日本人が「職人気質」で、嘘が苦手、というのはまさにその通りだと思う。嘘と暴力で世界を制覇してきた欧米(背後のユダ金)にとっては日本人は赤子同然だろう。
だが、日本人がその善良さを失えば日本人ではなくなるとも言えるので、痛しかゆしである。
(以下引用)赤字は夢人による強調。「デマ太郎」はもちろん、河野太郎。私が彼を嫌いなのは、その傲岸不遜さが主な理由だ。(写真を見ているだけでその性格が分かる。)それは知性の欠如から来ている。他者を威嚇する犬はアホな犬に決まっている。
こうやって、60年も前の日本人を見ると、やっぱり今とは違った感じを受ける。どこが違うのだろうか。印象としては、"真面目でひたむき、純粋な人たち"というところかな。安心できる人たちで、とっても好感が持てる。
敗戦から18年たっていたけれども、まだその影響が日本人全体に残っていたのかもしれない。傲慢さというか、尊大さというか、高慢というか、不遜というか、そのような雰囲気が出場者全員にほとんど感じられない。老人にも若者にも、デマ太郎のような生意気さが一切ない。
自虐史観といわれるような、過度に自分を貶めるような認識を持つべきではないけれども、かといって、自国民を殺して平然としている現在の日本政府のような面の皮の厚さもどうかと思う。
"真面目でひたむき、純粋な人たち"ということから連想するのは、職人かな。日本人はその多くが職人気質なのかもしれない。職人気質とは「自分の技能を信じて誇りとし、納得できるまで念入りに仕事をする実直な性質。」(デジタル大辞泉)とある。私なども、能力的に及ばないところは多々あるけれども、そういうのが大好きだ。
今でも、日本そして日本人の長所、美点とされているところには、そのような職人気質が生きているように思う。しかし、そこにアメリカ文化が入り込んできて、日本文化と融合するならまだしも、侵し始めたことから日本は狂ってきた。
アメリカには、真面目とか、良心とか、誠実とか、そういうものは一切ないからね。騙して殺すのが平気というか、得意というか、喜びというか、そんな連中が集まっている。そのようなすれっからしに、"真面目でひたむき、純粋な人たち"である日本人が交わったのが、明治維新以降の日本になる。はっきりいって勝負にならなかった。
もちろん日本人も"うぶなネンネ"のままということではなく、それなりに狡さを身につけては来ている。しかし、米英は狡さにかけては本家本元、百戦錬磨の筋金入りだ。日本は歯が立たないままにコテンコテンにやられて続けて現在に至る。
一番の悲劇は、政治家をはじめ日本人の多くが米英に騙され、操られ、身ぐるみはがされ、殺されるような酷い目に遭っているという認識のないことで、これ以上ないくらい米英の思う壺にははまっている。アメリカの手先になって日本を売り渡している政治家も少なくない。しかし、多くの日本人は気がつかないのだから当然対策も立たない。
期待はロシア、中国、インド、イランなどの国になる。彼らは米英の手口の汚さをこれ以上ないくらいに知っている。気付いてしまえば、そうそう簡単に騙されるようなことはなくなる。勝負に勝てるかどうかは分からないけれども、米英の嘘に簡単に騙されるようなことはもうないだろう。
そうやって考えると、今後は日本がいかにアメリカ離れをするかが最大の課題になる。だがしかし、上に書いたように、職人気質が多い日本人は嘘を見抜けない。これは職人の世界では嘘が通用せず、特に職人同士では嘘をついてもすぐ見破られてしまうためかな。口で何といおうと、腕(仕事ぶり)を見れば一目瞭然だからね。だから日本人は全体に嘘を嫌い、嘘をつかない習慣ができてきた。
そこまではいいのだけれど、みんなが嘘をつかないものだから、嘘に慣れておらず、騙されても気付かないということが起きるようになった。そんなところに、嘘や騙しが大得意なアメリカがやってきたのだから、もう為す術がなかったね。今に至ってもさほど改善されていない。
私の場合にどのように嘘を見破っているかといえば、それは論理を使うことかな。嘘というのは必ずどこかで辻褄が合わなくなる。論理的な思考をする人はそこで気がつく。職人気質の日本人でも、論理に強い人なら心配ないのだけれど、職人には論理を嫌う人も多い。「理屈を言うな、体で覚えろ」などの感じかな。あるいは「理屈を覚えるのではなく、コツを覚えろ」というところかな。
野球の解説者でも、野村監督や広岡監督のように論理の好きな人もいたけれど、「ここでエラーはいけません」「この場面、絶対に抑えたいですね」「ここはヒットが1本ほしいところです」などと、素人以下のことを言う人も多かった。野球がうまい下手とはまた別問題だった。残念なことに、日本人には野村監督や広岡監督のような人が他国に比べて少ない。
まあ、難しいね。日本には1500年もの歴史があってその上でこうなのだから、100年や200年でどうにかなるということでもないのだろう。日本にふさわしい立ち位置は、準先進国、2流国というところなのかな。しかし、たとえ2流国であっても、アメリカにむざむざと騙されっぱなし、殺されっぱなしということは避けられるはずだ。やはり、まずは気がつくことだろうか。そして、気がつくだけなら何とかできるかもしれない。もっともアメリカは気付かせまいと必死になってプロパガンダを強めてきているから、やっぱり難しいのかな。