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外物の刺激と記憶力

「紙屋研究所」から転載。
べつに書かれたすべてに同意するわけではないが、多少の参考にはなる。私が最近物忘れ(トイレの電気の消し忘れなど)が多いのは、心の奥底に「(こういう些事は)どうでもいいや」という考えがあるからだろうし、また対人関係がほとんどゼロだと記憶力(想起能力)が低下するというのは事実だろう。
つまり、日常生活の中で対人関係というのは「異物」と出会うことで、必ず新しい刺激があるわけだ。だから、政治家などが記憶力が良いのは、そのためだろう。あえて悪口を言うなら、「そんなだから彼らは哲学性がゼロなのだ」ということになるwww

(以下引用)

澤田誠『思い出せない脳』


 リモート読書会で澤田誠『思い出せない脳』を読む。

 研究関係の人が参加していて、「またどうせわかってもいないことをわかったように素人相手に書いた本だろ…」的に思って読み始めたそうである。


 ところがである。著者はわかっていないことについては「わかっている」こととしては書かずに、しかし、「わかっていること」(しかも素人が読んですぐわかるレベルのようなこと)を使いながら、素人がそれで満足してもらえる書きぶりでどんどん進んでいく。よく読めばメカニズムや理由づけ、厳密な因果は書かれていないのだが、それでいいのである。啓発や教育として、興味を持ってもらい、不正確なことは言わない、ということに徹すれば、こんなふうに言えるのか(書けるのか)! とびっくりしたということである。腐しているのではなく、叙述の仕方として工夫されていることに感じ入ったというのだ。


 別の参加者から、巻末に謝辞が捧げられているライター(寒竹泉美)や編集者(井本麻紀)の役割が大きいのではないかという指摘もあった。


 それがどれくらいの比重かはわからないが。


 ぼくも、「文系の素人が聞きたい脳の話」という点で、非常に読みやすく分かりやすい本だと思った。比喩などが適切だなと。


記憶というと、詰め込むというイメージが強いかもしれません。…私たちが記憶を「忘れた」と感じるときのほとんどは、この散らかった部屋の例と似ています。記憶がなくなったのではなく引き出せない状態なのです。私の知り合いの部屋のように、脳のどこかには存在していますが、見つけられないので活用できないのです。(p.15kindle)


 ぼくはこの本を脳について体系的に何か学ぶ本ではなく(当たり前だが)、「脳についての面白いエピソードを拾って役に立てる本」として扱い、そのプロセスで何か脳についてのイメージが塗り変わればいいなという感じで読んだ。


 p.203くらいから「思い出せる脳を作るには」としてそれをまとめてある。


 その1。神経細胞をなるべく減らさず、健康な血流を保つこと。要は健康な生活をということである。アホみたいなことを書くなと思うかもしれないが、ぼくは説得力を感じてしまった。結局それが第一なんだなあと。


 その2。覚えたいことに意識を向けること。そうなんだよ。今ぼくは毎日薬を飲んでいるんだけど、その日、飲んだかどうか忘れてしまう。ボーッと飲むからだ。筋トレも「あれ、今何セット目だったっけ?」となる。そうではなく「いま今日の分を飲んでいるぞ」「いま3セット目だぞ」と意識を向けることなんだよな。そして、この本の他の箇所に書いてあるように、エピソード記憶と結びつけること。例えば「朝ドラを見ながら飲んだぞ」とか、「3セット終了」と声に出してみるとか。これもアホみたいだけど、短期記憶としていいのである。


 その3。思い出せそうで思い出せない名前は抑制をやめてみること。似たものを紐付けないために、一旦名前が記憶の倉庫から引き出されると、他の記憶が出てこないように抑制をかけるのだという。「検索誘導性忘却」とか「周辺抑制」っていう名前がついているとは思わなかった。一つ別の名前が出てしまうと、本当に思い出さないといけない名前を忘れてしまうように抑制が働くのだ。それで逆にその抑制を解くために、がんばることをやめる。やめた途端に、あるいはしばらくして、抑制が取れて思い出す。


