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水田にかかる労力と金

食糧自給の障害は「水田」にある、という話。「阿修羅」から転載。その対策部分には疑問符がつくので転載しないが、日本農業は「水田」依存を変えるべきだというのは重要なヒントである。


(以下引用)


その最初の食い物の問題

現在職業農家に依存していますが、ホントに作っているのは自然の摂理です。
それは種という精妙なプログラム、虫や鳥による交配、微生物による分解、地球と太陽という巨大施設がもたらす気象というインフラです。
これらの提供は全て無償となっています。空気も水も。何もかも。
なのに何故、人はお金を払って食糧を購入しなければならないのでしょう?
精妙で巨大なインフラや資源が全くタダで使えるというのに...。
其処に、ばからしくアホくさい余計なインフラとそのために付随して生まれた弊害を、あえて打ち消す労力を付け足しているからです。
しかもそれが食糧生産には欠かせない要素だと思い込んでしまった。

この解決は実は至極簡単です。
付け足されたその無意味なインフラを捨て去れば、殆ど自動システムの自然まかせ農法で労力も掛からず、毎年タダで収穫し、しかもそれは無限循環するのです。その年間労働時間は十日ほど。後の355日が自由時間(故福岡正信翁曰く)。
つまり天国の舞台は既に整っていたというわけです。

その為の障害に焦点を絞ります。

主食は米とか麦ですね。飽きが来ない素晴らしい食べ物です。日本では米。
では何故水田で作るか?
一粒の実が小さいという問題がまずはそこには有りそうです。
これが主食がかぼちゃだというのならば、雑草に埋もれていても収穫収集は容易ですが、米は雑草に紛れると、その雑草の種や茎枝との選別が大変になり、従って出来る限り広範囲で雑草を生やさない工夫が必要となります。それは麦も然り。
苗床を別に作るのも鳥害を避けたり、一度田を耕して雑草をリセットするため。
そして田に水を張り、田植えとなります。この労力は大変です。
更に水田は水源となる河川や沼が近い土地に限定され、水路や水門という個人負担では不可能なインフラを必要としますので、集団管理と協力体制が必要。ここで集団を束ねる権力機構が発生し、諸悪の根源がスタートします。

人が等しく平等であるための根本がここから失われてしまっています。
ならばまずは其処から改める為には、その水田に変わる手法を生み出す必要があります。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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