下の記事の中に出て来る「キャンディ」は新しく広告をすれば売れるのではないか。実にかわいらしいデザインである。中学入学のプレゼント用などに、インクの色と万年筆の色を揃えて3本セット5本セットを出したらどうか。
(以下引用)
11月12日(土)から公開中の映画「この世界の片隅に」の舞台、広島県呉市は、 セーラー万年筆創業の地です。現在も呉市の天応工場で万年筆などの筆記具を生産し続けております。 今回はセーラー万年筆タイアップ特別企画ということで、当社とあるご縁があった片渕須直監督と、 インク工房でおなじみのインクブレンダー・石丸治の対談が実現!万年筆インクの話、映画の話、 色の話など盛りだくさんのインタビューとなりました。
片渕 須直監督
アニメーション映画監督。1960年生まれ。 日大芸術学部映画学科在学中から宮崎駿監督作品『名探偵ホームズ』に脚本家として参加。 『魔女の宅急便』(’89/宮崎駿監督)演出補を務め、TVシリーズ『名犬ラッシー』(’96)で監督デビュー。 その後、長編『アリーテ姫』(’01)を監督。TVシリーズ『BLACK LAGOON』(’06)の監督・シリーズ構成・脚本。 2009年には昭和30年代の山口県防府市に暮らす少女・新子の物語を描いた『マイマイ新子と千年の魔法』を監督。 口コミで評判が広がり、異例のロングラン上映とアンコール上映を達成した。NHKの復興支援ソング『花は咲く』の アニメ版(’13/キャラクターデザイン:こうの史代)監督。
インクブレンダー 石丸治
1953年山口県宇部市生まれ。1976年セーラー万年筆株式会社入社、 天応工場研究科に配属。入社後は当時女子中学生を中心に爆発的に流行した「キャンディ万年筆」のカラーインク開発・製造に貢献。 2005年より“インクブレンダー”として、お客様一人ひとりのオリジナルインクをその場でお作りする「インク工房」を 全国で行うようになり、現在に至る。
「インク工房」は現在全国の販売店にて開催をしております(不定期)⇒ http://www.sailor.co.jp/event
セーラー万年筆と片渕監督の深い関係
片渕監督:父が大変お世話になっておりました。
石丸:いえ、お世話になったのはこちらのほうです(笑)
――映画「この世界の片隅に」は舞台が広島県呉市ということで、 呉を創業地とするセーラー万年筆にタイアップのお話をいただいたのが始まりだったんですが…実は片渕監督のお父様が セーラー万年筆の社員だったとうかがいびっくりしました
片渕監督:そうなんです、父は家でもよく仕事をしていました。 営業をやっていたときは販売成績を書類につけないといけないのでそろばんをはじいていたり、 あとは万年筆にお客さんの名前を彫り込んで色をつける、彫刻刀でこう名前を…
石丸:ご自分で手彫りで?
