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嘘と本当

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。


あなたが本当に”人間の自由”を求めるのであれば…


この闇民族とは、決別すべきでしょう…


ただし、太宰は決別できなかったようですね…


そこが、私と太宰との決定的な違いなのでしょう…


とあるが、孔徳秋水氏は日本とどのように決別しているのだろうか。今も日本に住み、日本人に向かってブログやツィッターを書き、そのツィッターの中で有象無象の「馬鹿国民」の阿呆な質問や難詰、批判にいちいち答えているところを見ると、どこが決別しているのか、分からない。つまり、「自分は精神的には日本人であることをやめた。すなわち、鬼畜・思考停止日本人であることをやめた『真人』である」ということかと思う。(「真人」は道元か誰かの言葉で、「悟った人間」の意味だと私は考えている。)
だが、分からないのが、「『ウソ』でできている日本人」という考え方で、世界のどこに「ウソ」でできていない国民がいるのか。西洋民族ほどウソと偽善で出来上がった民族は無いし、非西洋民族も似たようなものだろう。そもそも、ウソが無いと社会は成立しないと私は思っている。そして、ウソの必要性を冷徹に認識し、偽善をあえて行うことが「大人」の条件だとすら思っている。そういう意味では確かに西洋人は大人であり、日本人(や他の非西洋民族)の精神年齢は、マッカーサーが評したように12歳くらいであると思う。世界が西洋民族の手玉に取られてきたのもむべなるかな、である。
だが、その一方で、「それはすべてウソだよ」とあえて言う人間も必要だ。その一つが「陰謀実在論者」(世間で言う「陰謀論者」だが、こういう言い方では、「陰謀論者」自身が陰謀を企む不逞の輩であるみたいに聞こえるので、私は「陰謀実在論者」と言っている。)である。彼らの「王様は裸だ」的な発言によって世界が陰謀から救われ、良化する可能性は高い。

実際のところ、道徳も法律も「架空の体系」だが、それの及ぼす効果は「実体」になる。つまり、この人間世界はすべて嘘(人間の思考)から出た真(実在)なのであり、(完全に)ウソの無い世の中を希求するということはやはり幼児的な無理な願望と言うしかないのではないだろうか。



(以下引用)

『ウソ』でできている日本人

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人は、何に従って生きているのでしょうか?




まことの意味で「神を信じる人」は多分、理性にしたがって生きているでしょう。





「ユダヤ」の影響を受けて、「理性」を「打算」と思っている人がいるので、別のことばで補えば…




良心にしたがって生きている…でしょう。





しかし、周囲を見渡してみて…




「この人は、何にしたがって生きているのだろう?」と思って観察していますと、どうも理性とか、良心にしたがっているようにはみえません…





その人を動かしているものは、欲望や恐怖、興味や打算、世間体、もしくは「世間の常識」等々の”掟”であり、そのときどきの気分と感情にしたがっているようにみえます。





とりわけ、「日本人は、何にしたがっているか?」と問うてみたとき、浮かんでくるのは…




”習性”…ということばです。





日本人は、ある種の”習性”にしたがって生きているにすぎない…




「いろいろ考えて」はいるらしいが、それは「思考」というよりは、去来する様々な”思い”や”心配”のことで、ちょうど仏教で言うところの”煩悩”がピッタリくる気がいたします。





その”煩悩”に煩わせられまいとして、日本人は…




「人に嫌われる」ことを恐れ、「ひとりぼっち」の孤独を恐れ、その結果…




「長いものに巻かれ」「権威に服従し」「みんなといっしょ」だと安心するような”習性”を…




骨髄にまで刻み付けてきたのではないでしょうか?





それはちょうど、前のクルマに何も考えずについていく運転をしているドライバーみたいなものです。





自分で判断するとか…




自分の考えを作り上げるとか…





”自分自身”の核となるべきものが… ”ない”のです…





その薄気味悪さが、太宰治の『人間失格』には描かれていましたね?…


自分を殺して(それでいて”我”は強いw)、思考停止のまま生きている…




欧米人が「日本人は何を考えているかわからない」というのと同じ”違和感”を…




太宰も感じていたのでしょうか?





太宰の感じた”違和感”は、たとえば食事時…


「人間は、どうしてごはんを食べなければいけないの?」




「人間は、めしを食べなければ死ぬからだよ」




それでは…「死にたくない」という一心で、人ははたらき、食事をしているのか?」




「まるで”脅迫”ではないか!!」






私も感じ続けてきた日本社会に対する”違和感”の一面を見事に描き出している気がします。





日本が、人間を家畜として扱い、人民も「よき家畜」であることを”誇り”にさえしているという…




この倒錯しきった狂気の社会は、明治にはすでに存在していたということなのです。





黒人奴隷やネイティブアメリカンの悲劇の歴史と日本人民の歴史に本質的な違いはあるでしょうか?





