2月に死んでいた(「亡くなる」という言い方は相手を尊敬する場合にしか使えない印象なので、ここでは使わない。死者は誰でも尊敬すべきだという意見にも与しない。)ことはまったく知らなかった。ネットでほとんど話題にならなかったのが不思議である。まあ、政治的にはもはや無意味な存在だったから、私の見る政治サイトでは無視されていたのだろう。
だが、文学者としての初期作品は、小説世界に新しい地平を開いたという点ではたとえば三島由紀夫よりも大きな存在だったと私は思っている。(三島と親しかったドナルド・キーンの言葉だったと記憶しているが、三島は「文芸評論家としては一流、小説家としては二流」と評価していた。私も同感である。)ただし、その「新しい地平」が世間の道徳性に巨大な悪影響を与えたというのも事実だろう。まあ、政治家にまでなったのは悪い選択だったと思うが、「書くことが無くなったので政治家転身」という処世術だったのだろう。アメリカに「NOと言える日本」を主張していたはずが、アメリカの走狗になるという汚い生き方だった。
要するに「才能のある下種」である。長生きしすぎた人間だ。
(以下引用)
安倍氏「傍若無人に振る舞いながらも愛された」…石原慎太郎氏お別れの会
石原慎太郎氏のお別れの会であいさつする安倍元首相(9日)
今年2月に89歳で亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎氏のお別れの会が9日、東京都渋谷区のセルリアンタワー東急ホテルで営まれた。岸田首相を始め、政財界や文壇で生前に親交のあった人など、約5000人が参列した。 【動画】お別れの会で中村玉緒さん涙
発起人を代表してあいさつした安倍元首相は「挑戦的で、時に傲慢(ごうまん)で、傍若無人に振る舞いながらも誰からも愛された」と故人をしのんだ。石原氏の次男でタレントの良純さんは報道陣の取材に「石原慎太郎は、皆さんに夢を託されて生きた人間だった」と語った。
お別れの会は、安倍元首相のほか、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆らが発起人となって企画された。

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