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高波程度かと思ったら津波でござる、の巻

PCR検査による感染者数など私は信頼していないのでどうでもいいが、グラフの突き抜けぶりが面白い。三菱総研ですか、そうですか。
なお、グラフがパターン的な波を打っているのは、検査数を反映しているからだろう。つまり、休日(土日)は、一部の場所で、少数しか検査しないのではないか。

(以下引用)


政府が予想した東京都の感染者数と、実際の感染者数のグラフの差がこちらwwwwwwww

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東京都 感染者数 予想 実際 3000人 グラフに関連した画像-01
■過去記事
【過去最多】東京都の新たな新型コロナ感染者数、ガチでやばすぎる数字に跳ね上がってマジで終わり

■ツイッターより




■ツイッターより

東京都 感染者数 予想 実際 3000人 グラフに関連した画像-02


<このツイートへの反応>

このシュミレーションをいくらで発注したのか知りたい

わかりやすいグラフですね。。

草としか言いようがない

そろそろ政府だけじゃなくて国民もバカなことに気づけよ。

予想の斜め上どころか、真上を突き抜ける勢い。

そういえばこんなグラフでしたね。
過小評価も甚だしい。


これ半分ドラゴンボールだろ

国「やばいデータ出すなよ」
三菱総研「おかのした」


見通しの甘さよ

すごい飛び抜け様です




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道徳を嘲笑することの意味

「週刊女性prime」記事の一部で、冒頭部分はほとんど周知の内容なのでカットする。


 あのようなテーマをことさらに露悪的に扱うことは、当時は『クイック・ジャパン』のようなマイナー誌ではよくありましたし、ある意味では今も続いていると思います。


 その意図は、あえて一般的な道徳とは反対の立場を取ることで、世間の“良識”や“道徳”の欺瞞性に疑問を投げかけるということがあると思います。



こういう、道徳や良識、あるいは正義への嘲笑というのは一種の「中二病」だと言える。私自身も小学高学年から中学にかけて、学校の教師や世間の大人を斜めに見て馬鹿にしてばかりいたものである。特に「真面目ぶったもの」を欺瞞的だと思い込むのがこうした「中二病」の特徴で、皮肉や嘲笑を好む。まあ、皮肉や嘲笑を好むという点では今でも私の頭の中身は当時とさほど変わっていないwww  しかし、道徳や倫理が社会を成り立たせる根幹で、世間の大半の大人、特に庶民は無知だが善良である、というのが今の私の認識だ。





(以下引用)

小山田圭吾が受けた「40年後の罰」、いじめられた側が語る当時の背景

アーティスト小山田圭吾いじめ
週刊女性PRIME

“いじめられた”側のインタビューも
載せる計画だったが…

『サルでも描けるまんが教室』(相原コージとの共著)などの著書で知られる編集者・ライター・漫画原作者の竹熊健太郎氏だ。彼は小山田に続く連載第2回で“いじめられっ子”側として登場している。


「当時私も『クイック・ジャパン』の執筆者の一人であり、ライターだった村上清氏と、編集長の赤田祐一氏のこともよく存じています。『いじめ紀行』の第2回で村上氏からインタビューされ、子ども時代の“いじめられ”体験を中心に話しました。


 小山田さんのインタビューは、雑誌が出てから知りました。正直、身障者をいじめた内容は愉快ではなく、さっと眺めただけで深く読んだわけではありません。今回この取材を受けることになって、初めてちゃんと最後まで読んだくらいです。


 当時の『クイック・ジャパン』は“シブヤ系”と呼ばれた若者が主要読者層のひとつであり、小山田さんはシブヤ系の教祖のような人気がありましたので、編集部としてもそのようなカリスマのインタビューが取れたなら、絶対に載せたかっただろうなと思いました」


 竹熊氏は、小山田と逆の立場である“いじめられ”体験を雑誌で語ることについて、当時どのように考えていたのか。


「取材者の道徳観や安易な価値判断をその場で振りかざすことなく、いじめた側・いじめられた側の双方に取材していじめを考えるという企画そのものはユニークで面白かったと今でも思います。私が中学時代にいじめられていたということは、それこそ『クイック・ジャパン』で別の文章として発表したことがありますから、それを取材したいということは自然で、村上氏や編集部なりにバランスを取ろうとしたのだな、と思いました」