あるとすれば、自分たちが奴隷であり、支配されているという自覚があるかないかというだけでしょう。




その狂気の人間支配のなかでとった主人公葉蔵のとった戦略は…




本当のことは、何も言わない…でした…





笑わせておけばよいのだ。本当のことを言えば、みんなに嫌われてしまう…




『私は貝になりたい』では、ありませんが…




私もしばしば、(日本人相手だと)何も言いたくない気分にさせられます…




のっぺらぼうの中身ぴーまん日本人に嫌われないようにするために…




結局、葉蔵も『ウソ』で固めて、自分という中身を殺してしまったのです…





神様から授かったかけがえのない”自分自身”を…




どうしてのっぺらぼうに「嫌われたくない」「仲間外れにされたくない」という理由で捨ててしまうのか?





大切なものを捨て去って、『ウソ』のなかで安寧に生きている日本の庶民…これは”善”でしょうか?





対米英戦突入を、むしろ痛快として捉えていたフシのある太宰ですが、「ユダヤ」による茶番だったということまでは思い至らぬものの「ヤケクソの戦争」とは思っていたようです…




アジア人同士を殺し合わせる…




日本人というゴイムを殺処分する…




そのための茶番の戦争だった…





しかし、日本人も茶番の民族…




『ウソ』は信じるくせに…




自分が本当に苦しくて、心の底からうめいたことばを日本人は信じない…



川・ε・川9m いまもそうですね…ウソツキを信じ、真実を語る者を迫害する…




裁判所の闇、企業や政治家のインチキを暴く者に敵意を表すのが日本人という鬼畜民族なのです…





そんな鬼畜外道に調子を合わせていたり、媚び諂っていて、”人間の自由”がどこにあるでしょう?





あなたが本当に”人間の自由”を求めるのであれば…




この闇民族とは、決別すべきでしょう…





ただし、太宰は決別できなかったようですね…





そこが、私と太宰との決定的な違いなのでしょう…


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不道徳内閣・脱法内閣の唱える「道徳教育の強化」とは何か

道徳心のカケラも無い自民党代議士連中に「道徳教育の強化」を言われたら、誰でもその裏に何があるのか考え込んでしまうのが当然だろう。
私は、法律と道徳は、社会秩序を保ち、良き社会を作る必須条件だと考えているが、現在の自民党議員は「憲法改正(本当は「改悪」)」を叫んでいる、つまり「現憲法を尊重し守る意志」を持たない連中だから、道徳心だけでなく遵法精神も無いと言わざるを得ない。つまり、反社会的存在、犯罪者集団である、と言っていいのではないか。そういう連中の言う「道徳」とはどんなものか、何となく推定できそうだ。
つまり、「上の言うことに黙って従え。いや、上が口にしなくても、空気を読んで、先回りしてご奉仕しろ」という道徳ではないか。その「空気」の一つとして「伝統」が使われるのだろう。昔風に言えば「公序良俗」である。伝統や公序良俗を守れとは、「自分の頭でなど考えず、大勢に従え。そうすれば『いい奴隷』として少しいい待遇をしてやる。そうでない人間は非国民として弾圧されることを覚悟しろ」ということだ。
彼らの言う「道徳」や「伝統」の正体を考えることから、冷静な批判精神というものが良き社会を作る絶対的条件であることが、逆に見えてくる。


(以下「逝きし世の面影」より引用)


『毎日新聞2016年1月25日 東京夕刊』(資料) 

『それホンモノ? 「良き伝統」の正体』
日本人は「伝統」という言葉にヨワいらしい。例えば選択的夫婦別姓制度の是非を巡る議論。安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日本の伝統だ」と主張し、いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。このように最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がするのだが……。【吉井理記】

『銀座はゴミの山だった』
中国の旧正月・春節(今年は2月8日)が近い。流行語にもなった中国人観光客の「爆買い」だが、彼らのマナーはどうだろう。
「(ホテルで)酔って従業員に絡む人も」「寝間着にスリッパでロビーをウロウロする人は少なくなったが、じゅうたんにツバを吐いたりたばこを捨てて焦がしたり」「ひどいのはロビーのイスで足を開いて高イビキ」……
中国人は、礼儀正しさを伝統とする日本人とは違うなあ……と、あえてそう思い込んでしまう書き方をしたが、実は全て日本人がやらかしたこと。
東京五輪の年、1964年3月19日付毎日新聞の東京都内版が報じた日本人のマナーの悪さを嘆くホテル側の声の一部である。
前年7月1日付では「汚れ放題東京の顔 銀座の歩道はゴミの山」との見出しで、通行人のごみのポイ捨てや住民が路上にぶちまけた「台所の残り物」が散乱する様子を伝えている。
そして今、日本のマナーに反する中国人観光客はいる。
列に並ばなかったり、ごみを捨てたりする人を記者も見たことがある。だが−−。
「そこは『お互い様』です。最近まで私たちもそうでした。僕は70年代に米国留学したのですが、向こうで何に驚いたかというと、『割り込み』せず、みんなが列を作ること。当時の日本と大違いでした」と振り返るのは、社会心理学者で一橋大特任教授の山岸俊男さんだ。

鉄道利用者のマナーの悪さを報じた1951年2月の「サン写真新聞」(60年廃刊)に掲載された「割り込み乗車」の写真。「乗るときは一番後ろにいて、電車が来ると横に回り、ねじるように押し入る」らしい

