2021年07月31日 夕方公開終了
取材&文=北尾修一(百万年書房)
(前半省略)
つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「孤立無援のブログ」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを切り取った上で、読んだ人の気分が悪くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。
たとえるなら、「ビジネス書はたくさん読むけど、小説や詩は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。
以下、私が記事のコピーと「孤立無援のブログ」を照合して気付いた点を列挙します。
●いじめられていた人として「学年を超えて有名」だったと記事の中で紹介されている西河原さん(仮名)の、以下の証言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。「(筆者注:小山田さんからは)消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。」(『QJ』vol.3 本文55p)
●「この対談、読み物としては絶対面白いものになるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
当初の小山田さんは、この企画に引き気味です。今回の報道で多用された「いじめ自慢記事」というレッテルに、少し疑問が湧いてきませんか?
●「小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
細かい点ですが、「いじめてた人」ではなく「いじめられてた人」という表現が気になります。というのは、後述しますが、この二人のうちのひとり沢田君(仮名)と小山田圭吾さんの関係を、当事者ではない第三者が「いじめ被害者」「いじめ加害者」と決めつけていいのか、再読して私にはかなり疑問だったからです。
で、元記事では、最初にその沢田君のエピソードが語られます。
●「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生くらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで。いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」(『QJ』vol.3 本文57p)という発言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
●高校時代、沢田君と小山田さんがずっと隣の席だったこと。小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かったという発言が、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。
●今回、特に酷い性虐待エピソードとして紹介された小山田さんの以下の発言。
「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。」
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの発言を同ブログは削除しています。
「でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴っていうか、外から来た奴とかだから」(『QJ』vol.3 本文58p)
素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません。
●沢田君が、透明な下敷きの中に石川さゆりの写真を入れてきて、隣の席の小山田さんがツッコミを入れるエピソード(もちろん沢田君はボケてる自覚なし)。個人的にはまさに青春、という良いエピソードだと思いますが、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。
●高校生になってエチケットに気を付けるようになった沢田君。ポケットティッシュがすぐなくなってしまう沢田君に、小山田さんは首にかけられるようにビニール紐を通した箱のティッシュをプレゼントしました。それ以来、沢田君は自分で箱のティッシュを買うようになったというエピソード。これも「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文60p)。
●小山田さんのインタビューの合間に入るM氏の文章。
「いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう」(『QJ』vol.3 本文61p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
SNSがなくて学校外に居場所を作りづらかった時代の感覚なので、今の若者にはピンとこない文章だと思いますが、M氏が「いじめ自慢を並べる、鬼畜系記事」を意図していたとしたら、あまり必要のない文章に思えます。
ここで、沢田君から村田(仮名)という人物のエピソードへと話題は移ります。
●高校の修学旅行。留年した一コ上の先輩「バカな渋カジ」と、村田と、小山田さんという「かなりすごいキャラクター(笑)」の3人が、「好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然な」いのに同じ班に集められて、修学旅行に行くことになった、というエピソードが「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文63p)。
●この修学旅行の出来事として、「バカな渋カジ」が先導した性虐待のエピソードが登場します(筆者注:以下、読むと気分悪くなります。ご注意ください)。
「ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(筆者注・おそらく村田)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。」
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの一言を、同ブログは削除しています。
「かなりキツかったんだけど、それは」(『QJ』vol.3 本文64p)
ここに意図がないとはとても思えません。
沢田君と比較し、村田とのエピソードはそれほど多くありません。
次に、「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴」である朴(仮名)の家庭が厳しかった、というエピソード。
小山田さんの母校では、他の学校で特殊学級にいるような子が同じクラスにいたという話。
母校の近くに養護学校があったので「小学校の時からダウン症って言葉、知ってた」という話などが披露されます(念のため、小山田さんが養護学校の生徒をいじめていたというエピソードは、記事内にありません)。
こうやって元記事を再読すると、記事の中で大きいのは沢田君の存在で、村田さんと朴さんのエピソードとは比重が違います。が、「孤立無援のブログ」だけを読むと、この事実はまったく伝わってきません。
そして沢田君、村田さん、朴さんに、M氏が小山田さんとの対談を申し込んで断られるエピソードへと話は移ります。M氏が手を尽くしても、村田さんと朴さんには連絡がつきません。そして、肝心の沢田君。
●取材当時、沢田君は学習障害で「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない」状態だったことが明かされます。M氏は沢田君の家の最寄り駅から電話をし、沢田家に上がって取材依頼をします。
