「緊張」と「攻撃」を軸とした音楽だ、という筆者の言葉には同感する。オジー・オズボーンの言う、「暴力ではなく攻撃性だ」というのは詭弁に近い。耳に聞こえる音の感覚として暴力性と攻撃性の区別など無い。
しかしまた、彼の言う「攻撃性こそ成功の鍵さ」という言葉には納得するしかない。どんなに穏やかな人間に見えても、社会的に成功する人間にはどこかに攻撃性があるように思う。ただ、その攻撃性が何に向かうか、ということによって、成功の質、成功の仕方が違ってくるということではないか。自己の内なる他者と戦うこともまた攻撃性だとするならば、「克己心」は攻撃性であると同時に、ほとんどあらゆる成功への鍵だとも言えそうだ。
ただ、「外部の敵」への攻撃性は、当人を成功に導く確率は高いが、他者を不幸に陥れるものである。だから私はいつも競争主義を否定し、「勝つってそんなにいいことか」と言うのである。
で、最初の話に戻ると、ロックの特徴は暴力性と攻撃性にある、というのが私の考えであり、たとえその歌詞の中で平和や共感や同情や愛を歌っていても、その曲調そのものが歌詞の内容を裏切っていて、聞く人の中の暴力性や攻撃性を助長している、と思っている。まあ、あっさり言えば悪魔の音楽である。で、曲調としても暴力的でも攻撃的でもないロックがあれば、それは実はロックではないのである。
私は、世界の非人間化(残虐化)の一つの原因にロック音楽の蔓延があると本気で思っている。




(以下引用)


「 432Hz と 440Hz の比較」を体感してみました

というわけで、理屈ではいろいろと言われているものですが、実際にその音を聴き比べててみてどうなのか。

440Hz と 432Hz は、音の差だけでいえば、わずかです。

432Hz の方がやや低いですが、完全に別々に聞かされた場合、音に詳しい方以外は、どちらがどちらだか聴いてもわからない程度の差だと思います。

それについて、ギターの調律のAを 440Hz と 432Hz にして、比較している動画がありますが、これを見た(聴いた)時には本当にやや驚きました。体感でわかるのです。

オリジナルは、

440 hz vs. 432 hz - my guitar experiment

という動画ですが、一部だけでもぜひ聴き比べていただきたいですので、数十秒抜粋してみました。

本当に一瞬で気づくほどの差を多分、体感できると思います。

440Hz と 432Hz の差(アコースティックギター)


どうでしょうか。

体感の違いを感じられたでしょうか。

もちろん、人によって違うと思いますけれど、私の場合は、

432 Hz の音が鳴った途端、体の緊張が解かれる感覚になる

440 Hz では、一瞬小さなリキみのような緊張が走る

というのを一瞬で感じました。

何度聴いても、そのようになります。

いろいろと先に知識などを持って聴いているせいで、「構えて聴いているからかな」とも思いましたが、何度聴いても、そのようになりますので、体感への影響は多少なりともあると確信を持てます。

ただ、この違いを体感して思ったんですが、

仮に現在の世界の基準調律音が 432Hz だった場合、ロック音楽は生まれなかったかもしれない。

という思いにも駆られます。

ロックにも様々ありますけれど、その基本は「緊張」と「攻撃」を軸にした音楽で、上で体感できるような「 432Hz =リラックス」的な基本音とその倍数音が主体だった場合、パンクやハードロックなどの音楽は生まれにくかったように思います。

実際、ロックの発展の歴史と「 440Hz の採用の歴史」は、わりとリンクしていることがわかります。

その歴史に関しては、基準周波数A=440Hz って何?というサイトによりますと、432Hz は、19世紀にヴェルディが提言して、イタリア政府が公式に採用したところから始まったようです。


基準周波数Aが 432Hz から 440Hz へと移行した歴史

1884年 432Hz イタリア政府によって制定
1925年 440Hz アメリカ政府と団体によって制定
1939年 440Hz ロンドン国際会議によって制定

432Hz を葬ったのはアメリカ政府だったようです。

そして、その後、1953年に ISO (国際標準化機構)によって、440Hz が国際基準値として決められ、ここにおいて、すべての国の基本調律は 440Hz となりました。