日本の駅で当たり前になっている「整列乗車」が生まれたのも戦後である。
東京では47年ごろ、営団地下鉄(現東京メトロ)渋谷駅が最初らしい。駅長や駅員が整列乗車を訴えるプラカードを首から下げ、並び方を指導したのが始まりだ。これが後年、国鉄(現JR)などに広がった。整列乗車の成り立ちは「営団地下鉄五十年史」(91年)などが伝えている。
銀行やスーパー、コンビニなどでも客に並んでもらうためにロープを張る、床にテープで線を引く、といった工夫をしてきた。街も、東京など各自治体が罰金・罰則を設けたり、「美化デー」を設けて清掃活動に力を入れたりしたことで清潔になっていった。
つまり、戦後のさまざまな取り組みによって今のマナーの良さがある、ということ。これ自体は素晴らしいのだが、なぜか山岸さんは顔を曇らせる。
「怖いのは、そうした過去を忘れ、今あるものを『これが日本の伝統だ』『昔からそうだった』、そして『だから日本人は昔から優れていた』と思い込むこと。これは非合理的な思考だし、他国を見下す思想につながる。近ごろはそんな風潮が広がっているようで心配です……」

ごみが散乱する約60年前の旧国鉄の列車内。日本人は昔から礼儀正しかった……とは必ずしも言えないようだ=1953年11月、旧国鉄の尾久駅で (当時は食べた後の駅弁などの空ごみは座席の下に突っ込んで下車するのが普通だった)

『現状否定のため過去を美化』
では、冒頭の選択的夫婦別姓はどうなのか。戸籍が作られた奈良時代から明治中期までは別姓が基本だったし、初めて同姓を強制したのは1898年の明治憲法下の旧民法で、当時は同姓が基本だった欧米に倣ったのだ。
「でも、現在では同姓を強制している国は極めて例外的。なぜ日本はこれほど不自由なのでしょうか」と首をひねるのは武蔵大の千田有紀教授(現代社会論)である。
欧米でも近年は別姓も選べるようになっているし、逆に別姓が基本だった中国では同姓も選べる。
「明治以降の夫婦同姓が家族本来のかたち、という考え自体が『日本の伝統』と呼べるのかは疑問だし、『別姓を認めると家族の一体感が損なわれる』という反対論も根拠があるのでしょうか」
確かに別姓で家族の絆や一体感が崩壊した、あるいは別姓夫婦の子供の「個」の形成に問題が生じた、という国は聞いたことがない。離婚や再婚、事実婚や一人親が珍しくない今、親の姓が同一ではないことを問題にするのは意味があることなのだろうか。
中央大の山田昌弘教授(家族社会学)も苦笑いする。「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。そもそも結婚には昔、通い婚などがあったし、家族の形も各地で本家や分家、隠居制のあり方などに違いがあってさまざまでした。それが日本の伝統なんですが……」

『では、なぜ新しいものを「伝統」と考えたがるのか? 』
「根底にあるのは『伝統の捏造』と同じ考え」と分析するのは著書「江戸しぐさの正体」で知られる作家で歴史研究家の原田実さん。
現在の道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」なるものが、実は1980年代に創作されたことを2014年に著書で指摘し、今もなお教育界に波紋を広げている。
原田さんによると、「江戸しぐさ」を創作したのは高校教員や雑誌編集長を務めたとされる芝三光(しばみつあきら)さん(99年死去)。彼は日本人や社会のモラル低下を嘆いていた。
現状を否定し「昔は良かった」とばかり「ユートピア」を過去に求めた結果、道徳が優れている「想像上の江戸時代の人々の風習=江戸しぐさ」を生んだ。
「『昔は良かった』という考えがクセもの。
この考えに従うと『今ある良いものは昔からあったはずだし、昔はさらに良かったはずだ』との考えに陥りやすい。だから『日本人の道徳・マナーは昔から優れていた』と考えてしまう。『戦後日本から道徳やモラル、公の心が失われた』と言う人は戦前を評価する傾向にあるが、これも同じ。本当にそう言えるのでしょうか」
試しに統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い。「現状否定のために過去を美化しても、史料に裏切られるのがオチ」と原田さん。

『「理想の人間づくり」行く末は 』
「昔は良かった」と考える人が強調するその道徳教育、安倍政権は18年度以降に小中学校の「特別教科」とすることを決めた。
著書「新しい国へ」で盛んに「問題はモラル低下だ」と指摘していた安倍首相らしい。山岸さんは「20世紀で、最も道徳教育に力を入れたのは旧ソ連や中国など社会主義国家でした。自分より公を大切にせよ、と。でも結果はご存じの通り。歴史上、どんな国・社会も道徳教育で『理想の人間づくり』に成功した事例はありません。これこそ『伝統』なんですが」。
年始から夏の参院選について「憲法改正を訴えていく」と力を込める安倍首相。自民党の憲法改正草案の前文には「良き伝統を……末永く子孫に継承する」とある。その「伝統」の正体を注視したい。

