ピジン・イングリッシュとクレオール
ピジンとは、非ネィティブの人間が使う片言の外国語であり、それが体系化された文法を持つようになったのがクレオールである。狭義ではピジンは英語に、クレオールはフランス語に対応しているが、広義ではクレオールはピジンの上位言語と見てよいだろう。(ただし、言語学者の間の定義は知らないが。)
ピジン・イングリッシュの一つが、第二次大戦後の日本のパンパンたちの使った英語、いわゆる「パングリッシュ」である。パンパンに限らず、進駐軍相手の商売をする庶民は自己流で英語を身につけ、ブロークンな英語を話したのだが、それらは皆ピジン英語である。そして、このブロークン英語には、コミュニケーション手段としての英語の文法の土台となる要素がある、というのがここでの私の主張である。
その一つ。「主語と動詞と目的語を並べるだけで意味は伝わる」。
日本人、あるいは非英語ネィティブが英会話をすると、どんどん冠詞が脱落していき、もっと馴れない人間だと前置詞の類が脱落するものである。それは、しかし、冠詞や前置詞は脱落しても全体の趣旨には大きな影響を及ぼさないということである。
「私は東京に三日間行っていた」を、「ミー・ゴー・トーキョー・スリー・デイ」と言っても絶対に意味は伝わるはずである。もちろん、一般に日本人以外の民族は努力して相手の意図を推測するという姿勢に乏しいと言われるから、前の文を「私・行く・東京・三日」と未来の話として解釈するかもしれないが、話がもう少し続けばその程度の誤解は途中で修整されるから、大した問題ではないのである。ここでのポイントは「ミー・ゴー・トーキョー」は立派に通じる英語だということなのである。
前の文例から分かるのは、「格変化も時制もあまり気に病むことはない」ということだ。
前に書いた「パングリッシュ」ならば、女が笑って片手を広げて「ヘイ・ユー・ファイブ・ダラー・オーケー?」と言えば、万国共通の以心伝心によって意味は通じるのである。腹芸は何も日本人の特許ではない。状況を考えれば、片言の言葉が何を意味するかは、よほどの馬鹿でない限り分かるのである。男が3ドルしか手持ちが無ければ「5ダラー・ノー・3ダラー・オーケー?」でいいのだ。
英語に限らず、冠詞や前置詞、接続詞などの、名詞・動詞・形容詞以外の言葉はどの言語でも間違いやすいわりに全体の趣旨からは重要性は少ない。つまり、重要性の無いものほど難しく間違いやすいというのが、あらゆる言語に共通する性質である。ということは、語学学習のほとんどは、「どうでもいい事の学習に費やされている」ということである。もちろん、外国語を学んで微妙な文学作品を読むとか、高度な専門書を読もうとかいう目的があれば、そうした「ハイレベル」な部分を学ぶ必要があるが、しかし、初歩的な意志疎通を目的とする語学学習は、まずはこの「原始的文法」による片言会話こそが有益なトレーニングになるのではないだろうか。これは、コミュニケーション性を無視した現在の日本の英語教育を改善する上で、大きなヒントになるのではないかと思う。