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東海アマ氏の「儒教批判」への疑問

「東海アマブログ」記事の一部だが、アマ氏ははたして「論語」を読んだ上で、下のような発言を繰り返しているのだろうか。
いや、私自身、昔は漢文などを子供に教えたりしたが、論語をきちんと読んだことはない。だが、学校教科書程度の浅薄な知識の私から見ても、アマ氏の発言はどうも、非常に怪しいもののように感じるのである。
確かに、孔子は「礼」を重んじ、礼の根本は長上、つまり地位の高い人や年長者を尊敬することなのだが、それは、そうしないと社会が無秩序になるのが論理の基本にあるからだ。
だが、「礼」と同時に、孔子は「仁」を非常に重視したのであり、それは基本的に弱者や社会下層の人々への思いやりである。つまり、社会下層の人は上層に礼をもって接し、上層の人は下層に対し仁慈の心で接する。それで社会秩序が保たれる、という構造である。
それでは社会の変革が起こらず、社会は永遠に上層と下層が乖離したままだ、というのが孔子より後の時代の思想家たちの考えで、彼らの中には「革命」を正義とした者もいる。いわゆる易姓革命である。徳を失った王朝は倒されてよい、むしろそうすべきだ、というわけだ。だから中国では頻繁に王朝が交替する。しかも、その度に前の王朝の関係者は族滅させられるわけだ。
はたして、それが好ましいのかどうか、私は疑問に思っている。
いずれにせよ、儒教は孔子の教えとその後の儒教思想家(孟子や荀子など、あるいははるか後代の朱子など)ではそれぞれに違いがあり、それらをひっくるめて「儒教思想」だとするのは無理があるわけだ。少なくとも、孔子が言っていないことまで「儒教思想だ」として孔子を罵るのは孔子には迷惑なことだろう。
私の考えでは、原始的社会において社会秩序を作る上では儒教の「礼と仁」というのは非常に合理的かつ穏健な思考装置で、だからこそあれほど長期にわたって中国やその周辺国家(日本含む)で受け入れられたのだと思っている。それを(たとえば)「民主主義」ではないから、邪悪な思想だ、と言うのは、キチガイ沙汰だと思うわけである。
ちなみに、日本国憲法9条は、孔子より少し後の人だと思うが、墨子の思想にそっくりである。物事は新しいか古いかで価値が決まるとは限らない。

(以下引用)

 戦後自民党は、戦前の「日本を優秀な国にする」という排他的価値観を延々と共有してきた。というより、日本人全体が、皇族を頂点とし、犯罪者・部落民を底辺とする序列主義の価値観に洗脳されきってきたというべきだろう。
 今行われている総裁選で、高市早苗が「日本を世界のてっぺんにする」と主張したのも、「優秀なものだけに価値がある」という優生保護思想の延長なのである。
 https://www.youtube.com/watch?v=jHkDcBY2ozA

 戦後日本人を強烈なストレスの泥沼に投げ入れ、たくさんの自殺者を出した学歴社会を作り出してきた価値観の正体も、人間に序列をつけて、「優れたものを目指す」という優生思想が生み出しているものだ。

 これは、元々、2500年前、春秋時代に孔子が産み出した儒教思想の影響によるものだ。
 儒教は、「支配者や長老を無条件に敬え」という序列最優先の価値観だったので、ほとんどの権力者が国家思想として採用したのだ。
 日本でも、家康が朱子学として採用し、全国の藩校や寺子屋で強要した。その影響は未だになくなっていない。

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