片渕監督:そうです、全部手彫りで。当時も見ていて感心していました。あとは途中からはふでペンの穂先を…
石丸:ああ、そうでしたね。わたしはお父様を存知あげてるといっても、覚えているのは出張先でお茶くみをしていた記憶なんです。入社したてで生まれて初めての出張先がふでペンを作っていた合同会社(*1)でして、先輩の岡本(*2)についていきましてね。 片渕さんと岡本の二人が、昼の1時ぐらいから5時ぐらいまで延々話してるところに、ずーっとお茶を出してました(笑)
*1 セーラーは1972年末に日本初のふでペンを発売。1974年にはふでペン製造のため合同会社が設立されていました。当時片渕監督のお父様は取締役としてその会社へ出向されていました。
*2 現在のセーラー万年筆天応工場技術顧問 岡本弘嗣。万年筆やマーキングペン、ふでペン等のインク研究・開発に携わり、特に万年筆用顔料インク「極黒」「青墨」「ストーリア」の開発者でもあります。
片渕監督:岡本さんは出張のたびに家にわざわざ泊まりに来て、父と夜通し話をしてらっしゃいました。
石丸:おそらくインキの話をしていたんだと思いますよ、マーカー用のインキとかふでペン用のインキとか。
片渕監督:ああ、そうですそうです、よく製品も持ってこられてました。まだひょっとしたら家にのこっているかもしれないですけど、こんなのができたと言ってはいちいち家に持って帰ってきてくれて。色がカラフルな万年筆とか…キャンディですね。
――これですね!1976年発売されたキャンディ万年筆です。当時カラフルな万年筆インクと一緒に発売されたこともあり、女子中学生を中心に大変話題となりました。
片渕監督:そうです、それです。
石丸:わたしはちょうどその時入社しましてね。最初の仕事が、そのキャンディ万年筆のインクを作る仕事でした。 朝はソフトボールの練習をして、昼間はペン先を作り、夜になったら販売用のインクを作って、夜10時くらいに終わったら今度は実験室に行って岡本に命じられた色を作るという生活をしていました。
石丸:色を作る時は、普通はひとつずつ染料を水に入れて配合を変えたりして作るんですが、短時間にたくさんの色を作らないといけない上に、一回でうまくできる色もあればそうでないこともあるので、主要な色を何個か作って混ぜ合わせて色を作るという技を当時編み出しまして。それが今のインクブレンダーの仕事に役立ってます。
片渕監督:キャンディ万年筆は楽しかったですね。それでノートを取っていたので、大学生のときのノートを見ると、緑とか青緑とか、変な色で書いてあって。すごいことになってます(笑)
石丸:片渕さんは、本社購買部にも在席されていた時期があったようで、第一次オイルショックの頃、岡本がインキを作ろうにも材料となる溶剤がなかなか手に入らない。そんな時に片渕さんがいろいろと手を回してくださってかき集めてもらったんだと、若いころから聞いていました。
片渕監督:そうだったんですか。
――実は監督のお父様のお話を初めてうかがった時、古い社報を調べたら「片渕」というお名前が載っていまして。1966年の社報でお父様のことが紹介されているんですが、ゴルフがお好きだったようで、片渕監督ご自身もゴルフ場によく連れていかれていたと書かれていました。
片渕監督:あっ、本当だ!6歳くらいですね。ゴルフ場なんて連れて行ってもらってたかなぁ…全然覚えてない(笑)
――翌年の4月号には「入学おめでとうございます」という欄に、「片渕須直くん」とお名前が載っていましたよ。
片渕監督:ランドセルいただいてたんだ!初めて知りました、ありがとうございます!
――セーラー万年筆では、社員のお子様が小学校に上がる時にお祝いの品を会社からプレゼントしています。
片渕監督:家族づきあいをしているみたいでおもしろいですね。自分の名前まで載っているとは思いませんでした。
――社報には先ほどお話に出てきた岡本さんの記事もありました。
片渕監督:岡本さんが家に泊まりに来られる時はマーカーとか持ってきてくださったんですが、実はそれがきっかけで、岡本さんのように“色を作る仕事”って面白いなと思ったんです。化学を習えばそういうふうになれるのかなと思って、一応受験の時には理工学部も受けたんですよ。理工学部と芸術学部映画学科の二つ受かったんですが、映画学科に進んでしまいました。あのとき映画学科に落ちていたら、他に受かっていたのはそこだけだったので、化学をやっていたかもしれないです。
石丸:どこかでわたしと同じようにインクをお作りになっていたかもしれないですね(笑)
