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意識された思考と下意識思考

「下意識」というのは既に使われている言葉かもしれないが、漢字変換で出て来ないので、私の造語だとしておく。これはフロイドの「無意識」に似ているが、それをより正確に表現していると私は思っている。つまり、「意識されない」思考である。(「無意識」だと「存在しない意識」と解釈できるので、「下意識」のほうが適切だろうということだ。)

思考は川の水の流れに似ている。表に流れているのが通常の川であるが、それが地下に流れ、表面に出て来ない伏流水が「下意識」である。そしてそれはしばしば地上に出てきて「意識された思考」となるわけだ。
などと言うのは、今日の散歩の中で、その連続性を強く感じたからである。
ただし、それ(意識と下意識)は常に連続しているのではなく、強く意識に訴える事象が出現すると、その連続性は切れたりする。そして、いったん切れると二度と意識に浮上しないこともあると思うが、その「深く潜水してなかなか浮上しない思考(意識)」をフロイドは「無意識」と言ったと思う。

さて、今朝の散歩の中の思考は「Never on Sunday」という語句から始まった。その思考が始まった時点では気づかなかったが、これは今日が日曜日だということが下意識の中にあったからだろう。これは分かりやすい。
で、なぜこういう場合にonという前置詞が使われるのか、という考察をした後、幾つもの浮遊思考があり、たぶん、歩いている道の傍の土地にガラクタがたくさん放棄されているのを「もったいないなあ」と思ったからだと思うが、今のような国民貧困化の時代には森茉莉(字はこうだったか)のような「贅沢貧乏」の思想が見直されていいのではないか、と思い、さらに、DAISO(100円ショップの先駆け)という企業やその社長には「国民栄誉賞」を与えてしかるべきだ、100円ショップこそが日本国民の救世主だ、という思想になったのだが、それは、私自身が「贅沢貧乏」の実践者でもあるからだろう。たとえば、遠出して花見に行くのは「贅沢」だが、家の近くの野原の一面の猫じゃらしの白い穂を見て美しいと思うのが贅沢貧乏である。また、夜明けの空を見て美しいと思うなら、一億円の値段の風景画など必要もない。(DAISOとの関係で言えば、私はそこの安いガラス瓶などを買って、その中にビーズ玉風の消臭剤や防虫剤のしぼんだもの数十個と水を入れ、再度膨らませて室内装飾のオブジェにしたりしている。これは、森茉莉が部屋に使用後の食品のガラス瓶を飾って楽しんでいたのと同じ「贅沢貧乏」だろう。また、安い絵描き道具で自分で描いた下手な絵も飾っている。下手でも、自分には名画なのである。)
で、たぶん、貧乏という言葉からの連想で、娘の身売りを無意識に連想して、そこから「今の時代は、娘を身売りさせなくても、娘が自分からパパ活という売春をやっているなあ」と考えたわけだが、そうすると、昔の女性代議士たちの「売笑(売春)廃止運動」は何だったのか、とも考えた。
さて、そこで最初に戻るわけである。
実は、「日曜はダメよ(Never on Sunday)」(この日本語タイトルは名訳である。)は、売春婦が主人公の映画なのである。まあ、悲惨な印象のまったくない、明るい売春婦の話だが、この、散歩の最初に考えたことが水面下の意識として伏流水的に流れていたのが、ここで突然キーワード的に地上(意識上)に出て来たのだと思われる。

以上が、意識と下意識の考察である。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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