ロック音楽が本格化したのは、ロックンロールがポピュラーとなった 1950年代からです。
こちらもまたアメリカで始まりました。

もう少し正確に書けば、「ロック時代」という概念は、一般的な見解では、1954年に発売されたビル・ヘイリーという人の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がビルボードチャートで1位を記録した時から始まるとされていますので、1953年の 440Hz が国際基準値とされた直後から、ロック時代が始まったといえそうです。

ビル・ヘイリー / ロック・アラウンド・ザ・クロック( 1954年)



その後、世界全体として「ロック時代」に突入していきます。

まあ、私なんかもずっとロックを聴いていたわけですけど、ロックの種類もいろいろとありますが、基本的には確かに攻撃性の強い音楽ですので、若者も攻撃的になりやすくなる面は非常にあります。

ヘヴィメタル系の「悪魔的サイド」を売りにした中でのロックスターに、オジー・オズボーンという人がいますが、彼は昔、テレビで、


「音楽は暴力を助長しない。攻撃性を高めるものだ。そのふたつはまったく違う。良いことを教えよう。攻撃性こそ成功の鍵だ。それが、アメリカ流ってやつさ」

というようなことを言っていますが、440Hz 、ロック、攻撃性こそ成功の鍵、というのは、現代の「アメリカ的社会」を象徴することで、このアメリカ的社会が、日本も含めた多くの社会構造となっているという面はあるかと思います。

そりゃまあ、世の中も荒れますよ。

ロック音楽には、シュタイナーが警告していた「悪魔の世界」と近い性質を持つ要素が含まれていることは、若い時代からロックにどっぷりと浸かっていた私から見ると、それは否定できません。

それにしても、今回の記事を書いている途中で何度も「なるほどねえ」と頷いていました。

たかが基本調律と思っていましたけれど、今書きましたロックのことにしましても、いろいろなことの間の説明がつくのです。いろいろと世の中の仕組みは、いろいろとあるのですねえ。


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怒りから憎しみへ

「晴耕雨読」所載氏家氏の記事より抜粋転載。
朝日新聞もやるではないか。かつての朝日新聞のようだ。(笑)


国の対応に抱く思い

「怒りなんか通り越して、もう憎しみに近いと思っていますよ」。


まさに、これこそが今の沖縄県民の日本政府への思いだろう。


(以下引用)


「インタビュー:対立の海で カヌーで移設に抗議する小説家・目取真俊さん」『朝日新聞』2015年3月13日付 http://t.co/ZSi2nVgU45

「こうやって基地問題に人生を奪われていくのかと思うと、かなしさを覚えます」

クリックすると元のサイズで表示します

抗議を始めた経緯「怒りとか義務感とか一つの言葉で説明できるものではありません。これまで生きてきた総体が、この行動にまっすぐつながっています」

北部ヤンバルの生まれ。

豊かな森を米軍が重火器で演習する。

沖縄戦の体験者にも話を聞いた。

一つ一つの現場を我が身で確かめながら。

戦争について考え続けた人が国の対応に抱く思い

「怒りなんか通り越して、もう憎しみに近いと思っていますよ」。

(名護市民は去年から5回も選挙。全部移設反対派が勝利)

「しかも、嘉手納基地まで地元に返せとか言っているわけじゃない。せめて辺野古に新しい基地をつくることだけはやめて、と」

政治の劣化 「自民党にも、昔はもっと歴史を肌で知る政治家がいました。戦争で沖縄に犠牲を押しつけた、という意識を心のどこかに持っていた。それがいまでは、歴史認識も配慮もない。基地を押しつけて当たり前という、ものすごく高圧的な姿勢が中央に見えます。沖縄の保守の人さえそう話す」。

沖縄にとって戦後70年「ヤマトゥにいたら、戦争から70年のブランクがあるような感じがするでしょう。でも沖縄の感覚は全然違う。市街地をオスプレイが飛び、迷彩服を着て小銃を手にした部隊が県道を歩いている。戦争の臭いが、ずっと漂っているのです。日本の戦後史は一つではなかったのです」

