忍者ブログ

人間にとって大事なもの(アーミッシュと「不良」考)

最初は、Hulu(ネット放映テレビ)で最近見ている 「 Rookies」の話、というより「不良」考でもしようかな、と思っていたが、「in deep」記事の下の部分が面白いので、転載しておく。おそらく、原発依存文明(電気依存文明)の後に来るのは、こういうアーミッシュ的な生活ではないか。あちらはキリスト教信仰が根底にあるということで、日本では違う部分も出て来るだろうが、電気文明に依存しない、という点は同じになるだろう。

なお、「不良」考も少し書いておく。

子供向けの漫画やアニメや小説では必ずと言っていいほど不良が主役級で出て来るし、現実にも不良というのは女の子にとってなかなか魅力があるようだが、その理由はというと、彼らは「自由に生きている」(ように見える)というところにあるのではないか、というのがこの考察のテーマだ。というより最初から決まった結論だ。特に(ように見える)と書いたところに注意。実際には自由どころか、彼らは彼らなりの秩序(力の序列)の中に生きており、ひどい場合はヤクザの使い走りだったりするのだが、傍から見ると彼ら不良は「世間の権威に堂々と反抗する」勇気のある、自由な生き方をしている連中のように見えるわけである。
だが、現実には彼らは「強い者に媚び、弱い者をいじめる」腐った連中であるのが常だろう。それを、「強きをくじき、弱きを助ける」仁侠心の持ち主であるかのようなファンタジーとして描いているのが、世間の「不良」物のフィクションである。
だが、息の詰まるような管理社会(特に学校生活は、目に見えない管理で雁字搦めである。)の中で生きる若者は、そういうファンタジーの自由に憧れ、自由の体現者であるかのごとき「不良」たちに憧れ、魅力的に思う、というわけである。だが、はっきり言って、不良の99%はど畜生だ、と私は思うよ。
もっとも、ここで私が不良と言っているのは「成績劣等者」のことではまったくない。成績劣等者の中にも人間的な温かい心の持ち主はたくさんおり、それはむしろ成績優秀者より多いかもしれないのである。
少なくとも、周囲の人間を暴力で威嚇するタイプの人間は、サイコパスでしかない。昔の「亭主関白」として容認された人間の中にもそういうサイコパスはたくさんいただろうし、今はそういう連中が家庭内暴力で告発されることもあるが、多くは隠れたままだろう。精神的暴力も同様である。こうしたサイコパス連中が私の言う不良である。不良とは「良くない」を意味するのだから、「良い不良」とは語義矛盾である。(笑)
また例によって引用文とは無関係な話を長々としてしまった。
だが、「人間にとって大事なものは何か」という話だとすれば、この二つの話は通底していないわけでもない。




(以下引用)




そういえば、アメリカで、人たちから離れて暮らしているといえば、

文明生活を拒絶する自給自足のアーミッシュたちが米国で増え続けている
 2010年09月16日

という記事でご紹介した、電気や自動車を含む近代生活を拒否して生き続けるアメリカの「アーミッシュ」という人たちを思い出します。

アーミッシュの人々

amish-family-in-buggy8.jpg
Donald Reese Photography


この人たちは、アメリカに住むキリスト教一派の人々で、電気、電話などは一切使わず、基本的に自給自足で生きている人たちで、

・唯一の交通手段は馬車
・怒ってはいけない
・喧嘩をしてはいけない
・読書をしてはいけない
・賛美歌以外の音楽はきいてはいけない
・義務教育以上の高等教育を受けてはいけない
・化粧をしてはいけない
・派手な服を着てはいけない
・離婚してはいけない


などの規律の中で生きています。

こういう生活がおもしろいかどうかはわからないですけれど、この生活なら、金融だのテクノロジーなどが破綻しても、それほど影響は受けなそうです。


拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
13
14 19
26 27
28 29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析