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無知を誇る馬鹿


無知は罪ではないが、本人が気の毒である。古典(古文漢文)を少し知っていれば、さまざまな本の含蓄が分かるし、何より、想像の幅が広がって楽しいものだ。つまり、古典を読むのは(最初だけは少し努力もいるが、)勉強ではなく娯楽なのである。古典をまったく読まない人はどういうことを楽しいと思うのだろうか。酒か女(異性)か車か、自分と同レベルの知性のDQN(これは学歴には無関係で、東大出のDQNもたくさんいるだろう。)とワイワイ騒ぐことか。
下のツィートをした人は、江戸時代の庶民にとって古典を下敷きにした芝居や講談は何よりの楽しみだったことをどう思うのだろうか。
実は、様々なテレビドラマや現代小説さえ、そのジャンルの古典的作品や古典文学がヒントになっていることがほとんどなのである。(たとえば、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」はJ・オースティンの「高慢と偏見」が下敷きだとされている。アンブローズ・ビアスの短編にヒントを得て芥川龍之介が書いた「藪の中」を黒澤明が映画化した「羅生門」は世界的に高く評価され、心理学か何かの概念になっているとかいう話だ。つまり、文化というのはそのように派生し広がっていくのである。)過去の文化や伝統についてまったく知識の無い人間が何かを作ることも何かを本当に理解することも不可能なのだ。

などと言っているが、私自身、「源氏物語」も「平家物語」も全体を読んだことはない。しかし、源氏の「須磨流謫」の章や平家物語の「小督」の章(だったと思う。「峰の嵐か松風か、訪ぬる人の琴の音か」の部分だ。)を読めば感動する。それだけでも古文を習った大きなメリットであり、カネなどには代えられない「一生の財産」である。ついでに言えば、「いばり(尿)せし布団干したり須磨の浦」という蕪村のギャグ俳句を理解できるのも源氏の須磨流謫を知っているからである。

(以下引用)なお、「春はあけぼの」(枕草子)は当然古文であって漢文ではない。中学生でも知っていることだ。


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古典を勉強して役に立つことですが、こういう恥ずかしいツイートをしなくなります。






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酔生夢人
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男性
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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