――まさか監督が映画の道に進むきっかけがそんなところにあったとは…!現在セーラー万年筆で発売している一番新しい万年筆インクも、岡本さんが作られたものなんですよ。STORiA(ストーリア)というインクです。
石丸:これは染料ではなく、顔料インク(*3)です。耐水性はバツグンです。ビンに入れたときや万年筆で吸ったときも、顔料なのでインクの色がキレイに見えるんですよ。
*3 万年筆インクの主流は染料インク。紙に浸透しやすく様々な色を作るのが容易ですが、水ににじみやすく色褪せしやすいデメリットも。対して顔料インクは、万年筆用の開発は難しい一方、にじみにくく耐光性に優れているというメリットがあります。
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片渕監督:すごい、万年筆にも顔料インクがあるんですね。ボトルも相変わらずおしゃれですね!ピンクも明るいけどシックな色だし、これなら字を書いても読みやすいと思います。
水原哲の万年筆
――映画タイアップ商品として、劇中に登場する万年筆インク(ブルーブラック)をオリジナルパッケージで制作いたしました。実は片渕監督がセーラー万年筆用にご用意してくださったオリジナルカットを使用した特別版なのです、ありがとうございます!そういえば、原作のこうの史代さんのマンガ「この世界の片隅に」だと、たしか万年筆インクは出てこなくて、墨を溶いて使うシーンでしたよね。
片渕監督:そう、でもインクが懐かしかったので…セーラー万年筆だし、水兵さん(水原哲)が持ってるしね。昔の呉の写真を見ると、セーラー万年筆の看板が出ているのがありました。けっこう古いやつにものってましたよ。
――今日は監督にお会いできるということで、社内に古い万年筆が残っていないか探してきまして…劇中で水原哲さんが持っているスポイト式万年筆を持ってきました!年代的にはちょっと新しくて、昭和35年頃のものなんですが。
石丸:ようあったね!笑
片渕監督:おお、僕もいただいて古いのを持っていたんですよ、スポイト式の!あとエボナイト軸のすごいくさいのが…(笑)
――あ、これも手に持つとくさいです(笑) インクが吸えたので、よければ書いてみてください。
片渕監督:…すごく書き味がいいですね。本当に。
石丸:ちょっとお借りしていいですか? (万年筆のペン先をルーペでのぞきながら)ああ、14金じゃね。金ペン(*4)じゃ。
*4 万年筆のペン先は合金でできています。安価なものはステンレスを使用していますが、「14K」「21K」など表記してあるペン先はそれぞれ14金、21金の合金を使用したペン先で、一般的に「金ペン」と呼ばれます。
片渕監督:そういえば父もレストランにいる時、急にフォークの裏を見だして…裏に書いてあるんですよね、ステンレスはニッケルが何パーセントとかね(笑)
石丸:さすが元購買部!
――これは戦後の万年筆なのでペン先が残っているんですが、現存する戦前の万年筆は金属類回収令により、ペン先がないものばかりなんですよ。戦争では、弊社工場は3つのうち2つが空襲で焼けてしまいました。呉の海軍工廠から少し離れていたところにあった難を逃れた工場が、現在の天応工場です。
呉の町
――呉といえば、今回映画を撮られるのにあたって何度もロケを行い足を運んだとうかがいましたが…
片渕監督:ロケというか…広島自体がそれまで1回しか行ったことがなかったので、とにかく何回も行って馴染んでいれば、風景も染み込むというか、覚えちゃうんじゃないかと思ったんです。 はじめは呉へ探検に行くような気持ちで、原作と地図や航空写真とを照らし合わせて「これはこの辺かな?」というのを手さぐりで歩いてみたりしていました。そのあと初めて原作者のこうの史代さんとお目にかかることができたときに「この辺まで行きました!」って言ったら「えーと、設定ではこの辺なのですが」と言われて…あと10メートル行けばすずさんの家を想定していたところだったということがありました(笑)
――おしい!
片渕監督:そう!そこまでは本当に藪を払いのけて進んでいったのに、すずさんの家の場所が目の前にあったはずのところを手前を曲がってしまっていたようで…。聞いてしまったら見ないといけないので、あわてて夜行バスで呉にいって、見るだけ見て、そのあとまた夜行バスで帰ってきました。そのころはまだ元気がありましたね。
――すずさんのお家は灰ヶ峰(*5)のあたりということで、呉を知っている人間としてはすぐに想像できました。片渕監督が初めて行かれた時の呉の印象はいかがでしたか?
