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命令する言語・戦闘的言語

TORA氏の「株式日記と経済展望」に次のような一節があった。


英語というのは基本的に人に命令する言葉であり、ハリウッド映画などを見ても人の顔面に拳銃を突きつけて命令する場面が多い。つまり論争するときなどは都合がいいが、英語を話すと戦闘的になりすぎて、アングロサクソンのように戦争大好きな国民性になりやすい。


もちろん、これはかなり強引な論法だが、私も少し共感している。英語は「交渉」「論理」「契約」の言語であり、情緒的要素が少ない。あえて言えば「もののあはれ」に乏しい言語だ。だから英詩などでも日本人の心に訴えかける詩は本当に少ない。とくに自然との一体感などほとんど無い。ワーズワースだったか誰だったかが水仙を歌った詩などが希少な例だが、それも日本の詩歌の世界に汗牛充棟する自然を詠んだ詩歌とはレベルが違いすぎる。夏目漱石が英文学研究を志しながら英文学になじめなかったのも、東洋人とのこの感覚の違いのためだろう。


英語が命令する言語であることの一例になるかどうか、私の昔の文章を紹介しよう。




#50 英語的国民性


 記念写真を撮る時、昔なら「はい、チーズ」と言って撮ったもので、フーテンの寅さんが、間違えて「バター」などと言うギャグがあったりしたが、今は「1+1は?」と聞いて「ニー(2)」と答えさせたりする。これはもちろん、「チーズ」も「ニー」も「イ」の音を出す口の形が、笑う時の口の形であるからだが、では、英語国民はこのような場合、何と言うのだろうか。
 昔、「笑っていいとも」に、あるアメリカの女優(ジェイミー・リー・カーチスという女優だ)が出演したことがあったが、その女優はインスタントカメラを持参していて、舞台を写真に撮ろうとする観客を逆に記念撮影した。その行為自体のユーモアにも感心したが、その時、彼女が言った言葉が忘れられない。彼女は、観客席にカメラを向けて何と言ったのか? それは「スマイル!」という命令だったのである。なるほど、相手の笑った顔を写すのだから、「笑え!」と命令するのは理にかなっているが、何と言う端的な発言だろう。日本人の持って回ったようなやり方にくらべて、大雑把というか、ストレートというか、……。しかし、これが英語国民の国民性ではないかと思うのである。目的を達するための最短距離は何かと考え、それを実行する。その際に、相手がどう思うかなどは考慮する必要はない。なぜなら、相手は自分ではないのだから、いくらこちらがどう配慮しようが、その反応は予測と一致するとは限らない。相手が不快感を表明したら、その時点で交渉し、調整すればいい、というのが、英語的国民性だと私は思っている。

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