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司馬遼太郎の慧眼と限界

司馬遼太郎は最近はあまり人気が無いようだが、昭和という時代を最初から最後まで生き、時代や国について考え抜いた人だけに、片言隻句の中に見事な言葉がある。
彼の小説の長編を何冊も読むより、彼のエッセイの断片を読むほうが大きな利益があるのではないか。もちろんそれは、彼の言葉をきっかけに自分の頭で考えるそのきっかけになることが多いということだ。
たとえば、「以下、無用のことながら」は、500ページを余る大部の書だが、その冒頭のエッセイの中に、次のような言葉がある。

昭和恐慌は左翼をつくり、次いで反作用として右翼をつくり、右翼的部分がひろがって満州事変(1931年)という冒険をやらせ、うわべだけの解決を見た。が、14年後には日本そのものをほろぼした。

これは、昭和前期という時代をたった3行で見事に要約していると思う。特に、右翼が左翼の反作用だったというのは慧眼だと思う。
そして、この時代的経験は「マイナスとはいえ、資産である」と彼は書いている。だが、はたして日本人はこの経験を資産としているか。それなら、どうして、軍備拡張路線、対中国戦争路線に今足を踏み入れているのか。あの戦争経験は何だったのか。
「昭和恐慌」そのものが、もはや現代人には単なる「学校で習うだけの、意味の無い言葉」になっている。では、それはどんなものだったか。これも司馬の言葉を借りよう。

たとえば、”昭和恐慌”のころも、私は小学校低学年ながら、おびえの籠もった記憶として体に残っている。
後年調べてみると、見の毛もよだつような時代だった。倒産や夜逃げはざらで、失業した人は故郷に帰ろうにも旅費がなく、野宿をしながら歩いたりした。
十五世紀の”応仁の乱”と同様、日本史上の大事態だった。不況は世界を覆い、震源地のアメリカをはじめどの国もなかなか出口が見出だせなかった。

そして世界恐慌は世界大戦となり、結局はアメリカの世界制覇の原因となるのである。仮に、その世界恐慌が計画的なものだったら、誰がそれを計画し、実行したのか。それが実行でき、そして利益を得たのは誰か。
今世界は再び大不況に、世界恐慌に入ろうとしている。果たして世界は歴史から何かを学んだことがあるのだろうか。
私が司馬遼太郎を不満に思うのは、彼には経済的視点、経済の持つ破壊的な力についての言及が無く、当然DSという存在に触れなかったことだ。それがマスコミに飼われている人間としての彼の限界だろう。


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