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隠居爺氏の国家論

「隠居爺の世迷言」記事で、実に読みやすく分かりやすく、正直率直でありながら、飄々とした筆致が、嫌みがない。年を取ることに利益があるとすれば、このように正直率直になれることだろう。自分を飾る気持ちが無いから、嫌みがない。
ちなみに、カネが社会や世間(世界全体と言ってもいい)を堕落させることは、トマス・モアもスィフトも書いているが、アメリカ人には無縁の思想のようだ。ただし、カネが文明や文化を物質的に発展させるのも今さら言うまでもないだろう。つまり、カネの持つ善悪両輪だ。
まあ、その解決法は共産主義ではなく、「財産上限制」だろう。その上限は「政治を動かすほどではない」だ。当然、その上限を超える株式投資やギャンブルも禁止である。政治を使って株価を上げるなどもってのほかである。

(以下引用)

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 ビートルズに「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」(1967年)という曲がある。「愛こそはすべて」であると信じている人はどのくらいいるのだろうか。ほとんどいないのだろうなあ。でも、私も年をとって、幾分離れたところから人間社会を見ると、「愛こそはすべて」でいいのかもしれないと思ったりもする。

 一方「金(カネ)こそはすべて」ということになると、相づちを打つ人がそれなりにいるように思う。「この世の中、結局のところはカネだよ。カネさえあれば何でもできる。」と思っている人は意外に多いような気がする。どうだろうか。そういえばABBAに「Money Money Money」(1976年)という曲があったね。

 私は若くて多感な時期に夏目漱石を読みふけったせいか、金持ちや権力者を軽蔑しているところがある。そうなんですよ、夏目漱石というのは金持ちや権力者を毛嫌いしていたからね。ある意味トップエリートだったのだけれど、まあ、金持ちや権力者はその性根が卑しいからねえ。見抜いたのだろう。人間、金や権力を得ると堕落することは、今の自民党を見ても、いや自民党ばかりではなく政治家全体を見てもよく分かる。

 金持ちのことは付き合いがないからよく知らないけれど、私よりははるかに金持ちである医者を見ていると、彼らがいかに堕落した存在であるかが伝わってくる。今度の新しい1万円札にしても、渋沢栄一の肖像が使われるようだけれど、あの下卑た商人顔を見るだけでうんざりする。やっぱり聖徳太子が良かったなあ。

 もちろん、金や権力を得ても立派な人はいる。大抵のことには例外があって、例えばやくざでもいい人はいる。しかし、だからいってやくざを肯定的に評価できるかといえばそうはならない。金持ちも権力者もそれと同様で、全体としてはどちらも害の大きな存在になる。軽蔑するに値する。

 考えてみれば、現在の日本には金持ちや権力者を軽蔑する風潮がすっかり消えてしまったのではないだろうか。今の日本の乱れの根本的な原因はそこにあるのかもしれない。なにしろ、総理大臣が「日本で一番権限があるから総理大臣になった」と、子供の前でヌケヌケと放言するくらいだから、権力というものをひどく幼稚なレベルでしか認識していないことが分かる。

 金持ちも同じようなものに違いない。おそらく、金によって自分がいかに堕落しているかに気がついていない人がほとんどなのだろう。お粗末この上ない。金持ちや権力者は、それだけで堕落した存在なのだけれどね。中には例外もいるという程度。

 これを世の人々に理解させるのはとっても難しい。つまり、金や権力のネガティブな側面をいかに理解させるかとなると、中学生からやり直せとしかいいようがないような気もする。しかし、そんな非現実的なことを言っても仕方がない。であるならば、 " アメリカ社会を見ろ " といえば少しは通じるだろうか。

 アメリカはほぼ単純に、まるで幼稚園児のごとく金と権力を肯定する国になっている。いや肯定どころではなく、国全体がそれを目指す社会になっている。金持ちはスーパーリッチと呼ばれるようになるまで、権力者は大統領になるまで、単純に金と権力を志向する。そこには迷いも疑いもない。何もかも放り捨てて金と権力を目指す。