「憲法9条だけを掲げる平和運動にも、欺瞞(ぎまん)を感じています。敗戦後、再び侵略国家にならない保証として非武装をうたう9条が生まれました。ただし、共産圏の拡大に対抗する必要から日米の安保体制が築かれ、沖縄に巨大な米軍基地が確保された」。

9条の擁護と日米安保の見直しが同時に必要抗議に若者が少ないですが 「では聞きますが、ヤマトゥはどうですか。東京で若い人が集会に大勢参加しますか。沖縄だけが、香港や台湾のように若者が燃えるはずがない。日本では国民の圧倒的多数が政治に無関心になった。大変なことが起きていても、すべて他人任せの国になってしまったのです」

対立の今後は「安倍晋三首相が沖縄県民の代表である翁長知事に会うことすら拒んでいるのは、権力による形を変えた暴力です。暴力が横行する事態を避けるため築いてきた民主主義というルールを、いま政権が自らの手で壊している。そして、憎悪と怒りを沖縄じゅうにばらまいています」

「本当に考えないといけないのは、この無関心です。ニヒリズムなのか、あきらめか、無力感か」

「抗議活動に参加するような人々は非暴力で一致しています。それが運動を広げ、支える原理ですから。怖いのは、そうした場に参加もせず、鬱屈した感情を内に抱え込んだ孤独なオオカミの暴発です」

夏にも工事着手という。

沖縄戦の『慰霊の日』である今年の6月23日。

「戦後70年の今年、安倍首相は沖縄戦の犠牲者とその遺族にどんな言葉を捧げるのでしょうか。米軍の新基地計画を粛々と進めます、と報告するのでしょうか」

「工事が始まったとしても、仮に基地が完成したとしても、それで私たちの闘いが終わりだとは思いません。絶望したときが終わりです」 以上、

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地位の力

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
シェールガス・シェールオイルについては、それを最初に聞いた時にすぐ調べ、その採掘方法を知ると同時に、これは採算が取れない採掘方法であり、事業として成り立たない、と私は判断し、それを自分のブログにも書いたが、「シェールオイル詐欺」について警鐘を鳴らしたブログとしては、かなり早い方だったと思う。少なくとも、私は、自分より早かったブログを知らない。もちろん、これは自画自賛しているのである。もともと私のブログは、自己満足、というのが最大の目的のようなものだ。
ただ、私のように「自分で少し調べれば」すぐにそのいい加減さが分かるような詐欺事業に、天下の住商の経営陣が簡単に騙されたというのが面白い。で、世間の大企業の上層部というのは、大半がそんなものではないか、というのが私がひそかに思っていることだ。「島耕作」の漫画などでは大会社の重役というのはそれなりに頭も良く、人間的な大きさもあるように描かれているが、それは地位の持つ力にすぎないのではないか。
地位抜きでも偉い人間はもちろんいるが、世間というものは地位の力をその人間の力と誤解することがあまりに多いようだ。ひどい場合には、会社内での地位を、会社の外でも通用するものだと考えてふんぞり返る人間や、それにペコペコ頭を下げる人間もいる。



(以下引用)


 偽ユダに関わるとw

◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201503/article_168.html
richardkoshimizu's blog  2015/03/26
住商、損失3250億円に拡大


シェールオイル詐欺は、この最初からうまくいかないとわかっている儲け話に
世界中の馬鹿を引き込んで、金をむしり取るのが目的でした。
騙された薄ら馬鹿に住商が混じっていました。

「米国は世界有数のエネルギー大国」だという壮大な嘘にころりと騙された。

勿論、投資を決めた企業の幹部が裏金をもらっています。

シェールオイル詐欺ビジネスの崩壊が、米国の凋落に直結します



*とくお  2015/3/25

住商、損失3250億円に拡大

米国でのシェールオイル事業の失敗が響いたそうです

☆http://www.daily.co.jp/society/main/2015/03/25/0007852941.shtml
デイリースポーツ 2015年3月25日
◎住商、損失3250億円に拡大

住友商事は25日、2015年3月期連結業績予想を下方修正し、
純損益が850億円の赤字になる見通しだと発表した。
従来予想は100億円の黒字だったが、通期では16年ぶりに赤字に転落する。

資源関連事業の損失が従来見込みの2400億円から3250億円に拡大する
ことが主因。原油価格下落による米国でのシェールオイル事業の失敗が響いた。

米シェールオイル事業は最近の原油価格を踏まえて再評価し、
減損処理による損失額が従来の1700億円から300億円膨らむ。

ブラジルの鉄鉱石事業も500億円と見込んでいた損失が150億円増加。

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自衛隊はいざとなれば自国民を殺すか?