*5 広島県呉市の市街地北部にある山(737m)。現在は夜景スポットとしても地元の方に愛されています。
片渕監督:最初はこうのさんのマンガと地図だけで想像していたので、こういう場所なんだろうなと頭の中に思い描いて行ったら、山を家が登っていくような風景だったので「こんなところなんだ!」と思いましたね。
石丸:呉市内の山って急ですよね。段々畑どころじゃない。
片渕監督:斜面にはりついて家が建ってる感じですよね。 実は映画を作る前からファンの方や、時々こうの史代さんとも一緒に、呉を歩いたりしていました。結構歩きましたよ。 これは自分たちで貼り合わせた地図なんですけど…アメリカ軍が焼けた跡と比較するために撮った写真があるんですが、当時の呉の様子が分かるように白地図の上から道を合わせて重ねるように貼り合わせてるんです。戦時中の写真がなかったところは戦後の焼け野原の写真を貼り合わせたりもしています。
片渕監督:どこからどの方向を向くと何が見えるのかを割り出そうとして、「火の見櫓」とかメモしてあります。このあたりは防火用水があって、こっちは全部建物疎開があったところですね。二河橋のところでは、舗装をはがしたら電車の線路が出てきたのも見ました。調べるとおもしろいんです。
石丸:そういえば入社した頃はその道を「電車道路」って言ってましたね。電車はなかったけど。
片渕監督:…こういうやり方でイメージを作って、呉ってこういう場所なんだと思い込んでるので、いま呉に行くと「アレ?」って思います。今の町名で「中央何丁目」と言われてもどこかピンとこないというか(笑)
――タイムスリップしているような気分ですね(笑)
片渕監督:タイムスリップしないと、この映画は作れないですからね。
石丸:天応工場に来ていただければ古い建物が残ってますので、またタイムスリップできるかもしれませんよ。
片渕監督:気付かなかったですね、大事な場所があったのに…!
色へのこだわり
――先ほどは岡本との出会いがきっかけで色の面白さに気付き、映画の道に進まれたとうかがいましたが、片渕監督の中で色に対するこだわりや、今回の映画の中での色のこだわりはありますか?
片渕監督:アニメーションの色って、昔はセルに絵の具を塗っていたんですよ。絵の具の数が決まっているので、そこから選んで色を決めていたんです。そうするとそれなりに色の制約がでてくるんですが、今パソコンでは自由にいろいろやれるようになってすごく楽しいです。「こんな中間色がつくれるんだ!」とか。昔の絵の具にもこういう色があればよかったのにと思います。
石丸:それは、絵の具を混ぜて塗る、とかはできないんですか?
片渕監督:できないんです。というのも、何百枚かを同じ色に塗らないといけないので…
石丸:ああ、そうかそうか。
片渕監督:例えば、昔のディズニースタジオだったら撹拌機を持っていて、何種類かの色を比率を決めて撹拌して、独自の絵の具を作れていたんですけど、日本はそこまでやっていなくて。その代わり絵の具メーカーさんに「今度こういう色を出してください」っていうと作ってくれたんですけど、それだとロット数がすごく多くなってしまう。 絵の具もそれはそれで楽しかったですけどね。パソコンで塗るようになってからは、全部モニターの上の色なので実体としての色はないんです。それが絵の具だと、先ほどのストーリアみたいな瓶なんですけど、揃って並んでいるのがいいというか…いろんな色が並んでいるのがすごく好きなんですよ(笑)
片渕監督:そうそう、小さい頃に蛍光ピンクと緑と黄色のマーカーで落書きしていると岡本さんがみえて「何か欲しい色ないか」って言われて。「絵を描く以上、肌色がないと人間が描けない」と言ったら、分かった作ってくる!とおっしゃって帰られて、しばらくしたら10本くらい送られてきたことがありました。
――10本も!
