別ブログに書いたものだが、くだらなくて案外面白いのでこちらにも載せる。
(以下自己引用)
(以下自己引用)
わらべ歌のレトリック
実にくだらない話なので、他人が読む価値は無いが、私にとってはひとつの「エウレーカ!」なので、書いておく。
私が子供のころは、軍歌が歌詞だけ変えて学校の運動会の応援歌の曲によく使われたが、子供の遊びの中の「はやし歌」「遊び歌」としても軍歌の替え歌が使われたものである。
そのひとつに、「軍艦マーチ」の替え歌があったのだが、途中までしか覚えていない。それを書いておく。
シゲルとパゲルが喧嘩して
シゲルはしくしく泣き出した
(以下不明)
で、今朝突然気がついたのは、これは「シゲル」という人物をからかうために作られた歌ではないか、ということだ。つまり「パゲル」という人物は本来は不要なのである。当たり前の話で、「パゲル」という名前を持つ人物など存在するはずがない。では、なぜ「パゲル」なのかと言えば、(ここからがエウレカ!なのだが)「シゲル」とは「茂る、繁る」であり、髪がふさふさしているからである。その対義語だから「禿げる」であり、それが「パゲル」と変化したわけだ。
いや、「パゲル」から「禿げる」を連想したのは昔からそうだったのだが、それが「シゲル」と対応関係にあると気付いたのは、半世紀以上も後の今になってからだ、というのが面白い。
ある意味、プルースト的な話ではないか。思い出が突然新たな姿で甦る。
ついでだが、「シゲル」と「しくしく」も押韻している。子供でも自然にレトリックを使うのだ。
(夢人追記)「シゲル」に対して「はげる」ではなく「パゲル」としたのも素晴らしい音感だと思う。「はげる」より「パゲル」のほうが力強いし、「はげる」ではどうしても動詞であって名前には聞こえないが「パゲル」なら、名詞に聞こえる。「シゲル」と「パゲル」の下2字が同音であるのも、押韻になって実に素晴らしい。
なお、「パ」の音が力強いのは、モーツァルトの「魔笛」の「パパゲーノとパパゲーナの二重唱」を聞けば納得するだろう。これが「ハハゲーノ」だと禿げで歯抜けの老人だ。
私が子供のころは、軍歌が歌詞だけ変えて学校の運動会の応援歌の曲によく使われたが、子供の遊びの中の「はやし歌」「遊び歌」としても軍歌の替え歌が使われたものである。
そのひとつに、「軍艦マーチ」の替え歌があったのだが、途中までしか覚えていない。それを書いておく。
シゲルとパゲルが喧嘩して
シゲルはしくしく泣き出した
(以下不明)
で、今朝突然気がついたのは、これは「シゲル」という人物をからかうために作られた歌ではないか、ということだ。つまり「パゲル」という人物は本来は不要なのである。当たり前の話で、「パゲル」という名前を持つ人物など存在するはずがない。では、なぜ「パゲル」なのかと言えば、(ここからがエウレカ!なのだが)「シゲル」とは「茂る、繁る」であり、髪がふさふさしているからである。その対義語だから「禿げる」であり、それが「パゲル」と変化したわけだ。
いや、「パゲル」から「禿げる」を連想したのは昔からそうだったのだが、それが「シゲル」と対応関係にあると気付いたのは、半世紀以上も後の今になってからだ、というのが面白い。
ある意味、プルースト的な話ではないか。思い出が突然新たな姿で甦る。
ついでだが、「シゲル」と「しくしく」も押韻している。子供でも自然にレトリックを使うのだ。
(夢人追記)「シゲル」に対して「はげる」ではなく「パゲル」としたのも素晴らしい音感だと思う。「はげる」より「パゲル」のほうが力強いし、「はげる」ではどうしても動詞であって名前には聞こえないが「パゲル」なら、名詞に聞こえる。「シゲル」と「パゲル」の下2字が同音であるのも、押韻になって実に素晴らしい。
なお、「パ」の音が力強いのは、モーツァルトの「魔笛」の「パパゲーノとパパゲーナの二重唱」を聞けば納得するだろう。これが「ハハゲーノ」だと禿げで歯抜けの老人だ。
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