忍者ブログ

思考の円滑化と文章の暴走

呉智英という評論家というか、雑文書きがいて、エッセイの類が多いようだが、古典雑学趣味のプチ教養主義者、という印象である。正直なのが取り柄だと思うが、ユーモアセンスが無く、概してセンスが悪い、というのが私の評価だ。確か、自分を「封建主義者」と称していたと思うが、別に右寄りではなく、むしろ左寄りというか、心情左翼という感じだろうか。
小谷野敦はもっと左翼嫌いだと思うが、似たタイプである。つまり、ちょっとセンスが悪いし、特にユーモアセンスが悪い。しかし、世間の馬鹿を評論する際の手際がいいので、どちらも「読んで面白い」ところがある。悪口が上手いという点では高島俊男にも似ているか。だが、高島は一応は本物の学者ではあるから、それが素人(小説家なども、学問が無い点では素人である)をけなすのは反則とは言わないまでも、「大人気ない」だろう。

などと長々と書いたのは、筆がすべったというか、パソコンが暴走して書いたと弁解しておく。

さて、問題は、呉智英の書いた文章の一節である。
面白い「問題」を含んでいると思うが、なかなか難しい問題のようでもあるので、その短い文章を転記だけしておく。鍵括弧は私がつけたものである。見やすいように色分けする。

自らをかえりみない鈍感な傲慢さ、それが多数派を形成したのが通俗である。それは時に”理想主義”にすらなる。ちょうど戦時下の忠君愛国がそうであるように。」(「時代と坂口安吾」の一節)

これは「通俗」とは何か、の定義としては優秀だと思うし、それが時には「理想主義」にもなる、という指摘も鋭いと思う。さらに、「(通俗)理想主義」の例として「忠君愛国」を持ってきたのはサヨク的で面白い発想だし、ウヨクでも文句は言えない気もする。だが、話はそれほど簡単か、というのが私の言いたいことだ。
それは、「戦時下ではすべてが全体主義になる」という事実を、この言葉は無視していないか、ということだ。それを「通俗」の一語で片づけられるだろうか。つまり、圧倒的な「社会の空気」が作る圧力を「通俗」で済ませられるか、ということである。

転記だけするつもりが、異論まで書いてしまったが、これもパソコンの暴走である。ワープロの類は、言葉がスラスラ出るから暴走しやすい。(手書きは時間がかかるので、思索が慎重になる傾向があると思う。慎重になりすぎて停滞するのだが。)




拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

02 2025/03 04
S M T W T F S
12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析