 今回問題となっている“告白”が、雑誌で平然と掲載されることについては、当時の時代背景が大きい理由だったのだろうか。


「当時でもいじめた側が取材に答えるということは稀で、しかも小山田さんのようなスターがあのような談話を実名で語ることは非常に珍しかったと思います。Twitterで私はうっかり'90年代に流行った“鬼畜系”“悪趣味系”の言葉を出してしまいましたが(編集部注・7月18日のツイート)、『クイック・ジャパン』自体は必ずしも鬼畜系・悪趣味系の文脈で編集された雑誌ではありませんでした。


 あのようなテーマをことさらに露悪的に扱うことは、当時は『クイック・ジャパン』のようなマイナー誌ではよくありましたし、ある意味では今も続いていると思います。


 その意図は、あえて一般的な道徳とは反対の立場を取ることで、世間の“良識”や“道徳”の欺瞞性に疑問を投げかけるということがあると思います。そのため、こういった記事を書くときにはライターに高度なバランス感覚が必要になります。


 小山田さんのインタビューは、もともとは彼に“いじめられた”側のインタビューも載せる計画で、記事を読むと実際に接触を試みた経緯も書いてありますが、結果は断られています。


 いじめられた側にしてみれば思い出したくもない過去でしょうし、無理やり取材してもセカンド・レイプになってしまいますから、これはそうとうに時間をかけて、いじめられた側とコンタクトをとり、信頼関係を築いてから取材する慎重さが必要だったと思います。それができた上で小山田さんのインタビューをすれば、まったく異なる記事になったでしょう。その意味では、慎重さを欠いた記事だったと思います。


 結果的に取材に応じているわけですが、初めは小山田さんも躊躇しています。また、元記事を読むと担当ライターの村上氏と編集部は単に“いじめ自慢”を助長しようとしていたわけではないことがわかるんですが、結果的にいじめられた相手の談話が載せられなかったことで、小山田氏の一方的ないじめ自慢と受け取られても仕方がない記事になってしまいました。


 だから私は、記事そのものをボツにするか、いじめられた相手の取材ができるまで、掲載を延期するべきだったと思います」


26年ぶりに受けた“罰”

 降板はしない宣言、そこからの遅い辞任発表等、今回の小山田の対応には批判が多い。彼の対応はどう見たか。


「最終的に彼は辞任しましたね。それは当然のことだったと思いますし、結果論ですが今回このような形で問題が明るみに出たことで、いじめからは40年ぶり、記事が出てからは26年ぶりに彼は“罰”を受けることになりました。それも当分の間、もしかすると一生、活動を自粛しなければならないような罰です。


 オリンピック・パラリンピックの音楽のオファーがきた時点で、彼は辞退するべきでした。それをしなかったのは、“いじめ自慢”の記事はもう何十年も前のことで、ネットでは叩かれたものの、これといった活動に支障はなかったためでしょう。完全に“ナメていた”のだと思います。


 あの記事が出たときにはインターネットは黎明期で閲覧人数は少なく、いわゆる“炎上”はしていなかったことも判断を誤らせた。もしかすると、彼は一生、表舞台での音楽活動ができなくなったのかもしれません」


 今回の件について、ライターの村上氏が所属する太田出版、編集長だった赤田氏の個人メールアドレス、赤田氏が現在、編集を務める雑誌それぞれに問い合わせたが、すべて期日までに回答はなかった。


 開会式は7月23日に無事に執り行われたが、小山田はどのような気持ちで3時間を超える式典を見ていたのだろうか……。






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明らかな「ワクチン」禍でも絶対に因果関係を認めない政府と医療関係者

明らかな「ワクチン」禍である木下投手の悲劇を前にしての寺嶋毅教授のポジショントーク的発言の、いかに犯罪的であることか。毎度言うが、こういう連中は「大量殺人」への加担者なのである。
韓国ではファイザー製「ワクチン」接種直後の若者の死亡と「ワクチン」との因果関係を政府が認めたというニュースがある。追記する予定。

