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プロトコルに学ぶ我々凡人の基本性質

「さてはてメモ帳」に載っていた「プロトコル15」からの引用である。
ユダヤプロトコルが偽書であるかどうかの議論よりも、この書を「現実政治の教科書」として我々は研究しなければならないのである。これほど、大衆心理に対する深く、かつ冷笑的な洞察に満ちた書物は無い。我々は、自分たちがゴイム(家畜)であることを認めるところから出発しなければならない。なぜなら、それは現実そのものだからだ。

現実に立脚しないいかなる社会的活動も、有効性は持たないだろう。我々自身がB層なのだ。
だが、覚醒した家畜は、もはや飼い馴らされた存在ではない。
奴隷には知識を与えるな、というのが奴隷制度の基本教義であった。覚醒した奴隷はやがて反抗し始めるからだ。
フランス革命の起点は知識人たちの国民に対する啓蒙活動であった、という事を我々は覚えておくべきだろう。
だからこそ、ネット規制の動きが急速になっている、いや、今度の選挙前から計画されていたことが、矢継ぎ早に断行されつつあるのである。
悲しい事に、もはや、この政治的大津波は防げないという可能性もある。





(以下引用)*訳の不自然なところもあるが、そのまま転載する。




ゴイムは、物好きからか、あるいは、大きなパイに一口あずかる手段としてメーソンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させるために、耳よりな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。かれらは成功と拍手喝采に飢えているが、をの成功や拍手喝采こそは、われわれが気前よく振る舞ってやつているのである。われわれがそういう大盤振舞いをするのは、かれらが持っている鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである。その自惚れというのは何が原因かというと、自身が口に出している思想は絶対的に自分のものてあり、借り物などということはありえないと自信満々で、われわれが示唆したことを丸呑みにする傾向に起因する……諸氏の想像を越えることであるが、ゴイムの最も賢い者を無邪気に自惚れさせたり、ちょっとした不首尾で意気消沈させたりするのは、いともたやすいことである。同時に、拍手が止まったに違ぎないといった些細な不成功であってもかれらは簡単に落ち込みもするし、次の機会には成功させてやると言えば、すぐ奴隷のように卑屈になってくる……際立ってわれわれは計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立ってゴイは成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このようなかれらの心理のおかげで、われわれは大いにやすやすと思うがままにかれらを操れる。かれらは見た目には虎だが中味は羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。







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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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