 その4。がんばって思い出すことよりも、ネット検索で思い出したほうがいいこと。筋トレとは違うというのだ。それよりもネットで調べて、調べた時に新鮮な感動を何か覚えた方が、その感動的な情動とともにより鮮明に記憶に残る。ネットで調べても「ふーん」で終わらないようにすべきだと。


 


 それから、生物としての人類は太古に食べる・逃げる・子孫を残すための脳のしくみを実装しているので、現代ではそのシステムは古臭いものになっているか、何かのバグになってしまうということ。


 あっ、これは前に他の本で読んだぞ、と思った。


 ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』だ。


kamiyakenkyujo.hatenablog.com


 人間が今のような文明社会を築くはるか前に、自然選択によって生まれたもので、例えば砂糖がけのドーナツを物欲しそうに次々求めてしまうような甘いもの好きはそうした方がカロリーを集め生きるために有利だったからで、しかも「あま〜い、おいし〜」という満足感の報酬が長く続かないのは、いつまでも満足してもらっていては生存戦略上困るからだという。「ああ、もっと甘いものはないかな」といつも不満足に甘いものを求めていないと生き延びられない。
 しかし、現代の文明社会ではこれは余計なものになってしまっている。
 過剰なカロリーを取り、健康を損ねるからだ。
 だから、人は何か欲望したこと、理想としていたことが満ち足り続きはしないという。いつも不満であり、飽き足りないと。


 ぼくがこの本を紹介したとき、他の参加者から「そんなの精神のコントロールで克服できんの?」と問われたが、「いや、別に明確に克服できるよとは書いてないけど」としどろもどろで答えたが、さっき読み返しても、そんな感じだった(笑)


 


 身体の状況で情動をコントロールするという話も出てくる。表情を笑わせていると心も笑ってくるのだというやつ。


 あっ、あれは高島宗一郎・福岡市長が言っていた話じゃないかと思い出す。


kamiyakenkyujo.hatenablog.com


 同じような気もするし、違う話のような気もする。


 


 夢は頭を整理するための入れ替えのプロセスの映像なので、それ自体に意味はないのだとも書いてある。


 著者はだから整理するためにもよい睡眠をとることが大事なんだよと主張し、睡眠学習はダメだけど、勉強した後にぐっすり寝るのは意味があると。そして、運動や演奏の練習の記憶は寝ている特定の時間帯に整理されて定着するからその時間が大事になるとも。寝具の宣伝に運動選手が多く出てくるのはそのせいかなと思ったりする。


 よい睡眠をとろう、と素朴に感じた。


 ちなみに、昨日、高島市長とずっと過ごす夢を見た。高島市長のこと考えすぎだろ。いや、この本によれば意味はないのだ。


 


 そして認知予備能。


 細胞が死んでも周囲の細胞が代わりになることで認知機能が保たれることである。詳しいメカニズムはまだ解明されていないがこういうことは言えるのだという。


認知予備能は、高齢になっても人との交流を絶やさなかった人に見られることが分かっています。人との交流は脳の複数の部位を活性化させます。専門的で高度な仕事をしているだけでは、脳は限られた箇所しか使われません。長い間使われなかったシナプスは刈り取られ、細胞も死んでしまいます。普段とは違う余暇活動や、人との交流を絶やさないことによって、さまざまな部位の脳を活性化させておけば、細胞の数が減っていっても機能を保つことができるでしょう。(p.202kindle)


 老後、本ばかり読んでいてもダメだなあ、いろんな人と交流したりいろんな体験をしたいなあ、などと思う。


 


 マルチタスクは適度な負荷ならいいけど、常にやっていると脳が疲れてしまうのでやめろとも。集中した方が効率がいい。


 


 他にもいろいろ思うことはあったが、総じていろんな体験をして心を動かして感動すると、記憶も情動に紐づけられるし、忘れないよという感じなので、それは心がけたい。


 


 「最近名前が思い出せない」とぼやいていた同僚がいて、まさにこれじゃん、と思い勧めたら早速読んで「面白いねこれ」といってくれた。面白いのである。


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