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「悍(ま)しい」の読み

下に引用したのは「カレイドスコープ」記事の一節だが、これでやっと「悍ましい(悍しい)」の読みが判明した。と言っても、この漢字に再び出会う機会があるかどうか分からないし、自分自身で使う機会があるかどうかも分からないので、無駄な知識かもしれないが、自分の読めない漢字があるということ自体がかなり不愉快なので、これで少し気が晴れた。
しかし、ワードの漢字変換システム(IMEと言ったか? 私は略語に弱いので、覚えていない。)だと、「おぞましい」でこの漢字は出てこない。「逝きし世の面影」氏や「カレイドスコープ」氏の辞書機能は別物なのだろうか。まあ、こんな漢字を書くよりは平仮名か片仮名で書く方が読者には親切だろう。カレイド氏は括弧内に読みを書いているだけ親切だ。すべてのブログ筆者がそうあってほしいものである。

(以下引用)

そう、最後に残った「グローバリズムの神様」である悪魔を信奉する者たちが、死闘を繰り広げるという、これ以上ないほどの悍ましい(オゾマシイ)世界のことなのです。


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日独友好はこんなところからも

私は「ガンダム」にはまったく興味が無いし、政治や経済での西洋文明の精神(すなわち、白人至上主義と侵略と策謀と偽善と欺瞞)というのが大嫌いなのだが、こういう「大衆文化の相互浸透」というものは世界平和と世界の文明発展の基盤になると思うので好印象を持っている。
お互い、相手の多少の欠点や過ちを寛容に笑い飛ばし、相手の文化を受け入れていくことが大事だろう。などと鹿爪らしい(この語源は何だろう?)ことを書いたが、なあに、下記記事の内容と文章が面白いから、他の人にも紹介したいだけである。
日本のサブカルチャーというものを世界が受け入れているというのは実に楽しいことだ。
まったく自分の力でもないのに、自分が褒められているようにいい気分になる。これが「愛国心」という奴の本質だろう。つまり、錯覚的な自己愛の満足。


(「young germany」から転載。)


誤用戦士ガンダム・荒野を走るニセドイツの列!
© マライ・メントライン
© マライ・メントライン

シャア! 謀ったな、シャアっ!」
「君はよい友人であったが、君のドイツ語がいけないのだよ」


…皆様いかがお過ごしでしょうか? ドイツ的職場と日本的住居の間を毎日高速移動する機動戦士マライです。
ガンダムといえば。
実はむかし、知人の付き合いでアキバの某巨大家電量販店のプラモ売り場に行った際、ガンプラ箱に書かれていた「ノイエ・ジール(Neue Ziel)」という、文法的にも発音的にも超アウトアウトアウト! スリーアウトチェンジ! なニセドイツ語と遭遇してしまったのが、なんと私とガンダムの最初の出会いでした。あまりハッピーとは言いかねるシチュエーションです。


ちなみに、「ノイエ・ジール」がいかにドイツ語としてヤバいかというのはWikipediaにも明記されているほどなので本稿では繰り返しませんが、これについてオタ系の知人に対し啓蒙を図ってみたところ、以下のような実に興味深い&勇気ある反応をいただきました。


①「ノイエ・ジール」も充分ドイツ語っぽいのでオレ的にはノープロブレム。
②「ノイエス・ツィール」よりも「ノイエ・ジール」のほうが大型モビルアーマーの名前としてカッコイイじゃないか。


…つまり。
こーゆー業界文脈においては、「正確なドイツ語」よりも、「ドイツ語っぽいカッコよさ」のほうが重要度が高い、という心理現象がうかがえるのです。ナルホド。リアルドイツよりも「脳内ドイツ」イメージを優先する主義、ともいえるでしょうか。


この場合ドイツ人としては、ついつい正しいドイツ語の普及&誤用の矯正に邁進したくなりますけど、なんとなくそういうアクションは商業市場的にお呼びでない予感がします。もし強行すると小うるさいロッテンマイヤーさん扱いを受けてしまいそうです。ううむ、この局面、一体どうしたらよいものか?
ただ、かくいう在日ドイツ人の間でも、たとえばグラニフ(graniph)の変てこドイツ語まみれTシャツが、最近の製品は以前と違い文法的に正しくなっていてつまらん! という逆説的な意見を聞いたりするので、根本的には似たようなものかもしれません(笑)

シュヴァルツェスマーケン 紅血の紋章 ©ixtl

シュヴァルツェスマーケン 紅血の紋章 ©ixtl


…とか思っていたところ、次なる事態が勃発!
私の友人の内田弘樹先生がノベライズを担当している『シュヴァルツェスマーケン』シリーズというメディアミックス作品があって、製作サイドからドイツ語協力を依頼されたのです。で、最初に私が述べたのが、「そのタイトルはそもそもドイツ語文法的におかしいDeath!」でした。はい。ラウンド開始前の金的攻撃みたいなものだったのですが…