 その結果どのようなことになったかといえば、世界一の強国であり、世界一の経済力を持つ国になった。大成功だった。世の中を単純化して金と権力しか見ようとせず、そのようなフィールドで競うことが、とっても効率のいいことであることが証明されたようなものだ。

 しかし、何事もそうそううまい話はないのが世の常といえる。アメリカ流のやり方が限界に達し、今やそのほころびが目立つようになり、国全体が傾き始めてきた。金と権力だけに特化した社会がどのようなことになるのかは、今のアメリカとこれからのアメリカを見ることで、これ以上ないくらいによく分かるはずだ。

 ただ、残念なことに日本の知識人でそこまで視野が広くて深い人はほとんどおらず、仮に居たとしてもメジャーな存在として私たちの前に現われてくれることはない。一見すると「世の中の卑俗さとは縁がありません」みたいな顔をしている人が登場してもっともらしいことを吹聴しても、そのような人に限って金と権力にドップリはまっていたりする。

 さて、金持ちと権力者について書いてみたけれど、では、金持ちと権力者とではどちらが強いだろうか。(面白いね、こういう話。)今やアメリカでは金持ちの方が権力者よりも強くなった。一方ロシアはその反対で、金持ちよりも権力者が強い。そのことは、プーチンを見ていれば分かる。そして、国として健全なのは、今やアメリカよりもロシアになる。どういうことだろうか。

 金の威力は凄まじい。それは、厚生労働省の審議会であるワクチン分科会を見ても分かる。そこに名を連ねている高名な医者等の半数以上が製薬会社から金品を受けとっているのだからね。医者などというものは、たとえ勤務医であったとしても、現役時の私の何倍もの収入がある。生活に困っていることはない。それが簡単に買収されてしまうのだから、金の力がいかに強力か分かる。医者になる前までは大変に優秀だった人たちがそのていたらくだ。

 アメリカでも同じことが生じている。大統領をはじめとする権力者たちが、こぞって買収されるようになってしまった。そのせいでアメリカは衰退を始めたといっていいように思う。もはやアメリカの政治家は国を支配していない。大統領以下金の力に屈服してしまった。

 これは、アメリカという国そのものの価値観がその方向を向いていたことが原因だろうと思う。国中で金持ちを歓迎し、金持ちになることを推奨した結果だ。アメリカのスーパーリッチと呼ばれる人たちは、アメリカ人にとってヒーローであり、アメリカンドリームの体現者であり、目指すべき正義の存在として崇められている。本来軽蔑されるべき輩であるにもかかわらず。

 ここまで考えると、いわゆるディープステートという存在も理解できるような気がする。これまで私には理解不能な概念であり、どう定義していいやら困ってきたのだけれども、どうやら「ディープステート≒財界人≒金権を振るう者」と考えていいように思う。つまり、金の力で政治を左右する者たちのことだ。政治家は金の力に屈服するのが常であり、それは今の自民党を見ても分かり過ぎるくらいに分かる。

 つまり、アメリカでディープステートが注目されるようになった理由は、政治家よりも財界人の方が力を持つようになったからで、戦争まで財界人の都合で行われるようなった。そうなると政治も、国も、腐敗する。そして、今や岸田政権、いや自民党政権もすっかり日本とアメリカ双方のディープステートに操られるようになった。

 本来政治家というものは、国民の審判を受ける仕組みになっている。それが民主主義であり、選挙制度になる。それによってチェックを受け、誤りが修正される。ところが、そこに財界人、つまり金の力で人々を支配できる人間が入り込んできたことで、選挙制度も民主主義も崩壊してしまった。

