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「コミュニケーション」の東西での違い

サッカー日本代表監督のハリルホジッチが「(選手との)コミュニケーション不足」を理由に解任された問題での、下のコメントは「文化論」として秀逸である。
日本では無内容な饒舌を「コミュ力がある」とする傾向があるが、そうした饒舌の発言内容を外国語にでも訳したら、その非論理性や無内容さに呆れる外国人は多いと思う。安部総理の発言など、その発言量の10分の1くらいしか内容は無い(いわゆる「内容が無いよう」)のではないか。非論理性で言えば安倍も橋下も同様である。
まあ、女性などには、(私の偏見かもしれないが)「言葉は論理より感情を伝えるものだ」という考え方があるかもしれないが、そういう意味では日本人のコミュニケーションは女性的なのだろう。もちろん、そういう社会では言葉を論理でしか使わない(使えない)という人間は嫌われるわけである。
もちろん、私は言葉の「感情伝達機能」を軽視しているわけではない。小津安二郎の映画など、発言の半分くらいは論理的には意味をほとんどもたない「そうなのかい」「そうなのよ」「へえ、本当かなあ」「本当なのよ」といった会話である。
日常生活で「論理でしか言葉を使用しない」人間は日本では一種のキチガイなのだが、国会や政治の場で論理的発言ができないのは公の活動をするべきではない、というだけのことだ。




(以下引用)



日本人(協会)と外国人が考えるコミュニケーションが違ってるんじゃないかな
日本はコミュニケーションとる→仲良くなる
外国はコミュニケーションとる→意見の交換、違いを知るみたいな感じで・・・




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