(以下引用)


中日・木下雄介投手がワクチン接種後に「重篤」危機 専門家は「接種を忌避しないで」と訴え




中日・木下雄介投手がワクチン接種後に「重篤」危機 専門家は「接種を忌避しないで」と訴え


木下雄介投手


(デイリー新潮)


「人工呼吸器を外すこともできません」

 中日ドラゴンズの木下雄介(27)投手が、現在、予断を許さない状況であることが週刊新潮の取材で分かった。7月半ばに倒れ、長く病床に伏しているという。若きアスリートの身に、一体、何が起こったのか――。


 ***


 木下投手は2016年秋のプロ野球ドラフト会議で中日から育成選手枠1位の指名を受け、将来を嘱望されていた一人だ。


「木下はコロナのワクチンを接種したばかりでした」


 と語るのは、さる球団関係者だ。


「接種から数日後、彼は名古屋市内の練習場でかなり力の入った激しい運動をしていました。その最中に倒れ、大学附属病院に運び込まれたのです。容体は現在、重篤で……」


 声を詰まらせて続けるに、


「まず心臓周辺に問題が発生し、その影響が脳に及んでいます。人工呼吸器を外すこともできません。奥さんが付きっきりですが、ショックを受けておられて気安く声をかけられるような雰囲気ではない。この事実を知っているのは、与田剛監督はじめ首脳陣と、ごく限られた一部の選手だけです」

「非常に厳しい状態だとは聞いています」

 ドラゴンズのオーナーで中日新聞社長でもある大島宇一郎氏は、取材に次のように答える。


「ワクチンを打った後、練習中に体調を崩して入院しており、(容体が)非常に厳しい状態だとは聞いています。ただ、ワクチンを打ったことでそのような状態になったのか、因果関係までは分かっていません」


 ともすればワクチン忌避感情を助長しかねないこの一件。東京歯科大学市川総合病院の寺嶋毅教授は、過度に接種を恐れる必要はないと指摘する。


「ワクチンの恩恵をもっとも受けるのは高齢者ですが、20〜30代の若年層であっても重症化する危険性や後遺症に悩まされるリスクがそれなりに存在する以上、接種のメリットは大きいと言えます。また、ワクチンは自身の感染を予防しながら、それを通じて周囲への感染拡大を防ぐという効果も期待されています。家族や大切な人たちを守ることを考え、また自らが感染を広げる一因とならないためにも、やはり接種は推奨されるべきでしょう」


 一刻も早い木下選手の回復を祈るばかりである。7月29日発売の週刊新潮では、苦労人から這い上がった木下選手の歩みと併せて報じる。


「週刊新潮」2021年8月5日号 掲載



【ファイザー製ワクチン・心筋炎】 2021.7.26 中央日報 韓国国旗20代男性軍人1回目接種6日後死亡 解剖:心臓と心臓伝導系周囲で心筋炎 韓国政府:ワクチンとの因果性を認めた 韓国保健当局:接種後1週間は激しい活動を避けるよう呼びかけている
韓国政府、ファイザー製ワクチン接種の20代男性死亡に初の因果性認定
中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします
s.japanese.joins.com

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突然に東京を避けて東北に向かう台風www

待て待て、ここまでこういう進路で来て、なぜ突然、関東(東京)ではなく、東北方面に向かう(現在まで西、つまり東京方面に進んでいたのが突然北に方向を変える。)のだ? www
本当にこの「予定」通りに進むのなら、かなり前から一部で言われていたように、台風の進路は人工的に操作されていると結論していいのではないか。何しろ、無謀なオリンピック実施中の今東京を台風が襲うと、おそらく自民政権は倒壊するだろうから。

下の天気予報どおりになれば、東北地方は実に気の毒である。
なお、沖縄も台風が1週間近く停滞し、雨と風続きで実に迷惑した。あれも人工操作された台風だったかもしれない。沖縄も権勢(中央政府)にまつろわぬ者とされているから。

(以下引用)

