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「天皇~田舎者の偶像崇拝」という思想について

天皇~田舎者の偶像崇拝。


上の言葉は、私がよく読んでいる某ブログの一文だが、これにはかなりがっかりした。天皇という存在に関する意見と、その人が都会人か田舎者かは関係ないだろう。そして、この文を書いた人は、明らかに田舎者を軽蔑し、見下しているわけだ。
田舎者のどこに、そう見られる根拠があるのか。発言者自身はどのような田舎者と交際した経験があるのか。まさか、すべての田舎者を知っているわけではあるまい。とすると、その数人の田舎者には田舎者特有の性格や欠点があると判断したから、その人を「田舎者」という蔑称で呼んだと思うのだが、それはどういう特質か。現代のように都会も田舎も同じような情報が行き渡っている時代に、田舎者独特の性格や欠点はどういう部分なのか。
ちなみに、私は沖縄の人間で地域的には明白な「地方人」である。で、地方人とは「田舎者」という蔑称で呼ばれるのが当然なのだろうか。そして、私は「天皇機関説」の立場で、「尊皇主義」を持論にしているが、それは私が「田舎者」だから、そういう思想になるというわけか。
確かに、私の見た人物の中で、都会人(主に東京人)は、言行が自由闊達で、堂々としていたのに対し、私のような「田舎者」は物慣れず、いつもおどおどびくびくしていたが、それは、その当時は東京が彼らのホームグラウンドで、私にはアウェーだったからだろう。もちろん、東京人は都会人としての生育の過程で、日本の最先端社会にいるという自負から「世の中をなめた」思想になり、「田舎者はちょろい」と判断することも多かったと思うが、少なくとも、私の友人の東京っ子は、そういう、他人を見下す者ではなかった。
つまり、「天皇~田舎者の偶像崇拝」というのは、どこに根拠があるのか、私には分からない。で、一応、その疑問をここでは提起しておく。

さて、他の人はどう考えるだろうか。天皇尊重思想は、田舎者の特質だろうか。ということは、都会人は、天皇を日本の象徴とした日本国憲法もくだらない落書きだと考えているのだろうか。
なお、沖縄は戦争の惨禍が広島長崎に次いでひどかった土地であり、それを「天皇という存在のせいだ」として天皇を憎悪する者もいるだろうし、ある意味、そういう存在があるのは当たり前だろうから、私のような「尊皇主義」は少数派かもしれない。つまり、私の天皇尊重思想は、私が「田舎者」であることとはたぶん無関係だと思う。
私の尊皇思想と昭和天皇の戦争責任問題は、別問題であり、私の天皇論は純粋に政治論理(政治手法)の問題なのである。極端に言えば、偽民主主義より哲人による独裁政治が勝っている、というのと似た話だ。まあ、現在、ほぼすべての西側諸国で明白になっているように、代議制が確実に偽民主主義になる以上、かつての天皇制国家がそれより悪かったとも限らない。問題は、かつては帝国主義(軍国主義)と天皇制日本が重なっていたという部分にある。それは時代精神というより「時代的精神病」である。www






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