ゲーテの「ファウスト」は、中学か高校のころ読んで非常に面白かった記憶があったが、最近読み直すと、冒頭部分(天上の会話)が実に退屈で読み続ける気がしない。なぜ昔はあれほど面白かったのか、と考えると、おそらく翻訳の問題だろう。(昔読んだのは森鴎外訳だったかもしれない。彼の訳は逐語訳ではなく、原作者が日本語話者ならこう書くだろう、と大胆な意訳をするらしい。)今読んでいる(トイレに置いて、一行か数行ずつ読むだけである。飛ばし読みもする。)のは相良守峯訳だが、(おそらく原作どおりに)詩劇として訳していて、天上の会話などが大仰で無内容なのである。しかし、メフィストフェレスが出てくると面白くなる。
たとえばこんな発言。(私自身が、思索を娯楽としている人間であることは何度も書いている。)
(以下引用)
「申しておきますが、思索などやるやつは、
悪霊に引きまわされて枯野原の中を、
ぐるぐる空回りしている家畜みたいなもんです。
その外側には立派な緑の牧場があるというのに」
たとえばこんな発言。(私自身が、思索を娯楽としている人間であることは何度も書いている。)
(以下引用)
「申しておきますが、思索などやるやつは、
悪霊に引きまわされて枯野原の中を、
ぐるぐる空回りしている家畜みたいなもんです。
その外側には立派な緑の牧場があるというのに」
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