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法の運用とは何か

前田有一の「超映画批評」の「シン・ゴジラ」評(90点)の一節である。
なかなか面白そうな映画だが、それよりも、下の一節の中の防衛省の偉い人の発言が興味深い。実際、憲法とか法律というものは、「立法の精神」に基づいて運用するかどうかが根本なのであり、三百代言的に、「法律の条文に従いながら、法の裏をかく」というのが一番悪質なのである。日本国憲法の「立法の精神」が「主権在民・平和主義・人権擁護」であることは言うまでもない。
憲法9条があるから軍事的に国が守れない、ということは無い、とこの防衛省の幹部は明言しており、「むしろ憲法9条があったほうがいい」と言っている。これは賢明な言葉だろう。
憲法9条が存在したために日本が(米国による)「無用な戦争」に巻き込まれないで済んだ、というのは、少し物の分かる人なら誰でも知っていることだ。




(以下引用)



この映画のゴジラは放射能をまき散らしながら破壊を続ける、まるで天災のようだが、それが何を表しているのかは観客にゆだねられる。

だがそれに対処する人々の動きを描いたこの映画のテーマは「有事における安全保障、危機管理」であり、これはとてもタイムリーだ。


国会前のデモや対馬で怪しい動きをするどこかの国など、いまどきの映画らしい小ネタもギャグ的にはさみながら、ここで描かれる日本の問題点、そして強みは大きな問題提起となるだろう。


とくに画期的なのは、この映画が強く意識したであろう安保法制問題の、意図的かどうかはともかく化けの皮をはいでしまっていることである。


具体的に言うと、日本単独で対処できない問題を同盟国や多国籍軍との連携でカバーするという集団的自衛権の欺瞞と恐ろしさを、端的に表現している。他国に頼ることでどれほどの国益を失うかを、きっちりと描いている。だから日本は日本人で守らなければならない。日本人だけで守れなくなった時の絶望感を、これほど正確に描いた映画はあまりない。この点は高く評価すべきである。


さらにこの映画に出てくる日本政府は、憲法9条の有無などお構いなしに(議論にすら出てこない)平気で自衛隊を防衛出動させている。その名目は有害鳥獣駆除ということになっているが、これはきわめてリアルである。


日本人という民族は、いざとなれば9条があろうがなかろうが、必要なことを必要な時にやれると、この映画は言っている。そしてそれは事実であろう。


そうして起こした事実上の軍事行動に対し、この国の為政者たちは手持ちの法律をこねくりまわし、うまいこと合法のお墨付きを与える。そういう悪知恵(?)について、日本の官僚の右に出る者はいない。それが日本人、日本というものなのであり、強みなのである。


実際私は防衛省の、それもかなりえらい人に直接聞いたことがある。自衛隊は北朝鮮との戦争だろうが尖閣有事だろうが、現在の法体制下で、完全に必要なことをする、出来るシミュレーションを終えている、と。


憲法9条は足かせにならないのかと問うと、まったく問題ない、改憲の必要なぞゼロだと笑った。むしろ変えるべきではないとまで言った。


それは当然だ。米国の属国同然の現在、改憲などしようものならさらに「宗主国」にとって有利な形に「憲法改悪」されるに決まっている。そういうことを、この国を実際に守っている人たち、現実主義者はわかっている。そこをわかっていない(あるいはわかっていて改憲に突き進む)首相がトップの現在は、だから危険なのである。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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