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江戸時代の「土地の所有権」は誰にあったか

小谷野敦というのは、歯に衣着せない書き手で、書く内容は面白いが、馬鹿への差別意識の強い人間で、自分は物凄く頭がいいと確信しているところが少々というか、かなり嫌らしく感じられる。私などは、人間の頭の良さというのにそれほど差があるとは思わないので、こうした「自分より馬鹿だと判定した人間への軽蔑」というのは、あまり頭が良くない印なのではないか、と思ってしまう。仕事というのは、何かの研究の仕事も含めて、「普通の頭の人間が誠実に努力すればかなりの成果を得られる」ものだ、というのが私の考えで、天才というのは、せいぜいが芸術の分野でしか存在価値は無いのではないか。
と言うのは前置きで、その小谷野敦の「素晴らしき愚民社会」(新潮文庫)の中に、非常に示唆的な言葉があった。
(日本では大名や侍は徴税権を持っていただけで、土地の所有者ではなく)「もし大名や武士が土地を持っていたら、版籍奉還や廃藩置県があんなにたやすく行えたはずはなく、幕府を倒したとしても政治の中枢には元大名たちが居座っただろう。」
という言葉だ。
我々は、大名の領地(藩)を、大名が土地を所有していたのだ、と思い込んでいるが、実は単にその土地の徴税権を持っているだけで、土地は百姓や名主が所有していた、ということだ。だから、「加賀百万石」のように、そこから上がる税収で大名の有力度ははかられたわけである。
まあ、そんなのは常識だ、と言われるかもしれないが、私は、その領地(土地)の所有権自体、大名に属すると何となく思い込んでいたのである。しかし、大名の国替えというのはかなり頻繁にあり、それに大名が唯々諾々と従ったのは、「領地(土地)の所有権は元々大名には帰属していない」ことから来る当たり前の話だったわけである。

幾つになっても、新しい発見はある。それが読書の面白さだ。
大名と土地所有についての小谷野の言葉は、「版籍奉還」と「廃藩置県」を学校教育で教える際には必ず強調すべきものだと思う。
江戸幕府の政治が行き詰った原因のひとつは幕藩体制そのものの根幹、つまり、江戸幕府は諸大名のほとんどを敵と見做しながら、それに各地の政治を任せていたという無理さにあるわけだが、それでいながら200年以上もその体制が保たれた原因は「土地の所有権」が大名に無い、というところにあったのかもしれない。大名自体、土地自体の所有など気にも留めていなかっただろう。つまり、土地など存在するだけでは無意味であり、そこから採れる農作物(稲の石高)だけが意味がある、という思想であったと思う。

なお、平安末期から鎌倉室町時代の武士は「武装地主」であり、自ら土地を所有し、その土地を守るために命をかけたわけで、それが「一所懸命」ということだ、というのはだいたいの人が知っているだろう。しかし、江戸幕府時代には武士の性格が完全に変わって、武士は土地から切り離された、「サラリーマン」であったということである。



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