【台風8号が上陸へ】 台風8号は、今夜夜遅くから明日未明に東北に接近し、上陸する見込みです。 3時には関東の東を約25㌔で西南西へ。 中心気圧:990hPa 最大風速:20m 最大瞬間風速:30m あす朝までの予想雨量: 東北 200㍉ 関東甲信、北陸 100㍉ 早めの対策で災害に警戒して下さい。 #台風8号
画像




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孤立無援の戦いを陰ながら応援

「小山田」事件に関して、粘着する気はないが、「孤立無援のブログ」を読んでみると、実に頭脳明晰で論理的で、私好みの文章なので、紹介しておく。長い記事なので、途中までである。

(以下引用)



北尾修一氏に問う 著作権法をご存じですか


 北尾修一氏のブログ記事「いじめ紀行を再読して考えたこと」を読んで、まずは唖然とした。これが長年編集者をやってきた人の文章なのかと。
 私への批判については、きちんと反論させていただく。
 しかしその前に、ふたつ気になる点を。
 北尾修一氏は当該記事に公開期限を設定している。私への批判を書いた後、すぐに記事を消して逃亡するというのは、誠実な態度とは言えない。何より読者から検証する機会を奪ってしまう。北尾修一氏にとってこの問題は、「通りすがりのビンタ一発」程度の意味しかないのだろうか。それともコンテンツ化して一儲け企んでいるのだろうか。


 もうひとつは、『Quick Japan』編集長A氏、記事執筆者М氏と名前を伏せている点である。赤田祐一、村上清に対して、忖度しなければならない事情、または関係性があるのだろうか。北尾修一氏のこの記事は、きわめて内輪向けに発信されているように見受けられる。業界の仲間に向けて、「例の件、上手くやっときましたよ」と揉み手でメッセージを発信することが、本来の目的であるように思われる。

 北尾修一氏の主張は単純である。
 私が小山田圭吾を貶める悪意を持って、元記事の「鬼畜的要素の固有名詞をカットアップして短文化し、あたかも鬼畜に仕立て上げ脚色」した。「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。その結果、本来の企画意図とは違う、「加害者のいじめ自慢」もしくは「いじめはエンターテイメントだと推奨する記事」になってしまった。
 つまり、私が元記事を意図的に切り貼りして、悪魔のような小山田圭吾像をでっち上げた、と言いたいわけだ。


 北尾修一氏は、自分が編集者として関わった「村上清のいじめ紀行」をこれまで一度も読み返したことがなかったという。そのことにまず驚く。小山田圭吾さえ謝罪文の中で「自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」と書いているのに、北尾修一氏は、罪悪感を抱くどころか、忘れていたのである。被害者は受けた傷を一生忘れないが、加害者は忘れる、というのは本当なのだ。

 北尾修一氏は、まず私のブログを読んで、自分の記憶とは違うと驚き、次に元記事と照らし合わせて検証していく。そして、次のように結論付ける。


 つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「孤立無援のブログ」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを切り取った上で、読んだ人の気分が悪くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。
 たとえるなら、「ビジネス書はたくさん読むけど、小説や詩は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。


 はたして、本当だろうか。


 北尾修一氏は、私のブログ記事を、「いわゆる普通の意味での『記事の要約』になっていない」と述べている。
 ここにまず最初の食い違いがある。北尾修一氏は、私のブログを「記事の要約」だと考え、そして要約というものは誰がやっても同じものになると思っているようだ。もちろん、そんなことはない。
 昔話の「桃太郎」を要約するのでも、桃太郎の立場から要約するのと、鬼の立場から要約するのでは、まったく違う。私は沢田君や村田君の立場から要約した。しかし、北尾修一氏は、小山田圭吾や村上清の立場から要約した。
 北尾修一氏の要約が正しいわけでもなければ、私の要約が正しいわけでもない。そしてどちらにも、正しさの一面はある。
 まず、このことを共通認識としたい。
 同じ文章を読んでも、感じ方は人それぞれである。それを意図的なカットアップというのであれば、北尾修一氏のブログ記事も同じである。解釈の違い、考え方の違い、被害者と加害者、どちらの立場を重視するか。
 北尾修一氏は加害者側に立っている。私は被害者側に立っている。実際に加害者側である北尾修一氏と比べ、私は第三者に過ぎないが、私の信条がそうさせる。
 北尾修一氏の言いたいことは、小山田圭吾や村上清にもいろいろ事情があったんだからそれを少しは考慮してやれ、ということであろう。それならそう世の中に訴えればいいのである。
 私は、あくまで被害者側の視点から書く。北尾修一氏の考えとは相容れないし、小山田圭吾や村上清の人間性を考察する気もない。そういうことをやりたければ、勝手にやればいい。