「いやもう決まっちゃってるんで、て言うか、日本人からみると語感的にイケてるので…」


ということで、こちらも日本人から観たドイツ語の格好良さ優先という根拠があったため、呆気なく了承してしまった次第です。物分りいいなあ私。
ちなみに『シュヴァルツェスマーケン』は、東独が存続している(つまり歴史が異なっている)並行世界にエイリアンが攻撃を仕掛けてきて、世界各国がそれぞれ立ち向かうという内容です。この「東独」というのが大きなポイントですね。
なお余談ですが、最近ドイツ本国では旧東独のアレコレが社会派サスペンスのテーマとして旬を迎えつつある(ちょうどそういう年代)ので、日本でこのような動きが生じてくるのは大変興味深い…文法的にはアレなんだが(笑)

日独協会『中二病で学ぶドイツ語』現場の状況。『エルフェンリート』をめぐる漢字・カタカナ・アルファベットの濃厚なビジュアル三位一体が参加者を直撃する! 伸井さんのポーズが何気にキマっているのもポイント。 ©日独協会

日独協会『中二病で学ぶドイツ語』現場の状況。『エルフェンリート』をめぐる漢字・カタカナ・アルファベットの、濃厚なビジュアル三位一体が参加者を直撃する! 伸井さんのポーズが何気にキマっているのもポイント。 ©日独協会


…とか思っていたところ、さらなる事態が勃発!
公益財団法人日独協会にて、リアルドイツ語を超えた「装飾ドイツ語」を追究する『中二病で学ぶドイツ語』というイベントが2015年12月に開催されました。企画・プロデュースは『ニセドイツ』で有名な伸井太一さんです。
これがヤフーニュースヘッドラインでも取り上げられるほどの大反響を呼び、ドイツ大使館が積極的にバックアップする展開に至りました。もちろん「中二病ドイツ語」は「誤用」とは違いますが、上記リンク先を見れば窺えるとおり、明らかに「ネタ」としてのイレギュラーなドイツ語を全面展開する知的遊戯です。素敵におかしいのは間違いない。大袈裟に言えば、伝統的ルール・価値観逆転のポテンシャルを内包するイベントをドイツ大使館が後援したわけで、これは文化的になかなか画期的な出来事だったといえるでしょう。

MiG-23 シュタージ機。うむ、悪っぽそう!(笑) ©ixtl

MiG-23 シュタージ機 うむ、悪っぽい! ©ixtl


…と、ここまで事態が展開してくると、この手の文化ベクトルも一時的趣味的なイレギュラー事例として扱えなくなってきたなあ、というのが最近の率直な実感です。
ひとつ確実に言えるのは、SF的な名称にしてもTシャツのロゴにしても、誤用でむしろソレっぽくなってカッコよい、というのはある種の特殊なセンスの介在によって初めて成立する現象だろうということです。
厳しげな単語ならOK、という安直なものではない。何らかの共有幻想の核となるパワーが宿っていなくてはなりません。その源泉はどこなのか? ということで、有力なイレギュラー語を支える動機、つまり背景の世界観の構成に探りを入れることが重要、という気がいたします。
たとえば、そもそもガンダムは何故OVAや派生作品でジオン軍の「ドイツ軍化」が進んだのか、『シュヴァルツェスマーケン』は何故「東ドイツ」なのか、といった点ですね。その考察によって比較文化的な美味しさが増すともいえるでしょう。

Jorge Luis Borges : Labyrinths:Selected Stories & Other Writings Ⓒ Penguin Books

Jorge Luis Borges : Labyrinths:Selected Stories & Other Writings Ⓒ Penguin Books


リアルドイツ語よりも「俺ドイツ語っぽさ」を追究する、という文脈で思い出すのが、アルゼンチンが誇る文豪ボルヘスの短編小説『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』です。これは要するに、たとえば窃盗事件のニュースで良く出る言葉「バールのようなもの」が具体化して「バール」の座を奪い、さらに諸事そのように「…のようなもの」がオリジナルを乗っ取って現実を侵食していく、という話です。ぶっちゃけ、共有幻想が現実を乗っ取ることは可能か、というすごい現代的な内容の作品ですね。上記ウィキペディアだと何を言っているのかわかりにくいけど、短編集『伝奇集』に収められた原典は読みやすいので必読です。この物語は、メインカルチャーに対するサブカルの逆襲と浸透がどのように成されるか、ということの秘伝書みたいな側面を有している気がします。


爛熟しきってある意味「何でもあり」状態になってきた現代エンタメ業界にて、「知的に効果的な次の一手」を打つとしたら、それは意外とボルヘス系とかかもしれないんだよねー、とはちょっと前からつれづれ思うところだったりします。ラテンアメリカ文学恐るべし! ということで今回は、アニメがらみの「ドイツ文化」問題のオモシロな解が、意外や意外、岩波文庫にあったよー、というお話でした。


…あ、最後の最後に入ってきた情報ですが、㈱イクストル様によると、なんと、『シュヴァルツェスマーケン』のドイツでの放映が決定したそうです。おめでとうございます。まさに、「ドイツ語のようなもの」によるドイツ逆上陸作戦! ああ、ボルヘス的な現実侵食がこんな形で加速してしまうとは!(笑)


それでは、今回はこれにて Tschüss!


