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逆上がりって、人生で何の役に立った?

「ハフィントン・ポスト」から転載。
気持ちの悪い顔の写真だが、書いていることは面白い。
実際、体育の授業など、「出来る子」と「出来ない子」を際立たせる以外の意味は無かったような気がする。出来る子には優越感(他人を見下し、自分に思い上がる心)を生じさせ、出来ない子には劣等感(自己嫌悪、出来る子への嫉妬、他者の目への羞恥心)を生じさせる。
これが学力テストなら「オレは真面目にやっていないだけ」というフリも出来るが、体育の授業ではそういうウソはまず無理で、あからさまに出来る子と出来ない子が「仕分け」される。そういう残酷な場が体育の授業だった。
だからこそ、「小学校では足の速い子がモテ、中学校では面白い子がモテる」と言われるわけだ。中学校でも足の速い子はモテる可能性はあるが、それがクラブ活動での各種スポーツに特化していくだけの話だ。そして、頭の中身や個性の指標として「面白い」かどうかが加味されてくる。
まあ、人間の選別は一生を通じて行われるのがこの社会のならいだが、その中で常に「劣等者」であり続けることは辛いものだ。自分の劣った部分を、できるなら他人の目にはさらしたくないのが当然の気持ちだろう。それは「甘え」の一言で切り捨ててよいだけのものなのだろうか。
下記記事の女の子の「もうこれで鉄棒の練習をしなくてすむのね」という言葉は、練習が嫌、というだけの意味ではなく、そういう「人前でさらし者にされた」悲しみがあるのではないか。そもそも、なぜ逆上がりができる必要があるのだろうか?



(以下引用)



粕尾将一 Headshot

はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く

投稿日: 更新:

あるところに逆上がりの出来ない女の子が居ました。


授業で必死に練習しましたが、残念ながらできるようにはなりませんでした。落ち込む女の子を見た担任の先生は「放課後、一緒に練習しよう」と声をかけます。それからの放課後、先生とのマンツーマン練習が始まりました。


練習は毎日の放課後、担任の先生とマンツーマン。女の子は真面目に練習をして、先生も頑張ってアドバイスを掛けます。そんな練習も数週間が経ったある日、ついにその時が来ました。


ついに彼女は逆上がりを成功させました。初めての成功に女の子は大喜びです。先生も我が事のように一緒に喜びます。


次の瞬間、女の子は喜びながらこうつぶやきました。

「もうこれで、逆上がりの練習しなくて良いんだね!!」


2014-11-29-8421379853_419003fdf2.jpg



これは大学時代に教授から聞いた実話です。
この話はスポーツを初め、運動指導に携わる人全てに大きな疑問を投げかけていきます。スポーツを教えるとは何か、子どもが本当に求めているものは何なのかを改めて考えたいと思います。


■ 本当に子どもは技を習得したいのか?


スポーツ指導に携わる人は「上達」「習得」は素晴らしいと信じています。できなかった技ができるようになる、教える側にも教わる側にも達成感が生まれる瞬間です。


先に上げた女の子は逆上がりという技を習得し鉄棒の技術も上達しました。しかし最後に先生に投げかけたセリフは逆上がり・鉄棒との断絶宣言です。なぜ女の子の口からはこんなセリフが出たのでしょうか?


きっと、女の子の本心は「逆上がりが出来るか?」なんてどうでも良かったのだと思います。出来なくてもいいし、出来れば出来たで嬉しい。でも先生が必死に教えてくれるから練習しなきゃ。。。あぁ、あとどのぐらいこの練習は続くのかな。こんな心の声が聞こえてきそうです。


しかし先生はこの気持ちに気付くことが出来ませんでした。授業中に出来なかった事が悔しかったに違いない、それじゃ一肌脱いで逆上がりが出来るまで練習に付きあおう!と言った感じでしょうか。


女の子の思いとは裏腹に、出来なくて悔しがっている→達成できたら喜ぶに違いない、という方程式が見えてきます。


■ 技を教えるより大切だったこと


この先生の例は極端でしたが、似たようなケースが運動指導・スポーツ指導の現場でも見られると思います。


たとえば縄跳びでも「難しい跳べたら嬉しいに違いない!」という教える側の勝手な思い込みにより、子どもが望んでいないのに無理矢理に難易度の高い技を教えようとするコーチがいました。それは粕尾将一、縄のまっちゃんです。


新しい技や初めての動きを修得するためには、反復練習が必要です。しかし地味な練習を繰り返し、しかも失敗ばかりする練習のどこが楽しいでしょうか。子どもたちの集中力はみるみる削がれていき、その場にしゃがみ込む子も出てくる始末です。


失敗の原因は順番を間違えたこと。技を教えるより、まず初めに運動そのものの楽しさを伝えなければいけなかったのです。縄跳びって楽しいね!!この遊び楽しいね!!と思ってもらうことが最優先でした。


楽しさを自分自身で見いだした子どもに小手先の指導テクニックは必要ありません。放っておいても勝手に練習を続けます。こちらが技を提供すればスポンジのように吸収していきます。


まず「運動そのものに楽しさを感じられる」という素地を作ることが重要なのです。


■ まとめ


子どもに運動を教えるとき、大人は「逆上がり」「二重跳び」などのわかりやすい目標に目が行きがちです。確かに上達・習得は素晴らし経験でしょう。しかしこれらの目標は運動・スポーツの一側面に過ぎません。


技や理論だけでなく、運動の「楽しさ」や「やりがい」をシッカリと次世代に伝えていきたいですね。


(2014年11月22日「シルクドソレイユ 日本人アーティスト  縄のまっちゃんのブログ」より転載)




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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