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「造反有理」

差別問題やいじめ問題ですっぽり抜け落ちている視点だと私が思うのは、差別やいじめをする側にとって「差別やいじめは娯楽である」ということだ。差別やいじめは「面白い」から無くならないのである。これは自明の理だと思うのだが、誰も言わないようだ。
なぜ差別やいじめが娯楽かと言うと、これは人間の最大の本能である「自己愛」から来ている。動物なら「自己保存本能」だが、人間だとそれが「自己愛」になる。自分を優れた存在だと思いたい気持ちであり、他者に対する自分の優越性を喜ぶ気持ちだ。我々が他人から賞賛されると喜び、叱責されると不快になるのは、その自己愛のためである。我々が自分の趣味や自分の家族が他人から褒められると嬉しいのも、その趣味や家族が自分の一部だからである。
差別やいじめは、自分がその差別やいじめの対象より優れた存在であるか、少なくともその行為に対して相手が無力であり、自分が力ある存在だ、ということを示す行為である。劣等生が優等生をいじめた場合、「力においての優劣関係」では劣等生が上なのである。
差別やいじめは、その優劣関係を逆転しない限り無くならない、と私は思っている。それは、誰かの力を借りての逆転でもいい。つまり、差別しいじめる人間の道義の心に訴える行為はまったく無意味だろう、ということだ。
もちろん、差別されいじめられている人間自身が反撃するのが一番である。暴力による反撃でも、差別やいじめが明白ならある程度許されていいと私は思う。言い換えれば、理不尽な仕打ちを受けている人間には暴力による反撃の権利がある。昔の流行語を使えば「造反有理」だ。まあ、体制側としては「言葉で解決したい」だろうが、体制というのはそれで利益を得ている人々のためにあるのであり、下の人間のためにあるのではない。言葉による解決が不可能だからこそ、差別やいじめは無くならないのだ。

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