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論語考察2「我未だ剛なる者を見ず」

孔子が「我未だ剛なる者を見ず」と言うと、或る人が「シントウという者がいるではありませんか」と言う。すると、孔子は「シントウは欲がある。どうして剛なる者と言えようか」と答えた。
(公冶長 第5)

この話から見ると、孔子の考える強さとは精神的な強さであり、そしてそれは「自分の欲に対する強さ」だと分かる。ちなみに、「剛」という漢字は「強さ」よりは「硬さ」が主意かと思われる。つまり、「剛」の音符は「ゴウ」で、「硬玉」の「コウ」に通じるのである。欲に対する強さは、欲に対する防御の硬さ、とも言える。
外部の敵には強い人間も内部の敵である「欲」には弱いのが通例で、そこが多くの英雄偉人の失敗や滅亡の原因になる。
この話の直前に、サイヨ(宰与)という男が昼寝をして孔子がその行動をひどく怒る話があるのだが、たいていの人は「昼寝したくらいで何を怒るのだろう」と不思議に思うだろう。だが、それは孔子にはサイヨの学問に対する不熱心さであり、孔子の怒りは、昼寝をしたいという欲望に簡単に従う弱さへの激怒だったかと思われる。
さらに、その前のあたりに「仁者はほぼ存在しない」という言葉もあり、孔子の考える「仁」のレベルの高さも分かる。
「強さ」も「仁(博愛)」も言葉にするのは簡単だが、問題はその強さや博愛の質やレベルである。だから「巧言令色鮮(すくな)し仁」なのであり、口達者なサイヨの昼寝はその一例だ、と見るべきだろう。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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