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誰かの幸福のために別の誰かが不幸になること

元記事全文は読んでいないが、まるで冗談のような実話である。「学力選抜での不合格は差別」だとすると、入学試験そのものの否定であり、では、どのようにして選抜するのか。
私は受験制度は日本の癌のひとつだと思ってはいるが、それは受験絶対主義を問題としているのであり、入試やテスト自体を否定するわけではない。ある意味では、カネもコネも無い人間がカネやコネのある人間と対等に戦える場が受験だと思っている。(完全に対等でもないが、努力でカバーできる範囲だと思う。)
さて、知的障碍者がテスト無しで高校に入って、どのような高校生活を送るのか。高校など、大学受験のために無駄な知識を覚えるだけだという批判もあるだろうが、友達を作り、遊ぶためだけのために行くところでもないだろう。
いや、そういう高校もあっても面白いとは思うのだが、下記記事の事案は他の生徒たちにとっても学校にとってもかなり迷惑なのではないか。差別的な言い方だが、そのためにFランク高校以下の評価を受けたら、在校生全員の一生の問題である。私は社会福祉をかなり重視する人間だが、「差別の解消」が、現状をより悪い方向に向けることもあると思う。別の面から言えば、「ひとりの人間の幸福のために他の全員が不幸になることは正しいか」という問題だ。




知的障がいの仲村さん、再び不合格 高校受験 家族「学力選抜での不合格は差別」

知的障がい 高校受験 不合格 家族 差別に関連した画像-02

<記事によると>

重度の知的障がいがある仲村伊織さん(16)が今年3月、2度目の沖縄県立高校受験に挑んだが、不合格となった。

受験した1次募集の全日制、2次募集の定時制の2校はいずれも定員割れだったが、県教育委員会は「一定の点数が足りず、入学しても高校の教育課程をこなすことは難しい」としている。

仲村さんの家族は3月28日に県教育庁を訪れ「テストで点数が取れないことが知的障がいの特性であり、今の選抜制度では本人の努力が反映されない。2次募集でも学力選抜で定員内不合格とされることは差別だ」と批判した。

2018年度に重度知的障がい者として県内で初めて公立高校を受験したが不合格となった。

仲村さんの両親は受験を成立させるために必要な「合理的配慮」が十分でなかったとして、「県障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会づくり条例(共生社会条例)」に基づき、県に助言(あっせん)を求める申請。

申請を受け、調整委員会は県教委の配慮が不十分だったと指摘した。

今回の不合格について仲村さんの両親は「合理的配慮に改善は見られたが、テストで得点すること自体が難しい息子の障がい特性が考慮されていないことは変わらず、努力を評価してもらえない」と話している。

以下、全文を読む


<この記事への反応>

良い悪いは別にして、そんな状態で入学してもツラい目に会うのは本人じゃないの?

養護学校にいかせれば?

学力全否定かよ
すがすがしいわ


就職でも「働けないことが特性、働けないからと雇わないのは差別」とか言うのかね?

えー
じゃあオレが東大に行けなかったのも差別?


でも、テストの点数だけで判断する今の教育には新しい風かも


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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