先ほど、早朝の散歩から帰ってきたが、大発見をした。あるいは常識かもしれないが、私には大発見である。
散歩に出たのが6時少し前で、家を出たときに空を見ると、月末の月、後で暦で調べると旧暦29日の月が出ていたのだが、旧暦月末(27,28,29日あたりか)の月を「繊月」というらしい。さすがに「三日月」のように「29日月」とは言いにくいわけだ。ちなみに今月は旧暦と新暦の日付が、月名はひと月遅れで一致している。今日は旧暦で10月29日である。
で、「大発見」だが、ほとんど消滅寸前に欠けた月の、その外側の曲線を延長して円を作るように、細い輪郭があり、その内部に月の影(つまり実際は地球の影)になった部分がうっすらと見えたのである。目の錯覚でないことは何度も確認した。つまり、我々が見慣れた、三日月や半月や繊月は、実はその円周が囲んだ部分(欠けた部分)にも月が「見えている」が、見える部分の月の光に惑わされて、「見れども見ず」の状態であるわけだろう。陽気な人間が暗い反面を隠しているように、月も明るい部分で暗い自分を隠していると言ったら大袈裟か。
それがたまたま、薄曇りの空の状態と月の光量のバランスで見えたわけだ。
なかなかの感動だった。
散歩に出たのが6時少し前で、家を出たときに空を見ると、月末の月、後で暦で調べると旧暦29日の月が出ていたのだが、旧暦月末(27,28,29日あたりか)の月を「繊月」というらしい。さすがに「三日月」のように「29日月」とは言いにくいわけだ。ちなみに今月は旧暦と新暦の日付が、月名はひと月遅れで一致している。今日は旧暦で10月29日である。
で、「大発見」だが、ほとんど消滅寸前に欠けた月の、その外側の曲線を延長して円を作るように、細い輪郭があり、その内部に月の影(つまり実際は地球の影)になった部分がうっすらと見えたのである。目の錯覚でないことは何度も確認した。つまり、我々が見慣れた、三日月や半月や繊月は、実はその円周が囲んだ部分(欠けた部分)にも月が「見えている」が、見える部分の月の光に惑わされて、「見れども見ず」の状態であるわけだろう。陽気な人間が暗い反面を隠しているように、月も明るい部分で暗い自分を隠していると言ったら大袈裟か。
それがたまたま、薄曇りの空の状態と月の光量のバランスで見えたわけだ。
なかなかの感動だった。
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