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白と黒と灰色

「バカ国民帝国日本の滅亡」から抜粋転載。
「自己決定権」についての秋水氏の意見は良く理解できないが、私の理解する「自己決定権」とは、「自分自身のことは自分に決定権がある」というもので、ごく当たり前に肯定できる思想である。より厳密に言えば、「自分の生命の存続、就職、結婚などの人生の重大事において、最終的な決定権は当人にある」というものだ。
秋水氏の言う「自己決定権」はこれとは異なるようで、定義が為されていない段階では何とも言えない。「自己決定権とはファシズムだ」というのは極端な意見に見えるが、「他人の存在に関わることでもオレに決定権がある」という思想ならば、それはファシズムだろうが、一般的な自己決定権はそういう意味ではないと思う。
ただし、「堕胎の自由」が自己決定権の範囲に入るかというと、これはグレーゾーンだろう。胎児は人権を持つか、という問題だ。あるいは受精卵は人権を持つか、でもいい。
その胎児なり受精卵なりが障害を持つことが明らかである場合は、その胎児や受精卵は「自分(妊婦)の人生に危険を及ぼす可能性の高い存在であり、それを排除することは『緊急避難』と見做される」ということでいいのではないか。
確かに、この考えの延長上に「障害者は死んだ(殺した)ほうがしあわせ」という思想があるとも言えるかもしれないが、それは「グレーはグレーだから駄目だ。白黒のどっちかにしろ」というリゴリズム(厳格主義)でしかないような気がする。

「リゴリズム」の意味がそうだったか不安になったので英和辞書を見ると、「リゴリズム」は載っていないが、次のような記載があったから、たぶん大丈夫だろう。
rigor:厳しさ
rigorous:厳しい


(以下引用)


まだ最近のことだが…




「女性には、産む産まないを決定する権利がある」というのがあった…


 


しかも、それが「女性の人権」だとのたまったのである!





胎児の段階とはいえ、「生かすも殺すも女性が決定できる」自己決定権が…


 


「女性の人権」だと、述べられていたのである!





ちなみに、自己決定権は人権ではない


 


「自己決定権=人権」という倒錯した思想が一時期大宣伝されていた。


 


自己決定権は、ファシズムである


 


 


人権は、「社会契約(=法)を結ぶ権利」であって、


 


「決定」には必ず「他者の自由意思に基づく同意」が必要となる。





だから、「決定」するためには、必ず「他者の尊重」が必要になるのである





それと、生まれてくる子供が障害者とわかった時点で中絶するなんてのも、珍しいことではない。





こうしたことを考えると、




「障害者は死んだ(殺した)方がしあわせ」という考えは、社会に根深く根付いていて、




ナチスうんぬん以前のことではないのかと思うわけである。




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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