※今回、㈱イクストル様、および公益財団法人日独協会様から画像提供をいただきました。改めて感謝いたします。


(2016.01.29)

© マライ・メントライン

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マライ・メントライン


シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語が話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。 まあ、それもなかなかオツなものですが。


twitterアカウントは @marei_de_pon



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白人はいかにして白人支配を正当化するか

藤永茂博士の「『闇の奥』の奥」という本を読み終わったのだが、名著である。西洋文明によるアフリカの収奪がいかにひどいものであり、また、それをいかに世界的に誤魔化してきたかが明晰に描かれ、分析されている。これはぜひ外国語に翻訳し、出版されるべきものだ。藤永博士御自身が英語に堪能であるはずだから、御自身で訳されてはどうだろう。
中から幾つか紹介したいが、今、パソコンが異常に具合が悪いので、これ以上書くのはやめておくが、一つだけ、これは特に大事なことだと思うので引用しておく。

アフリカの惨状を目の前にして「アフリカは、白人が手を引いた途端に元の暗黒に逆戻りした」として、ヨーロッパによるアフリカの植民地化を事後的に正当化する発言の増加

を藤永博士は指摘している。これはアフリカ関係のことをネットで調べると必ず出てくる発言で、私も半分くらい信じそうになっていたことだ。それほど白人(とその手下の非白人)による「白人支配正当化」工作は常に行われているのである。これが白人の世界支配の要点だ。欺瞞に欺瞞を重ねて嘘を「真実」や「常識」にしてしまうことである。

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酒とデフレ経済

「日々平安録」から転載。


兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるのならばこの気分で1年を通すことを願うのは人間である所以に適っている


私の理想もこれに近い。「ほのぼのでもしみじみでもなくただいいもの」という気分で1年を過ごせたら、まさに理想的だろう。
で、酒を飲んでいる時の気分がそれである、と言っていいのだが、残念ながら酒を朝から晩まで飲んでいれば体を壊すし、それ以前にカネが続かない。なるべく安酒を買うにしても、限度がある。まあ、酒を飲みすぎると体を壊すから、ほどほどに止めておく、というのは天の配剤と言ってもいい。さすがに朝から酒を飲むことは酒好きの私もやらない。そして飲んでもほどほどでやめているから、吉田健一などから見れば酒飲みの風上にも置けない意気地なし、とされるだろう。
ただで宣伝をするのもステマかと疑われるから、名前を出すのは控えるが、安酒でも案外満足できる酒が最近はあるから、特に高価な酒を買わなくてもいいのは助かる。高級酒でも、ウィスキーとかなら、水割りの数杯も飲めば陶然たる気分にはなるから、家で飲む限りは実はそれほどカネはかからない。ワインなら酸化防止剤無添加の某・安ワインで十分うまいし、日本酒も純米酒なら、特に高い酒でなくてもまず満足な味である。いい時代になったものだ。(つまり名前でなく自分の舌で選べば安くていいものは見つかるわけだ。)
これがデフレの恩恵というものであり、それを政府や日銀がこぞって物価上昇2%、いやそれ以上のインフレにしたい、などというのは馬鹿か、と思う。
今の低所得時代にインフレになったら、国民の半数は死ぬしかないだろう。非正規社員や貧困層はデフレだから何とか生き延びているのである。物価高は景気回復とペアでなければ庶民を苦しめるだけのことだ。そして、今の日本が景気回復するなど、「逆アベノミクス」で庶民にカネを回さない限りありえないのである。


(以下引用)

2016-01-30

[吉田健一の50の言葉(5)酒Add Star


 本当を言ふと、酒飲みといふのはいつまでも酒が飲んでゐたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどといふのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、といふのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止つてゐればいいのである。


 


 小説「酒宴」の一節。こう続く。「庭の石が朝日を浴びてゐるのを眺めて飲み、それが真昼の太陽に変つて少し縁側から中に入つて暑さを避け、やがて日がかげつて庭が夕方の色に沈み、月が出て、再び縁側に戻つて月に照らされた庭に向つて飲む、さうかうしてゐるうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛つてゐるのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になつたり、朝になつたり、忙しいもんだね、」と相手に言ふのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねてゐる。」


 飲めないひともいるようなので、酒が飲める体質に生まれたのは幸いであった。しかしまだ、まる一日のみ続けたことはない。確かに翌日のことを考えてそろそろここら辺でなどと考えるのは味気ないものだが、外で飲んでいれば閉店ということもあるし、家で飲んでいても、ある程度飲むと眠くなる。しかし、とにかく飲んでいる状況というのは普通はさしあたりすぐにはしなければいけないことはない状態のはずで、酒を飲んで気持ちよくなる理由のかなりはそれによるのではないかと思う。だから、翌日にもしなければいけないことがないならば、翌朝まで飲むというのは理屈にはかなっている。「酒宴」には「少しも眠くはなかつた。いい酒といふのは、さういふものである。疲れは酒で直るから、眠る必要はないといふことになるらしい」とある。こちらがいい酒を飲んでいないだけかもしれない。しかし「酒宴」でも主人公は、翌日には東京から大阪まで当時の「つばめ」で移動する汽車(当時はまだ十二時間かかった)の中では「眠りに眠って」いる。


