下の引用記事はその話題への感想みたいな話である。
高校に行かないで何か仕事をする人間というのは別に珍しくも何ともない話で、義務教育は中学までなのだから、いずれ大企業や官公庁に勤めようという目標を持つ人間でもないかぎり中学卒で十分である。ただ、世間では最低でも高卒でないと人間扱いをしない(採用対象者として扱わない)という職場も無数にあるから、高校くらいは卒業しておいたほうが無難だというだけの話だ。人格と言う面では、東大卒のサイコパスが無数にいるくらいである。
さて、私はアスペルガーというのがどういうものか良く知らないのだが、もしかして私自身アスペルガーなのかもしれない。「発達障害」と言う点では私は確実に発達障害なのだが、そうでない人間は存在しないだろう。人間が完全に発達したら神か聖者になるしかないのであり、そんな人間などどこにもいない。キリストや仏陀だって発達障害だろう。
要するに、「社会経済」の歯車として適合しない人間を「発達障害」とか「アスペルガー」と言っているだけではないのか。まあ、私はその両者の違いも知らないのだが。
要するに、アスペルガーだの何だのと言われているのは「常識的な対人関係が苦手、あるいは不可能な人間」のことだと私は理解しているが、そういう人間でも職人や研究者や芸術創造者にはなれるしキリストや仏陀にもなれる、ということだ。キリストや仏陀と恋人としてお付き合いをしたいという女はまずいないだろうwww
(以下引用)
才能も経済力もないアスペルガー
「かっこいい 飲んでみたい 天職が見つかって良かったですね。」
のほかに
「実家が太い 親類縁者の経済力」等のコメントもあって
さすがに「金持ちの道楽」は言い過ぎだと思いますが、揶揄するな、嫉妬するなというのも、難しいと思いました。
「嫉妬している人」には、貧乏人だけではなく、同種の障害を持っていて才能も経済力も持ち合わせない人も含まれているのではなかろうかと。同じアスペルガーで何も才能を見つけられなかった人、実家に経済的余裕のなかった人、あるいはその両方を兼ねそろえた人に、嫉妬するなというのはちょっと酷かなという気がしました。
同じく、発達障害、精神障害、身体障害などで才能を見つけられなかった人、経済的なバックアップが足りなくて自分が生きづらいと感じている人が、似たような障害を持っているのに、何でこの人だけこんなに恵まれているの?と健常者より強く感じてしまうのも致し方のないことではなかろうかと。
私だって、自家焙煎珈琲店を経営してみたいと思ったことがあるので、15歳で開業できる彼の親の経済力には嫉妬するもん。私自身が精神病気質でADHDであることを置いておいて、もし健常者だったとしても、その環境や才能に多少なりとも嫉妬しますね。ねたむというほど強い感情ではありませんが、素直にうらやましーなーとは思いますよ。もちろん、素直に「良かったねー」と思える自分もいます。まあ、要するに複雑な気分なわけですよ。
いい年のおばあちゃんなのに俗世の垢にまみれきってますよ、ええ。それが正直な気持ちです。
最後に
「発達障害系の場合、地位や各種資本(特に文化/社会関係資本)によってQOLや受入れ態度が大きく変わる現実有。それらが乏しい人は「好きな事/没頭/上達」ではなく「人さまの邪魔にならないこと」を目標として押し付けられる」
というコメントも心に響きました。持って生まれた才能がある、親に経済力がある、親に文化資本、さらにそれを継承させることのできる指導力があるなどのさまざまの要素が相まって、子供の将来に影響します。
必ずしも良い環境に生まれてこなかった人、恵まれた才能を持ち合わせて生まれてこなかった人、それぞれにそれぞれの思いがあり、彼らだってその思いを発したい気持ちがあるでしょう。それが「死への願望」であれ、「嫉妬」であれ、一旦は受け入れて噛み砕いて理解しようと努力することも必要だと思うんです。私自身が嫉妬深い人間だからこそ、なおさらそう思うんです。
また、言いたいことを言い放つだけの文章になってしまいましたが、自分には才能がないと思っている発達障害の方々の記事を以下に貼っておきますので、よかったら読んでみてください。
あと、増田に私と似たような感想があったので、それも貼っておきますねー。