 私の見た限り、大手マスコミ報道で私のブログだけをソースとしたものは一つもない。当たり前のことだが、どこも複数の情報を照らし合わせて、きちんと裏を取っている。
 テレビ出演者も当然、『Quick Japan』の元記事を読んだうえでコメントしている。


和田アキ子「原文を見ましたけど。ちょっとテレビでは言えないくらい。いじめと言うには、あまりにも悲惨。陰湿を通り越して悲惨」。


伊藤利尋アナウンサー「個人的な感想として申し上げますと、決して被害者に寄り添うというものではなく、なかなか理解に苦しむ内容ではありました」。


坂上忍「どっち(の出版社)もですけど、二十数年前とはいえ、ここまで趣味の悪いものをよくも公にしたなという、見識のなさというか、それにビックリ」。


茂木健一郎「内容を拝見したんですけど、擁護は無理かなと。その時点で過去のことだったんですけど、反省無しで面白い話として語られているのは厳しいと思っていて」。


 さらに、知的障害者や家族らで作る一般社団法人「全国手をつなぐ育成会連合会」は次のような声明を出した。


 小山田氏のインタビュー記事は採録がためらわれるほどの凄惨な内容であり、いじめというよりは虐待、あるいは暴行と呼ぶべき所業です。このような行為は、たとえ学生という未成熟な年代であったとしても、許されるものではありません。しかも、そのターゲットが反撃される可能性が少ない障害のあるクラスメイトだったことも考え合わせると、小山田氏の行為には強く抗議するものです。


 北尾修一氏は元記事には高尚な理想があり、それを私のブログ記事は意図的に歪めたと主張するのだが、そんなことはない。元記事の全文を読んでも、受ける印象は変わっていない。それはほとんどの人が、被害者側に立つからであろう。こうした被害者意識こそ、「いじめ紀行」の執筆者たちが嫌悪し攻撃しようとしたものである。そこにも一面の真理はあるだろう、しかしそれが絶対的な真理になることはない。
 元記事を読んだ人々は、皆一様に不快感を露わにしている。むしろ私のブログ記事の方が、まだ穏当なくらいである。



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小山田擁護ではないと何度も言い訳する「小山田擁護」記事に関する記事の付録

前々回記事(「小山田事件」に関する北尾とやらの長々しい愚文)に関する小田嶋師のツィートで、日本語読解能力に関しては稀有の人物と思っている小田嶋師がこう言っているのだから、私の読みは正しかったのだろう。少し自信を持ったwww
なお、ツイッターに誤字誤記は付き物だが、小田嶋師の「などど」は単純ミスにしても、KAN氏の「~何て」は「~なんて」と書くべきものである。漢字にすべきでないものを漢字にしたために「何て何の」という「何」の奇妙な連続が生じている。基本的に「助詞・助動詞」はひらがなで書くものだ。


(以下引用)

私の感想もおおむね同じです。北尾氏の書き逃げ感想文は、不徹底かつ卑怯だと感じました。より残念だったのは、こんな稚拙な仕掛けにひっかかって、自分自身の最初の読解を放棄して、より救いのある他人の読解にしたがって安心を得ようとした人間が、読者出版関係者の中に少なくなかったことです。
引用ツイート
いちこ
@8C4WuJrqfYrhWr3
·
私はこれを、小山田圭吾擁護の北尾ブログと、その内容に与するような立場をとった津田ツイート、そしてそれらを「腑に落ちた」と受け入れた人々を指していると読みました。この問題を鋭く追求していた「孤立無援のブログ」が恣意的な切り取りと糾弾しながら、続く


