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「健康」とは何か

今朝の未明の散歩の中での浮遊思考の最初のテーマ(?)は「健康」とは何か、という問題だが、その前に考えたのが、前から何度か書いている「身なりに構わないのは社会的自殺である」というバルザックの言葉で、その対語として考えたのが「自分の周囲や他人の思惑にだけ拘泥するのは自我の自殺である」という命題(テーゼ)だ。身なりに拘るというのは基本的に「他人の目を気にする行為」だと私は思うのだが、もちろん、「自我の表現だ」と主張する人もいるだろう。だが、その「表現」も他人に向けての行為だというのは変わらない。まあ、この件はこれだけでいい。

で、その次に考えたのが「健康とは何か」だが、これは散歩という行為が健康のためでもあるという深層心理から出て来た想念だろう。
漢字熟語としては「健康」は「健」と「康」から成るが、「康」の字の意味のほうが分かりやすい。これは人名で「やすし」とも読まれるように、「安らかである」意味だろう。「国家鮟鱇」、じゃない「国家安康」の「安」も「康」も安らか、安泰の意味かと思う。
問題は「健」の字で、これは「すこやか」と読まれるし、「健全」などの熟語があるが、実は私は「すこやか」の意味がよくわからない。よく、子供に「すこやかに育てよ」などと言ったりするらしいが、その「すこやか」はどういう意味か。「にぎやか」とか「さわやか」の語から見て、「すこ」に意味があると思うが、その「すこ」の意味が分からないのである。すこやかに通じるような、他の「すこ」を使った言葉を知らないのである。
そこで、漢字から考えてみると、「健」の字はニンベンに「建」である。つまり、「人が建設(建造)される」上での根本や基本、土台ということだろうか。つまり、健全な肉体に健全な魂が宿る(元の格言では「宿れかし」という祈願らしいが)という思想に近いか。まあ、要するに、人生を満足に生きるための土台が健康である、というのはたいていの人が賛成するとは思う。もちろん、不健康な人間が不幸だと言っているわけではないが、健康なほうが「望ましい」のは確かだろう。

その後もいろいろ考えたが、浮遊思考だから、おそらく他人にとってはどうでもいい話題ばかりである。前に書いた話題も同じだろうが、書いたから載せただけだ。

これもついでに言えば、カタカナ英語だと「ヘルス(健康)」の中に「ヘル(地獄)」があるwww

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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