「阿修羅」記事の次のコメントが面白かったので転載する。
答えは、言うまでもなく、安倍総理の「我が軍」は沖縄県民をテロリスト扱いにして虐殺するだろう、というものだ。
それは第二次大戦時の沖縄でも起こったことだ。つまり、「日本軍を守るために」(たとえば避難壕から追い出して)地元住民を見殺しにし、時には沖縄方言が理解できずに住民をスパイ扱いして殺した、という出来事だ。この戦争以来、沖縄の人間の大半は「軍隊は住民(国民)を守らない」「軍隊自体が自国民を殺すこともあたりまえにある」ということを骨身に徹して知り抜いている。そこが他府県の多くの人々との根底的な違いかもしれない。それが、前回の衆院選、県知事選の「オール沖縄」の意思表明となったのだと思う。
なお、たしか司馬遼太郎の随筆にあったと思うが、司馬氏が、「軍事行動に際して、住民の存在が邪魔になった場合、住民を殺してもいいのか」、と上官に聞いたところ、はっきり「いい」と答えたとのことである。これは、たとえば米軍が上陸して、その迎撃に戦車隊(司馬氏は戦車隊に所属していた。)が向かう道筋に、米軍の攻撃から逃れる避難民が道に溢れて戦車が立ち往生した場合、避難民を引き殺してでも進むべきか、という状況のことを聞いたようだ。
そもそも、戦争になった時点で、国民に人権などは存在しないのである。
だから私は、戦争が最大の悪だ、と言っている。



20. 2015年3月25日 14:02:01 : 5T81EwuK9Q
机上の空論=集団的自衛権についての質問

米軍が沖縄県民に攻撃された場合、「我が軍」は集団的自衛権によって、沖縄県民を攻撃できるか否か?

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地軸の傾きとポールシフトと異常気象と天変地異の関係のあれこれ

以前の私のブログで、地球の地軸は傾きつつあり、それが近年の異常気象の真の原因ではないか、と書いたが、私は(引用2)で書かれているような天変地異、つまり津波や大地震までがそれによって起こるとは考えていない。せいぜいが地球全体の空気の循環の変動で気象変動が起こるだけだ、と思っている。まして、ポールシフトによる地磁気の変動が天変地異を起こす、とはまったく考えていない。いったい、地磁気の変動と天変地異(津波や大地震)が、どういうメカニズムでつながるのか、さっぱり分からないではないか。
地軸の傾きの変化は、明確に、太陽光線との角度の変化となり、それによって気象が変動するのは明白だ。そもそも、四季の変化(四季の循環)は、地球(地軸)と太陽の角度から生じている。太陽に対する地軸の傾きがなければ、赤道周辺は途方もない炎熱地帯、極地周辺は今以上の極寒の地になっていて、人間はその中間のわずかな帯(永遠の春という地帯)に住むしかなかっただろう。つまり、四季の変化など生じなかったはずだ。
で、ポールシフトが起こっているのが、科学者も認める事実だとすれば、それは地軸の傾きがすでに変化している、ということではないか。地磁気というのは、地球の回転から生まれるもので、その回転軸の両端を北極、南極と言うのではないか。ならば、ポールシフトとは地軸の変動と同じことであり地磁気の変動もすでに発生しているはずだ。
だが、地磁気の変動が津波や大地震の原因になることはない、というのが私の考えだ。あくまで、気象(ここでは、空気関係のことを気象と言っている。言い換えれば、「天候」だ。)だけ、あるいはその結果としての地球上の氷の融解、海面上昇程度であり、それが津波や大地震になる、とはまったく思わないのである。津波や大地震はあくまで地殻変動が原因であり、それは地軸の傾きやポールシフトとは無関係か、関係はあくまで微小なものだ、というのが私の考えだ。(引用2)のようにポールシフトを担ぐのは世を騒がせる迷惑な行為だろう。
付け加えれば、松原照子(「世見」筆者)氏のようにポールシフトの結果、「やがて」地軸の傾きの変化が起こる、というのはおかしな言い方だ。地軸の傾きの変化とポールシフトは同じなのだ。
もっとも、私は小学校のころから理科という科目はまったく苦手なので、以上のことは私が理解できた範囲の理科(とても科学というレベルではない)の知識で書いている、ということも付け加えておく。



