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「横の政治的闘争」と縦の闘争(革命)の相違

今、読んでいるというか断続的に読み続けているバルザックの「暗黒事件」は、なかなか理解困難な内容で、フランス革命とその完全な終焉(王政復古)までの一連の事件やその人物関係の知識がないと、十分な理解は無理だろう。まあ、調べ調べしながらの遅々とした読書も、それはそれで面白い。幸いなことに、別人が訳した二種類の本があるので、ひとつで理解できなかった箇所は、他の本で同じ部分を見て、考えることができる。(どちらも或る人から貰ったものである。)
下の箇所は、そういう「理解困難な」箇所だと私は思うが、他人はすんなり理解できるだろうか。書き写すのが面倒なので、ひとつの翻訳だけ書き写す。少し前に載せた「権利ということになれば」云々の箇所のすぐ後でのグレヴァンの発言だ。私が問題にするのは、青字と赤字にした部分の論理的対応関係である。

亡命貴族の名簿が確定する。一度名簿に載った名前がどしどし消される。カトリックの宗旨が再興される。反革命的な政令が次から次と発布される。これは俺にもよく分るが、かういふ情勢を遠くから見てゐたら王侯諸侯にしたつて、彼らの帰国といふことが不可能とはいへないまでも極めてむづかしい話になつたといふことが腑に落ちただらうよ」

初心者的感覚だと、「反革命的な情勢になった」なら、王党派には有利なのではないか、と思うだろうし、現に私自身はそう思って首をひねったのだが、それは「政治的権力」の力学を知らない甘ちゃんの考えだったようだ。
つまり、これは「ナポレオン対王党派」の権力闘争の問題であり、革命派対王党派の問題ではまったくないのである。ナポレオンが「反革命的政策」を打ち出したなら、もはや王党派には存在意義は無いわけだ。ナポレオンが新しい「王」になったに等しいわけだから。これによって、革命の流血の凄まじさに恐怖していた人民も「旧体制」に戻ると感じて安心し、ナポレオンという「新しい王」を歓迎するのであり、もはや人々からうんざりされて革命を招いた元凶である旧王侯貴族の存在意義は無くなったのである。

これは、政治改革とテロリズムの問題(や革命における人民感情の問題)をも思考素材として考えさせる。
つまり、テロは新たな報復テロを招く、「血の惨劇の連続」のメカニズムを持っているということだ。人民の「革命嫌悪」感情の根底にはそれがあるだろうし、また、革命は新たな権力による人民支配以外のものではない、という感情もあるだろう。

(ちなみに、失脚後のナポレオンが死刑にされず遠島で済んだのは、彼が政敵(王党派)を死刑にしなかったからだろう。つまり、「報復の法則(死には死を、温情には温情を)」の事例そのものだ。ここから、テロルのコストの高さという問題も考察される。ただし、政府による人民へのテロ、すなわち「白色テロ」はもちろん話が別だ。これほど簡単で安易に使用され、反撃も抵抗もほぼ不可能な手法はない。)




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