石丸:それ、すごく覚えてますよ!出張から帰ってくるなり岡本さんが「石丸、肌色だよ肌色!」って言ってね。
片渕監督:ウチから帰った時だ(笑) それでさらに、その肌色に「コメントをくれ」って書いてあって。
――レビューまで頼まれたんですね(笑)
石丸:たぶんそれを製品として販売しようとしたんでしょうね。わたしたちにも「これ肌色に見えるか?これは肌色に見えるか?」って見せてきて。
片渕監督:そうなんです、何種類もあったんですよ。
――そういえばストーリアの「マジック(パープル)」も、発売前に岡本さんから数本サンプルがきてましたね。その時もどれがいいかコメントが欲しいと言われて、みんなで試し書きをしましたね。とても微妙な色の差のものが。
石丸:そうそう、分からないくらいの色の差のね。わたしも何本か違いが分からなかった、たぶん本人にしかわからないよ(笑)
片渕監督:ストーリアはキャンディのころよりもずっとシックな色ですよね。こういう発色だと、大人でも使える気がします。
石丸:この発色は顔料インクだからかもしれないですね。わたしや岡本は「迫力」と言ってます。
片渕監督:ああ、なるほど。色の迫力、わかります。 僕らも、普通に絵の具を塗ったようなのではなくて、空気を一つ重ねたような色を作りたいと思っていて。同じ人物で同じように見えても、場面によってちょっとずつ色を変えてたりするんです。夏になると日焼けしたり。普通はアニメーションではそこまでやらないんですけど…岡本さんに肌色と言ってから、いまだに肌色にはこだわってますね(笑) 映像って、目で見たものと音で聞いたものはそのまま表現できるんですけど、さわった感触はそれができない。だけど、例えばすずさんのここをさわったらどういう肌触りに感じるかっていうのを、動きと色で見せたくて。すべすべした色白の肌色とか。
石丸:わかります、わたしもインク工房でお客様からそういう難しいご要望をよくいただきます。
片渕監督:それと、これはこうの史代さんに言われてびっくりしたんですけど「海の色が広島湾の色にできている」って。ちょっと緑が入った青色なんですが、広島のみなさんにも「広島の海じゃ!」っておっしゃっていただいて。 それはやっぱり原色の絵の具で塗るだけではできなかったことで、空気や湿度の感じを加えて描いていたから。同じように、そこに人間がいる場合も同じようにくすませたり、空気を重ねてやらなくちゃいけなかったんですが、それがアニメーションの一番楽しいところでもあります。
石丸:町の様子は、なんとなく歌川広重の浮世絵のような感じがしますね。
片渕監督:中島本町の町並みですね。絵描きの人はいろんな色を使いたがるんですけど、広島は城下町で、原爆が落ちる前は昔の風情が残っていたので江戸時代みたいな色で塗りましょうと言ってそうなりました。元はそういう街ですもんね。
映画で描いたこと
片渕監督:そういえば父は佐賀出身なので、長崎の原爆のきのこ雲を見たと言ってまして。どのくらい離れて見ていたかわからないんですけど、家の近所で見たと言っていたので50kmくらいですかね。家がガラス戸がガタガタゆれたと言ってました。
石丸:それは呉の古い人もみんな言いますね。音ももちろんですし、光も見えたと。
片渕監督:きのこ雲の高さ、最近の説では1万6千メートルまで上がったのが一番高いという話になっているんですが、1万6千メートルというと、16kmですよね。呉から広島が20kmなので、計算すると40度くらいの角度なんですよ。40度の角度で見上げたら、もう頭の真上ですよね。現地でもいろんな場所で想像しながら歩いてみたんですが、一番怖く思ったのが宇品に行くフェリーの上から広島の町を見たときです。町がすっかり見えるので、きのこ雲の高さを想像してみたら…
石丸:巨大でしょうね。