 政治家は国民の意向を無視するようになり、金の力で自分を当選させてくれる財界の方を向き始めた。現在、岸田政権の支持率が過去に例を見ないくらい低迷しているけれども、それにもかかわらず岸田総理は涼しい顔をしている。というのも、金の力で自分を支えてくれるディープステートが何とかしてくれると思っているからだ。おそらく、個人的にも何億円、あるいは何十億円も受けとっているのだろう。もちろん超法規的な形で隠密裏に。などと想像したくなる。

 加えて、岸田総理になってから国民を冷遇することが目に余る。一番はっきり表れたのが能登半島地震被災者に対する冷たさだ。ディープステートがバックに付いている岸田総理にとって、能登半島の一つや二つどうなろうが関係がない。金の無駄としか感じていない。

 その他増税あるいはステルス増税に関しても、国民の批判をよそに平然としている。いかに嫌われようが屁の河童なのだ。ディープステートさえ付いていてくれていれば、鬼に金棒だと高を括っている。

 今のロシアは、昔のソ連とは違ってとってもうらやましい国になったように感じる。なぜなら日本やアメリカとは違って、プーチンがディープステートに、つまり金の力に操られていないからだ。プーチンは自国の方を向いており、自国のために政治をしている。

 ロシアも、1990年代はアメリカ資本に牛耳られて、死ぬや生きるやの大変な思いをした国だった。平均寿命が10歳も短くなったなどといわれている。そのくらい、アメリカ資本が入り込んで、ロシアの富を全部さらって持ち去り、ロシア人が寿命を全うできないくらいの貧困に追い込んだ。今の日本は、岸田総理というめったに現われない愚鈍な宰相の下で、同様の路線を走りつつある。


 


 プーチンはどのようにしてディープステートを撃退したのだろうか。一つにはアメリカがやり過ぎたということがある。いくら何でも飢え死にする人が現われるくらいまで虐待するのでは必死の反抗を促してしまう。窮鼠猫を噛むの例えのとおりだ。


 


 もう一つは、ロシア人が賢かった。プーチンを中心としてまとまり、合理的、計画的に、着々とアメリカの支配から脱しようとした。何度も何度もシミュレーションを重ね、反撃の方法を練り上げていったのだろう。


 


 その過程でおそらくロシアは気がついたに違いない。アメリカという国が張り子の虎であることを。プロパガンダが得意な国であるけれども、中身はスカスカで見るべきものがない国であることを。


 


 その結果が一挙に現われたのが、今回のロシア・ウクライナ紛争になる。アメリカはロシアを完全に見くびっており、簡単にやっつけられると予測して戦争を挑発したが、やっつけられたのは自分たちだった。


 


 なぜアメリカがそこまで弱かったかといえば、それは依拠するところが、つまり頼りとするものが金であるためだ。上記したように金の力は極めて強力で大抵のことを実現できる。ただし、金で作られた結びつきは「金の切れ目は縁の切れ目」という言葉があるように脆弱だ。


 


 世の中には金で作られた結びつきよりも、権力で作られら結びつきよりも、ずっと強い結びつきがあり、それは精神的な結びつきになる。精神的な結びつきといっても、「金色夜叉」のように金で簡単に断ち切られるものもあるが、正義に根ざした精神的な結びつきは、正義を無視して金で作られた結びつきよりも強い。そのせいで、NATOは惨憺たる有り様だ。


 


 ロシアに比べると日本人は情けない。80%もの国民がアメリカにだまされるがままにワクチンを接種した。おそらく、アメリカに日本の富が何百兆円も渡っていることにも気がついていないのだろう。そのようなことでは、仮に日本にプーチン的な政治家が登場したところで、潰されておしまいになる。

 それにしても、日本人の鈍さは手に負えない。ワクチンで日本人が何十万人も殺されたのは、アメリカが主犯なんだけどな。同じことをアメリカにして返せとまでは言わないけれど、せめて距離を置くくらいはするべきだ。安倍元総理を暗殺したのだってアメリカでしょ? それなのに日本人と来たら、殴られれば殴られるほど近寄り、しがみつこうとする。頭がおかしい。少しは考えてはどうかと思う。



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