眠りが浅いので深夜に目覚めるのが常なのだが、たいていはその後ネットをするか、寝床の中で読書をする。後者の場合は本を読んでいるうちに、上手く行けば眠気がさしてきてもう一度寝ることもできる。
で、先ほど読んでいたのが、筒井康隆の昔の文庫本「日本列島七曲り」で、このころが彼の才能の絶頂期だったと思う。その後の純文学作家めいた作品を読んで面白いと思ったことは、私のような初期からの愛読者には無いのである。なにしろ、私は彼が学習雑誌の付録に書いた、おそらく文庫化もされていないジュブナイル小説「超能力・ア・GO・GO!」からのファンなのである。
それはともかく、この「日本列島七曲り」の中では表題作が一番出来が悪いと感じるのだが、それは「オチ」の切れが悪いというだけのことだ。内容自体は例によってのドタバタ喜劇で、面白いのである。他の作品の中で「桃太郎輪廻」のオチなどは抜群で、全体はお笑いの御伽噺パロディだが、このオチはタイムパラドックスSFとして素晴らしい。(良く考えると、論理矛盾があるのだが、気づかない読者は多いと思う。)
で、ここから本題だが、本を置いて目を閉じている間に、半覚醒の状態の中で思いついた話があり、アイデア自体は面白いと思うのだが、例によって自分で書く気力は無いだろうと思うので、ここにアイデアだけ書いておく。
それは、「柿栗子」もしくは「柿久計子」というJKの話で、彼女の生活が描かれるのだが、読んでいる途中で読者はこのヒロインの人格が分裂していることを感じるようになる。では、二重人格の話だろうと思い始めるだろうが、真相は、この話は最初から二人のJKの話で、ひとりは「柿栗子(久計子)」で、もうひとりは「杮栗子(久計子)」だったという話である。
同じだろう? と思う人は、前に書いたふたりの名前をよく見てほしい。
前者は「柿(かき)」という姓だが、後者は「杮(こけら)」という姓なのであるwww つまり、叙述トリックだ。下の名前が「栗子」や「久計子」であるために、姓が「かき」としか読めなくなることを利用した心理トリックであるが、まあ、「柿(かき)」と「杮(こけら)」の判別がほとんど不可能という、活字字体の問題を利用したものである。
ついでに、「桃太郎輪廻」の論理矛盾(いや、矛盾ではなく、読者が錯覚するだけだが)を言えば、話の主人公である桃太郎と、最初に登場した桃太郎は別人である。というより、最初に登場した桃太郎は、話の大部分で主人公である桃太郎の子供なのである。自分が自分自身の子供であるわけだ。現代のようにクローン技術の話がまだ知られていない頃に、こういう話を思いついたのが凄いと言えば凄い。
で、先ほど読んでいたのが、筒井康隆の昔の文庫本「日本列島七曲り」で、このころが彼の才能の絶頂期だったと思う。その後の純文学作家めいた作品を読んで面白いと思ったことは、私のような初期からの愛読者には無いのである。なにしろ、私は彼が学習雑誌の付録に書いた、おそらく文庫化もされていないジュブナイル小説「超能力・ア・GO・GO!」からのファンなのである。
それはともかく、この「日本列島七曲り」の中では表題作が一番出来が悪いと感じるのだが、それは「オチ」の切れが悪いというだけのことだ。内容自体は例によってのドタバタ喜劇で、面白いのである。他の作品の中で「桃太郎輪廻」のオチなどは抜群で、全体はお笑いの御伽噺パロディだが、このオチはタイムパラドックスSFとして素晴らしい。(良く考えると、論理矛盾があるのだが、気づかない読者は多いと思う。)
で、ここから本題だが、本を置いて目を閉じている間に、半覚醒の状態の中で思いついた話があり、アイデア自体は面白いと思うのだが、例によって自分で書く気力は無いだろうと思うので、ここにアイデアだけ書いておく。
それは、「柿栗子」もしくは「柿久計子」というJKの話で、彼女の生活が描かれるのだが、読んでいる途中で読者はこのヒロインの人格が分裂していることを感じるようになる。では、二重人格の話だろうと思い始めるだろうが、真相は、この話は最初から二人のJKの話で、ひとりは「柿栗子(久計子)」で、もうひとりは「杮栗子(久計子)」だったという話である。
同じだろう? と思う人は、前に書いたふたりの名前をよく見てほしい。
前者は「柿(かき)」という姓だが、後者は「杮(こけら)」という姓なのであるwww つまり、叙述トリックだ。下の名前が「栗子」や「久計子」であるために、姓が「かき」としか読めなくなることを利用した心理トリックであるが、まあ、「柿(かき)」と「杮(こけら)」の判別がほとんど不可能という、活字字体の問題を利用したものである。
ついでに、「桃太郎輪廻」の論理矛盾(いや、矛盾ではなく、読者が錯覚するだけだが)を言えば、話の主人公である桃太郎と、最初に登場した桃太郎は別人である。というより、最初に登場した桃太郎は、話の大部分で主人公である桃太郎の子供なのである。自分が自分自身の子供であるわけだ。現代のようにクローン技術の話がまだ知られていない頃に、こういう話を思いついたのが凄いと言えば凄い。
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