@tako_
小田嶋隆
ashi
同意。リンク先の文章を紹介しつつ、「共感した」「必読」「謎が解けた」などど、甘ったれた所感を添えている同業者が少なくないことに失望しました。拡散されたブログが特定の編集意図に沿った要約だったのだとしても、その内容はハガキひとつで友情物語に読み替え可能な話ではありません。
引用ツイート
Kan Kimura
@kankimura
·
自分にはこの文章を書いている人の気持ちは全くわからない。いじめられている側が年賀状を送った、何て何の証拠にもならない。いじめられているからこそ送らざるを得ない場合もあるからだ。それを免罪符的に持ってくるのは、極めて醜い。いじめた側が友人と思っているかどうか何てどうでもいい。 twitter.com/kankimura/stat…

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小山田事件における記事の「脚色」と「編集」の相違

「百万年書房LIVE」というブログから転載。
長い記事だし、最後の画像部分は(目が悪いので)読んでいないが、画像は本文の内容と同じだろうからカットするかもしれない。記事自体、読む価値があるとは思わないが、保存する。長い前置きもカットするかもしれない。
まあ、記事本文を読んだ限りでは、騒動の発端となったらしい「孤立無援のブログ」筆者に「編集」されていたとしても、それは小山田の行為をまったく「脚色」してはいない。単に「印象の強い部分」を切り取っただけで、記事に書かれた事実しか書いていない。下記記事筆者の抗弁は、裁判なら、犯罪者の家族が「でも、あの人は家族には優しい人です」と言っても、判決にはまったく無関係であるようなものだ。そもそも、何かの記事を引用するなら、その記事引用に嘘があるか無いかだけが問題で、「編集による意図的誘導」などは事実の前には無力だろう。しかも、下の記事はこのいじめ事件の中で最大の嫌悪感を催す事実である「被害者に糞を食わせた」件に触れていない。編集者仲間内の仲間擁護にすぎない。そうした腐敗の記録としての記事保存だ。

(以下引用)

いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?


2021年07月31日 夕方公開終了


取材&文=北尾修一(百万年書房)

(前半省略)
つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「孤立無援のブログ」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを切り取った上で、読んだ人の気分が悪くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。


たとえるなら、「ビジネス書はたくさん読むけど、小説や詩は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。


以下、私が記事のコピーと「孤立無援のブログ」を照合して気付いた点を列挙します。


●いじめられていた人として「学年を超えて有名」だったと記事の中で紹介されている西河原さん(仮名)の、以下の証言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。「(筆者注:小山田さんからは)消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。」(『QJ』vol.3 本文55p)


●「この対談、読み物としては絶対面白いものになるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
当初の小山田さんは、この企画に引き気味です。今回の報道で多用された「いじめ自慢記事」というレッテルに、少し疑問が湧いてきませんか?


●「小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
細かい点ですが、「いじめてた人」ではなく「いじめられてた人」という表現が気になります。というのは、後述しますが、この二人のうちのひとり沢田君(仮名)と小山田圭吾さんの関係を、当事者ではない第三者が「いじめ被害者」「いじめ加害者」と決めつけていいのか、再読して私にはかなり疑問だったからです。


で、元記事では、最初にその沢田君のエピソードが語られます。


●「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生くらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで。いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」(『QJ』vol.3 本文57p)という発言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。


●高校時代、沢田君と小山田さんがずっと隣の席だったこと。小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かったという発言が、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。


●今回、特に酷い性虐待エピソードとして紹介された小山田さんの以下の発言。
ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの発言を同ブログは削除しています。
でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴っていうか、外から来た奴とかだから」(『QJ』vol.3 本文58p)
素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません。


●沢田君が、透明な下敷きの中に石川さゆりの写真を入れてきて、隣の席の小山田さんがツッコミを入れるエピソード(もちろん沢田君はボケてる自覚なし)。個人的にはまさに青春、という良いエピソードだと思いますが、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。


●高校生になってエチケットに気を付けるようになった沢田君。ポケットティッシュがすぐなくなってしまう沢田君に、小山田さんは首にかけられるようにビニール紐を通した箱のティッシュをプレゼントしました。それ以来、沢田君は自分で箱のティッシュを買うようになったというエピソード。これも「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文60p)。


