呉智英の言葉であるが、呉はこの言葉で広辞苑を批判していると読める。と言うのは、呉は自分自身を「封建主義者」だとデビュー時から規定しているからである。
しかし、「封建主義」というのは存在しない。「封建」は制度であって、「主義」ではないからだ。呉が「封建主義」を自称するなら、「国王によって諸侯を封ずる政治制度は正しい」という思想の持ち主と理解するしかないが、まさか呉自身、現代にそのような政治制度を主張しているわけではないだろう。
つまり、呉は単に「現代の軽薄な風潮は嫌いだ。俺は旧時代の精神性が好きだ」という意味を「封建主義」と称しているにすぎないのである。ならば、それは「保守主義」と称するべきであるのに、そう言わないところに、呉の「保守主義」への偏見、あるいは「保守主義」を直視しない態度がある、と私は見ている。つまり、昔の学生運動で批判されていた保守主義の立場に立つことをためらい、そこから逃げた姿勢が、彼の「封建主義」には表れている、と私は見ている。
(以下引用)
これは、驚くべきことなのだが、最も標準的な国語辞典として扱われている『広辞苑』には、なんと「封建主義」という項目がないのである! たしかに「封建」はある。「封建時代」もある。「封建社会」「封建制度」「封建的」もある。だが、「封建主義」という言葉はないのだ。
しかし、「封建主義」というのは存在しない。「封建」は制度であって、「主義」ではないからだ。呉が「封建主義」を自称するなら、「国王によって諸侯を封ずる政治制度は正しい」という思想の持ち主と理解するしかないが、まさか呉自身、現代にそのような政治制度を主張しているわけではないだろう。
つまり、呉は単に「現代の軽薄な風潮は嫌いだ。俺は旧時代の精神性が好きだ」という意味を「封建主義」と称しているにすぎないのである。ならば、それは「保守主義」と称するべきであるのに、そう言わないところに、呉の「保守主義」への偏見、あるいは「保守主義」を直視しない態度がある、と私は見ている。つまり、昔の学生運動で批判されていた保守主義の立場に立つことをためらい、そこから逃げた姿勢が、彼の「封建主義」には表れている、と私は見ている。
(以下引用)
これは、驚くべきことなのだが、最も標準的な国語辞典として扱われている『広辞苑』には、なんと「封建主義」という項目がないのである! たしかに「封建」はある。「封建時代」もある。「封建社会」「封建制度」「封建的」もある。だが、「封建主義」という言葉はないのだ。
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