「逝きし世の面影」記事の一節だが、これは宗純氏の誤解ではないか。
先に、その部分を引用する。
(以下引用)
「厭う」は基本的には「嫌う」という意味で使われるの言葉である。ところが、そもそも「いとおしい」(愛おしい)と語源が同じなので実は180度逆の「相手を大事にする」との愛情表現の意味も含まれている複雑な日本語なのです。(★注、たぶんyes,noの単純構造の英語には「いとう」と同じ言葉はないのではないでしょうか)
あるいは「同情したくなるような気の毒な様子」を意味する「いたわしい」とも関連しているのかも知れない。
(引用終わり)
「いとおし」はもともとは「いと、惜し」だろう。「惜し」はその存在への執着心を示す。だから「とても惜しい」は、「とても執着している」意味になる。「いとおし」と「いとわし」はまったく語源的に異なるわけだ。そして「いとおし」が短縮して「いとし」となると、はっきりと「愛しい」意味になる。「と」と「お」は同母音だから短縮されるわけだ。これが「いとわし」だと、「と」と「わ」は別母音だから短縮できない。つまり「いとわし」が「いとし」になることはない。
ただし、私は現在古語辞典を持っていないので、以上はすべて私の推測である。
先に、その部分を引用する。
(以下引用)
「厭う」は基本的には「嫌う」という意味で使われるの言葉である。ところが、そもそも「いとおしい」(愛おしい)と語源が同じなので実は180度逆の「相手を大事にする」との愛情表現の意味も含まれている複雑な日本語なのです。(★注、たぶんyes,noの単純構造の英語には「いとう」と同じ言葉はないのではないでしょうか)
あるいは「同情したくなるような気の毒な様子」を意味する「いたわしい」とも関連しているのかも知れない。
(引用終わり)
「いとおし」はもともとは「いと、惜し」だろう。「惜し」はその存在への執着心を示す。だから「とても惜しい」は、「とても執着している」意味になる。「いとおし」と「いとわし」はまったく語源的に異なるわけだ。そして「いとおし」が短縮して「いとし」となると、はっきりと「愛しい」意味になる。「と」と「お」は同母音だから短縮されるわけだ。これが「いとわし」だと、「と」と「わ」は別母音だから短縮できない。つまり「いとわし」が「いとし」になることはない。
ただし、私は現在古語辞典を持っていないので、以上はすべて私の推測である。
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