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人生経路としての「ヤンキー」

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、非常に頭のいい書き手である。
書かれた内容のすべてに同意するわけではないが、人間心理洞察や社会観察のレベルが非常に高い。まあ、世間の有名知識人のほとんどより上だろう。
ヤンキーのほとんどは「取りえがない」(もちろん、学校や家庭という場での「評価基準」においてであり、必ずしも本当に取りえがないとは限らない。)。だから逆に異常なまでに「承認欲求が強い」というのは鋭い視点だと思う。彼らが「喧嘩が強い」というのもおそらくほとんどは偽装であり、彼らが集団を作るのは、「数による力の獲得」だろう。だから将来は自民党や維新や公明党の支持者になるww
ただし、この記事の筆者のような、こうした冷徹な思考の人間は、周囲(ほとんどは「取りえがない」)からは嫌われそうであるww
教師とヤンキーの親和性の高さというのは確かにある。テレビドラマの教師はだいたい、ヤンキーや不良を手なづけることで「出来る教師」「生徒思い」アピールに成功するし、現実にも、「自分はヤンキー上がりだ」ということを売りにして国会議員にまで上り詰めた男もいるww

(以下引用)

anond:20211128052544

校則が厳しい方がヤンキーは増えるのではないだろうか


少なくとも昔のタイプヤンキーは増える


個人的人生経験では確実と言ってもいいぐらいだ


彼等が抱いている己の存在意義校則に逆らうことだったりする


(夢人:容量オーバーのため中略)


からヤンキーからしても校則がなくなると困ることになる


自分存在意義がなくなってしまうから


逆に言うなら、ヤンキーの多くはそれぐらいしか取り柄がない


取り柄がないから、能力がある人間を過剰に敵視したりする


からヤンキーの多くは内心では過剰な承認欲求を抱えている


これは酒鬼薔薇とも非常に似ている


校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、


私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分本音無自覚なように思っている


論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、


知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである


寧ろ、彼は非常に理知的で、論理的思考ができるタイプである


彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、


そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える


彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、


事件からそういう傾向があったように思われる


俺を見ろ!という過剰な承認欲求


俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う


話を戻すと、ヤンキーも似た思考をしている人が多いように思う


どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである


彼等のコミュニティ内での順列を争うため、


そして、彼等のコミュニティ外でも自分存在感を認めさせるため、


それがネガティブマイナスイメージであっても、


誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、


同じことを「てんちむ」という女性YouTubeで語ってるのを観たとき


ヤンキー傾向のある人はみんな似ているなぁ、と思ったもの


こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、


そもそも、家庭でなんらかの虐待を受けていないか


少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、


そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる


話を最初に戻すと、


ヤンキーにとって校則は寧ろ自分存在証明するために必要不可欠な存在であり、


校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている


わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、


校則を破る、学校に来なくても反社会的な行動を実行する、


そこに彼等はアイデンティティを抱いてしまっている


小林よしのり漫画の中で、自分高校時代に分かったこととして、


ヤンキー学校教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である


作中で、高校時代小林よしのり生徒会長立候補し、


学校校則を変えたい、もっと自由校則にしたいと息巻いていたが、


それに対し学校教師は猛反対する


そして、小林氏がヤンキーに、おまえら校則が変わった方がいいと思うだろ?


と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである


(中略)


教師ヤンキーが意外と仲が良い、卒業してから学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い


しかし、ヤンキー暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、


レイプ未遂被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない


教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分存在意義見出している人がいる


そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、


彼等の脳内では勝手美談に変換されているのだろう


そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう


なぜなら、教師という職業自体自由ではなく、その不満が蓄積する職業からである


家庭などで鬱屈反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、


職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、


互いに共感を抱き、傷を舐めあい普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない


寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている


(以下略)

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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