「孤立無援のブログ」では、この時のやりとりを紹介しています。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
ーー(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」
ーー小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。(『QJ』vol.3 本文67p)
話が脱線しますが、当時の私ではなく現在の私は、この「ホーキング入ってる」はいかがなものかと思いますよ。〉M氏
この沢田君からの「対談NG」を聞いた小山田さんの反応は、「孤立無援のブログ」で削除されています(ここが、この読み物で一番大事なところなのに!)。
この沢田君への小山田さんからの言葉が、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事全体のクライマックスです。この記事の末尾に記事全体の画像を貼っていますので、みなさんぜひ実際の記事を読んで確かめてください。
少なくともこの「いじめ紀行」という記事だけで、第三者が「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という単純な関係性だったと決めつけるのは、あまりに乱暴ではないかと私は思います。
そして、卒業式当日の沢田君と小山田さんのエピソードが披露され、記事本文は終わります。最後に、沢田君が小山田さんに送った年賀状の実物が掲載されています。
●誌面に沢田君の年賀状が掲載されていることについて、「孤立無援のブログ」は(今回の騒動後の)2021年7月18日に、「小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」というタイトルで記事公開しています。
タイトルの「爆笑する」が示す箇所が特定できないので、このタイトル自体がずいぶん粗雑だと思いますが、本文の方も(「孤立無援のブログ」にしては珍しく)粗い印象操作になっています。急いで公開しようと焦ったのでしょうか。
ここから、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、自分なりに推理していきます。
まず本文56pに、この年賀状について、以下の小山田さんの発言があります。
「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。」
ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。
そして、ポイントになるのは、この年賀状の画像が、記事本文を読み終わってページをめくったところに掲載されている、ということです。
不肖・私、26年前は使い物にならないダメ編集者でしたが、それからずっと編集稼業を続けてきました。現在の私がこの「沢田君の年賀状」がなぜこの位置に掲載されているのか、その編集意図を推測するとこうなります。
記事本文のラストは、現在の沢田君が学習障害になってしまったと知った小山田さんがショックを受け、「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回」と思っていること、卒業式の日にお互いにサヨナラの挨拶をしたエピソードなどが、感傷的なトーンで綴られます。
その本文が終わってページをめくったところに、突如ドドーンと現れるのがこの「沢田君の年賀状」なわけです。
ということは、この画像が象徴しているものは「小山田さんと沢田君が、かつてクラスで席を並べて過ごしていた時間」です。そこに、部外者が簡単に決めつけられるような関係性ではない何かがあったはずだと、読者に連想させるための画像、のはずです。
で、注目すべきは、この年賀状の内容です。「手紙ありがとう」と沢田君は書いています。
ここで、本文でずっと匂わされていた「実は小山田さんと沢田君は仲良しだったんじゃないのか?」ということの、物的証拠が初めて示されます。つまり、読者はこう発見するのです。
「小山田さんも、沢田君に手紙を書いていたんだ…(やっぱりふたりは仲が良かったんだ…)」
記事のラストとして上手いなと思います。
しかも感動的なのは、取材時に「社会復帰はしていない」沢田君ですが、この年賀状を書いている過去の沢田君は「三学期も頑張ろう」なのです。つまりここにあるのは未来に対して前向きだった、小山田さんと仲が良かった頃の沢田君の姿なのです。
以上、記事の現物を素直に頭から読めば、どう考えても「沢田君の年賀状」はこういう解釈になります。それを「障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑」というタイトルで紹介するのは、いくらなんでも悪意のかたまりだと私は思います。
なので、ここまで読んでくださったみなさんはぜひ、今web上やメディアの記事で「『いじめ紀行』読みました!年賀状をさらしものにするのなんて最悪だと思います!」と書いている人は全員、実際の記事を読んでいない(確定)という、リトマス試験紙に使っていただければ幸いです。
と、ここまで確認してきて分かるように、たとえば7月21日「朝日新聞」の天声人語欄にこうありますが。
「(筆者注:小山田さんが)小中学校の頃、同級生や障害者にひどいいじめをしていた。20代半ばになって、それを雑誌で得意げに語っていたことが問題となった」
この天声人語の執筆者は本当に元記事にあたったのかどうか、私には甚だ疑問です。しつこく確認してきたとおり、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の現物記事を読めば「《得意げに》語っていた」という言い回しには絶対にならないはずなのです。
他にも「いじめられっ子にアポなし突撃取材」と言われていたり(元記事を読むかぎり、アポなしではなくM氏は事前に電話をしているようです)、あまりにもいろんな罵詈雑言が飛び交っていて、ここまで炎上すると下手に近づくと自分も丸焦げになるに決まっているわけですが、少なくとも私は私の気づいたことを知らせるべきだと思ったので、火の粉を被る覚悟の上で「元記事の記述はこうですよ」ということを報告しました。
あと、こういう微妙な事柄を書くと「なんでこの文章をそういう意味に受け取るの……???」という人が必ず出てくるので、しつこいくらい繰り返しておきますが、私はこの文章で「小山田圭吾さんはいじめ加害者ではない」と言っているわけではありません。
早とちりされないように強調しますが、小山田さんはいじめ加害者です。だって、小山田さん自身が謝罪文で「いじめ行為をはたらいていた」と認めていますから(そもそも「いじめ紀行」という連載にゲスト出演しているわけだし)。
ただ、小山田さんがいじめ加害者だったという事実があるとしても、報道やSNSで言われていることは、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の記事現物と照合すると、ずいぶん小山田さんにとってアンフェアな傾きがありますよ、と言いたいわけです。
で、実は私の話、これでまだ前哨戦なのです。
話が長くて恐縮ですが、次がいよいよクライマックスです。
今回指摘したポイントは些末なことで、元記事を再読した私が一番驚き、世の中に伝えたいと思ったことを、最後に書きます。ここまで読んでくださったみなさんは、どうか次回も読んでください。
では、また後ほど。
(次回7/23更新、「最終話 「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」)