 氏の「私の食物誌」に「東京のおせち」という項があり、そこに「兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるのならばこの気分で1年を通すことを願うのは人間である所以に適っている」とある。正月もまた普通は何もしなくてもいい、さしあたってはすることのない時である。吉田氏にとっては何もしていない時間こそが本当の時間なのであり、それを実感できる時が酒を飲んでいる時なのであった。


 しかし晩年にいたってこう書くようになる。「冬の朝が晴れてゐれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日といふ水のやうに流れるものに洗はれてゐるのを見てゐるうちに時間がたつて行く。どの位の時間がたつかといふのではなくてただ確実にたつて行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間といふものなのである。」(「時間」) 酒をのまなくても時間が自然に流れるようになったのである。この句点を一切欠く、見方によっては異様な文体も、また氏の時間の感覚が要請したものなのであろう。氏の晩年、どのような境地に実際にあったのかは知らない。氏はとにかくある方向を目指そうとしていた。


 そして氏が目指そうとしたものの一端に、われわれは酒を飲むことで触れることができるのである。


 


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米大統領選の結果は既に決まっている?

「株式日記と経済展望」から転載。
記事内容が面白いので、記事紹介である。内容は「徽宗皇帝のブログ」向きだが、一種のキワモノ記事でもあるので、こちらに載せた。
こういう、いずれ結果が分かるような「当てモノ」記事は、書く人の実力や真価が判定される記事だから、書く方も勇気が要る。その意味で増田俊男はなかなか勇気があると思う。
実際、書かれた内容も興味深い。なぜ、あれほど前評判の高かったトランプがテッド・クルーズに敗れたのか、私も不思議に思っていた。そのテッド・クルーズはばりばりの右翼代議士のようであり、増田俊男の言う「戦争をやるための大統領」だと考えれば、なぜ彼がアイオワ州で勝ったのかも理解できる。トランプは一見そう見えるほど右翼ではない。人種差別主義者だが、アメリカが外国に出兵して戦争をすることには反対していたはずだ。米政府(CIA)がISISを操縦していたこともばらしていたし、TPPにも反対していた。そういう人物が大統領になることは、軍産複合体にとってはマズイだろう。
ということで、私は増田俊男の見方にほぼ同意している。米国の政治とカネ(経済界)の関係については、やはりその言葉は聴くに値すると思う。
なお、「~経済展望」管理人氏の(私のコメント)も載せたが、彼の「ルビオが勝つだろう」論には、私はあまり賛成しない。政治の「背後勢力」がルビオを次期大統領に決めているならば、最初からアイオワでもルビオが勝ったのではないか。


(以下引用)

アメリカにとって、その時々に必要な大統領はCIA、ペンタゴン、軍事産業からなる軍産複合体が決める

2016年02月04日 | 外交

「アメリカに大統領選は不要」と述べ、アメリカにとって、その時々に必要
な大統領はCIA、ペンタゴン、軍事産業からなる軍産複合体が決める

2016年2月4日 木曜日

「人気」は「本気」ではない! 2月3日 増田俊男

米大統領選2016年を占うアイオワ共和党大会が昨日(米時間)開かれテッド・クルーズ(テキサス州選出上院議員)がドラルド・トランプ氏(不動産王)を押さえて勝利した。

トランプ氏は全米各州で圧倒的な「人気」でアィオワ州でも党大会前はテッド・クルーズ氏を大差で引き離していた。

トランプ氏は過激かつ極端な発言で物議をかもすことで人気を集めてきた。

私は「小冊子」(Vol.76)で「トランプ氏は今まで事業で5回倒産し、6度目の倒産が迫っていたが、大統領選という妙案を思い付き、実行してみたら大当たりし彼のジャンクボンド(信用度が低い社債)は飛ぶように売れ倒産を免れた」と述べた通り。だからテッド・クルーズ氏が勝ったことでトランプ氏とテッド・クルーズ氏はそれなりにほっとしただろう。もともとトランプ氏はアメリカの大統領などと言う器でないことはご本人が一番よく知っている。

あり得ないことだが、仮にトランプ氏が大統領になって一番困るのはご本人。

民主党大会ではヒラリー・クリントン氏と上院議員ベニー・サンダース氏で争われたが、全くの互角になり、カウティ―(群)の中にはコインを投げてどちらかを決めたところが数か所あったほどだった。

前記小冊子で「アメリカに大統領選は不要」と述べ、アメリカにとって、その時々に必要な大統領はCIA、ペンタゴン(国防総省)、軍事産業からなる軍産複合体が決める。決めた者以外の候補が勝ちそうになれば、ちょうどアル・ゴアとブッシュ戦の時のように、アル・ゴアの支持者を一時的に重犯罪人名簿に移し選挙権をはく奪、それでもブッシュ不利が判明したので民主党が多いカウンティ―の投票箱を数箱すり替えた。本当のアメリカは、アメリカを支配している者しか知らない。実は政治目的の為には何でもありなのである。大統領選などというローズボール(恒例カレレッジ・フットボール)並みのお祭りがあるおかげで、テレビ局は時間の空白を興奮に満ちた画像で埋め、新聞社は白紙を大見出しとリアルな写真で埋めることで高い広告代を得ることが出来る。

