幸福とは何かというと、「自分を幸福だと思うこと」だろう。ソロモンの叡知も栄華も、彼本人が自分を幸福だと感じていなければ幸福ではないわけだ。まあ、私は当たり前のことを言っているのだが、そのソロモンが「伝道の書」の中で「空なるかな、空なるかな、空の空なるかな。すべて空なり」と言っている(「伝道の書」はソロモンが書いたとされている。まあ、伝説だが。)のは、権力や栄華が幸福だと思っている人の参考になるのではないか。もちろん、その権力や栄華を求める過程そのものがその人に幸福感を与え、獲得した権力や栄華が幸福感を与えるなら、それで良いわけだが、問題は、その努力のコストに見合う見返りが権力や栄華に本当にあるのかと疑問に思われることだ。
とうぜん、その権力や栄華を求める無数の人々の中で生き残り、最後の勝利を得るためには単なる努力だけでなく、無数の策謀や非道なふるまいも要するだろう。将軍なら、無数の戦士の死や膨大な無辜の庶民の死が、その栄光の背後にある。果たして、そうした犠牲に見合う結果を彼らは得て満足したのだろうか。
カマラ・ハリス副大統領が某所での講演の中で「米国は石油のために戦争をしてきた」と口を滑らしたそうである。その石油で巨額のカネを得たのは米国民全体ではなく、一部の資本家だろう。無数の死の上で得たそのカネは彼らにどれほどの幸福感を与えただろうか。
「気が飢える」という言葉がある。或る種の罪悪感に基づく不満感と言っていいかと思うが、公明正大な生き方をしている時には「気が飢える」ことはないようだ。ちなみに、不正な生き方をし続けている人間はみな顔が卑しくなる。維新政治家、自民政治家の大半がそれである。
とうぜん、その権力や栄華を求める無数の人々の中で生き残り、最後の勝利を得るためには単なる努力だけでなく、無数の策謀や非道なふるまいも要するだろう。将軍なら、無数の戦士の死や膨大な無辜の庶民の死が、その栄光の背後にある。果たして、そうした犠牲に見合う結果を彼らは得て満足したのだろうか。
カマラ・ハリス副大統領が某所での講演の中で「米国は石油のために戦争をしてきた」と口を滑らしたそうである。その石油で巨額のカネを得たのは米国民全体ではなく、一部の資本家だろう。無数の死の上で得たそのカネは彼らにどれほどの幸福感を与えただろうか。
「気が飢える」という言葉がある。或る種の罪悪感に基づく不満感と言っていいかと思うが、公明正大な生き方をしている時には「気が飢える」ことはないようだ。ちなみに、不正な生き方をし続けている人間はみな顔が卑しくなる。維新政治家、自民政治家の大半がそれである。
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