●小山田さんのインタビューの合間に入るM氏の文章。
いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう」(『QJ』vol.3 本文61p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
SNSがなくて学校外に居場所を作りづらかった時代の感覚なので、今の若者にはピンとこない文章だと思いますが、M氏が「いじめ自慢を並べる、鬼畜系記事」を意図していたとしたら、あまり必要のない文章に思えます。


ここで、沢田君から村田(仮名)という人物のエピソードへと話題は移ります。


●高校の修学旅行。留年した一コ上の先輩「バカな渋カジ」と、村田と、小山田さんという「かなりすごいキャラクター(笑)」の3人が、「好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然な」いのに同じ班に集められて、修学旅行に行くことになった、というエピソードが「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文63p)。


●この修学旅行の出来事として、「バカな渋カジ」が先導した性虐待のエピソードが登場します(筆者注:以下、読むと気分悪くなります。ご注意ください)。
ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(筆者注・おそらく村田)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの一言を、同ブログは削除しています。
かなりキツかったんだけど、それは」(『QJ』vol.3 本文64p)
ここに意図がないとはとても思えません。


沢田君と比較し、村田とのエピソードはそれほど多くありません。
次に、「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴」である朴(仮名)の家庭が厳しかった、というエピソード。
小山田さんの母校では、他の学校で特殊学級にいるような子が同じクラスにいたという話。
母校の近くに養護学校があったので「小学校の時からダウン症って言葉、知ってた」という話などが披露されます(念のため、小山田さんが養護学校の生徒をいじめていたというエピソードは、記事内にありません)。


こうやって元記事を再読すると、記事の中で大きいのは沢田君の存在で、村田さんと朴さんのエピソードとは比重が違います。が、「孤立無援のブログ」だけを読むと、この事実はまったく伝わってきません。


そして沢田君、村田さん、朴さんに、M氏が小山田さんとの対談を申し込んで断られるエピソードへと話は移ります。M氏が手を尽くしても、村田さんと朴さんには連絡がつきません。そして、肝心の沢田君。


●取材当時、沢田君は学習障害で「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない」状態だったことが明かされます。M氏は沢田君の家の最寄り駅から電話をし、沢田家に上がって取材依頼をします。
「孤立無援のブログ」では、この時のやりとりを紹介しています。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
ーー(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」
ーー小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
 数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。(『QJ』vol.3 本文67p)
話が脱線しますが、当時の私ではなく現在の私は、この「ホーキング入ってる」はいかがなものかと思いますよ。〉M氏
この沢田君からの「対談NG」を聞いた小山田さんの反応は、「孤立無援のブログ」で削除されています(ここが、この読み物で一番大事なところなのに!)。
この沢田君への小山田さんからの言葉が、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事全体のクライマックスです。この記事の末尾に記事全体の画像を貼っていますので、みなさんぜひ実際の記事を読んで確かめてください。
少なくともこの「いじめ紀行」という記事だけで、第三者が「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という単純な関係性だったと決めつけるのは、あまりに乱暴ではないかと私は思います。


そして、卒業式当日の沢田君と小山田さんのエピソードが披露され、記事本文は終わります。最後に、沢田君が小山田さんに送った年賀状の実物が掲載されています。


●誌面に沢田君の年賀状が掲載されていることについて、「孤立無援のブログ」は(今回の騒動後の)2021年7月18日に、「小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」というタイトルで記事公開しています。
タイトルの「爆笑する」が示す箇所が特定できないので、このタイトル自体がずいぶん粗雑だと思いますが、本文の方も(「孤立無援のブログ」にしては珍しく)粗い印象操作になっています。急いで公開しようと焦ったのでしょうか。