片渕監督:上から下まで全部見えますからね、巨大です。 実は今回の映画は、画面ができ上がってから音をつけたんですよ。空襲の場面で対空砲火がバンバン鳴るんですが、あれは本当に自衛隊で録音してきた音なんです。本物の大砲の音と爆撃機の音、戦闘機の音などを組み合わせて入れたんですが、作られた音なんかよりもすごく怖くて…映画を作ったのを後悔してしまったほどでした。これはちょっと怖すぎる、少し控えめにしようという話になったりして。 そうやって、起こったことをそのまま描いていくだけでとても怖い。爆弾も、これくらいの大きさの物がこれくらいの数落ちてくるんだよって、そのまま描くだけでどんな戦争反対よりも説得力があります。
――わたしも映画を拝見させていただいたんですけど、防空壕で空襲を凌ぐシーンが音も映像もすごく怖かったです。
片渕監督:空襲の場合は「何時何分空襲警報発令」とか「警報解除」とか記録が残っていて、アメリカ軍の記録にもB-29が爆弾を落とした時間が残っているので、いろいろ組み合わせると時系列が作れるんです。 そこで映画の中身を理解するため、例えば6月29日の空襲だと決めたら、防空壕に入っているつもりで本当にその時間に布団をかぶってみる、ということをやっていました。自分で体験してみれば、実感として描けると思ったんです。「3時間も経ってるけど、外ではまだ空襲の音が鳴っているのか」というのを考えたり感じたりしてみて、こんなに怖いものかと思いました。 本当は主人公のすずさんがかわいらしいっていうのが描ければよいのですけど(笑)そういう普通にかわいらしいチャーミングな人の上にも爆弾が落ちてくるというのが、戦争がどれだけのことをするのかという怖いところです。
片渕監督:本当は原作のマンガがとてもおもしろいんです。お話ごとに「何年何月」ってタイトルがついていて、平成とも昭和とも書いてないんですが、実はこれ平成19年10月の雑誌に、昭和19年10月の話が載っていたんです。 つまり、これを当時雑誌で読まれた方は、本当にこのとおりの時間が過ぎて行ったんです。そうすると、18年の12月から始まって丸二年かけて戦争が終わって、21年1月まで本当にその時間をかけて読んでいたことになるんです。おもしろいですよね。 本当はそういうふうに映画も作れるといいんですけど、さすがにね(笑)
石丸:4年かけて見るわけにもいかないしね (笑)
片渕監督:この物語はそうやって“体験”するものだと思うので、だったら呉の町も実際にこの距離で歩きましたって体験するのもいいかなと思って、ファンの方と呉を何度も歩きました。映画が始まったらまたやることになると思っています。そういうところも含めて、呉は大事な場所ですね。
――呉はセーラー万年筆にとっても大事な場所ですので、うれしいですね。
片渕監督:本当に、子どものころからずっと父はセーラー万年筆の一員と思ってましたので、自分もそういうものだと思ってました。今日は家に帰れたみたいな気分です。
――こちらこそ、このような作品と関わることができて大変光栄です。貴重なお時間をありがとうございました!
片渕監督:今日のこと、父に伝えたら喜ぶと思います。
――石丸さん、そういえば今日のこと岡本さんは何かおっしゃってましたか?
石丸:いや、あの人は照れ屋だから、なんも… (笑)
片渕監督:僕はランドセルがどこから来たのかが分かりました。それだったらもっと大事にしてたのになあ…
気付けばあっという間に時間がすぎていたこの日、twitterでは片渕監督に「みなさんとは初めてお目にかかるのにすごく懐かしくって幸せな気持ちに包まれました。」とおっしゃっていただきました。セーラー万年筆が応援する映画「この世界の片隅に」は11月12日(土)より全国の劇場で順次公開予定です。当時の呉の町並みや様々に表現された色、そして戦争の中に生きるすずさんたちの普通の日常を、ぜひ劇場でご覧ください。
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