(引用1「世見」より)*正確には、「世見」を引用した某ブログより。



日本は戦後70年を迎え平和な日々を送って来られましたが、世界中には紛争だらけです。きっと、私達人間のお心の内を知る地球は地中深い所で磁場の行動を活発にさせているようにも思います。


地球の磁場が動くとどうなるのでしょうネ。
特にオーストラリアの右側と中央インド洋海盆と書かれたオーストラリアより世界地図を見ていますと陸の奥深い所に幾つもの磁場の渦のようなものが見えて来ます。


その渦がとても元気に回っています。
この渦が近未来に磁気嵐を起こし、コンピュータ制御を混乱させることでしょう。磁気嵐が起きると月にも影響を与え地球はウ~ンと先ですが傾きを変えることでしょうネ。




(引用2「大摩邇」より)*「大地震の予知と天変地異」というサイトの引用らしい。



私のブログ記事でポールシフトにより地球上の新しい北極は英国と
キューバの中間地点であると何度も発表させて頂きましたが、実は

新しい南極は豪州の南西部の海域(南緯42度、経度110度)程の
海域に新しい南極が移動して地球上の新しい南極となる予定です。

地球上や我々の太陽系の大自然は地磁気や引力と呼ばれるエネルギーで
繋がれており、多くの惑星や太陽系との絶妙なバランスの上に自然界は

成り立っております。地球においては今後、多くの惑星の引力圏の力の
バランスの引き合うパワーにより、ある日、ある時期に突然に地球上の

ポールシフトが発生しますが地球は太古より宇宙の刑務所であるが為に
銀河系で自然界においても、とても厳しい環境にある惑星を当てがわれ

ており、昔から2600年間に一度、地球のポールシフトが極端に働く
惑星でした。ノアの時代にも地軸の急激な激変により地上は巨大津波に

飲み込まれたのです。丁度、映画「2012」のようにです。今回は
上空に来ている実に数多くの我々の太陽系などの真人間側の宇宙人の

艦船により人工的に新しい北極と南極に移動させられます。このまま
自然の御手に任せた場合は誰も助からないでしょう。4000m級の

巨大津波が発生し全てを飲み込むでしょうが、しかし多くの真人間側の
宇宙人文明により、徐々に新しいS極とN極が人工的に作られるでしょう。







ここにも各国の国の過去のカルマの清算が現れるでしょう。西欧、
西豪州、西日本などが沈没します。これは過去の国々のカルマの清算で

あり、民族と爬虫類人や「間の子達」への処分も含まれるでしょう。今年と
云う年は地球人類にとっては歴史の大きな転換時期であり、人類の魂に

刻まれる年となるでしょう。関東地方が大地震で焼け野原になったら、
その時は聖書の「予言の時」だと思い、日本国内の安全地帯へ移住をして

下さい。海抜25m以下の場所や三大都市圏は大地震と大規模火災で
焼け野原になり失命しますので会社も自宅も学校も家族の命も全て

失う事となります。エゴの強い者は魂の命を失うでしょう。以下の書物が
貴方方の魂の命を守り来世への道に貴方を導くでしょう。肉体と魂の

両方の命を貴方自身で守って頂きたい。自分自身を救う者は自分自身です。
各人の内部に「永遠の者」が内在するからです。安全地帯に避難(移住)

