和田秀樹という精神科医(というより受験指南屋として有名)のブログから転載。彼は「専門家」の例にもれず、部分的に視野狭窄なところはあるが、時々鋭いことを言うので、彼のブログにはたまに目を通す。
老人介護の現実については、さすがに現場の人間らしく「事実」を述べているので、参考になる。
だが、東京都民が石原に票を入れるというその神経が私にはどうしても理解できない。あるいは下請けまで含めた企業選挙と創価学会の協力などのおかげだろうか。
だが、一番の罪は投票所にも行かないという連中である。君たち、たまには思い切って共産党にでも入れなさい。どうせ今の日本が共産主義社会になることはありえないのだから、まともな政策を言っている人間に入れるというだけのことだ。
(以下引用)
朝、テレビを見ていたら、都知事候補のディスカッションだった。
どの候補も災害対策を最重要課題に挙げていた。
こういう大衆迎合はやめてほしい。
お金が余っているならそれも重要だろう。しかし、ない中での予算の配分を考えないといけないのが首長の仕事だ。
たとえば、火事があって火災保険に入っていなかったから、これからは入ろうという話になったとしよう。月給が100万円の家庭なら当然の反省だ。それだけの稼ぎがあるのに、なんで備えをしていなかったのだと批判されて仕方ない。しかし月給20万円の家庭なら、子供の教育なり、親の介護なりに金を優先させるのは当然だ。災害対策は保険のようなもので、教育予算や福祉予算は確実に必要なものだ。お金が有り余っていれば災害対策は大事だが、そうでなければ教育や、今起こっている自殺を減らすために金を使うことは当然のことだろう。
確かにいつ震災がくるかわからない。しかし、東京都は湾のために津波の規模は今回の震災のようにならないだろう。ここでも、元タレントの知事は、今後15年か20年のうちに「絶対」(こんなことばを使うだけで行政の長としては失格だと思う)大震災がくるのだから、もっと高い堤防をなどと非現実的なことを言う。テレビ人間は、人を脅して、騒ぎを作れば人気が出ると思っているのだろうか?
主義主張は別として、共産党がいちばんまともなことを言っていた。防災対策には限度があるから、木造住宅や密集地のリフォーム補助というのは、いちばん金がかからず、いちばん被害が防げるだろう。本来コスト意識がいちばんないはずの共産党がいちばんコストエフェクティブとは、経営者と称する人間のコスト感覚のなさにあきれてしまった。
その共産党が、きちんと要介護高齢者の入れるホームを作れと主張すると、現職は「共産党はそういうことばかり言うが、どの年寄りだって、ずっと自分の家にいたいはずだ」と主張する。
もちろんその通りだ。よほどのさびしがりやで、ホームのほうが大好きでない限り、誰も好き好んで特養ホームなど入るまい。
しかし、子供に迷惑をかけたくないからとか、一人では暮らしていけないからホームに入るのだ。
たとえば保育園の待機児童の問題で、知事が、「どんな子供だって親と一緒にいたいはずだ」「どんな子供だって家にいたいはずだ」などと言えば袋叩きにあうだろう。女性が働かないといけないから、そうはいかないから保育園が必要なのだ。
一人で放っておけないが施設がないから仕事を辞める人(介護離職者)が15万人もいる。介護が原因とはっきり遺書に書く人が、毎年200-300人、介護のために親を殺す人が毎年50人いる。
そして、今回の震災でも、たくさんの要介護で、老人ホームに入居していた人(おそらく子供たちは東京で働いているので、親を看れないのだろう)が別の県に引き受けてもらうのだが、どの県も特養が足りないので、定員オーバーや介護力不足で悲惨な状態になっているらしい。実は介護施設の充足も被災対策なのだ。
本日の知事候補者の討論を聞いていて、教育再生会議を思いだした。
安倍内閣が設置したこの会議は当初学力低下について論じるはずだったのに、始まった当初に、たった1件のいじめ自殺問題が発生したために、事実上、いじめ問題の対策会議になった。
