7歳(訂正:11歳だったらしい。)の少女ターニャの、小さな手帳に書かれたわずか9ページの「世界で一番短い日記」の話である。
(以下、早乙女勝元「ターニャの日記」より抜粋。)
袋のねずみ同様になったレニングラードは、これより900日におよぶ封鎖下におかれるのです。
九月になりました。東西南北、市の周辺をすべておさえこんだドイツ軍は、一気に市街へなだれこもうと、爆撃機、戦車、大砲、迫撃砲などおびただしい戦力で、いっせい集中砲火の雨を市街地へあびせかけはじめました。
「総統閣下は、いまやペテルブルグ市を、地球上から抹殺することを決意された。あらゆる口径の砲火と、たえまなしの爆撃によって、同市を完全な焦土とすべし……」
1941年9月29日づけの、ドイツ海軍司令部の秘密指令です。ヒトラーは、ことのほかレーニンの都をにくみ、昔の名のペテルブルグとしか呼びませんでした。
(夢人注:以下が、「ターニャの日記」本文である。)
ジェーニャが死んだ。
1941年12月8日、午前12時30分
おばあちゃんが死んだ。
1942年1月25日、午後3時
リョーカが死んだ。
1942年3月17日、午前5時
ワーシャおじさんが死んだ。
1942年4月13日、夜なかの2時
リョーシャおじさん。
1942年5月10日、午後4時
ママ。
1942年5月13日、午後7時30分
サビチェワ一家は、死んだ。
みんな、死んだ。
残ったのは、ターニャひとり。
(以下、早乙女勝元「ターニャの日記」より抜粋。)
袋のねずみ同様になったレニングラードは、これより900日におよぶ封鎖下におかれるのです。
九月になりました。東西南北、市の周辺をすべておさえこんだドイツ軍は、一気に市街へなだれこもうと、爆撃機、戦車、大砲、迫撃砲などおびただしい戦力で、いっせい集中砲火の雨を市街地へあびせかけはじめました。
「総統閣下は、いまやペテルブルグ市を、地球上から抹殺することを決意された。あらゆる口径の砲火と、たえまなしの爆撃によって、同市を完全な焦土とすべし……」
1941年9月29日づけの、ドイツ海軍司令部の秘密指令です。ヒトラーは、ことのほかレーニンの都をにくみ、昔の名のペテルブルグとしか呼びませんでした。
(夢人注:以下が、「ターニャの日記」本文である。)
ジェーニャが死んだ。
1941年12月8日、午前12時30分
おばあちゃんが死んだ。
1942年1月25日、午後3時
リョーカが死んだ。
1942年3月17日、午前5時
ワーシャおじさんが死んだ。
1942年4月13日、夜なかの2時
リョーシャおじさん。
1942年5月10日、午後4時
ママ。
1942年5月13日、午後7時30分
サビチェワ一家は、死んだ。
みんな、死んだ。
残ったのは、ターニャひとり。
PR