2001年から二期、軍産複合体に選ばれたブッシュ大統領は300兆円と15万人の兵隊を中東戦争につぎ込み、終わらぬ戦争を結果なしで終わらせた(結果があったのでは次の戦争が出来ない)おかげでアメリカの財政は困窮、国民の戦意も消え失せたので、2009年から8年間は、平和型のオバマ大統領を選びFRBに同じく300兆円の緩和資金をばら撒かせ国民を元気付け、8年間の休養と同時に次の第五次中東戦争の準備をさせた。

従って次期大統領は戦争内閣である共和党候補でなくてはならない。

民主党のクリントン対サンダース戦など無駄なことだがメディアと国民の娯楽の為には必要なこと。

今回の「小冊子」では「芝居」のストーリー作りから演出などとして真のアメリカを解説した。


(私のコメント)

昨日は芸能界とヤクザとマスコミと政界の繋がりを書きましたが、世論の形成にはヤクザとマスコミのタッグが出来て大きな成果を上げて来た。ヤクザは政界の汚い部分を請け負っていますが、甘利大臣もヤクザにはめられて失脚した。TPPは利権の巣窟であり功績のあった甘利大臣は邪魔になって来た。

安倍総理にしても役目が終わればヤクザが動いて辞めさせられるだろう。ヤクザと言ってもチンピラヤクザではなく、CIAや産軍複合体に繋がるヤクザであり週刊文春などもその道具に過ぎない。だから週刊文春に甘利大臣はやられた。

アメリカ大統領も実質的に決めているのは増田氏が書いているように、「アメリカにとって、その時々に必要な大統領はCIA、ペンタゴン(国防総省)、軍事産業からなる軍産複合体が決める」のであり、トランプ氏もジョーカーに過ぎない。

おそらく共和党の本命の候補はルビオ氏であり、ルビオ氏は安倍総理が靖国参拝で叩かれていた頃に来日して安倍氏を励ましている。その記事でも将来の大統領候補と書かれていたが、日本には根回しできたのだろう。だから当時からCIAやペンタゴンではルビオ氏を次期大統領にする計画だろう。

大統領選挙はお祭りでありガス抜きに過ぎず、オバマを選んだのも経済立て直しのためでありリーマンショックが起きて戦争が出来ない状態になってしまったからオバマを選んだ。しかし石油が暴落してダブつくようになって中東は用済みとなり、中国にターゲットを絞っている。

中東では近代兵器を使った戦争が出来ずに対ゲリラ戦では産軍複合体も商売あがったりだ。アジアシフトもオバマ大統領は口先だけですが、共和党政権では本格的なアジアシフトで朝鮮半島や台湾や南シナ海でのラインが最前線となる。その為の安倍政権であり、だから早めにルビオ・安倍会談が行われた。

ウォール街も、中国主導のAIIBには危機感を抱いており政治献金はルビオ氏に集まるはずだ。トランプ氏はジョーカーであり本人の暴言は計算済みであり本気で大統領になるつもりはない。トランプ氏の大統領選立候補は売名が目的であり、トランプタワーと言う名が示すように有名になる事が目的であり、大統領が務まる役者ではない。

しかし大統領選挙では欠かせぬ役者であり、テレビショーの司会者でもあったから選挙を盛り上げるにはトランプ氏は欠かせない。アメリカのマスコミもCIAや産軍複合体とグルだからトランプ氏を盛り立てているが、いくら暴言を吐いてもマスコミが叩かなければ意味が無い。

アメリカは日本ほどマスコミの影響力は無いが、選挙資金のある候補が勝てる。テレビCMでの大統領選挙の影響力は大きく巨額な選挙費用が使われる。オバマ氏も大衆からの献金で集めた事になっているが多くがウォール街からのものでありそれでクリントン氏に勝てた。

ウォール街に対抗しようとしているのはロンドンのシティーであり、それでイギリス政府は中国と手を組んで人民元をSDRに組み入れたり、AIIBにイギリスが加わったりしてウォ-ル街との対立が深まっている。それを叩き潰すには中国を叩き潰さなければならない。

ウォール街とCIAやペンタゴンや産軍複合体の利害が一致してきており、これほどアメリカの戦略が見えやすい時期は無い。中国が柔軟に手を引けば何も起こらないが、習近平はアメリカとの対立路線を突き進むだろう。中国はAIIBでウォール街の虎の尾を踏んでしまったから中国をかばってくれる勢力が無くなってしまった。

私がアメリカを動かす黒幕ならば、クリントンでは使いづらくて若手のルビオを選ぶだろう。トランプはカネがあるからカネで動かす事が難しい。ウォール街も中国の人民元の自由化を求めてきたが中国は自由化するつもりはないようだ。これでは協力してきたウォール街も中国を見捨てざるを得ない。



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