学力低下はマクロの問題であり、いじめは(当時は日本中の学校で深刻ないじめがあるような言われ方をしたが)ミクロの問題である。
特養の不足で孤独死する高齢者や、福祉の不足で自殺する人は毎年東京だけでも数千人はいるはずだ。何十年に一度起こるかどうかの震災対策より「確実に」必要なものだろう。
こういう国民が震災でパニックになり、感情的になっているときこそ、冷静に数字を出して考えようと呼びかけるのが、リーダーの役目だろう。国民と一緒になってパニックになっているようではリーダーとは言えない。
施策のプライオリティといい、リーダーとしてのマクロとミクロの混同と言い(これに関しては元タレントがいちばんひどかった。大学や大学院に入りなおしたそうだが、数学の勉強をいちどやってもらわないと政治家になるにはあまりに危険だ。おそらく知事になれば官僚に丸投げ――別の県の知事だったときはそのようだったが――だから大丈夫かもしれないが)、日本にちゃんとしたリーダーはいないのだろうし、有権者も感情でしか考えないのだろうと思うと背筋が寒くなった。
共産党を通じて批判票が集まればいいが、おそらくは、商売敵の特養ホームを作らせない元経営者や、もっと計算のできない元タレントにすら負けてぼろ負けになるのだろう。
これでは東京の介護難民は在宅で孤独死(神戸でも最終的には震災で死んだ人より多いという話もある)するか、墨田区がやったように北関東の無許可ホームに放り込まれるしかないのだろう。介護がなくて生活できなくて、身寄りがなくても、あるいは子供が仕事で忙しくて手伝いにこれなくても、「みんな家にいたい」のだから。
つくづく北朝鮮は罪作りな国だと思う。あの国のおかげで共産主義アレルギーが広がることで、共産党が正しいことを言っても、有権者は逆の投票行動をとる。そのおかげで必要な福祉はどんどん削られ、孤独死や自殺が増える。毎年拉致被害者の100倍くらいの数だそれで死んでいく。
これも金正日がしくんだ、日本人を大量に殺す戦術なのだろうか?
老人介護の現実については、さすがに現場の人間らしく「事実」を述べているので、参考になる。
だが、東京都民が石原に票を入れるというその神経が私にはどうしても理解できない。あるいは下請けまで含めた企業選挙と創価学会の協力などのおかげだろうか。
だが、一番の罪は投票所にも行かないという連中である。君たち、たまには思い切って共産党にでも入れなさい。どうせ今の日本が共産主義社会になることはありえないのだから、まともな政策を言っている人間に入れるというだけのことだ。
(以下引用)
朝、テレビを見ていたら、都知事候補のディスカッションだった。
どの候補も災害対策を最重要課題に挙げていた。
こういう大衆迎合はやめてほしい。
お金が余っているならそれも重要だろう。しかし、ない中での予算の配分を考えないといけないのが首長の仕事だ。
たとえば、火事があって火災保険に入っていなかったから、これからは入ろうという話になったとしよう。月給が100万円の家庭なら当然の反省だ。それだけの稼ぎがあるのに、なんで備えをしていなかったのだと批判されて仕方ない。しかし月給20万円の家庭なら、子供の教育なり、親の介護なりに金を優先させるのは当然だ。災害対策は保険のようなもので、教育予算や福祉予算は確実に必要なものだ。お金が有り余っていれば災害対策は大事だが、そうでなければ教育や、今起こっている自殺を減らすために金を使うことは当然のことだろう。
確かにいつ震災がくるかわからない。しかし、東京都は湾のために津波の規模は今回の震災のようにならないだろう。ここでも、元タレントの知事は、今後15年か20年のうちに「絶対」(こんなことばを使うだけで行政の長としては失格だと思う)大震災がくるのだから、もっと高い堤防をなどと非現実的なことを言う。テレビ人間は、人を脅して、騒ぎを作れば人気が出ると思っているのだろうか?