後に1年分の食料と燃料等も備蓄して下さい。自己責任と自己判断で・

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今朝の夢から考えたリーダー論

こんな夢を見た。
と言うと黒澤明の「夢」か漱石の「夢十夜」みたいだが、そんな芸術的文芸的な夢ではない。
ただ、自分自身にとっては何となく面白かったから備忘的に書くだけだ。
最近の私が見る夢の中では、私自身は現在の自分であるが、今朝の夢(夢はだいたい覚醒直前に見るものだろう。)の中では私は大学生だった。
私にとっては大学時代は朦朧とした不安な悪夢の時代であり、当時の自分は迷子のようなものだったが、今朝の夢の中では、私は大学中退後、社会人を経由して大学に戻ったものの、大学の講義などまったく受けておらず、授業で何が行われているのかも知らない、という状態であった。ところが、久々に大学に行くと、何故か、同級生の男女が私に、今日の授業は理科(物理か)の実験だが、教授が不在で、実験の進行ができないから、私に進行役(あるいは司会のような役)をやってくれ、と言うのである。私が、りゅうとした身なり(背広姿)をし、学生たちの中で唯一、大人らしい見かけだったからだろうか。
もちろん、私には無理だ、と断ったが、他にやる人がいない、と言うので仕方なくやることになった。私はもともと人前に出るのも人前で話すのも苦手な人間なのである。
で、私が承知したのは、「失敗すれば大学をやめればいいさ」と考えたからである。
まあ、大学をやめるも何も、こんな無理に押しつけられた仕事の責任を取る必要など何も無いのだが、他の人間の中に責任を取れる人間がいないならば、自分が責任を取るのが一番荷が軽い、というわけだ。
で、結果を言うと、私の司会は大成功で、そもそも、実験の内容や進め方自体は学生たち自身がよく承知しており、ただ、授業全体を進行させることについて、責任の取れる人間がいなくて困っていた、ということだったのである。
これが私の夢の大要だが、夢から覚めた後、私は、これはリーダーというもの、あるいは進行役というものの本質を示しているのではないかなあ、と考えた。
ちなみに、その時の実験は電気関係の実験で私がもっとも苦手とするもので、私自身はそれについて何一つ知識は無かった。ただ、檀上で挨拶をし、「気楽な気持ちで、互いに教えあって実験を進めていこう」、と言い、始めの号令をかけただけだ。そうすると、学生たちは、自分たちで行動を始め、要するに、「事態が動き出した」のである。
つまり、リーダーとは、何よりも「号令をかける」存在であり、集団行動の「責任を取る」存在であれば、それでいいのではないか、というのが夢から覚めた後の私の感想だったのだ。リーダー自身が仕事の内容を知っている必要はない。むしろ、無知なくせに現場に口を出すリーダーほど有害なものはない。(マクドナルドの原田泳幸などがそれだった。)口を出した上に失敗の責任を取らないリーダーは最悪だろう。(原田泳幸や、旧日本軍参謀本部がそれだった。)
人間は弱いものだから、「責任を取る」ことをひどく恐れる。日本人は特にそうだろう。
リーダー不在の集団は烏合の衆となる。
はったりだけの、無責任なリーダーの下の集団は、まとまりはしても破滅的行動に進むことになる。
現場には英知がある。しかし、集団が動くには、その英知を活かす舵取りが必要だ。舵取りには舵取りとしての熟練と能力が必要になる。多くの組織トップにはその能力は無い。その無能さの自覚がないことが最悪なのだ。その無能さの自覚があれば、有能な舵取りを自分の下に雇えばいいのである。すなわち、軍師的存在だ。
つまり、舵取りの上に号令役が必要なのである。現場に英知があれば、リーダーは、「責任は俺が取る」と言える人間なら、それで十分なのだ。