ここから、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、自分なりに推理していきます。
まず本文56pに、この年賀状について、以下の小山田さんの発言があります。
それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。
ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。
そして、ポイントになるのは、この年賀状の画像が、記事本文を読み終わってページをめくったところに掲載されている、ということです。
不肖・私、26年前は使い物にならないダメ編集者でしたが、それからずっと編集稼業を続けてきました。現在の私がこの「沢田君の年賀状」がなぜこの位置に掲載されているのか、その編集意図を推測するとこうなります。
記事本文のラストは、現在の沢田君が学習障害になってしまったと知った小山田さんがショックを受け、「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回」と思っていること、卒業式の日にお互いにサヨナラの挨拶をしたエピソードなどが、感傷的なトーンで綴られます。
その本文が終わってページをめくったところに、突如ドドーンと現れるのがこの「沢田君の年賀状」なわけです。
ということは、この画像が象徴しているものは「小山田さんと沢田君が、かつてクラスで席を並べて過ごしていた時間」です。そこに、部外者が簡単に決めつけられるような関係性ではない何かがあったはずだと、読者に連想させるための画像、のはずです。


で、注目すべきは、この年賀状の内容です。「手紙ありがとう」と沢田君は書いています。
ここで、本文でずっと匂わされていた「実は小山田さんと沢田君は仲良しだったんじゃないのか?」ということの、物的証拠が初めて示されます。つまり、読者はこう発見するのです。
「小山田さんも、沢田君に手紙を書いていたんだ…(やっぱりふたりは仲が良かったんだ…)」


記事のラストとして上手いなと思います。


しかも感動的なのは、取材時に「社会復帰はしていない」沢田君ですが、この年賀状を書いている過去の沢田君は「三学期も頑張ろう」なのです。つまりここにあるのは未来に対して前向きだった、小山田さんと仲が良かった頃の沢田君の姿なのです。


以上、記事の現物を素直に頭から読めば、どう考えても「沢田君の年賀状」はこういう解釈になります。それを「障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑」というタイトルで紹介するのは、いくらなんでも悪意のかたまりだと私は思います。


なので、ここまで読んでくださったみなさんはぜひ、今web上やメディアの記事で「『いじめ紀行』読みました!年賀状をさらしものにするのなんて最悪だと思います!」と書いている人は全員、実際の記事を読んでいない(確定)という、リトマス試験紙に使っていただければ幸いです。


と、ここまで確認してきて分かるように、たとえば7月21日「朝日新聞」の天声人語欄にこうありますが。
「(筆者注:小山田さんが)小中学校の頃、同級生や障害者にひどいいじめをしていた。20代半ばになって、それを雑誌で得意げに語っていたことが問題となった」
この天声人語の執筆者は本当に元記事にあたったのかどうか、私には甚だ疑問です。しつこく確認してきたとおり、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の現物記事を読めば「《得意げに》語っていた」という言い回しには絶対にならないはずなのです。


他にも「いじめられっ子にアポなし突撃取材」と言われていたり(元記事を読むかぎり、アポなしではなくM氏は事前に電話をしているようです)、あまりにもいろんな罵詈雑言が飛び交っていて、ここまで炎上すると下手に近づくと自分も丸焦げになるに決まっているわけですが、少なくとも私は私の気づいたことを知らせるべきだと思ったので、火の粉を被る覚悟の上で「元記事の記述はこうですよ」ということを報告しました。


あと、こういう微妙な事柄を書くと「なんでこの文章をそういう意味に受け取るの……???」という人が必ず出てくるので、しつこいくらい繰り返しておきますが、私はこの文章で「小山田圭吾さんはいじめ加害者ではない」と言っているわけではありません。
早とちりされないように強調しますが、小山田さんはいじめ加害者です。だって、小山田さん自身が謝罪文で「いじめ行為をはたらいていた」と認めていますから(そもそも「いじめ紀行」という連載にゲスト出演しているわけだし)。
ただ、小山田さんがいじめ加害者だったという事実があるとしても、報道やSNSで言われていることは、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の記事現物と照合すると、ずいぶん小山田さんにとってアンフェアな傾きがありますよ、と言いたいわけです。


で、実は私の話、これでまだ前哨戦なのです。
話が長くて恐縮ですが、次がいよいよクライマックスです。
今回指摘したポイントは些末なことで、元記事を再読した私が一番驚き、世の中に伝えたいと思ったことを、最後に書きます。ここまで読んでくださったみなさんは、どうか次回も読んでください。


では、また後ほど。


(次回7/23更新、「最終話 「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」)



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