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怠け者が家庭を持つと

「谷間の百合」さんの記事をそっくりそのまま転載。
私は空を眺めるのが好きなので、空の写真もそのまま転載。

水木しげるの「幸福の七ヵ常」の中で、第六条の「怠け者になりなさい」は、「怠けていても食っていけるだけの努力をしたうえでの話だよ」と現実的なことを言う人もいるし、まあ、それも正論なのだろうが、怠け者でも生きていける、そして怠け者を許容してくれる社会が私には理想である。落語の与太郎的な人間が生きていけない社会は世知辛すぎる。
怠け者を許容したら、その分誰かが余計に働くしかないから不公平だ、と言うかもしれないが、なあに、世の中には働くのが好きな人、他人より上に行きたい人はたくさんいるのである。そういう人々は働くことが生きがいなのだから、他人より働いていることに文句を言う筋合いはない。まして、他人が怠けていることに文句を言うことはない。実際は、他人の働きを利用して、自分が楽をしたい人間(資本家や経営者の大半)こそが、他人が働かないことに文句を言うのである。

谷間の百合さんも言うように、

ノーベル賞受賞者のほとんどはこの7ヵ条に当てはまる

のではないか、と私も思う。ノーベル賞(成功や栄誉)を得ることなど、最初から彼らの目的でも何でもなかっただろう。好きなことをしていたら、いつのまにか凄い仕事を成し遂げていたのではないか。まあ、子供が砂遊びをするようなものだ。

私の父親は子供の成績などには無関心だったと思うが、母親の方は、文句はあまり言わないものの、成績を気にしていることが子供心にも感じられたので、子供の頃はそれがかなりなストレスだった。「お前たちは将来は医者になれ」というのが母親の指令(のようなもの)だったので、ある程度の勉強はせざるを得なかった。まあ、私は頭が悪いので医者にはなれなかったが、母親のそうした「圧力」がなかったら、どんな落ちこぼれになっていたか、あるいは逆にどの程度勉強自体が好きになっていただろうか。
私の父親もかなりな怠け者だったのではないか、と今にして思うのだが、穏やかな人間で、夫婦喧嘩をしても(それも非常に稀ではあったが)乱暴な口もきかず、まして絶対に妻に手を上げることはなかった。酔っ払って暴れる黒人兵を柔道で投げ飛ばすくらいの頑強な人だったのだが。その怠け者の父親を、好きなことだけをさせてかばいながら一生連れ添った母親もなかなか偉い女性ではあったようだ。母親が死んだ後、父親はひどく落胆し、ほぼ一年後に自分も病死したのだが、毎晩の暴飲の結果の脳卒中で、ある意味、後追い自殺のようなものである。つまり、相思相愛の夫婦であったようだ。
私が怠け者であるのは、ある種の打算の結果である。つまり、成功や生活向上のための努力と、その結果を量りにかけて、社会的な成功などしないほうがマシだ、と計算したのである。食っていける程度の金さえ稼げば、それで十分だ。いくら稼いでも大半は税金で持っていかれるし、稼いだ金で得られる贅沢品など一つも欲しくない。まして、名声や栄誉など、(無名人であることの平和と安寧に比べたら)迷惑なだけである、と若い頃に考えてしまったのだが、そういう人間が結婚し、子供まで持ってしまったのは、あるいは間違いだったかもしれない。まあ、子供には恨まれても、これが我が家の血筋なのだから、あきらめてもらうしかない。ww少なくとも、子供には一度も、勉強しろ、と言ったことはない。で、我が家の子供たちは、わりと幸福な子供時代を送れたのではないか、と思うのだが、それだけが私が彼らに贈れたものである。



(以下引用)


水木しげるさんの「幸福の七ヵ条」
水木しげるさんの「幸福になるための七ヵ条」が話題になっているそうです。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。


この7ヵ条は、わたしにとっては「人生の指針」でもなんでもなく、何の目標もなく生きてきた半生の航跡そのままです。
(怠けて生きてきたことが評価されているようで面目ない気持ちです。)

「目に見えない世界を信じる」ということにはいろんな解釈ができそうですが、わたしの場合は、人を楽しませたり驚かすために人為によってつくられたものにはほとんど興味がありませんでした。
そういうものへの好奇心が欠けていました。
唯一、自ら見たいと思ったのは映画くらいだったと思います。

オリンピックの開会式での豪華で奇抜な演出も退屈なだけでした。
大勢の人が駆り出されて、どれほど練習させられたことだろう、わたしはそんなのマッピラだとそんな想像ばかりしてしまうのです。

子どものときに遊園地で木馬に乗っている写真があるのですが、いかにもつまらなそうな顔で写っています。
世の中には、わたしのようなひねくれた子どももいるということなのですが、そういうわたしが、子どもをせっせと遊園地に連れて行っていたのです。
子どもは遊園地が好きという思い込みで。


この7ヵ条を読んだ人のほとんどは、スバラシイと思うでしょうが、どれだけの人が理解し実行できるでしょうか。
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない、ということは頭では分かっているけど現実はそうではないと思うのではないでしょうか。
やっぱり、3人の息子を東大に入れた母親の話の方を真剣に聞くでしょう。
ノーベル賞受賞者のほとんどはこの7ヵ条に当てはまるのですが、世の親はやはり現実の少しでもいい地位やお金を得られることが人生の価値だと思っているのでしょうから、7ヵ条は忌避するでしょうね。
そういう親によって、人はほんとうの幸せを知らないままに死んでいくのかもしれません。
目の前にある幸せに気付かないで、人は何を求めて生きているのかと思います。

水木さんの7ヶ条を読んで目が覚め、競争社会から脱出できる人がはたしてどれくらいいるでしょうか。
わたしのような怠け者の親のせいで子どもは社会で苦労していると思うのですが、しかし、その苦労は、「目に見えない世界」に気付かないままに一生を終ることに比べれば取るに足りません。

子どもを競争社会から解放してやりたいと思いませんか。
子ども、とくに勉強の嫌いな子、できない子に自由で楽しい子供時代を過ごさせてやりたいと思いませんか。





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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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