主義主張は別として、共産党がいちばんまともなことを言っていた。防災対策には限度があるから、木造住宅や密集地のリフォーム補助というのは、いちばん金がかからず、いちばん被害が防げるだろう。本来コスト意識がいちばんないはずの共産党がいちばんコストエフェクティブとは、経営者と称する人間のコスト感覚のなさにあきれてしまった。
その共産党が、きちんと要介護高齢者の入れるホームを作れと主張すると、現職は「共産党はそういうことばかり言うが、どの年寄りだって、ずっと自分の家にいたいはずだ」と主張する。
もちろんその通りだ。よほどのさびしがりやで、ホームのほうが大好きでない限り、誰も好き好んで特養ホームなど入るまい。
しかし、子供に迷惑をかけたくないからとか、一人では暮らしていけないからホームに入るのだ。
たとえば保育園の待機児童の問題で、知事が、「どんな子供だって親と一緒にいたいはずだ」「どんな子供だって家にいたいはずだ」などと言えば袋叩きにあうだろう。女性が働かないといけないから、そうはいかないから保育園が必要なのだ。
一人で放っておけないが施設がないから仕事を辞める人(介護離職者)が15万人もいる。介護が原因とはっきり遺書に書く人が、毎年200-300人、介護のために親を殺す人が毎年50人いる。
そして、今回の震災でも、たくさんの要介護で、老人ホームに入居していた人(おそらく子供たちは東京で働いているので、親を看れないのだろう)が別の県に引き受けてもらうのだが、どの県も特養が足りないので、定員オーバーや介護力不足で悲惨な状態になっているらしい。実は介護施設の充足も被災対策なのだ。
本日の知事候補者の討論を聞いていて、教育再生会議を思いだした。
安倍内閣が設置したこの会議は当初学力低下について論じるはずだったのに、始まった当初に、たった1件のいじめ自殺問題が発生したために、事実上、いじめ問題の対策会議になった。
学力低下はマクロの問題であり、いじめは(当時は日本中の学校で深刻ないじめがあるような言われ方をしたが)ミクロの問題である。
特養の不足で孤独死する高齢者や、福祉の不足で自殺する人は毎年東京だけでも数千人はいるはずだ。何十年に一度起こるかどうかの震災対策より「確実に」必要なものだろう。
こういう国民が震災でパニックになり、感情的になっているときこそ、冷静に数字を出して考えようと呼びかけるのが、リーダーの役目だろう。国民と一緒になってパニックになっているようではリーダーとは言えない。
施策のプライオリティといい、リーダーとしてのマクロとミクロの混同と言い(これに関しては元タレントがいちばんひどかった。大学や大学院に入りなおしたそうだが、数学の勉強をいちどやってもらわないと政治家になるにはあまりに危険だ。おそらく知事になれば官僚に丸投げ――別の県の知事だったときはそのようだったが――だから大丈夫かもしれないが)、日本にちゃんとしたリーダーはいないのだろうし、有権者も感情でしか考えないのだろうと思うと背筋が寒くなった。
共産党を通じて批判票が集まればいいが、おそらくは、商売敵の特養ホームを作らせない元経営者や、もっと計算のできない元タレントにすら負けてぼろ負けになるのだろう。
これでは東京の介護難民は在宅で孤独死(神戸でも最終的には震災で死んだ人より多いという話もある)するか、墨田区がやったように北関東の無許可ホームに放り込まれるしかないのだろう。介護がなくて生活できなくて、身寄りがなくても、あるいは子供が仕事で忙しくて手伝いにこれなくても、「みんな家にいたい」のだから。
つくづく北朝鮮は罪作りな国だと思う。あの国のおかげで共産主義アレルギーが広がることで、共産党が正しいことを言っても、有権者は逆の投票行動をとる。そのおかげで必要な福祉はどんどん削られ、孤独死や自殺が増える。毎年拉致被害者の100倍くらいの数だそれで死んでいく。
これも金正日がしくんだ、日本人を大量に殺す戦術なのだろうか?
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