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悪とは何か、についての一考察

「in deep」の最新記事に引用されていた立花隆の文章だが、ここに、或る危険な思想の萌芽が在るような気がするので、とりあえず転載しておく。
第一の問題は、悪を欠陥状態と見ること。
第二の問題は、悪を無秩序状態と見ること。
第三の問題は、悪の撲滅のために全人類が総力を挙げて協働していかねばならないと結論していること。
である。これらは一見、まったく正当な考えに見える。そこにも問題はある(つまり、一見合理的な思想は、反論が困難であるために、世界にはびこり、結果的に別の悪を招来する、という問題。)が、それは措いておく。
また、人類によって宇宙レベルで自然を統御していくことを絶対的な正義だとする西洋的思考の問題点も措いておく。
また、立花隆という人物の過去の政治的問題(アメリカの手羽先となって田中角栄を引きずり下ろしたという出来事。この事件は、日本の属国状態を決定的にし、その後の自民党の在り方を悪い方向に変質させたかと思われる。)も措いておく。
で、上記三点についてなぜそれが問題なのか簡単に言う。
第一、悪は欠陥状態である、とするならば、それは容易に、欠陥状態を持つ存在を悪だと見做すことに転化しうるだろう。すなわち、ナチスの優生思想である。病気や障害は悪である、とするのは自然な人情だろう。だが、それは、その改善には病気や障害を持つ人間を消し去り、残る「優れた人間」だけで「素晴らしい新世界」を作ればいい、という思想になる可能性を持つのではないか。貧困は悪である、とするのも自然な人情だ。だがそれも、貧困者を救うのではなく、貧困者(劣悪な存在)を自然淘汰すればいい、という思想になる可能性があるのではないか。ネットに見られる、生活保護をやめろ、という意見は、貧困者(それは病人や障碍者であることも多い。)は死ね、と言っているのではないか。
第二、悪は無秩序状態である、とするならば、それは秩序のある状態を絶対正義化することにならないか。つまり、変革や革命という「無秩序状態」を敵視し、現在の秩序、すなわち既得権益者の天国を守ることを最優先する思想(現実に即して言えば、既得権益層の利益に合致する変革のみを「正しい変革」とし、他は弾圧する。)につながりはしないか。
第三の問題がなぜ問題なのかは、以上の二点への疑念から明らかだろうから詳説しない。
まとめよう。「何が悪なのか」は、容易に、権力によって指定されるものであり、それが悪と見做す「欠陥」や「無秩序」は、実は人類の可能性を秘めた泉なのかもしれないのである。
さらに言うならば、人類による自然のコントロールは、壊滅的な暴発事故の可能性を常に持っているということを多くの原発事故が示している。
以上。


(追記)上では、立花隆がフョードロフの説に賛同して引用したのだ、という解釈をして書いたのだが、必ずしもそうとは限らないのでそのことを付言しておく。実際、立花隆自身が末尾に書いている次の言葉には私も賛同する。もっとも、「世界の正しい観照」が可能かどうかということにも問題はあるのだが。(すなわち、「絶対的な正しさ」というものこそ胡散臭いものであるのだから、あらゆる過激な行動や西洋的絶対主義思想は避け、この世界の当面の悪を漸進的に改善していく東洋的な中庸の道が賢明な道だろう。)


「ぼくにいわせると、世界を解釈することも世界を変革するのと同様に大切です。世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能です。」



(以下引用)





立花隆 - 人間の現在より

フョードロフの共同事業とは何なのかというと、全人類が力を合わせて、より高次の存在に能動進化、つまり、意識的にコントロールされた進化をとげていくことなんです。

そして、地球レベルはもちろん宇宙レベルで自然を統御していくことなんです。

そういうことを可能にするためには、人類の知を統合しなければならないといいます。すべてを知の対象として、すべての人が研究者になり、すべての人が認識者にならなければならないといいます。

そのためには人間の最大の敵である死を克服しなければならないといいます。また悪を滅ぼさなければならないといいます。

悪というのは、結局のところエントロピーの増大が生む崩壊現象、秩序が失われた状態、世界の欠陥状態、「落下」、未完成状態だから、それに対抗するためには、全世界を合理的自覚を持って反エントロピーの方向に動かしていくことが必要で、そのために全人類が総力をあげることが、人類の共同事業だというわけです。

ぼくにいわせると、世界を解釈することも世界を変革するのと同様に大切です。世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能です。

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考えること
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それだけで人生は生きるに値します。

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